蒼き黎明

黒鋼

0/始まり - とある能力者の少女

 ──そして、全てが終わった後、蒼く染まってゆく明け方の空の下で。


 年季のはいった褐色の木のベンチが置かれ、隣に古めかしく錆びついた望遠鏡が備えつけられ、そこからは海に面した街が見える。

 私はそこにたって視界いっぱいに広がる街の様子を眺めている。

 なだらかな斜面には、目に優しい色に彩られた洋館があり、駅の方へと続いていく。

 駅の周りには人々でにぎわう繁華街は、線路を境界にして、港側の方は再開発が進み、高層ビルが立ち並ぶオフィス街となっていた。

 今は建築中のものもいくつか残っているけれど、もう何年もすれば完成するんじゃないかな。


「異国情緒が漂うこの街も、近代化の波には勝てなかったらしい」

などと、古くから住んでいる人からそういった話を聞こともある。

 ここから見える風景を惜しむ声もあった。

 確かにビルで海が見えづらくなったのは事実かもしれない。ただ、それとは裏腹に、私はそういう建物も風景も嫌いじゃなかった。

 なぜって? ほら、空に近い場所に行けるからじゃないかな。

 もし、ビルの屋上に立てたらさぞかし風が気持ちいいだろう。

 曲線のフォルムもかっこよくて個人的には悪くないと思う。使いやすさと美しさを両方そろえたビルの群れは、そこだけみればまるで未来都市だ。

 アンティークは歴史を重ねた年代の深さ、新しいものには新鮮さと時代に合わされた使いやすさがある。どちらもいいなって自分は思っている。

 想いを込めて作ったのが、先人か今の人かの違いだけ。何かを作るっていうのは、どんな手段を使っても、結局は人がどんな気持ちで作ったかによるんじゃないかな。

 何より私はこの街が好きなのだ。自分が生まれ育った街が、昔からすごく好きだった。

 理由はいっぱいあるけど、自分の今までの思い出と一緒に、自分の一部のようになじんでしまったからだろう。

 それは自分の心に刻まれたかのように、街がどう変わったとしてもそうそう消えることはない気持ちなのかも知れない。

 視線をさらに南に向けると、港の向こうに見える水平線が、くっきりと空と海を分けている。

 まだ日はのぼりきっていないせいか、海の色は本当に綺麗なダークブルー。

 暗い夜明けの空がうっすらと蒼く染まっていくのと同じように、海の色も澄んだ青へと戻ってゆく。

 この時間はちょうど海から吹く風が、一日のはじまりを告げる鳥たちの鳴き声を運んでくる。

 私はこの時間が一日のうちで一番好きだった。

 夜が終わり、何かがはじまる時間。何もかもが生まれ変わるような感じがするから。

 新しいものはやっぱり気持ちいい。

 夜が明ければ夢は覚める。 暗い夜もいつかは明るくなる。どんな悪夢もいつかは終わってしまうのだ。

 もっとも、見ている夢がいい夢ならば、少しもったいない気がするけれど。

「……まるで、私みたいに?」

 そう呟いたとき、私の中の何かが一瞬ふっと消えていくのを感じた。

 外から聞こえる音が、一瞬だけ遠くなり、指先からだんだんと感覚が消失してゆく。

 眩暈にも似た、全身の力が抜けていくような感覚。

「もうそろそろ、時間…かな」

 私は困ったように少し苦笑いを浮かべた。

 怖くないといえば、嘘になる。

 気持ちをすべて押し流してしまうかのように強い風が吹いてきて、私は瞳をそっと閉じた。

 この街は何も変わらない。何も変えさせなかった。だから、それでいい。

 しばらくして風の音が耳に戻ってゆき、私は再び目を開けた。

「ああ、やはり何もかわらない」

 目に映るのは黎明の青。

 私はどこかほっとしたように息を吐いて、

「スカートくらいは抑えた方がいいぞ」

 後ろからかけられたデリカシーのない声に現実に引き戻された。


 どうやら物思いにふけっていて、どうやらすっかり同行者の存在をすっかり忘れていたらしい。

「生きてたんだ」

「そりゃ酷い。オマエはもう少しいたわりの感情とかあってもいいと思う」

「だったらかける言葉を選ぶとよいと思うよ」

 むっとした表情で振り返れば少年が一人。

 私と同じように空を見ていた。やや長身だが、今はベンチに寝転がっている。服はところどころ破れていて、血が滲んでいるのが見える。

 まるで、激しい喧嘩を繰り広げたような感じだけど、喧嘩というには少し激しすぎる。

