終わった世界でもメイドをやっていました

炭酸吸い

前編 戦闘メイドは死にかける




 水分の含んだ空気がずっしりと肺を満たす。

 廃墟の壁が脆く崩れ、絨毯のように敷き詰められた菌糸類の群生地を叩いた。

 むせ返るような胞子の塊が吹き上がり視界を汚す。

 ――壁の中から現れたのは、イノシシ大の革鞄を背負った青年。

「ここも人はナシと」

 猫のような身軽さで三階から跳ぶ。

 その所作に躊躇はない。

 荷重の体でありながら、苔だらけの壁をスパイクで蹴り降りる。器用に衝撃を殺して着地した。

 腕甲から立体型の地図を射影すると、宙でバツ印を描き、ガスマスク越しに声を投げ上げた。

「メイド丸。

『かしこまりました』

 暗がりから声がする。使い古されたメイド服に包まれた、鋼鉄の女性――機械人形が現れ、肘から先を変形させた。

 間もなく。

 可燃性溶液を撒き散らす火炎放射器と化した。


 人類が絶滅して二十年。

 廃材回収屋のかたわら、修理士として生計を立てていた彼はいつしか成人し、衣服の破けた女性形戦闘人形を従えて〈終わった世界〉を旅していた。

 人を捜すために。

 彼にしてみれば、それは誰でも良かった。

 生命維持カプセルに祈りを託された赤子だろうが、屍体を貪る畜生だろうが、廃墟の思い出を踏み荒らす盗人だろうが、孤独を誤魔化せる人間がいるなら誰でも良かった。

「メイド丸が生まれたのは中央区の研究棟だっけ?」

『はい』

「そこもきっと崩れてるんじゃないかな」

『マスターはそんな弱気なことは言いません』

「や、言ってるんだけど」

 ガスマスクで声が通らなくても、メイドは感覚器が鋭いのだろう。青年が意見を変えないでいると『マスターはそんな弱気なことは言いません』と再び返した。

 はいはい、と手をひらひらさせる。

 するとメイドの歩行ユニットから耳慣れない音がする。隣で動きが鈍くなるのを感じた。

「疲れたよな。休憩しようか」


  ◇


「ほら、これでマシになった」

『ありがとうございます』

「水取ってくるよ」

『マスターは休んでください。私が回収してきます』

「戦闘メイドが何言ってるの。関節は調整したばかりなんだから動くなって。浄化ポッドのシリンダーはまだあるし、適当に休んでな」

『しかし』

 メイドの口に指を立てると、「シカシもカカシもないの」と意味の無い言葉で制して噴水広場に座らせる。

 昔は水をインテリアにしていたというのだから贅沢なものだ、と青年は眉根を寄せていた。

「行ってくるよ」

『お気をつけて。〈怪獣〉が居てはマスターひとりではどうしようもありませんよ』

「大丈夫だよ。ここ五年はもう見てないんだから」

 ――そうさ。今や生き物すらいやしない。

 人を捜すこの旅も無謀だ。生産性なんてこれっぽっちもない。それでもひたすら進む道を選ぶ。

 何もしていないと、退屈と孤独に殺されそうになるから。

「デパートってやつか」

 菌糸で覆われた建物内。歩を進める度に、足跡を刻むように舞い上がる胞子が濃くなる。

 視線を巡らせれば、輝きを失った宝石店や、計測能力を放棄した時計店。食料品店など鼻が曲がりそうで近づけたものでは無い。

 青年は菌糸類の群生地――汚染水域を目指した。

「ここかな」

 人類滅亡のきっかけとなった新種の菌糸類の中には、自らドーム状の膜を形成して〈毒性の水域〉を育む個体があった。

 粉だらけの硝子ガラス壁の奥、深緑に鈍く発光する場所を見つける。

「デパートの自動ドアって重くて嫌いだ」

 今や電気すら通らないこの文明では、利便性を追求しすぎたせいで障壁となるものが多い。

 滑る手袋をなんとか踏ん張らせて開けると、勢い余って前のめりに転んでしまった。

「しっかり汚しちゃった。ベースキャンプまで遠いのに」

 立ち上がり、体に着いた胞子を払い落として顔を上げる。

 巨大な怪物の口が待ち構えていた。


  ◇


 情けない叫び声が原型を失ったデパートの中で反響すると、メイド型機械人形は瞳の映像処理レンズを赤く明滅させた。

『声紋照合――マスターに想定外の事象発生』

 推定分析が終わる前に、機械人形の加速装置はギアを最大に引き上げていた。

 応急処置しか出来ていなかった左脚から部品が飛び出すと、そこを綻びとして徐々に瓦解していく。

 メイドは自壊していく体には気にも留めなかった。

 活躍の舞台が来なかった〈対怪獣用ブレード〉を展開しようとすると、錆びていたのか中途半端になり蟷螂カマキリの鎌のようになってしまった。

 何も無いよりは良い。

『マスター』

