【幕間3 用心棒たちの殲戦①】

 主要都市を国内最短ルートで結んでいる蒸気機関車鉄道は、おしなべて同じつくりをしている。


 先頭に機関室、炭水車両、次いで個室を設えた特等車両が連なる。普通席はその後だ。

 特等車両は高額で、販売している窓口も限られているために貴族専用車両と言っても過言ではない。


 さらに普通車両と明確な狭間はざまを作るために、多くの汽車が特等と普通との間にサロンのような車両を設けている。

 その多くは高価な調度品に囲まれた高級バーカウンタ―の装いが施されている。

 間違って普通車両から先頭車両方面へ足を踏み入れてしまった庶民たちを、豪奢ごうしゃ意匠いしょうの迫力によって無言で押し返す。

 車両上部にはネズミ返しのような施工がされ、屋根を渡り歩くこともできないようになっている。


 貴族おあつらえによる、実に傲慢ごうまんへだたりだ。


 午前の時間帯を走行する汽車では、酒をたしなむその空間を利用するものはない。


 だが今、このカウンターにはひとりの女性が存在していた。


 カウンターに身を添わせ、火酒入りのグラスの縁を指先で蠱惑こわく的にでている。

 うなじや胸元、肩や背中の白肌を惜し気もなくさらすが決して下品な露出にならない──シンプルながら洗練された黒ドレスを完璧に着こなすからだのライン。

 切れ長のくっきりした目元に小さく薄い紅唇こうしん柳眉りゅうび鼻梁びりょうおとがいのラインも、すべてが彼女の隙の無い美のために描き出されている。


 だがそのつやは、貴族という部類に到底収まらない類のものだ。


 なぜならその華美な容貌は、獲物をその身で直に捕えるために鍛え抜かれた、爪牙そうがのような獰猛どうもうを帯びているからだ。


 ──その真実を知るのは、彼女と同じ裏稼業を生業なりわいとする、犯罪と暴力が主軸の世界に生きる者だけだ。


 そこへ、普通車両側の扉が開かれる無遠慮な物音が響き渡った。

 カウンターの女に意識を奪われていたバーテンが、思わず肩を震わせる。


 車両内の厳かな雰囲気など意にも介さずカウンターに近付いてきたのは、ひとりの男だった。

 ぼさぼさ髪に無精ぶしょうひげ、たるんだ雰囲気を口元の笑みに刻む、浮浪者といってもいいような青年だ。

 この車両では貴族のお目汚しになると、すぐさまつまみ出される類の男。

 バーテンが自分の職務を思い出し動き出そうとした瞬間。


 青年の寝ぼけた緩い眼差しが、こちらを一瞥する。


 くらい光をこごらせた、紫水しすい色の


「…………ッ!」


 その眼と合うや、バーテンは喉元にナイフでも当てられたように、二度と眼を合わせることはなかった。

 その場から逃げることを辛うじて耐えるように、顔を伏せる。


「──よう、カンナビス。ずいぶん久しぶりじゃないか」


 バーテンに構わず、青年はやけに芝居がかった口調で女性に向かってそう言った。

 カンナビスと呼ばれた女性は細めた眼をわずかに声の方へ動かしただけだ。


「ユルマン。驚いた。まだ生きてたのね」

「ご挨拶だな。このとおり、五体満足、元気溌剌はつらつだ」


 青年──ユルマンはおどけた口調で肩をすくめると、腰にいた長刀にもたれるように片腕を乗せた。




 カンナビスはつまらなそうな眼をグラスの火酒かしゅに戻した。


得物えものが変わってるじゃない。あなたもついに焼きが回ったのかしら」


「いやあ、西側の賞金稼ぎ集団が四組も一致団結して俺の首を獲りに来るなんて、さすがに予想外だったよ。総勢三ケタは下らなかったかな。

 先代のカタナも五日間ぶっ通しで酷使したんでね。

 さすがに【火】の耐熱限界まで働き尽くして粉々になっちまった。おかげ様で有り金全部はたいて新調したさ」


 物騒なことこの上ない近況をへらへらと口にしながら、ユルマンはカンナビスの横へ腰かける。

 すかさずカンナビスが神経質な眼になった。


「当然の結果よ。あなた、政府からの依頼を反故ほごにして寝返ったんでしょう。


 万屋でもなんでもない、殺せばはくが付く、高額の獲物に成り下がったんじゃない」


「おいおい、身もふたもないこと言うねえ」


 ユルマンはバーテンにカンナビスと同じ酒を注文すると、緊張感のない笑みを絶やすことなく、


「政府のお偉方の制裁部隊も、俺を目のかたきにしてた同業者も、きっちり始末したんだからあと腐れないだろ。

 まあ最近面白がって俺の首狙うやからが増えてきたのは確かだけどな」


「だから獲物に成り下がったって言ってるのよ」


 カンナビスはユルマンの酒を待たず、ひとり勝手に火酒を堪能たんのうする。


「相変わらずふざけた男だわ」


 ──二ケ月前。裏稼業を生業にする者たちを騒がせる噂が駆け巡った。


 完全無欠とうたわれる万屋よろずや、〈炎刀えんとう〉のユルマンの「しくじり」だ。


 その凄腕を買われ政府組織からの依頼も請け負っては、同業者を圧倒していた男が、ある政府筋からの仕事を放棄した挙句、依頼者側に刃をひるがえしたのだ。


 これまで万屋として築き上げてきたキャリアや信用──一流ですら容易に獲得しえないそれらを、突然、彼は自らの手でドブにてた。


 まさにとち狂ったとしか思えない奇行だ。


 当然、表裏を問わず彼への万事よろず依頼は一斉に止んだ。