 彼の姿を見て、私はほんの少しだけ胸が締め付けられる。

「痛々しいわね」

「大丈夫、心配無用だ」

 ひらひらと軽い調子で手を振った彼に、

「心配なんてしてないわよ。貴方、丈夫さだけは筋金入りなんだから」

 と返せば、言葉もなく押し黙る彼。

 まったく、素直に人の好意を受けとらないからだ。

「そういえば」

 私は思い出す。

 彼も空が好きだといっていた。もっとも彼が好きなのはこの街の夜景らしい。夜景が好きな理由も、まだ聞いてなかったな。


 ──ドクン


 鼓動がひとつ。そして、また私の意識が遠くなる。

「どうした?」

 多分、言うべきことではないのは判っていた。

 なのにこうして考えてしまうのは、この少女を元にしたことで今の私は人に近い思考をしているからだろうか。

 彼はほんとに偶然通りかかっただけ。今も傷だらけで……ああ、まったく、力を貸したとはいえ、私の制止も聞かず無茶ばかりする。

 思い出せば腹が立つことばかりだった気がする。

 頼みもしないのにいきなりやってきて、無茶ばっかりではらはらさせる。こんな馬鹿で優しくなくて口も悪くて性格も悪い男は初めて見た。

 でも、彼は望まれれば応じてしまうのだろう。「借りは返す」なんてそんな言葉だけでついて死ぬような目にあってもついて来てくれるほど甘いのだから。

 私はせめて、私の知っていた人たちが──とはいっても、それは厳密には私の記憶ではないのだが──事件に巻き込まれて欲しくないだけだ。

 私と同じような想いをすることがないように。私の家族と同じ想いをすることがないように、守りたかった。


 けど、それは私だけの問題だ。


 ──彼には必要なことだけを言おう


 そう決めて顔をあげ、私は静かに彼を視線を向け、努めてゆっくりとした声で事実を告げる。

「戦いは終わったわ。消耗した今の力では、もうこの世界に留まることはできない」

 今度こそうっすらと薄れてゆく自分の手を見て、私は少しだけ笑顔を見せる。

 安堵したのは本当だったから。

「そうか……」

 彼はたった一言だけ答えただけだった。

 そしてそれっきり青く染まってゆく空を眺めている。

 私のことなんて目に入ってないかのように。

「……」

 だから、なんとなく腹が立って、言わないはずの台詞を言ってしまった。

「……そしてたぶん二度と現れることはない」

 彼は少し黙った。無表情で。

 一度目を閉じて、ため息をつく。

 そして、やれやれといった感じで肩を竦め、仕方なさそうに。

「なら、お前の続きは俺がやろう」


 ──などと、当たり前のように言った。


「え…?」

 呆然とした私に、今更何を言ってるんだ? という顔──これがまたムカツク──で言葉を続ける。

「約束しただろ、手伝うって。俺にはこんなことしかできないからな」

 この人は、それがどれだけ大変なことなのか知っているのだろうか?

 今でさえギリギリでボロボロで、立ち上がれもできないくせに。

 私の中で、怒気をはらんだ感情が膨らんでいくのを感じた。


 けれど、

 

「言い忘れてたけどさ。助けてくれて感謝してる。何も礼はできないけど、この借りだけは返すからな」

 ……その言葉で、急速に萎んでいく。

 止めた。

 彼はたぶんわかってるのだろうし、そしてその上で選んだのだ。

 知ってしまえば知らないフリはできない。だから、彼はこれからも関わり続けるのだろう。現実と非現実の境界線に、すました顔で佇みながら。

 それは、ここ数週間の付き合いでよくわかっていることだった。

「どうした?」

 よくわからない、という顔で呑気そうにいう馬鹿に、私は正直に告げることにした。

 大きく息を吸って、彼の真似をして深く溜息をついて。

「本当に馬鹿ね、貴方」

「うるさい。まったく、可愛くない奴だな。相変わらず」

 そして何故か可笑しくて二人とも笑ってしまった。結局、終わりのときも変わらない。最後までいつも通りだ。

「……ねえ」

「……ん?」

 いろいろ言おうとしていたことは全部忘れてしまった。だから、たった一つ、言いたかった言葉を貴方に告げよう。

「ありがと。貴方が居てくれて嬉しかった」

「ああ、だからゆっくり寝ろ」


 最後に微笑んで、そして私は眠りにつく──

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