Dream.18-2 ナイト


 これはいよいよ本気でヤバそうだ。


 セシルドの嘘つき。

 夢魔よりも早く戻るって言ったじゃないか。


 心の中でセシルドへの恨み言を呟きつつ、頭のスイッチを完全な戦闘モードに切り替える。


 額から流れ落ちる汗の感覚に苛立ちながら。


 今までも不利な状況でいざこざに巻き込まれた事なんて数え切れないほどある。


 けれど、未だかつてこれほどまでに不自由な状況というのはなかった。


 目の前で不適に笑う夢魔の実力がどれほどのものか分からない上に、この状態ではさすがの私も本当に覚悟を決めなければならないのかもしれない。


 夢の世界で死んじゃったら……どうなるんだろう。


 ふと浮かんだ疑問はまるで他人事のようだった。


 なんて思っていたら……。


「てか、おおっ! いきなりかい!」


 唐突に夢魔が飛びかかってきたものだから、私は慌てて身をかわした。


 とっさの行動だったけど、大丈夫。セシルドの剣はしっかり握ったままだ。


「チッ!」


 そんな私に対して、夢魔が小さく舌打ちをする。


 あちらはやはり本気のようだ。


 でも待てよ?


 さっき、気弱な方の夢魔が言っていた言葉を思い出す。


 ――捕まって下さい、よければ。


 って、そう言ってなかった?


 命令だから捕まってくれって。


 それってつまり、どこかの誰かが私を捕らえようとしてるって事だよね?


 てことは、とりあえず今ここで殺される事はないよね?


 いやいや、だからってこんなヤツらに捕まりたくもないけど。


 でも一体誰が何の為に……?