 それに代わって、政府の後ろ盾も失せ、同業者から爪弾つまはじきにされた孤立無援のユルマンの命を狙う輩が激増した。

 政府筋からの粛清しゅくせいだけでなく、積年の恨みや厄介者の排除目的、かつての凄腕の万屋を仕留めたという名声欲しさなど、物騒な理由は挙げればキリがない。


 どこへ行ってもいつ命を狙われるとも知れない地獄のような状況──


 にもかかわらず、ユルマンは趣味の悪い夢からめたかのように、さっぱりとしている。


「まあこう見えて俺ぁ昔から方々ほうぼうにモテる方なんでね」


 出された火酒を一口、強烈な辛口に満足したように眼を細めた。


「今まで物陰で俺のこと見つめてたシャイな連中が、やっと積極的になってくれたってだけの話さ。

 俺を見て殺気立った奴ぁすぐ斬りかかってくれる。判りやすくて助かるぜ」


 そう言って笑うのだから、やはりこの男はイカれている──


「腕だけが取り柄だと思っていたけど、ただの指折りのバカだったのね。

 こんな男に今まで仕事の邪魔をされていたと思うと腹立たしい──」


 カンナビスは、狂暴な匂いを放ちながら笑う男の気配に眉をひそめた。

 カウンター越しの両者の気配にてられたバーテンだけが、捕食者を前にしたカエルよろしく硬直する。


 ふ──と、次には気の抜けた酒帯びの笑いが、空気をゆるませた。

 ユルマンがくつくつと喉を鳴らしている。


「よせよ。お互い仕事はきっちり果たさないと。普通車両そっちから特別車両に踏み込みたがってるタチの悪い連中を一匹残らず駆除すんのが俺らの役目──だろ」

「……寄越された『同業者』があなたと知っていれば、断っていたわ」


 心底忌々いまいましそうに、カンナビスは呟く。

 声音こわねは静かだが、穏やかならざる殺気はまだ熾火おきびのように残っていた。



 カンナビスとユルマンをやとったのは、この汽車が向かう〈司法のもり〉カルムタヒヤの法廷に立つ予定の、ヨルガと名乗った検察官だ。


『大切な証人が、命の危険にさらされている』

帳事変とばりじへん〉で捕えられた被告──殺戮鬼さつりくきを裁くための、鍵となる「証人」。


 その安全を確保することが今回もたらされた依頼だった。


 裏稼業を生業なりわいにするものが護衛の類を容易に引き受けることなど滅多にない。

 その力は暴力に行使され、もっぱら攻撃の方面で発揮されるからだ。

 だが、依頼主ヨルガはそれすら把握した上で二人にコンタクトを取っていた。


『あなたに頼むのは、汽車での移動時における「証人」の安全確保だ。

 数の利を存分に活かせる「走る密室」で、相手は確実に大量の刺客を送り込んでくるはず。それを残らず排除してほしい』


 普通車両から乗り込んでくるであろう雇われの刺客たち。

 それらをこの車両で足止め──もとい排除することが二人への依頼だった。


『そんな単純な防衛で通用しないでしょう』


 依頼のため直接接触してきたヨルガに、カンナビスはにべもなく言い放っていた。


『特別車両からの刺客はどうするつもりなの。まさかその可能性がないとでも?』


 依頼人のぬる采配さいはいが原因で証人が殺されては元も子もない。


 対するヨルガは悠然とした笑みを返した。


『特別車両を使う者は限られている。不法に潜り込んだとしても、そこに収まる数の刺客であれば問題ない。証人を直接護衛している者なら、充分対処できる』


 ──カンナビスは眼を細めた。

 証人を直接護衛する「守り手」は手配済み。その上「対処できる」と断言するヨルガの言葉は確信に満ちていた。

 よほど腕の立つ守り手を確保したのだろう。



『──要するに俺ともう一人とで、普通車両からカチ込んで来る刺客の排除に専念すりゃいいってわけか』


 時を別にして。

 仕事依頼のための前に現れたヨルガに、ユルマンは薄ら笑みを見せていた。

 ケチがつき、評判は地に落ちた万屋よろずやである自分にわざわざコンタクトを取り依頼するなど、よほどの酔狂すいきょうと思いきや──

 まさか天下の司法の御使みつかい・検察官どのとは。


『俺の最近の評判を知ったうえで、依頼してるわけだよな。一体どういう意図か、聞かせてもらってもいいかい?』


『良くも悪くも、あなたの知名度は高い』


 ヨルガは動じず、直截ちょくさいな言葉で即答した。


『裁判の開廷を前に、大勢の刺客による襲撃が一切無駄に終わったと妨害派に知らしめることは、大きな牽制けんせいとなるはずだ。

 あなたの知名度と、腕ならそれが実現可能だと私は見ている』


『なるほどねえ』


 あごに手をやり、ユルマンは感心したように呟いた。


 それが自分への阿諛あゆなどではないことは明白だった。


 首元に少数民族の刺青いれずみをのぞかせる、早熟の検察官。

 この凛々りりしくもしたたかな検察官どのは、限られた日数、使える手札てふだで最大限の効果をもたらすための行動を選択し、最善手さいぜんしゅとしてユルマンを選んだというわけだ。


 こうした真っ直ぐさは嫌いではない。


 自分にはないものだからだ。


 ──かくしてユルマンは二ケ月ぶりとなる万屋仕事をすることになった。

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