第22話

俺たちは日没と日の出を五回ほど繰り返して、ザーヒル領の中央部、聖ネカー都市に到着した。大理石らしき高級な石材を贅沢に壁面に用いた、背の高い家屋が整然と立ち並んで俺たちを見下ろしている。護衛をしていた聖騎士たちは、領内のそれぞれの持ち場に戻っていき、ついに俺たちとザーヒルだけが歩くことになった。

木造の平屋のコテージが並ぶ通りを抜け、ある大きな教会に辿り着いた。フェンスの中の芝の中心に建物が建っている。いくつかの建物を継いだように壁面の色は左右で異なり、その上に古い尖塔が建っていた。

庭では子どもたちが走り回っていたが、ザーヒルの姿を見ると駆け寄ってきた。

「大司教さま!おかえりなさーい!」

子どもの頭を撫でながら、ザーヒルはお帰りと言った。

「シスタールイズを呼んできてくれないかな?」

「うん!」

元気に返事をして、子どもたちは建物に駆け戻る。それからしばらくすると、修道服姿のシスターが教会の門から歩いて出てきた。シスターの長い金髪が歩くたびに揺れている。

「お呼びでしょうか?」

「私の領地にお客さんだよ。しかも学者の方だ」

ザーヒルの言葉を聞いて、シスターはうやうやしく一礼した。

「初めまして。私の名はルイズ。この教会でシスターをしております」

「シヴァドといいます」「アザハです」「トオガだ」「クロナ、です!」

ルイズはそれぞれの自己紹介を聞いてから、俺たちに尋ねた。

「何かご用があって来たのですか?」

「そうだよ。君の今後の動きにも関わってくることだから、君も交えて話をしたくてね」「分かりました。私の部屋に案内します」

ルイズの後について建物に入る。建物の真ん中を廊下が突っ切って、左右の壁にドアが張り付いている。古いながらも清潔に保たれていて、ドアの開いている部屋からは子どもたちが物珍しそうに俺たちを眺めている。

子どもたちを宥めながら奥の部屋に入り、ドアを閉めた。決心を伺える瞳で、ザーヒルは俺たちを見た。

「私から頼みがあります。みなさんでルイズを手伝っていただきたいのです」

大司教は頭を下げた。俺たちは呆然とその様子を見ていたが、すぐにシヴァドが返事をした。

「引き受けます。具体的に何をすればいいのか教えてくれますか」

「本当によろしいのですか!?」

ルイズは驚きと喜びを隠さずに大きな声を出した。ザーヒルもまた驚いて、シヴァドを凝視した。シヴァドはその手を取って大司教の姿勢を元に戻す。

「世話になっているのはこちらのほうです。出来ることがあればさせてもらいます」

ザーヒルは心から安心したような表情を浮かべた。

「むしろいいんですか?私たちのような得体の知れない人間を関わらせるなんて…」

アザハが聞くと、ザーヒルが答える。

「あなたたちをこの大陸に導いたキャプテンのヤードラは、小間使いのスキラーの商才と剣術の腕を見出した。彼女があなたたちを信じているなら間違いないでしょう」

「わたし…魔族だけど」

遠慮がちにクロナが呟く。この小さな魔族は、部屋に入ってからずっと聖職者たちと視線が合わなかった。ルイズは屈んでクロナと視線を合わせ、まっすぐに告げた。

「種族は救わない理由になりませんよ。手は互いに取り合うものです」

びっくりした様子のクロナは、ただ一つ頷いた。

「具体的なことは明日説明します。今日はどこかに泊まって旅の疲れを癒してください。宿代は私が支払いますから」

宿代以外のルイズの提案は呑まれた。俺たちは教会を出て、大司教に案内されるがままに仮住まいとなるコテージを探した。物件はすぐに見つかったので、というか屋根があって雨風が凌げさえすればなんでもよかったので、あとは俺たちに関する書類を用意するために中央講堂という場所に向かった。

