【幕間4 殲場に立つのは】

 紫暗しあんの【火】が鋼線ワイヤーの上をはしり、一瞬にしてならず者の腕先に絡む。


 次には炎の熱を感じる暇もなく、その腕が吹き飛んだ。


「ッッッッアアアアアアッ⁉」


 ちぎれた腕の断面を片手で押さえ床をのたうち回る様に一瞥いちべつもくれず、カンナビスはふと車両の窓に目をやる。


 窓越しに鉄道が向かっている鉄道橋が見えている。


 そこに乗り出す汽車の先頭部分から──

 小さなものが放り投げられ、直後【火】がそれを射貫いぬく。


 次には爆発と谷底から轟く衝撃。

 車体が微かに揺れ、鉄の塊はおびえたようにその動きを徐々に止めていく。


「……ッ、クソ──」


 早々に叩きのめされて床をっていたひとりの男が、血まみれの手でナイフを握りカンナビスをにらみ上げた。


 車両内にあふれる殺気。

 その渦中に立っているカンナビスは、外で轟いた爆音に気を取られたかのように窓の外にをやっている。


 すかさず男がからだを起こしナイフを振りかぶる──


 カンナビスの左中指が小さく動いた。


 瞬間、背後に伸ばしていた鋼線ワイヤーが揺れ、【火】が鋼線ワイヤーの軌道を鋭くほとばしる。


 きた【火】によってしなった鋼線ワイヤーが、次には襲い掛かろうとしていた男の首をはすった。


 男は茫然とした表情のまま、天井に血飛沫を散らかしてその場に崩れる。


 カンナビスは鋼線ワイヤーを指先と【火】で繊細に操り、距離の中近を問わず標的を必ず仕留める。そこには一切の死角も隙もない。


 戦闘に身を置きながら、彼女は窓の外に思考を巡らせていた。


(汽車が停まった。あの爆弾は特別車両から……また面倒な手合いが動いているようね)

