【第十二幕 【火】を殺す力】

 背後を追う官憲かんけんたちの気配は、一定の距離を保っていた。

 地の利を活かして散開や集合を繰り返してはこちらを追い詰めてくる。

 その手際は訓練された猟犬のようだ。


 わたしははしる速度を落とさない。


 次に飛び込んだ路地で、人ひとりやっと通れる狭い道に飛び込む。

 両肩をかすめる壁の感触。振り返ると、数メートル先に迫っていたガタイのいい官憲らは、隘路あいろに捕らわれ動きを奪われている。


 わたしは片手を掲げると、瞬時にたせた【火】を官憲らに向かって破裂させた。


 狭い路地で膨張した熱風が、強烈な圧となって官憲に叩き込まれる。

 数人が吹き飛ばされ、後に続く官憲も将棋倒しになった。


「……おのれ『禍炎かえん』がァッ!」

 体勢を崩しながらも、拳銃を取り出したひとりが素早く発砲する。


 だが、弾丸は【火】で阻める。


 火薬武器の炎の気配なら容易に感知できる。

 弾丸の威力程度なら【火】で簡単に潰せた。


 手練れの【火】の精霊持ち相手に生半可な銃撃は、攻撃にすらならない。


 だが、状況は決してわたしの優位ではない。相手の警察官憲に【火】の精霊持ちは皆無のはず。

 つまり対【火】の精霊持ちで行使するわたしの『霊髄クオリア』〈火喰ひくい〉を使う相手は存在しないということだ。


 とはいえ、わたしの力は独自能力『霊髄クオリア』頼みではない。

【火】と拳闘術けんとうじゅつさえあれば、大人数の警察官憲が相手であろうと、存分にたたかえた。


 ──背後を追う官憲との距離をとると、わたしは壁をななめに蹴り上げて跳び上がり、屋根の縁に手をかけた。

 高い建物が多く都市全体の眺望はかなわない。だが、中央法廷所の位置と距離はつかめる。


 少し離れたところから、ポンポン、と花火の音が上空を震わせていた。

 次いで楽隊の賑やかな音が朝の路上に響き渡り、空気が騒然とし出している。


 ──わたしは昨夜のやりとりを思い出していた。


『心配しなくていいわよ、ゼロフィスカ! 妨害派を攪乱かくらんする手はずは、あたしが整えておくわっ』


 昨夜のことだ。

 遭遇した記者二人から拝借はいしゃくした通信機で、ローズリッケと連絡をとるや。


おとりを使ったり、派手な騒ぎ起こして人込み増やしたり──いろんな手があるのよっ。

 まああたしに任せなさいって!』


 ヨルガへの疑惑が杞憂きゆうであれば、動いてもらうことはなかった。

 だが、裁判妨害にヨルガが関与している場合──警察官憲が兄妹を狙う動きを見せた場合には、二人を守ってほしい──そう頼んでいた。


 彼女は早速その際には『大作戦』を決行すると豪語していた。


 詳細までは知らされていないが、わたしはその作戦に兄妹を一任することにした。

 ローズリッケ、そして彼女と合流したアイザックに兄妹の無事は託している。

 作戦を敢行しながらの移動なら、裁判所まで一時間弱か──


 わたしは兄妹の身の安全を確保すべく、警察官憲の追撃を引き受けることに集中した。


(ヨルガは──きっと策を打ってくる)


 兄妹の捜索と同時に、わたしの動きを抑えようとするはずだ。

 それが数にものを言わせた追撃だけとは思えなかった。

 あらゆる可能性を予見し即座に対策をく──したたかで頼もしかったヨルガという存在は、たもとを分かったことで一瞬にして脅威に転じてしまった。


 キン、と耳元を尖った火がかすめた。


 振り返る、と、建物の窓から身を乗り出す官憲の姿がある。狙撃か。


 わたしはあえてその場を動かず、追い打ちの銃撃を真正面から受け止めた。

【火】に阻まれ弾丸が弾け散り、あるいはわたしの足元の屋根瓦を砕く。


「──くそッ! 〈女徒手拳士ゼロフィスカ〉発見!

