第5話 シルフィーナの心

 シルフィーナ・クラウゼン。

 彼女の心は孤独で満たされていた。


 物心ついた時は、もう一人だった。

 家族がいないわけではない。

 兄弟はいないものの、父も母も存命だ。


 しかし、両親は子供に興味を持っていなかった。

 欠片の愛情すら抱いていなかった。


 それも仕方ないといえば仕方ない。

 両親は政略結婚で、そこに愛はない。

 ただの気まぐれで体を交わして、その結果、シルフィーナが産まれた。


 シルフィーナは望まれて産まれた子ではない。

 故に、乳母を雇うなどの必要なことはしたものの、愛情を注ぐことはない。

 それぞれに勝手に愛人を作り、勝手に遊び呆けて……家に帰ることは、月に一度あるかないか。

 その時もシルフィーナと接することはなく、構ってほしいと口にしても、いないものとして扱われて無視されてしまう。


 そんな環境で育ったシルフィーナは、優しい乳母のおかげでまっすぐ育つことはできたものの、心の中にどうしようもない孤独を抱えるようになった。

 顔は笑って。

 心は泣いて。

 孤独に心を蝕まれて、愛情を求めるように。

 家族を求めるようになっていた。


 そんなある日のことだ。

 突然、本家に引き取られることが決まる。


 育児放棄に近いシルフィーナの環境を知ったアリーシャの父は、弟が子供をまるで省みていないことに激怒した。

 説教をしても態度を改めず、己の子供に愛情を注ぐ気配は欠片もない。

 貴族の仕事をきちんとしているのだから、それで問題ないだろう? という態度で、口を挟むなと言われさえもした。


 アリーシャの父は妻と相談して、シルフィーナを引き取ることを決意した。

 弟の元に置いていたら、大きく歪んでしまうだろう。

 今からでは遅いかもしれないが、それでも、放っておくことはできなかった。


 そして、手を回して交渉を重ねて……シルフィーナは、正式に引き取られることになった。

 シルフィーナの両親は、この件に対して、なにも反対はしていない。

 むしろ、厄介者を引き取ってくれてありがとうと、礼を言うほどだった。


 そんな両親の考えていることを、シルフィーナは敏感に察していた。

 小さい子供ならなにが起きたかわからないだろうが、もう十五歳なのだ。

 詳しい話を聞かされていないとしても、自分は捨てられたのだろう、ということはなんとなく理解できた。


 その事実が、彼女の心を押し潰していく。

 傷つけていく。


 幼馴染のアレックスは色々と良くしてくれて、彼のことは頼りにしている。

 ただ、彼は友達であって家族ではないのだ。

 シルフィーナが本当に欲しているものではなくて、残念ながら、アレックスでは心の隙間を埋めることはできない。


 本家に引き取られる日……シルフィーナは、ただただ怯えていた。

 新しいところでうまくやっていけるだろうか?

 今までと同じように、いないものとして扱われないだろうか?


 あんな経験はもうイヤだ。

 挨拶をしても無視されて。

 笑顔で話しかけても無視されて。

 ミスをしても無視されて。


 なにもないものとして扱われることは、これ以上ないほど辛く苦しい。

 そうならないように、シルフィーナはなんとか笑顔を浮かべて、良い子であろうとした。

 できる限りの愛想を振りまいて、気に入られようとした。


 結果……アリーシャの父と母は、シルフィーナのことを笑顔で迎え入れた。

 同情はあるものの、健気な雰囲気をまとう彼女のことを気に入ったのだ。

 そんな二人の笑顔に、多少、心が安らいだ。


 これなら、もしかしたらうまくやっていけるかもしれない。

 そんな希望を抱いて……

 その後、義理の姉となるアリーシャと顔を合わせることに。


 とても綺麗な人で穏やかな人だ。

 最初に見た時、思わず見惚れてしまったことは内緒。


 この人が今日から姉になる。

 うれしいやら、しかし、うまくやっていけるのだろうか? という不安が再び押し寄せてきてしまい、ぎこちない態度に。

 そんな不安が表に出ていたらしく、笑顔がぎこちないと指摘されてしまった。


 シルフィーナは焦った。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 失敗してしまった。

 受け入れてもらえないかもしれない。

 また居場所を失う。


 焦り、さらに笑顔がぎこちなくなってしまう。

 そんなシルフィーナを見たアリーシャは……

 なにを考えたのか、いきなりシルフィーナをくすぐり始めた。

 笑うにはこれが一番だと、真面目にくすぐり始めた。


 ようやく解放されたシルフィーナは、まず最初に、アリーシャの頭の正気を疑った。

 この人は、なにを考えているのだろう?

 大丈夫だろうか?

 本人が聞いたら凹みそうな台詞だが、そう思われても仕方ない。


 ただ、おかしな行動をするアリーシャに興味が湧いたことも事実。

 他人の顔色を伺ってばかりのシルフィーナだったが、この時、初めて純粋に他人に興味を覚えた。


 この人は、どんな人なのだろう?

 どういうことを好み、どんなことを嫌うのだろう?

 そんなことを考えた時、アリーシャから、こんなことを言われた。


「あなたは、私の家族なのですから」


 そう言われた時、シルフィーナは、一瞬なにを言われたのかわからないくらい驚いた。


 自分が家族?

 会ったばかりで、なにも知らないはずなのに……それなのに、家族と言えるのだろうか?

 それは早計ではないか?

 軽はずみな発言で、なにも考えていないのではないか?


 そんなことを思い、アリーシャの発言を軽いものと疑うシルフィーナであったが……

 しかし、すぐにそれが思い違いであることに気がついた。


 アリーシャの瞳はとても優しい。

 上辺だけの言葉ではなくて、シルフィーナのことを、本気で妹だと思っているのだ。

 言葉通り、家族だと思っているのだ。

 彼女の優しい瞳が、そのことを物語っていた。


 ずっと欲していたものを、ようやく手に入れることができた。

 そのことを理解したシルフィーナは、この時、泣いてしまいそうになった。

 アリーシャからの親愛を確かに感じて、喜びでどうにかなってしまいそうだった。


 ただ、いきなり泣いたりしたらおかしいと思われてしまうため……

 なんとか我慢した。


 その時から、シルフィーナにとってアリーシャは姉になった。

 家族になった。


 自分を受け入れてくれたアリーシャのために、なにかしたい。

 そう考えたシルフィーナは、アレックスのことで力になると言い出した。

 彼が抱えている事情も、アリーシャならばと話すことにした。


 しかし。


 その行為は、アリーシャの力になりたいというよりは、嫌われたくないという後ろ向きな感情によるものだ。

 どうにかしてアリーシャの気持ちを繋ぎ止めておきたいという、歪んだ愛情によるものだ。


 そのことに、シルフィーナは気がついていない。

 アリーシャもまた、気がついていない。

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