第14話 将軍令嬢のクリシェ
「敵襲、敵襲だ! 後方が狙われている!」
その声に誰より早く動いたのはクリシェであった。
輜重段列は馬車数十台。
中程にいるクリシェから最後尾までは随分あり、悲鳴は遠くから聞こえていた。
「クリシェ様はここに。ご安心ください――」
クリシェの世話係と化していた兵士は、言い切る前にクリシェの姿を見失う。
そして一つ後ろの馬車荷の上に立ち、後方を見据えるクリシェを捉えた。
クリシェは声を掛ける男を気にも留めず、対処に思考を巡らせる。
ボーガンの輜重段列。
そこに被害が出れば、何よりもまず自分の明日の食事に影響が出てしまうためだった。
冷静に前後に連なる列を見渡す。
長蛇の列――とても即応体制などは取れない。
この森は前線よりも更に後方。安全が確保された領域であるはずだった。
そのため護衛兵士の数は必要最低限しかいない。
戦闘を行うにはあまりに脆弱。敵の規模によっては持ちこたえられない。
すぐさま思考を巡らせる。
――敵が前線を突破し、電撃的な侵攻を行い後方連絡線を脅かしに来た。
そうであれば情報が回っていて当然だろう。
伝令のほうが早くこの段列に到着して然るべきである。考えがたい。
――隠密裏の突破であり、こちらは一切気付いていない。
可能性は無いに等しい。
もしあればこちらはなかなかの損害を受けることになるが、とはいえ、後方連絡線を一時的に荒らすためにそんな行動するというのは考えにくい。
やるならば明確な遮断か、背後からの本陣襲撃か。
どちらにせよそれだけの兵力となると敵側リスクは大きく、後者であれば兵站部隊後方を狙うのは不自然。
その場合伏兵とし機を待つか、伝令も飛ばせぬほどの壊滅的打撃を相手に与える必要がある。
――元々ここに伏せられていた。
可能性はないに等しい。だが、少数であればどうか。
――なんらかの手法で戦力をここで編成。伏兵とした。
金銭やそれに準ずるもので傭兵、あるいは賊を味方につけた。
工作員がいれば良く、可能性としては十二分にありえる。
可能性が高いのは少数による後方攪乱か。
確認してみないことには分かるまい。
クリシェは跳躍し降り立つと、そのまま森の中を駆ける。
予備の馬車馬を走らせるには道幅が狭く、尻が痛くなる馬は嫌いであった。
森を突っ切って走った方が早いと即座に決断する。
仮想の筋肉を構築する魔力がうねり、その体が風を切る。
放たれる一本の矢のように森の中を駆けながらも、枝に服を破かぬよう身を捻って躱し、足の踏み場とルートを見極め、大地と木々を蹴るように前方へ。
到達したのはすぐのことであった。
目視で敵影は24。まだ多くいることは確かだろう。
非統一の革鎧。汚らしい格好だった。兵士であることを示す紋章の類もない。
格好から見て賊だろう。
であれば、相手としてはやりやすい。
曲剣を引き抜くのと、払うのは同時であった。
逆手に持った曲剣で一人の首を刎ね、血が衣服を汚さぬうちに前へと抜ける。
順手に持ち替え手近にいた二人を更に殺し、段列最後尾のある道へと踊り出る。
一瞬誰もがクリシェに気を取られた。
そしてその敵意が向けられる前に眼前の首を刎ねる。
頸骨を外し、柔らかい首の肉だけを。
鉈のような曲剣に刃こぼれ一つなく、淫らな赤に白銀が汚れていく。
血の噴水を目隠しに、クリシェは周囲の視界と意識から消え失せ――そして誰かが彼女を再び見つけた時には既に血の花が咲いた後。
襲撃してきた側、そして先ほどまで斬り殺されていた兵士達ですらが、背筋に泡立つものを感じた。
汚れを嫌うクリシェ――その刃だけに濃い赤が纏わり付いている。
濃緑の穢れなき外套に白銀の髪がさらさらと踊り、どこか場違いな美しさが異様であった。
「そいつだ! その白いのをやれっ!」
悲鳴のように賊の頭目らしき男が叫んだ。その段階でクリシェは既に九人の首を刎ねていた。
頭目の周囲には三人の男が固まっている。
クリシェは腰からナイフを引き抜き、投擲する。