 付近の班に伝達! 総動員だ!」


 怒号とともに、ひとりが大きな銃砲を上空に向けて発砲した。


 ドン、とものものしい轟音がはらの底に響く。


 先に騒ぎを起こしたローズリッケたちの音が一瞬呑み込まれるほどの。


 標的の位置を仲間の官憲らに伝える信号弾か。


 わたしにとって好都合だった。足元の路上では、早くも警察官憲がこちらを取り囲み徐々に距離を狭めている。


 ──わたしを狙い、捕えに来い。


 妨害派の戦力がこちらに傾けば、より兄妹の安全は確保される。

 わたしは屋根を蹴って跳び、路上に着地した。

 包囲網の一角に頭上から飛び込むと、刃と弾丸よりも先に手近な相手から拳で叩きのめす。

 次に飛び出した道の前には、長い石段が上へ伸びている。

 わたしは跳ねるようにしてその連なりを駆け上がった。


 ◆


 官憲の精鋭部隊猟犬ハウンドによる伝達が交わされる──


『──〈女徒手拳士ゼロフィスカ〉、目標ポイントに接近中。北東22地点へ誘導』

『了解。第七班は他のルートを塞げ』『配備完了』

『対『禍炎かえん』部隊配置完了』『ポイントに奴を留めろ。野蛮な獣を捕獲せよ』

『了解。『禍炎かえん』を完全に封じる』


 獲物を仕留める部隊が動く。


 ◆


 石段を登り切ると、視界が左右に広がる。

 高台にそびえているのは、尖塔せんとうをいくつも束ねたような聖堂だった。

 特定の宗教ではなく、精霊信仰のために建立こんりゅうされたものだ。


 周囲の人気を窺っていると、聖堂の周囲から警備兵の靴音が地鳴りのように迫っていた。

 逃げ隠れはできない。わたしは眼の前の開かれていた門をくぐり、聖堂内部へと入り込んだ。一瞬、躊躇ためらう。


(中にいる者を、巻き込みたくない──)


 参詣者さんけいしゃへの懸念がよぎるが、幸い堂内に人の気配はなかった。


 足音がひときわ響きわたる。見上げると、階層を設けず、はるか高い天井が頭上を覆っていた。

 床に広がっているのは、飛び石や橋を各地に設けた池だ。水路も組まれ、あちこちから流水音が流れている。


 ここは【水】の精霊をたてまつる聖堂か──


「!」


 頭上から裂帛れっぱくした殺気に、わたしは前方へ跳んだ。


「──ヒュッ」


 鋭い呼気とともに、大振りの長剣を振り下ろしてきたのは、大柄の官憲だった。

 すでに聖堂に潜んでいた──?


「シュアッ──!」


 気合とともに、官憲は再び大剣を振りぐ。

 巨大な得物とは思えない迅速な剣さばき。

 その刀身が、わたしに迫近はくきんした瞬間、刃を大きくうねらせた。


「⁉」


 咄嗟とっさに【火】での防御に動く。眼前で熱を受けた刃が瞬時にぜ、蒸気を撒き散らす。


 ──【水】の刃か。


 足場の限られた池の中に立ち、わたしは相手とむかい合った。

 大柄の官憲はあふれんばかりの闘気を放ちながら、大剣の柄をたずさえている。


 眼の前で、精霊の気配がつ。

 瞬時に具象ぐしょうした【水】が、その身の丈に迫る巨大な刀身と化す。

 切っ先が水面のように揺れ、刀刃とうじんを物騒に滔揺たゆたわせる。


「正義はわが手に──!」


 たかぶった声とともに【水】の大剣持ちが身構え、


「くたばれ『禍炎かえん』がァッ!」


 荒々しく飛び掛かる。

 わたしは拳にまとう【火】の温度を急上昇させた。

 紅蓮ぐれんが膨れ、【水】とぶつかる。


 接触点で蒸発の圧が炸裂し、衝撃で互いのからだが弾かれ合った。


 さらに水場の奥へと後退したわたしの真横から、鈍い衝撃がかすめる。

 飛び石状の足場に立つと、聖堂上部の窓から、こちらを見下ろし取り囲むように展開した官憲らの姿があった。

 銃声とともに、野太い声が殺気立ち、怒号が交わされる。


「追い込め!」「動きを封じろ!」「機関銃構えッ!」


 かつて水路都市で闘った警備兵けいびへいとは比べものにならない手際のよさだ。

 間断なく襲い来る銃撃の中、聖堂の奥から荷台に引かれ現れたのは、大男が抱えるようにして掲げた大型機関銃だった。

 あんなもの、いつの間に──


ェッ!」


 轟音が聖堂を震わせた。

 弾丸が凄まじい勢いで周りの水を、足場の石や橋を弾きながら迫る。


【火】の防御があっても、衝撃に見舞われる。わたしはその場から駆け跳んだ。


 残された足場を辿り、次の足場に着いた、その瞬間。


 空気をうならせながら、複数の気配が四方から押し寄せた。


「──!」


 こちらの反応と同時にそれはわたしの皮膚に絡みついて来た。

 腕に、手首に、胴や脚にも──

 わたしはみはった。全身にい込むひもの赤が視界に飛び込む。


 咄嗟にち起こそうとした【火】の気配が、強烈な力で抑え込まれる。


 力を、【火】を封じられた──


縛火縄ばくかじょうか……!)


