【第五幕 守り抜く決意②】

 その日の職務を終えたヨルガが邸宅に帰ってくると、わたしは彼女にシャルロッテの行動についての真相を伝えた。


「そうか……よかった……」


 ヨルガは、わたしの話にほっとしたのもつかの間、すぐに改まった表情で頭を下げてきた。


「これまでの護衛のことを、詳しく告げずにいてすまなかった」

「お前が謝ることじゃない」

「あの子たちを守ることを優先して、躍起になって護衛を見繕みつくろっていただけだった。

 ……結局私ではなにも出来なかった。ありがとう、ラピス」


 わたしは小さく首を振った。


「わたしに礼は必要ない。あの兄妹がずっと心細いなか、耐えてくれていただけだ」

「いや──それだけじゃないよ」


 ヨルガはスーツの胸元をゆるめながら、


「今の事態が着実に好転しているのは、やはりあなたのおかげだ」


 たじろぐわたしに、彼女はにこやかな表情を見せる。


「やはり霊鳥・ヒクイワシの羽ばたきの力を感じずにはいられないな。

 祝福の化身と言われている精霊に、感謝しなければな」


 感謝と敬意を品よく口にするヨルガに、わたしは思わず問うていた。


「……ヨルガ、本当にそう思っているのか?」


 あまりに率直な問いにヨルガは一瞬驚いた表情を見せるが、すぐにふっと破顔はがんした。


「──……いや。あなた相手にはそう言った方がいいと考えただけだ。浅ましかったな」


 緩めた笑みに自嘲じちょうが混じる。

 取りつくろうこともせず、指摘を素直に認めるいさぎよい反応だった。


「どうやらあなたに口先だけの言葉は見抜かれるみたいだ。

 正直言うと……わたしにはもうフロガ族であった頃の、伝統や精霊に対する崇敬すうけいはもうない。


 精霊も一族の教えも、わたしが生き抜くたのみにはならなかったから」


 常に相手を強く見据える翡翠ひすいから、力が緩む。

 その身を覆うよろいが外れるように。


「充分だと思う」わたしははっきり断言した。

「精霊への感謝なら、気が向いたときにでもすればいい」


 わたしにとって精霊は己と魂を分かち合う大切な共生者だが、崇め奉る存在ではない。


 精霊の力は命懸けの戦闘にも強く影響する。


 少数民族が旧来より持つ精霊信仰より、シビアでめた捉え方をしているのは事実だ。


 ──ヨルガもまた、わたしの発言に自分との共鳴を感じたのだろうか。

 笑うように目元を細め、そっとわたしに顔を寄せた。


「少し、話さないか?」




「あなたがこの地を訪れた偶然に、感謝しているのは事実だよ」


 夜風に肌をでられながら、緩んだ口調でヨルガは言った。

 二人で並び立つバルコニーには、星明りが煌々こうこうと降り注いでいる。

 開かれたガラス戸からおだやかに眠るカイルとシャルロッテの姿を眼にめつつ、わたしとヨルガは夜の静寂に包まれていた。


「偶然か……確かに、ここに行くことは誰に告げたわけでもない」

「図書館に用がある、という話だったな」


 わたしは眼をしばたたかせた。たしかに、官憲に連行されそうになった時、確かにそうぼやいた。

 ヨルガは屈託のない眼差しで覗き込む。


「目当ての書物は見つかったか?」

「いや……その矢先に絡まれたから、まだ入館もできていないんだ」

「ああそうか……直後は私が邪魔をしてしまったわけだ。すまない」


 わたしが首を横に振ると、ヨルガは真面目な表情になった。


「この一件が片付いたら、まずはこの都市自慢の図書館にあなたを案内するよ。

 共和国の地歴関連の資料だって他所にひけをとらない。きっとあなたが探し求めている情報も手に入れられるはず。

 もしも入館の手続きで役人がわずらわしい真似をすれば、私の権限で黙らせてやるさ」