走りながらも鮮やかに、回転するナイフは前面にいた男の首に突き刺さる。
後方の二人と頭目は倒れる男に目を見開きつつも構えた。
雑魚とは違い、腕利きであるらしい。
魔力を感じはしないものの、だからと言って安全というわけではない。
魔力で筋力やそのバネを補強は出来ても、物理的耐久を底上げすることは出来ないのだ。
クリシェであっても、その首を捻られれば死ぬし、一寸程度の切創で致命傷になる。捨て身で全員に掴みかかられればそれは死と同じである。
武器はあくまでその超人的な運動能力のみ。
そのため安全のためには意識の隙間を抜く必要があった。
左の男は斧。右の男は短曲刀。頭目は直剣を右手に、左手に小盾。
瞬時に左と判断し、斧を持つ男の右脇をすり抜けるように入り込む。
男が斧を振りかざしたが想定通り。
賊の大半は革鎧を着込んでいるが、それも胴と籠手の軽装。
脇の下には鎧は着込めず――そしてそこからよく血が溢れだすことをクリシェはよく知っている。
右脇を無造作に。
曲剣で引き裂きながら、男を抜けて背後に回る。
それを視認した頭目の反応は早く、右の直剣をこちらを振り払うように薙いでくる。
クリシェは姿勢を屈めてそれを躱し、膝の裏を斬りつけた。
頭目が崩れ落ちるのを見ることなく、引き抜いたナイフを迫りつつあった短曲剣の男の首へと投げつけ仕留め――そして倒れた頭目の背中を踏みつけ、その首筋に刃を当てた。
周囲を見渡す。
「か、頭がやられたぞ!」
「逃げろ! 捕まるぞ!」
賊の判断は早い。
自分達が劣勢に立たされたことを認識すると、賊の男たちは脇目も振らず背を向け走り出す。
クリシェはそれを眺め、周囲から敵意が消失したのを確認すると、一息をついた。
流石にそれなりの距離を駆けたせいで、クリシェの呼吸も少し乱れている。
周囲の兵士達は呆然とクリシェを見つめていた。
クリシェに話し掛けてきた顔もいくらか見られたが、その顔に浮かぶのは驚愕。
少女の異様さを言葉を失った様子で眺めていた。
クリシェは何を固まっているのかと疑問であったが、ひとまず頭目の抵抗力を奪うことにすると、頭目の右肩を踏みつけ腕を掴み、
「ひ、ぎっ!?」
――そのまま右肩を脱臼させる。
次いで左肩。
再び麻袋を裂くような悲鳴が森に響き、兵士達は我に返る。
「く、くりしぇ、さま……な、何を……?」
「……? 拷問の準備をしようかと。敵がまだいないとも限りません」
何故そんなことを聞くのかと、不思議そうに首を傾げた。
あらゆるものが血に染まった道の中。
惨劇の中にあってただ一人美しく、小首を傾げるクリシェは愛らしさを通り越して不気味であった。
クリシェは頭目の上から降りて、スカートを折りたたむとその前にしゃがみ込む。
そして強面に涙を滲ませ、蒼白になった男に語りかける。
「軍の輜重段列へ攻撃するのはいけないことです。知ってましたか?」
「あ、ぁ、が……」
「まぁ、知ってても知らなくてもいいです。このような場合、アルベラン王国の刑罰として最も重い死が与えられることとなります」
指を一本立てて、子供に言って聞かせるような様子であった。
「あなたが敵対国、この場合エルスレン神聖帝国軍兵士であればあなたの待遇は捕虜となり、然るべき処置を行い後方送致の後拘禁。尋問は暴力を伴わないものと、その権利が聖霊協約で守られる形となるのですが……」
紫の瞳は男の全身に目を這わせる。
少なくとも紋章の類はそこにない。
「あなたは身分を証明するものを持ち合わせていないように見えますね。いかがですか?」
「ひ……っ」
「所持しているならば五つ数える前にその旨を。でなければ所持していないものと見なし、単なる賊として扱うこととします」
ご、よん、さん、に、いち、ぜろ。
クリシェは五つ数え上げると微笑み告げた。
「ないようですね。本来あなたは拘束したのち処刑、という形になるのですが、幸いながら軍人には略式処刑の権利が与えられていますし、必要であれば情報入手を目的にその肉体を痛めつけ、拷問する権利も持ち合わせているのです」
