触れてはいけない事件 (「メディア業界のタブー㊙実録」2018.06.17)

触れてはいけない事件

如水ムックス143『メディア業界のタブー㊙実録』(2018.06.17)


報道を任されていながら、メディアに携わる人々の間で、取材や放送はおろか、プライベートで触れることすら憚られるとされる事件は数多く存在する。このようなタブーの回避は、無闇に触れれば自分たちを守っていた「傘」を失わないようにするための、業界全体の自己防衛のために行われている。そのため当然多くが超大物政治家のスキャンダルのような、いま現在確立されている権威を崩すような事件となっている。

しかし、なぜ禁忌とされているのか誰もわからない事件もあると言われている。権威者の影が見当たらず、忌むべき理由も見当たらないのに、業界の人々は揃ってそのような事件に触れようとしないのだという。


長らく出版業界に勤めてきたT氏にも、そのような奇妙な事件に心当たりがあるそうだ。T氏は取材中その事件について一貫して「多くが覚えているであろう猟奇殺人事件」という言及に留めていた。

事件が発覚してしばらくは、その猟奇性や衝撃の強さから、多くの報道機関が連日取り上げていたそうだ。しかし、事件が解決したことで沈静化した報道が、再び活性化することは一度としてなかったという。T氏は、その背景には業界全体での事件のタブー視があると考えていた。

T氏自身は報道とは別の分野の雑誌に携わっていたため、直接その事件が避けられる場面に遭遇したことはなかった。しかし、新聞社などに勤めるT氏の知人らから、地元の放送局から事件についての資料の提供を拒まれる、上司から事件に触れることを止めるよう指示されるなどの体験は聞いていたそうだ。T氏によれば、業界に長くいると、自然と誰かは特定できなくとも大物へ配慮しているときの雰囲気は嗅ぎ分けることができるようになるらしい。しかし、そのような技量のある記者や編集者でさえも、この事件の忌避に配慮の空気は感じられなかったそうだ。


この猟奇事件をタブー視する暗黙の了解は、理由を察することもなく、報道機関だけでなくメディア業界全体で共有されていき、現在に至るという。だが、T氏はこの猟奇殺人事件がタブーとされる理由を垣間見たかもしれない体験をしていたのだ。


それは今から5年ほど前のことだそうだ。ある日、T氏は街で後輩の編集者(以下U氏)を見かけた。当時でこそ部署が違ったが、U氏は入社してしばらくT氏と同じ雑誌の編集をしていた。そのため、異動で部署が別れても年に何度か酒を飲みかわすほどのなかだったそうだ。

しかしその日はU氏に声を掛けなかった。U氏は、酷く憔悴した様子で先を急いでいた。身だしなみに気を遣っていたはずなのに、その時は「小汚い」格好をしていて、両手にはいっぱいの仏花を抱えていた。T氏が知っているU氏とは全く異なる様相だった。他人の空似だったと思ったほどだったそうだ。

しかし数日後、U氏が自室で亡くなったとT氏は知らされた。U氏の部屋には白い菊の花が溢れるほど残されていたのだという。鳴りやまない大音量の音楽に耐えかねたマンションの隣人が、苦情を言いに行った際に発見されたそうだ。


T氏も当初、過労によってU氏が亡くなったのだと思った。編集社に勤めていたことと合わせれば、U氏の死因も結論付けておかしくないものである。もちろん、そう考えたのはT氏一人ではなく、U氏の労働環境が調査されることとなったが、それは名前だけのおざなりなものだった。

U氏のことを入社以来気にかけてきたこともあり、T氏は会社の対応に憤りを感じていた。それを知った上司はT氏に、生前U氏が書いていた記事を見せられた。そこでU氏は、あの猟奇殺人事件に関する警察の捜査の検証を行っていた。事件がタブー視されていることは知っていたが、その上司は上からの圧力を否定し、訳知り顔で「そういうこともあるんだよ」とT氏に言ったそうだ。


あとから考えると、狡賢い処世術というよりももっと原始的な危機回避欲求が働いていたのかもしれません、と当時の報道機関が事件を回避していた状況を間接的に知っていたT氏は推測している。


最後にT氏は、業界でその事件について触れている人はU氏以降現在まで現れていないと証言した。なぜこの事件に触れてはいけないのか、そしてU氏はなぜ命を落とさなければならなかったのか。これらの疑問への答えは、メディア業界がこの事件へ触れることを頑なに禁じた今では知ることはできなくなった。


U氏が精神のバランスを崩していたことは、亡くなったときの状況を聞いただけで想像できる。もしかすると、U氏は触れてはいけない存在に触れてしまったのだろうか。だとすれば現実の出来事を扱い、大きな力を保持するメディア業界だが、人間を凌駕した超自然的な力への恐れは存在するのかもしれない。

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