黒騎士物語

赤王五条

プロローグ 黒騎士出撃

 その時、リースター・ヴェルジェムは生まれ育った場所から持ち出した紙の本を読んでいた。少々カビくさい、手製カバーで包まれた文庫サイズの本だ。内容はかなり昔の詩集。すでに失われた言語、日本語で書かれた本。

 読書をする彼の側には宇宙時代には珍しい日本刀が浮いている。大きさは打刀ぐらい。黒い鞘に収まった特徴が読めない刀だ。

「隊長!」

 無重力下で読書中の黒髪の男を隊長と呼ぶ者は、隊長よりも少し若い、むしろ少年という年頃の軍服を着た男子。

「ランデブーポイントで戦闘光を確認。少将閣下が上がって欲しいとのこと。」

「必要ない」

 部下になる少年に即答する。リースは側の刀を取ってその場で半回転する。そして天井を足で蹴って、少年が入ってきた扉の端を掴んで、通路に出た。

 読んでいた本には綴じ紐を挟んで上着の内ポケットに入れる。

「出撃する。こちらから救援に向かえば話が早い。」

「りょ、了解です!」

 リースターは全く表情を変えず、言いたいことを言う。若い兵士には口答えする余裕はない。些か独断専行が過ぎるが、リースターには些細なことに過ぎない。それにランデブーポイントには、古巣の戦艦が来ている。戦闘の光も、と敵軍との遭遇戦だと予想がつく。

 リースターは輸送機の船尾格納庫に真っすぐに向かう。そして格納庫内の、一機だけ違う容貌と装備の機体へと向かう。

 人型機動兵器【オルトス】。未だ歴史の浅い兵器だが、すでに優秀さを示している兵器だ。その根底に、度重なる戦争があったとしても、求められる戦力と言うのは正直なものだ。

 リースターのオルトスはグリフォンタイプと呼ばれる、元は反政府コロニー軍で作られた因縁のある機体だ。グリフォンとは、反政府活動の英雄の名だ。コロニー軍の中では、反抗の象徴として特別視されるはずだったのだろう。

 だからグリフォンタイプに乗る事は、敵から意識される。ただし、リースターにとっては望むところだ。彼にとって戦うことは、生きることだからだ。

 全身真っ黒で、人の顔をしたようなオルトス。

 その名はシュバルツ。

 コロニー軍から奪い、火星の工房で更に強化されたリースターの相棒だ。

 奪った時は白い機体だったが、黒く塗装する提案をしたのはリースター自身だ。本来はアサルトという機体名もすでに付いていたが、塗装する際に名称を再登録したのだ。

「ブラック1より、ブリッジへ。ハッチ開け。」

『待て待てブラック1!』

 ブラック1とは現在リースターへ与えられている仮のコードである。正式採用されるかは分からない。

 出撃しようとするリースターに、輸送機艦橋にいるゲストであり上官が制止を掛けてきた。

「何か」

『何かじゃない。確かに戦闘の光を確認したが、スレイプニールが遭遇戦していたとしても、彼女らに任せることはできるが!?』

「それはネガティブ。少将。」

 スレイプニールとはランデブーする予定の戦艦だ。リースが少し前に乗艦していた古巣である。彼女と言うのは、スレイプニールの艦長が高級女性士官だからだ。

 リースターが自信をもって少将の楽観視を否定したのは、スレイプニールがコロニー軍にとって敵視される部隊となっているからである。無論、敵視される理由もリースター自身が関わっている要素があるかもしれないという自負もある。

 スレイプニールが接敵すれば戦闘は避けられない。そして、スレイプニール部隊に対して対策を行う敵軍も馬鹿ではない。強い兵器、強いオルトスを繰り出してくれば、かつての仲間も危ないかもしれない。

 切り抜けてくれればいい。しかし危なかったら、みすみす見殺しにすることになる。

 リースターの脳裏にスレイプニールの軍医の眼鏡の女性が浮かぶ。その次に、共に戦った仲間が次々と思い浮かぶ。彼女らは共に死線を潜り抜けた仲間と言える。少なくとも思い入れはある。

「その確認のために出ます」

『了解した。こちらは警戒状態になる。援護はできんと思ってくれ。』

「了解」

 少将はそれ以上食い下がらず、格納庫のハッチ開閉動作で、出撃許可を行う。

 少将は保身のために引き留めたわけではない。リースター以外は新兵同然のオルトスパイロットしかいないからである。リースターが抜けることは、戦闘能力のない輸送船の防衛能力を半減させることに他ならないからだ。