別に脅しというつもりで説明しているわけではなかったが、それは明確な脅しでしかなく。
男は硬直し、クリシェはその太い右腕を踏みつけた。
「クリシェは今からあなたの指を一本一本切り落として拷問するわけですが、アルベラン王国刑法に則った正統な法的措置。理解して頂けると嬉しいです」
そして躊躇無く小指を切断する。
「ひ、ぎぃ、ああぁぁぁあぁっ!?」
「先ほど逃げた方以外に仲間はいらっしゃいますか?」
「い、いぃ、ゆび、指が……っ! 俺の、ぎっ!?」
次は薬指を。
重みのある刃は軽く叩きつけるだけでいとも容易く指を切り落とした。
「クリシェの質問に答えてくれないと困ります。この調子では靴を脱がして足の指まで切断しないといけませんから」
「ひ、ぐ、い、いません……っ」
「んー、そうですか。あなたはどちらにせよクリシェが殺しますけれど、痛い思いをして死ぬよりは早く死ねる方が良いとクリシェは思うのです。その調子でお願いしますね」
悲鳴が響いた。
先ほどまで戦闘の興奮にあった兵士達は、目の前の少女が躊躇なく指を切り落とす様を震えながら見ていた。
誰も口に出せないまま、男の右手の指は全て切断される。
クリシェの行っていることは軍務上実に真っ当な行為であったが、拷問行為を率先して行える人間というのは非常に少ない。
仲間が殺された恨みがあっても、彼女のように何の躊躇もなく喜びもなく、人の指を淡々と切断できるものはこの場に存在していなかった。
自身を殺しかけ、そして仲間を殺した敵の首魁が指を切断されていく姿に溜飲を下げるものはおらず、むしろその空気に呑まれ、恐怖と憐れみの情すらが湧いた。
「聞きたいのはそれくらいでした。では、ご協力感謝します」
クリシェは一仕事を終えた顔でそう告げると、男の首の付け根を踏み抜く。
ぐぎょ、という不気味な音が響いて、男の体が一瞬痙攣し動かなくなったが、そうなる前に八本の指が周囲には散乱していた。
クリシェは二本のナイフを死体の首から回収すると、兵士の一人、この一帯の輜重隊班長に近づいた。
「ひとまずこの襲撃は終わりと見てよいと思います。賊を使った後方攪乱でしょう。クリシェは戻りますけれど、綺麗な布を一枚、もらってもよろしいですか?」
「え、えぇ……」
兵長は上擦った声で布を持って来い、と手近な兵士に告げる。
兵士は慌てたように白い布を持って来た。
クリシェはナイフと曲剣から丁寧に血と油を拭き取り、外套の下の鞘に収めつつ、周囲の兵士達を見る。
どうにも周囲の反応がおかしいと流石のクリシェも思ってはいた。
賊を殺した。しかしここは街中ではなく、森の中――そして軍の輜重段列である。
クリシェのやったことは全て至極真っ当な賊の処理であって、軍の規則と理念に則った実に真っ当な仕事であり、むしろ喜ばれるべきことである。
だが、やはりそれにしては彼等の反応が少しおかしい。
そこでクリシェは、あ、と思いつき、ぽんと手を叩く。
今日のクリシェは軍人ではなく、手紙を配達しに来た単なる将軍令嬢。
要するに非番なのだと思い出したのだ。
仕事を取られた事への困惑だろうと当たりを付け、微笑み告げる。
「今の話と合わせ、前方や将軍への伝令はお願いしますね。クリシェはお手紙を配達しにきただけで、一応非番ですから、あまり出しゃばってもいけません」
そうして全く誰も気にしていないことについての気遣いを口にして、クリシェはそのまま少し小走りに、とてとてと前方へと駆けていった。
血の一滴もついていない汚れのない後ろ姿に、その場にいた全員の背筋が凍えた。
後処理に少々手間取り、夜になって森を抜け、クリシェ達は本陣へと到着する。
クリシェはどこか引き攣った顔をした輜重段列の兵士達に深々と頭を下げてお礼を言い、その足で将軍の天幕へと向かう。
クリシュタンドの軍自体は敵と三度ほど小競り合いがあったものの、現在は睨み合いが続いている状態でそれほど忙しいわけではない様子。