「……ありがとう」


 軽い口調がやけに頼もしく感じられ、わたしは頬を緩める。


 ──わたしが国の各地を巡っているのには、大きく二つの理由がある。


 ひとつはこの国を、世界を知るため。

 そしてもうひとつは、約束を果たすため。


『この国の高原湿地帯のどこかに、「竜翼蓮リュウヨクレン」っていう幻の花が咲くんだよ』


 それは、わたしの半身であり、今は亡き少女がのこした言葉だった。

 幻の花と言われているように、いつ、どこで咲くのかも定かではない、存在自体がおぼろな花だ。

 だが、わたしの半身はワ族の指定居住区というとざされた土地から自由に世界を巡り、ともにその花を見るという夢を描いていた。

 彼女はワ族の次期族長として、わたしと、同世代の同胞である少年少女を導いていた。

 同族の老人たちからは疎外されてきたわたしが心を腐らせず生きてこられたのは、彼女が【火】の精霊持ちであるわたしにも屈託なく真っ直ぐに接してくれたおかげだ。

 わたしは彼女と、共に生きることを誓うために自らの【火】と彼女の【風】とを分かち合い、文字通り互いの「半身」となった。


 コルレスに惨殺されながらも、わたしのもとに一時的に【風】の精霊をのこしてくれたことで、わたしは奴を〈とばり〉で討つことができた。


 半身と、同胞たちの魂と、わたしはともに生きていく。

 幻の花『竜翼蓮リュウヨクレン』を探し出すことは、その思いを心に刻むための、旅の目的でもある。


「──あなたの過去をあれこれとたず穿うがつつもりはないよ」


 わたしの思いを推し測りつつも、必要以上には踏み込まない──ヨルガは丁寧な前置きをしたうえで、切り出した。


「ただ、法廷に際して〈帳事変とばりじへん〉関係者たちの素性は洗い出していたから。

 あなたのこともおおむね調べさせてはもらっていたんだ」

「そうか」


 彼女の言う通り、自分が携わる事件関係者ともなれば、自然な成り行きだろう。


「わたしがとっくにワ族を追放された身だということも?」


 ヨルガは頷いた。

「被害者たちの検死後、ワ族にご遺体を引き渡しに出向いて、長老たちと挨拶あいさつもした」


 と、一瞬だけ言葉を選ぶように視線をついと逸らし、


「……正直、あの中に留まらなくて良かったと思う」

「──ふっ」


 ぼそりとつぶいた言葉に、わたしは思わず吹き出してしまった。

 ヨルガが慌てて取り繕う。


「すまない。けどどうもあの長老たちの雰囲気が排他的で古臭くて……いや、けなすつもりはないんだが、でも、正直、」

「いや、確かにその通りだ。わたしも追放されて、清々せいせいしていたから」


とばり〉での復讐の後、わたしにはワ族に戻るという意志は微塵みじんもなかった。

 思いがけないところで共感を得られたので、笑ってしまう。

 そんなわたしを見て、ヨルガもまた目元を緩めた。


「そうか、良かった。正直に言ってみるものだ。

 なんだかますます、あなたが他人とは思えないよ」


 わたしはその眼をまじまじと見つめた。


 混血種として、突然元いた一族から引き離され、貴族の世界に放り込まれた少女。


 最初聞かされた時からあらためて思う。それは「過酷」などという生易しい状況ではなかったはずだ。


「ヨルガが、この家に引き取られたのは──」

「十年前だ。十一歳のころ。守りの紋様も、喉元の翼のしるしもまだ半分しか彫られていなかったのにね」


 ヨルガは嘆き慣れたように首元の黒い翼を指先で示す。


「先代イルタレウス当主の都合というやつだ。

 右も左もわからないまま、一族が集められた会合で、当主は私を引っ張り出して『これが次期当主だ』なんて言うものだから……皆の悪夢でも見るような顔は、今でも忘れられない」