 汚染水域に辿り着くと、腰を抜かした青年と、胞子にまみれた鮫型の怪獣が大口を開けている光景に立ち会う。

「や、やあメイド丸。ってお前その脚」

 どうやってここまで走ってきたのか、メンテナンスの不行き届きな脳内チップでは覚えがあるはずもなく、泣きそうな青年の心配をする声に体を揺すられながら力を抜いた。

 ――怪獣の屍体か。

 左脚は既に鋼の骨組しか残っておらず、外殻パーツは彼女の道程を示すように、残骸としてつらねていた。

「ああどうしよう。バックアップバッテリーだけじゃあ修復できないしそもそもこれだけの補強パーツなんてどこにも」

『マスター』

 メイドは青年の腕の中で、しないはずの安心を顔に浮かべる。

『無事で良かったです』


  ◇


「ほら、焼きキノコだ」

 メイドと青年は肩を寄せて汚染水域の前で火を起こし、どこにでも生えているキノコを鍋に詰め込んだ。

 とうに活動を停止した鮫の怪獣は、建物の壁を突き破り動けないままその命を終わらせたらしい。

 海洋生物の不気味な目に見つめられている気がして、青年は落ち着かなかった。

『私は食事を必要としません』

「燃費は悪いけど電気に変換できるだろ」

『私はスリープモードに入るだけで済みます』

「メモリーが消えちゃうかもしれないだろ。お前には僕のことを覚えてて欲しいんだよ」

『マスターの第三優先指示として更新します』

「あーまたプログラムしちゃった。違うってのに」

『取り消しますか?』

「……いいから。食べな。メイド丸」

 料理の心得がない青年は、メイドに焼きキノコを渡すと自身も「まず」と言いながら食べ進める。

 エネルギー補給という観点で言えば二人は同じような生活様式を取り入れている。

 怪獣の肉も食べようとしたことはあったが、腐敗が進んでいるうえにグロテスクでとても食べる気にはなれなかった。

 ――つい五年前まで人々を食い物にしてきた怪物は、その人類の屍体で出来た疫病によって同じく絶滅していた。

「そろそろ行こうか」

『また人を捜すのですか? 私もどこまで追従できるか……』

「いや、人捜しは一旦中止」

 浄化ポッドを汚染水域から引き上げると、不気味に発光していた液体は透明な水へと分離し、不純物を排出した。

「研究棟へ向かおう」

 研究棟。

 メイドの造られた施設だ。


  ◇


 イノシシ大の革鞄を放棄し、水筒だけ首からぶら下げた青年は、灼熱の砂漠を歩いているが如く死にそうな顔をして歩いていた。

『一人で歩ケ、マス。マス、ター』

「省電力モードで、なに、言ってんだ。ばか」

 左脚の損壊が酷く、バッテリー回路のイカれたメイドはほぼ強制シャットダウン寸前の領域まで来ていた。

 脳内チップ以外の処理を保留にさせた青年は、置いていけば良いのに自分の倍近くの質量を搭載したメイドを背負っている。


 やがて天をくほど高くそびえる、近代的な建造物にたどり着いた。

「研究棟……ついた、ぞ」

 隆起りゅうきした地面に足を取られて倒れる。

 指先に何かが触れる。

 がくに納められた写真だ。研究者とその家族だろう。現代でもその笑顔は見られそうにないが。

「人はもういなさそうだな……あれ、こいつ」

 メイドも青年の肩越しに写真を視認すると――回路に異常が生じた。

「――思い出した」

 青年が青ざめた顔で呟く。

『侵入者発見。侵入者発見。侵入者発見――』

「メイド丸? おい!」

 狂ったように同じ言葉を羅列するメイドに、青年は肩を強く掴む。

 メイドは自身に発生したエラー処理に意識を集中させた。

 ――深刻なエラーを検知。

 ――タスクを強制終了。失敗。

 ――強制再起動を試行。可能。

 ――メモリを。

 いけない。

 機械人形が瞳を赤く明滅させる。

 ――バックアップ開始。処理率、一パーセント。

 ――自動強制再起動、開始。


 メイドの瞳から光が消えた。


 ――予備電源稼働。

 再び赤く明滅する。

「メイド丸」

 青年の顔を認識できるまでに復旧が終わると、乱暴に突き飛ばした。

『対象補足』

 左腕が変形する。

戦闘アサルトモード』

 耳慣れない言葉に青年が眉根を寄せると、〈対怪獣用ブレード〉が今度こそ鋭く展開された。

「なんだよ……すっかり元気になりやがって」

 何が起こったのかは分からないが、一つだけ明確になった。

『対象ヲ排除シマス』

 メイドは青年のことなどこれっぽっちも覚えていなかった。

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