第10話 面会を望んだ理由

「第四皇女殿下」


 レイの背後、姿を現したのは、ヴィルヘルムだった。太陽光により煌々と輝くバターブロンドの前髪を搔き上げており、白い額があらわになっていた。純度の高い宝石よりも美しいブルーダイヤモンド色の眼が、アリアリーナを映した。

 ヴィルヘルムの美しい瞳に鮮明に映ることができる日が来ますように、とどれほど願っただろうか。彼との未来を、彼への気持ちを諦めると決めた矢先、昔からの願いが呆気あっけなく叶ってしまった。その事実に、アリアリーナは心の葛藤かっとうを覚えた。瞬時に、彼から目を逸らす。カップに指を添え、丁寧に持ち上げる。淡い色味の紅茶で唇を濡らした。ヴィルヘルムは感情を顔に表すことなく、彼女を静かに見つめていた。ふたりの空気間に耐えられなくなったレイは一歩後退あとずさる。


「失礼いたします……」


 深々と頭を下げ、脱兎だっとの如く逃亡したのであった。

 強制的にヴィルヘルムとふたりきりにさせられたアリアリーナは、相も変わらず無視を決め込む。


「皇女殿下」


 再度呼ばれるが、アリアリーナは反応を示さない。空気のように扱えば、そのうち諦めて逃げ帰っていくだろうとたかくくっていると、目前にヴィルヘルムが現れる。彼は皇女であるアリアリーナに断りも入れずして、白塗りの椅子に腰掛けた。彼の無礼を目視したアリアリーナは、カップをソーサーに置く。思いのほか力が強かったのか、食器がぶつかり合う音が反響。紅茶が激しく揺れた。


「勝手に訪ねてきたと思ったら、私の許可も得ずして堂々どうどうと正面の椅子に座るとは、驚きの連続ね」


 アリアリーナはようやくヴィルヘルムと視線を合わせた。口角は上がっているものの、目はまったく笑っていない。常人が目の当たりにしたら、椅子ごとひっくり返り後頭部を強打してしまうような恐ろしさであった。しかしヴィルヘルムは、常人ではない。彼女の恐怖の笑顔を目にしてもなんら驚きはしなかった。


「こちらを」


 ヴィルヘルムはふところから一通の封筒を取り出し、テーブルの上に置いてアリアリーナに差し出した。封筒にはグリエンド公爵家の群青ぐんじょうと黄金を基調とした紋章もんしょうが刻まれている。黄金に輝く剣とつばさ、その中心には青白い宝石のデザインが施されていた。ここ一ヶ月半で嫌というほど見たものだ。


「訪問のご許可をいただくための手紙です。十四通送ったのですが」


 ヴィルヘルムは眉尻を下げ、そう言った。まさか自身が送った手紙の枚数までも覚えているなんて。アリアリーナは垣間見かいまみえた彼の狂気さに内心愕然がくぜんとしながらも、なんとか平常心を保った。さっさと面会を終了させてやろうと思いながら視線を送ると、彼女の意図いとを察したヴィルヘルムが口を開いた。


「まずは、突然お訪ねしたこと、そしてご許可も得ず椅子に座ってしまったこと、重ねておび申し上げます。こうすることでしか取り合っていただけないと思ったので……やむを得えない選択であったこと、何卒なにとぞのご理解を」


 ヴィルヘルムが心から謝罪する。

 彼とこうして面と向かって話している事実さえ、現実ではないのではと思ってしまう。一度目の人生では彼から話したいなど言われたことがなかった。それがどんな理由であれ、だ。

 軟風なんぷうが吹き、長髪をなびかせる。アリアリーナは揺れる髪を押さえ、物思いにふける。濃い影が目下に刻まれ、オパールグリーンの瞳が震えた。あまりにも美しい光景に、ヴィルヘルムが息を呑む。まさか彼が、自身の美に目を奪われているとも知らずアリアリーナは大きな溜息をついた。


「謝罪は求めてないわ。早く本題を話してくれる?」


 催促さいそくされたヴィルヘルムは、ハッと我に返る。


「お体のほうは、大丈夫かと、思いまして……」


 ヴィルヘルムは視線を泳がせながら、うつむいた。あの彼が、アリアリーナを心配している。一度目の人生ではいくら彼女が体調を崩そうが、心配する素振そぶりなど一度も見せなかったくせに。それどころか、表情は少しも変えず、僅かな嫌悪感を滲ませた目をしていただろう。アリアリーナは呆れ返った様子で天を仰いだ。


「まさか、そんなことを尋ねるために私との面会を望んでいたの?」

「そんなことではありません。第四皇女殿下は自ら毒の入ったワインを飲み倒れたのです。それにその時、皇女殿下の近くにいたのは俺ですから、」

「嫌っている相手の体をいたわるためにわざわざ訪ねてきたなんて、グリエンド公爵家のご当主様も大層たいそう暇なのね」


 ヴィルヘルムの言葉に被せつつ、嘲笑を浮かべる。ヴィルヘルムは微かに眉間に皺を寄せた。言い返せない。彼自身も、アリアリーナを訪ねた明確な理由が分かっていないのだろう。待ちに待ったヴィルヘルムとのダンスを途中で中断し、毒入りだと見抜いたワインを飲み倒れる。奇怪きかいな彼女の行動に違和感を抱き面会を試みるも、ことごとく拒絶され、ヴィルヘルムも半ば躍起やっきになって訪問の手紙を送り続けた。これまでの彼女では考えられない一連の行動に気がかりな点しか見つからないため、もやがかる心、思考をなんとしてでも晴らしたいのかもしれない。アリアリーナは靄を晴らすための鍵を投げかけることにした。


「私の行動の真意が気になる?」

「………………」

「自分に執着していた女が、あの夜を境に急におかしくなったなんて気になって仕方がないものね?」


 アリアリーナは教養を捨て去り、頬杖をついて問いかける。ヴィルヘルムの、男らしさを象徴する喉仏のどぼとけが僅かに上下した。

 あの夜の出来事がふたりの脳内に浮かび上がる。ヴィルヘルムはさぞ驚いたことだろう。恍惚こうこつとした表情、今すぐにでもあなたと交わりたいと伝えてくる熱をはらんだ瞳。男を誘惑ゆうわくする全てを見せて必死にアピールしていたアリアリーナが、急激に真顔になり、彼に現在の年齢を問いかけたのだから。そしてヴィルヘルムには興味が失せたと言わんばかりに、その場を去った。まるで、長い夢、深い催眠さいみんから覚めたかのように――。

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