 爆弾は証人を狙う刺客によるものか、それとも別の──


「──おっと」


 背後から、軽薄な声がこぼれた。

 カンナビスはその場からからだをわずかに右にずらす。


 すぐ真横を、袈裟斬りされた刺客のからだが、派手に吹き飛んでいった。


 不機嫌そうに振り返ると、人をイラつかせる笑顔のユルマンが太刀を納刀したところだった。


「悪いね。後ろに注意──って、遅かったか」

「要らないわよ、あなたの忠告なんて」

「だよねえ」


 ユルマンは腰にいた刀の柄に片腕をもたれた。


「先頭車両の方で動きがあったみたいじゃないか。列車も停まっちまったし──

 これはしばらく足止めかね」


 彼もまた、窓の外で起こった爆発を見ていた。

 刀も納め、口調はすっかり世間話だ。


 その緩い声がよく通るのは、もはやこの車両に彼らの「相手」がいなくなったことを意味していた。


 貴族にふるまうために設えられた高級バー仕様の車両は、もはや火薬と鉄、血の匂いがけぶる壮絶な空間と化している。


 むかう者を一切殲滅せんめつした、カンナビスとユルマンだけがその場にった。


「いやあ、良かった。これで一丁上がりだよな。

 内心、俺ぁ狭い場所できみの鋼線ワイヤーの餌食になりゃしないかと冷や冷やしてたんだぜ」

「だったらその馴れ馴れしいにやけ面を見せないで。殺したくなるわ」

「ふ──そりゃあ見物みものだ」


 冗談とも挑発ともとれるユルマンの言葉は、やはりふざけたものだった。

 カンナビスの眼差しが尖る。

 その矢先。


「いたぞあそこだ!」「逃げやがった!」


 騒々しい怒声が上がった。

 二人のいる車両手前の連結部から、鉄橋の方を指さしては騒ぎ出している。


 カンナビスが即座に鋼線ワイヤーはしらせ、瞬時にそこを伝う【火】で爆殺ばくさつする。


「っぎゃあっ⁉」


 間近でぜた者の血と熱を浴びてよろめいた者へ、ユルマンが踏み込むと。


 鞘をはしる刀が鳴る。


 次にはの前にいた者はその場に崩れ、二度と動かなくなった。


「──て、あれラピスちゃんか?」


 納刀し、窓の先の鉄道橋を駆ける人影にらしたユルマンが、頓狂とんきょうな声をあげた。

 なぜか嬉しそうな声音に、カンナビスが眼を向ける。


「だれなの」


「きみも知ってるはずだぜ、カンナビス。

とばり〉に現れた俺らと同じファイナリストだ。あの時は〈女徒手拳士ゼロフィスカ〉って呼ばれてた子だよ」


「ああ──あの娘が、証人の護衛だったのね」


 に落ちた様子で呟くと、カンナビスは窓の外に眼をやった。

 二人の子どもを抱え、真っ直ぐに鉄道橋を疾走する白く長い髪が見える。


 どうりで。


 依頼人のヨルガが、証人の護衛の腕には自信と信頼を置いていたわけだ。

 しかも証人が関わる裁判は、あの娘が〈とばり〉で暴いたかたきのものだ。

 否が応でも彼女が関わらざるを得ない流れは推測できる。


「とんだ苦難の道ね」


 他人事ひとごとには変わりないが、それでも思わずカンナビスはつぶやいていた。


 一方ユルマンは何やら考えるように無精ぶしょうひげのあごに手をやっている。


「──やっぱりえんがあるんだなあ俺ら。そう思わないか、カンナビス」

「興味がない」


 にやけた気配を後目しりめに、カンナビスは車両の出口へと足を進めた。


「おや、どこか行く気かい? 当分この列車、動かないみたいだけど」

「私の仕事は終わった。暢気のんきにこの場にとどまっているほど暇じゃないの」

「素っ気ないなあ。気にならない?