大司教ザーヒルは道行く人に尋ねられたことがあれば無視せず丁寧に答えたので歩みは遅かったが、仲間の誰も文句を言わなかった。

俺たちは青々と芝の生い茂る広大な庭園の中央の建物に案内された。丸屋根の塔を入り口として、八角錐の屋根の尖塔が左右対称に複数並んでいるように見える。

「公務や会議はこの建物で行います。といっても、私が入ることはそう多くありませんが」

俺たちの先頭を歩きながら、ザーヒルは少し気恥ずかしそうにそう言った。大きな門を抜けて、庭園に面していた外側の回廊を歩き、あまり広くない一室に辿り着いた。講壇と机と椅子があるだけの簡素な部屋だ。

「念のため、形式にはこだわらせていただきます」

ザーヒルは自分の鞄から書類を取り出し、講壇の上のペンとインクを手に取った。

「手間でしょうが、確認してサインをお願いします」

そんなわけで、俺たちは一枚ずつ書類の内容を確認しながら名前を書いていく。トオガは契約の中身をいい加減に聞いていたので、サインの番が回ってくるまでは退屈していた。

「そういえばあんた、シスタールイズのことをやけに気にかけてるみたいだな」

そう話しかけられて、ザーヒルは俯いた。続く語り口は少し暗い。

「彼女は、亡き私の妻とともに育てた戦争孤児でした。他の子どもたちはそれぞれの道を歩みましたが、シスタールイズは私の背中を見て聖職者になりました。それは私にとって負い目でもあります。身勝手かもしれませんが、教会の権力争いや外部の勢力との抗争に巻き込まれてほしくなかったのです」

大司教は自虐的に笑い、トオガはそれに怯んだ。

「私はこの教会がどういうものなのか、よく理解しているつもりです。彼女の行く末を知っているからこそ、彼女の選択を素直に応援できないのです」

気づけば全員がザーヒルの話を聞いていた。はっとしてザーヒルはサインを急かした。やがてすべての書類にサインを済ませると、それで今日の俺たちの決められた仕事は終わった。

ザーヒルは自分の仕事のために中央講堂に留まることになったので、ひとまず別れることになった。コテージに戻ろうと回廊を歩き正門に向かう。陽は傾いて回廊を支える柱の隙間から橙色の光を投げかけていた。

「ん?」

無人の回廊の向こう側から人が歩いてくる。銀の長髪に水色の瞳には見覚えがあった。

「君は…」

カデナが尖った視線をシヴァドに向けていた。しかし、港で会った時よりは大分大人しいようだ。

「こんなところに来ていたとはな」

感情のこもらない声でカデナは呟き、クロナとクロナの角を見た。

「魔族か」

クロナはアザハの後ろに隠れてカデナを見上げた。

「魔族の親も、人間と同じように成果によって飯が変わったりするのか」

ゆっくりとクロナが前に歩きだす。目は見開かれ、息は荒く肩が震えている。

「わたしの親はそんなことしない」

カデナに対して抑えつけていた怒りが完全に表出していた。クロナ自身でも自分の気持ちを整理できていないように見える。

「待って!」

アザハが叫び、シヴァドは剣を抜いてクロナを妨げる。

「成果で飯が変わるってなんだよ?」

トオガの問いに、カデナは首を傾げた。斜陽に照らされた瞳は無邪気だった。

「何が疑問なんだ?成果がなければ飯もないだろう。」

「ふざけないで!」

「待つんだ、クロナ!」

シヴァドの声にはっとして、クロナは足を止めた。

「僕に親はいなかったけれど、先生は世の親を真似て僕を育てた。先生は僕の魔法が下手でも一緒に食卓を囲んだんだ」

「は…?」

変なことを聞いたというようにシヴァドを見て、カデナは呆けた声を出した。

「なんだ、それは?…信仰のない親は、そうなのか?」

くだらないとでも言いたげに首を左右に振ったが、表情は困惑を映していた。

「まあなんでもいい。次に会えばきっと俺は貴様を殺す。信仰に身を捧げた俺の道が間違っているわけがない」

俺たちの横を通って、カデナは奥に歩いて行った。その背中は西日の光線を歪めていた。

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