 またもや色々な疑問が頭の中をぐるぐると回る。


「テメェさっきから随分とうわの空じゃねぇか」


 こちらの夢魔はよっぽどカルシウムが足りないらしい。


 私がちょっと考え事をしただけで、心底イラついたように声を張り上げる。


 そっちの方が圧倒的に有利なんだから少しくらい大目に見ろってんだ。


 しかし、空気の読めない夢魔はああでもないこうでもないと、どうでもいいことを並べている。


「我らがあるじに掛かったらテメェなど……」

「ああ、うるさいなッ! ちょっと黙ってよ! あと! その“主”とやらをまず教えろよ!」


 勝手に話を進めて盛り上がる夢魔に対して私がキレた。


 ――そんなところに。


「お前ホント威勢いいなぁ。てか放すなって言っただろ?」


 見覚えのある声に、思わず後ろを振り返った。


「言ったことくらい守れよな!」

「お待たせしましたね」


 二つの笑顔と同時に二つの声がかけられた。


 そこにあったのは紛れもなく私の仲間の姿。


 もちろんミルさんの姿も認められて、思わず口元が緩む。


「遅いじゃんセシルド! これでもじっと我慢したんだからね!」


 ほころんだ口から出たのは、表情とは真逆の苦情だった。


 それでも、約束通り三人揃って戻って来てくれたことが嬉しくてたまらない。


「悪い悪い。テレポートなんて久しぶりに使ったからいまいち要領掴めなくてさぁ」


 デカい口を開けてカラカラ笑うセシルドに少しだけ頭痛。


 全く……おかげでこっちは一瞬命の危機さえ感じたって言うのに。


 でも三人が帰って来たとなれば、形勢逆転。


 調子こいてた夢魔も好き放題できなくなるだろうし、何より私もようやく自由に動き回れる。


「すみませんでした、キラ。私達の為に」

「気にしないでリュイ。無事で良かったよ!」

「それはこちらのセリフですよ」


 夢魔の方をチラリと一瞥いちべつして苦笑するリュイに、私もつられて笑ってしまう。


 でもねリュイ。


 リュイやミルさんが無事で居てくれてホントに安心したんだよ。


「んであのちっこいのが諸悪の根源?」


 地面に突き刺さったままのロングソードを抜き去って、土が纏わり付いたままの刀身を夢魔に向けると、セシルドはニヤリと笑ってそう言った。


「そう! 全部コイツのせいだよ」


 嫌味な笑みを漏らす夢魔の顔を見た途端に一瞬忘れていた苛立ちが蘇って、私もセシルドにならって短剣を構え直す。


 そして私達よりも後方にいたリュイは、怯えて震えるミルさんを庇うように、彼女の前にスッと歩み出た。


「大丈夫ですよ、ミル。私はあなたを一生護ると約束しました。だから一緒に帰りましょう」


 そう言って……。


「おい、なんかオレ達邪魔者っぽくね?」

「うん、だよね」


 背後から伝わってくるリュイとミルさんの良いムードに、私とセシルドはどちらからともなく顔を見合わせると、不自然な笑顔を浮かべて密かにそう言い合った。


 なんか……自分が言われてるわけでもないのに顔がカーッとなる。


「なに赤くなってんだよ金魚」


 チラリとこちらを一瞥して、セシルドが私を冷やかす。


 でも……。


「そういうアンタも真っ赤だし」

「……だな」


 関係ない私達二人、真っ赤っかだ。


 すっかり調子を狂わされた私とセシルドは再び前に向き直ってから、同時に咳払いを一つする。


 それがまた何だかおかしくて、チラリと横目でセシルドを見やれば、彼もまたこちらを見てニヤニヤしていた。


「気が合うなぁ金魚。真似すんなよ」


 そう言ったセシルドの顔はなぜかいつもに比べて至極楽しそうにさえ感じた。


 屈託のない笑みとでも言うか……何がそんなに楽しいのか分からないけど。


「真似しないでよね」


 しばらくそんなセシルドの様子を観察して楽しんでいたが、私は視線を前に戻すと彼と同じような口調そう言ってやった。


 するとセシルドは一度だけこちらを見て、それからハハッと乾いた笑い声を上げる。


「真似してねぇし」


 笑いを含んだそのセリフが耳の中で弾んだ。


 それを合図として、私とセシルドは互いに剣先を空に向ける。


 それは夢魔に対していつでも斬り掛かれる状態である事を暗に示していた。


「んじゃ~とりあえずコイツ片付けとくか! 話はそれからってことで……いいな? リュイ!」

「ええ」


 高らかなセシルドの戦闘宣言に、リュイも背後から同意した。


 それでも夢魔は表情一つ変えない。


 それどころか私達を見てニヤニヤ笑っている。


「……なんかあの顔ムカつくなぁ」


 隣で微動だにしなかったセシルドが、不機嫌そうな声でボソッと呟いた。


 確かに……どう見ても夢魔が圧倒的に不利なはずなのに、余裕しゃくしゃくと言った感じで私達一人一人を見回している。


「てかアイツ……何か違和感あるな……気のせいか?」


 目だけを動かして、セシルドが私にそう聞いてくる。


 だから私は夢魔がいきなり変貌を遂げたことをなるべく小声で説明した。


 するとセシルドはその目に鋭い光を湛えたまま口元だけを吊り上げて、小さな笑みを零した。


 が、その顔はとてもじゃないが楽しんで笑っているようには見えず、私は密かに狼狽する。


 そんな中、当の夢魔は私達の出方を見計らっているのか、やはり薄気味悪い笑みを浮かべたまま動こうとする気配は見せなかった。


「へっ、笑ってやがる」


 夢魔と対峙しながら、セシルドはその腕で額を拭った。


 それから私に向けてこう言う。


「あの夢魔、二重人格だ。両方の人格を叩かないと決着つかねぇかも」

「ちょちょちょ……嘘でしょ? 両方って……」

「でもそうするしかない」

「無理に決まってんじゃん どうやって入れ替わるか分からないんだし」

「いや、方法が無いわけじゃないんだ」


 一見投げやりに思えたセシルドの言葉に私は思いっきり不安を感じたが、一体彼はどんな策を持っていると言うのだろう。


 私は不審の眼差しで、セシルドの方をじっと見てしまった。


 しかしそんな私に構わず、セシルドはクルッと夢魔に背を向けると、リュイに向かって何か無言の合図を送っている。


 一体何をそんなに忙しく伝えようとしているのだろうか。


 そんな風に思ってはいたが、セシルドが完全に夢魔に背を向けているために私はおちおち夢魔から目を外すことができなかった。


 めっちゃ気になる……。


 若干野次馬の気がある私は一人、夢魔と対峙しながらウズウズする体と心とも戦わねばならない。


 実に複雑だ。


 しかし、そんな脳天気な思いも夢魔の一行動によってあっという間に忘れ去られてしまった。


 ニヤニヤ笑みを浮かべたまま夢魔が思いっきり大地を蹴り、こちらへと突っ込んで来たのだ。


 それも背を向けているセシルドではなく私の方に。


 てか不意打ちかよ。


 夢魔に対抗すべく短剣を構え直して、私は心の中で舌打ちした。


 そして十分な間合いを見計らって、私も同様に地面を蹴る。


 ――ハズだった。


 前に向けて勢い付いた体が何者かによって引き戻される。


 驚いて顔を上げると、真剣な眼差しのセシルドが夢魔を睨み付けながら、私の腕を掴んでいた。


「ちょっと邪魔しないでよ!」


 夢魔の動向に目をやりつつも、私はセシルドに対して叫ぶ。


 するとヤツは、ニヤリと笑って私をその背に隠した。


「お前は下がってろ。あぶねぇから」

「はっ?」


 緊迫してきた状況の中、自分でも間抜けな声を出してしまったと思う。


 でも私の心境はまさにそんな感じだった。


 セシルドの背中が視界いっぱいに広がって。


 そして離れていく。


 ガツッと鈍い音を立てて、セシルドと夢魔が衝突した。



〇*〇*〇*〇*〇*〇*〇*〇*〇*〇*〇


『Dream.19 あの人の為ならとり憑かれたって』

 に続く。


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