その蜂蜜はバケモノですが、人を害する者ではありません

 さて、エントランスの方で小娘が相変わらず言う事聞かなかったり、そのせいで灯理とうりに精神ダメージが入ってノックアウトされたりと慌ただしくしている間も、美登みとはまだ気絶したまま蜜園みおんのモンスターハニーの体内に浮かべられていました。

「この鏡、しれっと自分は俺の苦悩に責任ないって顔してるけど、まじでそういうとこ、母娘だな」

 灯理、止めてください。わたしをそこの責任感皆無の創世神と一緒くたにしないでいただきたい。まじで凹みますよ。

 あと、この手の話を延々と続けると本気で話が進まないので、いい加減向こうに意識を集中させましょうそうしましょう。

 蜜園は蜂蜜の体の中で美登の体を押し上げていって、つぷんと天辺に出しました。液体のベッドの上に眠らされているような格好になりましたね。

 そんな美登の顔に一匹の魔蜂が飛んできて歩き回ります。これは触診をしているのでしょうか。

『ミオン、彼女はだいじょうぶなのかい?』

 何処からか檸黄陀輪天レイオウダリンテンの声が響いてきました。姿は見えませんが、此処は彼の神域ですので声くらい幾らでも届けられるでしょう。

『なんか怖いもんでも見たみたい。うちが到着したら気絶した。血がどばどば落ちてたから刃金が目の前で狩りでもして獲物を持ち去ったんじゃない』

 蜜園はわたしと違って一部始終を見ていた訳ではないので勘違いしているようですが、美登は蜜園が到着した時にちょうど気絶したのではなくて巨大で奇怪なモンスターハニーの姿を見て気絶したのですよね。

『なるほど。現代人は屠殺を自分達でしないと言うし、流血を見るのもショックが大きかったのかな』

 檸黄陀輪天も神域の外の事までは認知出来ないので蜜園の言葉をそのまま受け止めています。

 うちの小娘と違って現代人の感性を把握している辺り、檸黄陀輪天は偉いと思います。

「なによ、食べるのには殺してるに決まってるのにそれを忘れて怖がるとかなってないじゃない。それに料理で肉を切るくらいはするでしょうよ」

 倫理観は時代によって変遷するのですよ。事実だけで善悪が語られるのではないのが人間なのです。

「めんどくさ」

 貴女、そういうところですよ。

 全く何回言っても聞き分けない頑固者なのですから、神御祖神には困ったものです。

 そんな事より、顔を歩き回る魔蜂の感触が擽ったかったのか、美登が呻きながら瞼を持ち上げました。

「ここは……?」

 蜜園の天辺に乗っかった美登の視界には天紗あめのうすぎぬが掛かる秋空しか映っていないでしょう。見知らぬ天井ならぬ見知らぬ青空と言ったところでしょうか。

『あ、起きた。気分はどう?』

「その声……えっと、蜜園、さん、でしたっけ? 私はどうして……え?」

 寝惚けた意識のまま起き上がろうと手を付いた美登ですが、彼女が寝ているのは巨大な蜂蜜の上なのでその手はべちょりと沈みます。思いも寄らない感触に美登が戸惑っているのがとても憐れです。見る見る間に顔が青褪めていますね。