 この輸送船に乗る少将の任務と、リースターの負った任務に逸脱する所業故に、少将は形だけでも制止しなくてはいけない立場だったのである。

 黒いオルトスが船外へと出ると、岩塊が無数に点在する宇宙である。

 地球と火星との航路に跨るアステロイドベルト。その暗礁空域では自由な機動は困難である。戦闘になれば乱戦も避けられない宙域だ。

 そこを合流地点とするのは戦闘能力のない輸送船にとっては当然であったし、戦闘になってしまったのは不運としか言えない。

 そして戦闘状態に陥る友軍の元に急ぐこともまた、自殺行為であった。

 リースター・ヴェルジェムはオルトスパイロットとして、他のパイロットとは違う点が2つある。

 一つは人型機動兵器への高い適応能力である。それまで戦闘艦載機が主流であった戦争において、四肢を持つ機動兵器はまったく新しい兵器だ。熟練した戦闘機パイロットが失われ、宇宙作業機械に、宇宙巡洋艦のエネルギー炉をダウンサイジングした、いわゆるオルトス型融合炉を載せて生まれた機動兵器である。これらはコロニー側の反政府軍から生まれ、コロニー宇宙軍に配備された。それというのも優秀なパイロットを持たないからである。動かすことさえできれば無学な少年兵でも艦艇を撃ち抜く砲台になれるからだ。

 リースターは元々生身の近接格闘で士官学校の教官をギブアップさせる格闘能力、また近接格闘センスを持ち合わせる。四肢を持った機動兵器はそのセンスを十二分に発揮するのである。

 もう一つは敵に恐れを持たないことだ。もっと言えば人殺しになんら恐怖感を持たない。たとえ見たことのない相手にも、果敢に立ち向かい、斬りかかる。これはリースターの士官学校に入る前の育ち方に由来するものだ。

 だから、たとえオルトスよりも大きい岩塊が漂う宙域としても、リースターにとっては障害ではない。オルトスは四肢を持つのだから、スラスターを吹かしてもぶつかるなんてことはないし、恐れない。岩塊を駆け、踏み台にし、戦闘宙域に飛び込む黒いオルトスを敵は警戒するかもしれないし、誤解するかもしれない。

 驚いても、リースターにとっては関係ない。初めて見た赤いオルトスを、シュバルツに装備された対オルトスメタルブレード【クサナギノツルギ】で両断した。

(いい切れ味だ)

 リースターはコクピット内で表情を変えることなく武器の威力に感心した。シュバルツの元のオルトスが火星に持ち込まれた際、専用に鍛えられた刀である。

 火星政府軍の初の量産型オルトスである【リッター】には剣が装備されているが、それはあくまでオルトスと格闘戦をして、装甲を叩き潰すための武器である。

 多くの戦場においては近接戦に持ち込むより撃った方が速い。にも関わらず、シュバルツに斬るための剣を用意してくれたのは、そうして前線で戦うことが広告塔として最適であると評価されたためである。

 それが転じて、リースターは隊長と呼ばれるまで出世した。約1ヶ月前は士官学校卒業生の中でも落ちこぼれであったというのにだ。

「気付いたな」

 リースターは呟き、正面を目視確認する。オルトスでの戦闘は有視界戦闘だ。オルトスの頭部や備え付けられたセンサーがコクピット正面視界に3DCGとして描画する。

 宇宙に音はないので、正面の情報とセンサーの距離情報、パイロットの空間把握能力がこの戦闘でモノを言う。

 1機落とされたことに気付いた敵のスラスターからの光跡が3つ見える。それらが現在全ての敵戦力である確証はないが、シュバルツを脅威と認識してくれたことには違いない。

 それら敵を待ち受ける必要は無い。ほぼ本能的に上へと動いてシュバルツの身を隠す。宇宙に上下はないが、暗礁宙域においては上下が存在する。岩塊という天井も地面もあるからだ。

 岩塊を障害物にするのもさることながら、踏み台にしてしまうと、さしもの敵もシュバルツを見失う。黒い塗装にステルス効果があるとは思っていない。ただ目眩ましにはなる。

 敵のオルトスは一様に赤い。先程は、ほとんど見ていなかったが、その実人型というより人形のような見た目だった。

 のっぺりとした楕円形の頭部、手指が隠れた袖口のような腕部、靴の無い脚部。異形を感じる姿形をしている。

 それらは壊れた味方の残骸に特にリアクションすることなく、周囲警戒に移る。

 その反応にリースターは違和感がある。

(AI、いやドローンのようなものか?)