 この汽車に異常なくらい大量に詰め込まれていた法廷妨害の刺客の数とかさ」

「ならないわ。乗客全員が刺客だったとしても、私はすべて排除するだけよ」


 証人を狙う、普通車両からの刺客の排除──その依頼を全うすることが彼女の仕事だ。


 そしてそれは完了した。


 カンナビスは、ならず者たちの死体と血とをピンヒールで踏み分けて進むと、その場を立ち去ってしまった。


「いやなんとも。自由なやつだね」


 姿も気配も失せたその存在に、ユルマンはぽつりと呟くと。

 刀疵かたなきず弾痕だんこんにまみれたバーカウンターに腰を下ろし、のんびりと手近にある酒を片手で開け一口あおった。


 ──さすが貴族向けに揃えられた高級酒だ。しっかり美味い。


 たとえ血みどろの場であろうと、ユルマンは酒本来の味を存分に堪能できる神経の持ち主だった。


 とうに駆け去った少女の姿のない鉄道橋にをやりながら、


「さて……今回はどうするんだろうね、俺ぁ」


 どこか他人事のような口調で、自分自身の次の行動に考えを巡らせる。




 谷底を流れる川辺から、アビは停止した列車を見上げていた。

 彼の傍らには、青年と少女が姿勢を正して控えている。


「──ありゃ。阻止されちゃいましたねえ」


 頭上の列車を見上げる童顔の青年は、スーツと革靴、ネクタイまでかっちりと着こんだ山の中に似つかわしくない優雅なたたずまいをしていた。


「どうします? 残念ながら汽車は五体満足──全車両無事みたいですけど。

 ボク、今からでもどこか適当な車両でも燃やして来ましょうか」


「必要ないのでは。目的である暗殺対象の死亡を晒すという点では、充分な効果を得られますので」


 早口で応じたのは、大きなローブから小顔だけを覗かせた少女だった。

 鈴を転がすような可憐かれんな声だが、抑揚よくようとぼしい。


「手際の悪い破壊行為は控えるべき──そうですよね、先生」

「ええ」


 少女の問いかけに、アビは小さく答えた。


「充分、得るものはありました」

「例の法廷妨害絡みですか?」


 青年は跳ねるような足取りでアビの横に立つと、仔犬こいぬのようにその周りをまとわりつく。


「結局、情報がダダ漏れだったわけですよねー。

 例の証人があの列車を利用して〈司法の杜カルムタヒヤ〉に向かうって。

 で、妨害派は刺客の大半をあの列車に一気にぶちこんだとか──

 ぷくく、ちょっとボク笑っちゃったなー。

 検察の細工は全く無意味だったし、妨害派の貴族たちの必死ぶりも滑稽こっけいですし。

 修羅場って、やっぱり対岸で眺めるに限りますよねー」


「ヴィンセント」


 アビの周りをうろうろする青年に、少女がぽつりと告げる。


「思想と発言が下劣です」


 すると青年──ヴィンセントは眉尻を下げ困った顔をして見せた。


「……ねえメイラ、オブラートって知ってる?」

「医療や薬学で使われているものです。婉曲えんきょく表現上の比喩ひゆにも使われることがあります」

「あ、知ってるんだ。

 じゃあさ、キミの意見って率直すぎるよ。もうちょっとマイルドに言ってほしいんだけどな」

「あなたを気遣きづかう意味もないのに?」


 少女──メイラは人形のように澄ました顔を崩さない。

 ローブのすそから覗く細い脚が動きアビへと向けられた。

 しなやかな動きはバレエダンサーを思わせる繊細で可憐なものだった。


「先生。今回のカルト教団幹部の殺害はもっと別の手っ取り早い手段が多くありました。

 なぜ、わざわざこの列車で幹部を始末されたのでしょう。

 わたくしは、件の法廷妨害の鍵である証人と接触するためこの汽車に乗り合わせたとお見受けしておりました。カルト教団幹部の始末はそのついでに過ぎないと。

 ですが、ここで降りるということはつまり、件の法廷にも関わらないご様子のようです。

 先生の真意をお伺いしてもよろしいでしょうか」


 抑揚よくようなくまくし立てるメイラの独特なペースに対し、アビは淡々と答えた。


「僕の目的は、法廷妨害に関わっている人物との接触でした」

「〈女徒手拳士ゼロフィスカ〉ですか」

「ええ」


 だからこそ、早々にカルト教団幹部の始末をすませ、証人を狙う刺客も殺した。


 彼女には「偶然」と言ってあっさり片づけたが、アビの本来の目的は〈女徒手拳士ゼロフィスカ〉──ラピスとの接触の方だった。


 言葉を交わしたのはごくわずかな時間だ。

 相通じるものは何一つないと確信し、彼女もまた同じ認識だった。


 しかしアビはずいぶん久しぶりに──満足という感覚を覚えている。


とばり〉以来となる、ラピスとの接触に。


 愚昧ぐまいな人々にうとんじられ迫害されてもなお、清冽せいれつさとはげしさを失わず今もこの世界に立ち向かう──あの真紅しんくの眼と向き合えたことが。


 アビのうちにひとつの欲望をおこす。


「手に入れるためにも──必要な力をそろえましょう」


 誰にともなく呟くと、傍らの二人の気配が変わる。


「──では先生、わたくしたちにご教授を」

「ふふ、物騒な先生の雰囲気、いいですね」


 メイラが澄んだ鈴音すずねの声で指示をい、ヴィンセントが軽く唇をめる。

 二人のには猟犬のような光がともっていた。


「政府情報室の動向に変化はありましたか」


 するとヴィンセントが挙手して答える。


「そっちはキュリオが見張ってますよ。

 室長お抱えの政務官に目立った動きはありません。今のところは。

 例の裁判の方は、貴族保守派の被告弁護人が現地入り、被告人の殺戮鬼さつりくきさんも送致手配が進められてまして軒並み事務的な動きのみです。こちらも今のところは、ですけど」


「では二人は〝創作品そうさくひんさがし〟に動いてください」


『!』

 その言葉に、二人は同時に反応した。


「まだ『彼』は手元に所持したままのはずです。容易たやすく手放せる代物ではない。

 そろそろ直接『彼』に隠し場所をたずねてもいいでしょう」


 その言葉に、ヴィンセントがぱあっと顔を輝かた。


「了解しましたっ。ボク、前からもっと手っ取り早く動きたかったんですよね。

 さっさと拘束して爪でもげば〝創作品〟の隠し場所くらい、『彼』だってすぐに答えてくれますよ。色々手を尽くします!」


 かたわらのメイラも、使命感に眼差しを尖らせている。


「必ず見つけ出して見せます──先生のために」


 早速二人は動き出した。

 共和国での破壊と混沌の拡散を生業フィールドワークとすべく〈学者がくしゃ〉の下に集った〈生徒せいと〉たち。



 その活動が『彼』を襲い、ラピスをおびやかす次の災禍さいかとなるのは、少し先のことになる。

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