 これは自分が何処に乗っているのか理解してしまったのでしょうか。

「ひぃいいいい!? た、食べられちゃう!?」

『あんたなんか食べないわよ、うちをなんだと思ってんの!』

 絵面だけならスライムに捕食されそうになっている女性にしか見えませんけどね。

 蜜園もその自覚があるのか、美登の目の前でエントランスで見せた人の姿を生やします。スライム状の蜂蜜の表面から繋がっている人間の姿って逆に恐ろしさが増しませんかね。

「蜜園さん、もうモンスターに食べられて……」

 美登が口に手を当てて息を飲んでいます。まぁ、妥当な反応かと。

「誰も食われてないっての! 初めからうちはモンスターハニーだって言ってんでしょ!」

「蜜園さんはモンスターだった……なるほど、だから彼氏への執着が強い……」

「あぁん?」

「ひぃ! ごめんなさい! 食べないで!」

 美登が余計な事を言って蜜園に睨まれてビビッて頭抱えています。

 対して謂われなく怯えられた蜜園は人の体の腰に手を当てて肩を怒らせています。

「誰が喰うかって何べん言わせんのよ! あんたよくそんなビビりで探索者なんかやってるわね!」

「正直もう辞めたいです……」

 美登は今にも泣きべそを掻きそうです。本当に探索者に向いてない娘ですね。度胸というか冒険心とかリスクジャンキーなところが全くないのですもの。

 そんな美登の情けない姿を見下ろして蜜園は鼻を鳴らし、するすると体を萎ませていきます。

 美登の足がロッジの前に設えられたテラスに立つようにして蜂蜜の体から取り残し、自分の姿も全て人のかたちに納め切って向かい合いで立ちます。

 先程までの巨体が嘘だったかのように、人間として普通の立ち振る舞いで蜜園は後ろ髪を手で払って風に躍らせました。

「全く。ま、いいわ。ここまではちゃんと来れたんだし、あとでダーリンのエッセンスも別けてあげるわよ。折角だから飲み物も飲んでいきなさい」

 蜜園はつんと鼻を突き出して近くのウッドチェアに座るように美登を促します。

 美登がおずおずと腰掛けるのを見届けた後に蜜園は売店のように調理スペースが外から覗けてしまう空間に引っ込んで行きます。

「あの、さっきのイケメンさんはどこに……?」

 そもそも探せと言われていたからなのか、それともやはりイケメンが見たいのか、美登は姿の見えない檸黄陀輪天の行方を蜜園に訊ねます。

「ん? ああ、ちょっと待ちなさい。ねぇ、蜂蜜も檸檬も苦手じゃないわよね?」

「はい、好きです」

「おけ」

 蜜園はがそこそと調理スペースでの作業を優先させて美登を待たせます。それでロゴがデザインされたプラスチックのカップに、蜂蜜のジュレと薄く輪切りにされた檸檬がたっぷりと入ったドリンクを持ってきて、美登の座るテーブルに擦れ違い様にとんと置き去りにしていきます。

 美登がカップに手も伸ばさずに蜜園の後ろ姿を目で追うと、蜜園は自分の分のカップを片手に優雅にウッドチェアの隙間を泳ぐようにテラスを巡り、黄色いクッションのようなものを抱えて美登の方へと戻って来ます。

 蜜園の抱えるそれはつるりとしていて、形状と大きさはクッションに近いですが、質感は巨大なグミのようで、もっと言えばゲームに出て来るデフォルメされたスライムに良く似ています。

『やぁ、ミト。済まないね、この姿だとミオンに運んでもらわないと動けもしないんだ』

 そしてそのスライムの正体は檸黄陀輪天なのです。彼、人間の化身で現れていたんじゃなかったのですか。

「す、スライムが喋った!?」

 その見た目と響いた声のギャップに美登が仰天して目を丸くしています。流石にモンスターハニーの変身を目の当たりにして免疫が付いたのか、現実感のない見た目の存在に恐怖心は抱いてないようではありますが。

結女ゆめ、説明」

 そしてエントランスには灯理の低い声が神御祖神に向けられました。

「え、なにそんな怖い声出して。説明もなにも見たまんま、モンハニと一緒だよ。檸黄陀輪天は檸檬の花の蜜を人の形にしてるんだけど、力が尽きると形変えられなくなってああなる。以上」

 貴女、何も可笑しな所はないって感じで言ってますけど、人間の常識からは遥かに逸脱していますからね。

 液体で形が決まってないんだから人間の形にだってなれるって、可能であるのと実現するのとはでは人の理解が全く違うのですからね。

 しかしモンスターハニーは彼氏至上主義な彼女だという本義の通り、蜜園は美登の態度に目を吊り上げました。

「なに、文句あるの? この姿のダーリンだってぷるぷるしてて可愛いしひんやり感触が最高なんだからな。ほら、触ってみなさいよ、あんただってすぐにメロメロよ」

 蜜園は手に抱えた檸黄陀輪天(見た目は巨大なレモングミスライム)を美登に突き出して触ってみるように強要してきます。

 その圧に押されて、美登は怖々と檸黄陀輪天に手を伸ばしました。

「あっ、これは……この感触は確かにクセになる。え、なにこれ、ビーズクッション以上に人をダメにしそうな絶妙な柔らかさと弾力……」

「でしょー?」

 一度触れたらその魔性の感触に魅入られて、美登は両手を使って檸黄陀輪天を揉みしだいています。

 蜜園も自慢の彼氏にまた一人虜になって、満足そうに鼻を膨らませています。

 暫くの間、檸黄陀輪天は女子になされるがままに好きにさせていましたが、彼は神霊としてそれで不満はないのでしょうか。

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