 一定の行動を取り、一定の反応や対応を取るのはAIにありがちだ。

(どちらにせよ、これで分かる)

 身を隠した岩塊の影から、普段使わないロックオン照準を敵に向ける。それを受けて、赤い敵機は即座に動いた。3機同時にである。

 3機、3方向、3手に分かれて、岩塊の影へと向かい、腕部の機関砲を、あるいはエネルギーソードで急襲する。しかし、そこにはもう何もいない。

 狙いは正確だし、動きは人間技ではない。当然、連携もできるが、その連携には穴がある。連携が正確かつ、目的がシンプルなことだ。AIには指示されたことしかできない。敵を倒すことなら、倒すことしかできない。全機で敵の破壊をするために、他のことは不可能なのだ。機械故の融通の効かなさであり、さりとて人間でも陥りがちなである。

 だから奇襲は容易であった。身を隠さずに、元いた場所の真上に待機していたシュバルツは赤い敵機の頭上から兜割りをし、小手返しで左の1機を両断する。

 至近での味方の破壊に反撃行動を行わず、正面視界を確保しながら距離を取る残り1機。ことここにおいて、敵機はシュバルツの居所を把握できていなかった。それ故、正面にはもはや敵などおらず、岩塊を盾に背後を取っていたシュバルツにまるで気付かず、やはり一撃必殺で切り捨てられていた。

(無人機か)

 これまでの戦争で人員不足のコロニー軍、人はいても経験が育っていない政府軍。事情は違えど、抱えている問題は同じだ。コロニー軍がAI搭載オルトスに手を出すのは合理的な事情であろう。

(今のままでは、人間とさほど変わるまいよ)

 リースターはそういう感想に至る。それは理不尽かつ異常なことだ。ただこの場には彼しかいない。彼の思案に文句を言うものなどいない。

(敵は離脱したか)

 コロニー軍のどこの部隊と遭遇したのかは知れないが、戦闘の光跡はもう見られない。リースターは脅威が去ったと判断した。

 暗礁宙域の岩塊で電波通信は阻害されるが、彼はランデブーポイントに近づきつつ、通信を試みる。

「こちらブラック1。火星新統合府軍ブラックナイツ隊長リースター・ヴェルジェム。

スレイプニール、応答願う。」

 すらすらと現在のコードと所属を伝える。伝えながら、見えてきた宇宙艦艇に懐かしさを覚える。

 現在の火星政府のフラッグシップとなるだろう新造戦艦スレイプニール。そのダークグレーの色に安心感がある。

 またその戦艦の側には護衛機であろう、2機のオルトスも認められる。

 それぞれシュバルツと同じ黒いオルトス。マーガムという、グリフォンタイプオルトスの先行量産試作機だ。 

 パイロットがリースターのいない間に死んでいなければ、マーガムに乗っているのは知り合いだ。どちらも顔見知りの。

「こちらリースター・ヴェルジェム少尉。着艦許可を願う。」

 この艦に配属された時は曹長だった。その前は軍曹。順当に出世しているが、リースターは、あまり出世には興味がない。前線での軍功による戦時出世、その程度にしか考えていない。

 マーガムが通信ワイヤーを馴れ馴れしくシュバルツに接触させ、有線通信を送ってくる。

『よう、死神。随分出世して戻ってきたな。』

 聞き慣れた声だが、リースターは無言である。表情も変えない。

『お前なぁ、ハードボイルド感出して歓迎してるんだから反応しろよ!』

「知るか」

『お待たせしました、少尉。着艦どうぞ。。』

「感謝する」

 マーガムのパイロットからの軽口に正直な感想を返し、これまた耳慣れた女性通信士の通信に感謝を述べる。

(帰艦か)

 改めて、リースター・ヴェルジェムは戻ってきた。彼を取り巻く状況は、ここを出た時とかなり変わっている。

 だがすべきことは何も変わっていない。

それは捕らわれたコロニーでオルトスに出会ったあの日からずっと。

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