 淡泊たんぱくな声から、静かに抑揚よくようと温度が失われていく。


「先代は最後まで独裁を貫いていたけど、単純に周りが見えていないという側面もあった。

 突然現れた少数民族との混血児に拒絶反応を示す一族の前で、わたしを見世物にし始めたんだ」

「……見世物……?」

「その場でわたしに、フロガ族の民族衣装を着せて踊らせた」


 ──絶句するしかなかった。


 敵愾心てきがいしんに満ちた人々のもと、先代当主はヨルガのことを文字通りの見世物にしたというのか。


「先代のやることは独裁というより暴走に近かった。一族に自分の後継者にふさわしいものはいない、だから誰にもいい思いはさせまいという理由だけで、私のことを次期当主にした」


 そんな理由で、ヨルガをフロガ族から引き取り、さらすなんて。

 わたしには、ひとりの少女の魂をいたずらに傷つけた行いとしか思えない。


「あのとき、霊鳥も精霊も、遠くにいる同族も母も、助けてはくれなかった。


 だからこの世界に祝福も加護もないんだと、思い知ることができたんだ」


 ふと、ヨルガはバルコニーの先に視線をやった。

 草木を剪定せんていされたばかりの庭園。その奥に。


「……昔、あそこに木が一本だけあった。腐って切り倒されるまで、人工的な緑の中で、唯一自然にそびえていたんだ。


 あの木の下で、私はひとりで──、思い知ったことがある」


 不意にヨルガの声が冷たいものを帯びた。

 やわらかい星明かりを弾く鋭利えいり眼差まなざしをわたしが無言で見つめていると、ヨルガはすぐに我に返った。


「だけど、吹っ切れたよ。頼むべきは己の力。信じられるのは自分だけ。

 今の私には、あなたのような精霊を制御する力も腕っぷしもないが──検察官として、机上や弁論でなら相手をねじ伏せられる」

「充分おまえは強いよ、ヨルガ」

「ありがとう。まあ、これが私の唯一誇れる『力』というやつだ」


 心から尊敬をこめていうと、ヨルガは微笑んで見せた。


「お互い、立場も身の上も違えど、ひとりでたたかって来たことに変わりはない」


 ヨルガは手すりにもたれていたからだを起こすと、わたしに向き直った。


「頼りにしているよ、ラピス。あの兄妹を守ってやってくれ」

「もちろん、そのつもりだ」

「よかった……あなたがいてくれるなら、心強い」


 ヨルガはそう言って、わたしと握手をするように差し出した手を、ふと引っ込めた。


「今回は白色人種式の握手はやめておこうかな。

 ラピス、しばらく真っ直ぐ何もせず立っていてもらっていいか?」

「うん……?」


 すると、咲いたばかりの花のようなふわっとした匂いとともに、ヨルガの躰がわたしに寄せられ──


 そのまま、静かに抱きしめられた。


「……」


 ヨルガのぬくもりを、直に肌で感じ取る。


「──フロガ族の、約束ごとの儀式なんだ」

 耳元で、そっとささやかれる。

「約束や頼み事を申し出た者の方から、相手を抱きしめる。

 それが無事に果たせたら、相手に抱きしめ返してもらうんだ」


 不思議な感覚を覚えた。

 フロガ族を過去のものとしたと言ったヨルガが、そんなしきたりを持ち出すなんて──

 彼女の中に、フロガ族としての意志を残しているということだろうか。

 それとも、同じ少数民族であるわたしに寄り添うために……?


 あるいは──そのいずれでもない「思い」。

 漠然と、そんなものを感じた。

 

 ヨルガは一度わたしと向き合うと、

「ラピス、どうかあの兄妹を法廷まで守ってくれ」

 真っ直ぐな言葉をわたしのからだにこめるように、再度抱擁ほうようした。


 わたしは包まれながら、静かに問う。

「……兄妹を無事守れたあとに、今度はわたしが抱きしめ返せばいいのか?」

「そうだね……うん、そういうことになる」


 ヨルガはわたしのを見つめた。


「必ず『約束』を果たそう」


 あの兄妹を、守るために。


「うん」


 わたしはうなずく。

 もとより兄妹にも誓っていたことだ。


 ヨルガとの「約束」は、わたしにとってその決意をさらに固くするものとなった。

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