クリシェが人に聞きながらボーガンの天幕へ近づいていくと、途中で聞き覚えのある声が響いた。
「クリシェ!」
「わ……っ」
走り寄ってきた少女はそのまま抱きつき、クリシェに頬摺りする。
金色の髪は月明かりに濡れたように輝き、滑らかな白い頬はクリシェにも心地が良い。
頭半分ほどその背丈は高く、セレネはその大きな目の端にうっすらと涙を浮かべて微笑む。
「良かった、襲撃があったって聞いてすごく心配したのよ。平気? 怪我はなかった?」
「えへへ、はい、見ての通りです。セレネも元気そうですね」
腿の少し膨らんだ、乗馬用の赤いズボン。
上は黒く布地の厚い胴衣を身につけ、金の装飾が施された赤いマントを身につけていた。
鎧の下に着る布のクロスアーマーと乗馬ズボンの組み合わせは軍装ではあったが、金属鎧の類はどうにも身につけていないらしい。
少なくともこの野営地が安全だと言うことだった。
「ええ、まぁ。お父様のところにいくの?」
「はい、ひとまずお手紙を渡そうと」
「じゃ、いきましょうか。お父様もガーレン様もすっごく心配してたわ」
セレネは嬉しそうにクリシェの手を取る。
クリシェもひとまずその様子に安堵する。
「どうなんですか? 戦況は」
「睨み合い……ね。こちらからは手が出せない状況。ウルフェネイトを取られてしまったのは大きいわ」
ウルフェネイトは王国東部の中央に位置する城郭都市であった。
街全体が高い塀と川からの水で満たされた堀で囲われており、難攻不落の都市であると喧伝されていたのだが、電撃的侵攻により攻め落とされてしまった結果、現在はこちら側にとって難攻不落の敵侵攻拠点となってしまっている。
ウルフェネイトはアルベラン王国中央部を狙える場所に位置しており、ここを取り返すことが現状の最重要目的であった。
エルスレン側はウルフェネイトに繋がる後方連絡線をしっかりと防御しており、北のボーガンと南のダグレーンに対し、それぞれ四万の軍勢を展開させていた。
対するこちらは二万。ダグレーン側は三万の軍勢を掻き集めたようだが、しかし絶対的な戦力の差となる兵数差は大きく、防御はともかく攻め入るにはまだ少ない。
ウルフェネイト攻略にはどう考えても時間が掛かる。
後方を脅かしウルフェネイトを孤立させるのが最も効果的ではあったが、現状その手段は取れず睨み合いの状態。
王国中央での内輪もめのせいで中央の軍備が整わず、反攻作戦に至れていないというのが現状であった。
「中央は何をやってるのかしら。ウルフェネイトを落とさないとじり貧になることくらい誰だってわかるでしょうに」
「んー、エルスレンは大きな国ですから、十分な兵力を既にウルフェネイトに集結させているでしょうし……そこからどう動くかはともかく、こちらは受け身となってしまいますね」
敵の可能行動はいくらでも考えられた。
どのような動きを行なってもおかしくないからだ。
このまま戦線を維持し、領土の切り取りを行なう。
もしくは中央への侵攻、あるいは南部へ。
大樹海を背後にしたこちらへ攻め入ってくる可能性はなかったものの、動き方はいくらでもある。
「最低だわ。敵が肥え太っていくのを待つしか出来ないだなんて」
迅雷と渾名されるボーガンの娘。
セレネはその教育を受け、そして父を尊敬する。
そのため彼女はどちらかというと攻め気が強く、また、そうした戦術を好む。
今の戦況は彼女にとって不愉快極まりないものだった。
「対処を誤らなければまぁ、こちらのほうがまだ優勢、と言えますけれど」
「対処を誤り続けてるのが問題なの」
唇を尖らせるセレネと話している内に、辿り着いたのはボーガンの天幕。
「セレネです。クリシェを連れてきました」
入ってくれ、というボーガンの声が聞こえ、セレネはクリシェの手を引くように入り口を開いた。
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