 水路都市で賞金首にされた時にも見舞われた、厄介な飛び道具。

【火】を封じる、特殊武器だ。


 その瞬間、周囲の状況が符号する。

 警察官憲は武器も戦闘地点も予め準備していた──

 聖堂に誘い込み、この地点でわたしを捕えるまで計画済みだったのか。


 動揺が、一瞬わたしの全身を強張らせた。


(ヨルガは…………)


 四方から伸び、わたしの動きを拘束する縄の力にあらがいながら。


(わたしが勘付いた場合に備えて、確実にわたしを仕留める策も備えていたのか)


 情をはいしたその思索に、今さら打ちのめされる。


 ──過る思考を、機関銃の轟砲がさえぎった。


 迫る火薬の気配に、わたしはまなじりを尖らせた。


「……っ!」

 腹腔ふっこうに力をめ、右腕だけに動きを集中させる。


 縄にしぼられながら右腕が辛うじて動く。

 同時に空気を裂いて迫る弾丸の動きに意識をらしながら、縛火縄ばくかじょうひるがえした。


 ブツリと音をたて、右腕の縄を銃弾が千切ちぎる。


風火ふうか〉の力の一環──

 風の流れを感じ取る先読みで銃の軌道をつかんだのだ。


 だが媒介ばいかいの【火】が封じられ正確さに欠ける。縄もすべては千切れない──


 次に全身を襲ったのは猛烈な衝撃だった。


 全身の間際で威嚇射撃の弾丸がぜ、周りの空気をなぶる。

 直撃はない。あくまで威嚇しての捕縛狙いか──だが容赦ない銃撃がからだ中に裂傷を与えた。

 手足が、肩が、胴が、こめかみが──一斉に裂けて全身を赤く染める。


「! 捕えたぞ! 確保しろッ!」


 周囲に構える官憲らのいさんだ声が響き渡った。銃声も重なる。


 縛火縄ばくかじょうの拘束でその場からは動けない。

 それでも無理矢理手足をよじった。迫る弾丸で、からだに絡まる縄を幾筋か千切ろうとする。


 弾道の先読みはやはり不完全だった。肩や脇腹を熱い痛みがえぐる。

 全身から血潮がけぶり、視界が揺れる。

 それでも気を保とうとする頭の中で──


「待てッ、むやみに撃つな! 縄を切られる──」「『禍炎かえん』が、小賢しい──」「この場で殺せ!」「証人の情報は──」「別部隊が探索している、問題は──」


「かまわん、こいつは用済みだ! 始末しろ!」


 敵意と、殺気が意識を揺さぶる。

 わたしをこの場でとどめを刺そうと容赦なく迫る気配に。


 彼らを従え動かしている、ヨルガの意志を重ねずにはいられなかった。


「総員、下がっていろッ!」


 怒号のような一喝いっかつが、周囲の騒ぎを貫く。

 見ると、真正面から壊れた飛び石伝いに、【水】の大剣を操っていたあの官憲が目前まで来ていた。

 携えた剣柄に、再び【水】をこごらせ、鋭い刃を生み出しながら。


「正義の水刃すいじんを、忌々しい【火】で何度も消し潰しやがって……今度こそ終わりだ」


 したたるる血のなか、わたしは相手を見据えると。

 四肢のなかで縄の拘束が減った右腕を無理矢理動かした。


 だが、すかさず拘束が反応する。


 わたしの右手は胸元に届いたところで動きを封じられる。

 四方からわたしを捕える縄が、さらにギリギリと張りつめる。


 ほとんどはりつけに近い状態のわたしに向かって、【水】の大剣持ちの男が立つと。


「シィヤァアアアッ!」


 気合がほとばしり、大剣が振り下ろされた。


 瞬間。わたしは動く。


 正確には、動かせるものを。喉と、唇を使う。


 ──ヨルガ。お前が自らの意志で、手に入れた力で、あの兄妹を、わたしを殺すのなら。


 わたしはわたしの力で、お前と闘い、お前の力をつ。


「   」


 それは。

 風を切る刃や周囲の怒号にも消される音だった。

 空気を震わせるにはあまりに弱く、誰一人耳にすることのできない音。


 だが、それは確かな言葉だった。

 音であり、名でもある──精霊とのつながり。


真名サウンド


 指先に心臓の鼓動を感じながら。

 わたしは、わたしの精霊としんにつながる。

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