【第三幕 孤邸の兄妹①】

 ヨルガのいるイルタレウス家は、ドゥール・ミュール共和国の司法機関に代々たずさわる貴族──らしい。

 共和国は万民が平等に政治・法治に携われる。

 だが実質は貴族の伝手つてやコネが大きく作用し、選挙も試験も形骸化けいがいかされ、世襲制がまかり通っているのが現実だ。


 端的に言えば、この国のシステムは貴族たちが優位に在るために機能している。

 その最たる例が、国家機関の独占だ。

 要職や高位官職ほど、裕福で強権な貴族による世襲は色濃い。

 

 そのため、代々司法機関の職を務めるというヨルガの邸宅が、とてつもない広さを擁する庭園や巨大な屋敷をそびえ立たせているのは──当然のことだった。

 だが──


「迎えの者がなくてすまないね」


 開いた正門から真っ直ぐに伸びる砂利道を歩きながらヨルガは静かに告げた。


「ここは広いだけで人がいないんだ。邸内でも身の回りのことは自分でしてもらうが──」

「問題ない」


 左右に広がる庭園は、剪定せんていと虫よけ薬が散布され完璧な整備がなされていた。

 それはわたしが森で長年目にしてきた自然とはまったく別の、人工的な気配だ。

 ぎ慣れない緑の匂いに喉までせそうになる。


「あなたに護衛をお願いする期間はそれほど長くない」


 砂利に足音を沈めながら、ヨルガは淡々と告げてきた。


「二日後には証人の兄妹は北西の都市カルムタヒヤにある共和国中央裁判所に向かう。

 その日までの邸宅での警護と、丸一日かかる鉄道移動中、それから翌日法廷所に入るまでの護衛をあなたに頼むことになる」

「明日から三日間──二人を無事、裁判所に送り届けるまでだな」


「そうなる。当日法廷所には司法代表の検察官や警備兵、警察官憲だけでなく、大勢のマスコミもひしめく。

 証人の命を狙う連中も、白昼堂々、注目度が増した衆人環視しゅうじんかんしの裁判所ではさすがに暗殺をしかけることはできない。

 貴族といえど、特に最近は報道者のを気にするから。

 つまり裁判所に到着できれば、兄妹の安全が確立できるという状況なんだ」


「その状況作りのために、マスコミを使ったのか」

「ああ、その通り」


 ヨルガは頬を緩め、わたしの方を振り返った。


「〈帳事変とばりじへん〉関係者の相次ぐ不自然な事故に不審を抱く国民も少なくはない。

 報道機関にそれとなく情報を与えれば『貴族による陰謀論いんぼうろん』だとすぐにきつけてくれたよ」


 情報の横流し──この状況下で切った手札としてはかなり迅速じんそくで有効だ。

 保守派貴族中心の裁判妨害工作に対するヨルガの抗戦こうせんは、すでに始まっているのだ。


「だからこそ証人を排除したい勢力は、不審な事故死で片づけられる裁判開廷前に彼女を始末したがっている。強引な手段を取ってでも」


 おごそかに語るヨルガの声は、かすかな緊張がある。

 殺戮鬼さつりくきの裁判という嵐の前に、静けさなどない。そんな色味を帯びていた


「ヨルガ、お前はこういう事態に慣れているのか?」

「私が? とんでもない。私は経験も場数もたりない若輩者じゃくはいものだよ。

 だから過去の裁判記録で物騒な事件の数多くを調べ抜いている。

 やるべき対処をそこから学んで、つたなくも応用しているだけだ」

「そうは思えない。すごく手際がいいし度胸もある」


 わたしは検察官の職務内容など知る由もないが。

 それでも、素直に感心していた。

 物騒な状況にもかかわらず冷静かつ的確に判断を下し、二手三手先を読み行動する──

 それはまるで一族を導く勇壮ゆうそうな族長のようだ。


「あなたにそう言われると、悪い気はしない──いや、むしろ光栄だな」


 ちょうど巨大な邸宅の玄関前に立ったところで、ヨルガはわたしと向き合う。

 見る者を魅入みいらせる、鮮やかな翡翠ひすい双眸そうぼうで。


「今日から短い期間だが──どうかよろしく頼むよ、ラピス」


 大切な証人の命は、わたしの護衛にかかっている──

 多くを語らずとも、聞く者に覚悟をもたらす力強い声に、わたしは無言でうなずく。


「さっそく、あなたに兄妹を紹介しようか──」


 ヨルガが玄関扉を開くと、中から軽やかな靴音が近づいてきた。


「お帰りなさい、ヨルガ!」


 駆け寄ってきたのは、ひとりの少年だった。

 線は細く、絹糸きぬいとのような金髪に翡翠の双眸。ぱりっとした白シャツと、ジレにネクタイ、足元は磨かれた革靴──と、紳士の身態みなりを小さく少年に合わせたような格好だった。

 あどけない顔立ちだが、ヨルガに飛び込んで抱きつく、といった子どもじみたことはせず、ぴしりと背筋を伸ばしてヨルガの前に立っている。

 幼くともそのたたずまいだけで、品の良さがかもされていた。

 おそらくこの少年が──

 

 カイル・リシュケット。


 ヨルガの話では九歳。証人の一つ上の兄、と聞いている。


「もどったよ、カイル。いい子にしていたようだね」

「いい子って……子ども扱いするのはあまり好まない、ですよ」


 眉間みけんしわを寄せるが、白磁のような滑らかな頬を膨らませる様はやはり子どもだ。


「今日は競技ルームを借りて、フェンシングの特訓をしたんですから。

 もう僕は充分に立派な紳士しんしだよ。そうですよ」


 使い慣れていない敬語を駆使して小さな胸を反らせる姿に、微笑ましくなる。

 とそこでカイルが、ヨルガの奥に立っていたわたしの姿に気付く。


「そのひと──そちらの方は?」

「昨日、少し話していただろう。カイルとシャルロッテの護り手を探していると。

 こちらの頼みを引き受けてくださった、頼もしい方だよ」

「えっ! じゃあ、護衛を……!」


 カイルは大きく見開いたに喜びと安堵あんどを見せるが、すぐに眼を伏せた。


「……あ、でも……シャルが……また…………」


「心配ないよ」


 一瞬、カイルに過ったかげりを素早く取り去るように、ヨルガはその場で膝を付きカイルの視線に合わせてそう言った。


「彼女はとても強い。だからもうカイルが心配するようなことはないからね」

「……うん」


 カイルは素直にうなずくが、その眼は微かに揺れていた。

 ヨルガはカイルの肩に手を置き、明るく語り掛けた。


「毎日慌ただしくてすまないね──

 さあカイル、今日からきみたちの護衛を務めてくれる方にご挨拶あいさつを」

「──うん」


 カイルは頷くと、今度はわたしと向き合った。

 わたしは無言でじっと少年を見下ろす。


「……」


 非常に情けない話だが。

 もともとわたしは友好的な挨拶などなじみがない。

 不躾ぶしつけに殺気を向けるような物騒な連中相手に、いなすか挑発するか──そんな「挨拶」ばかりだったからだ。


「……ぁ……」


 思わず乾いた声がこぼれてしまう。

 にこやかに、まず口元を優しい笑みの形にする──って、どうすれば。

 そうだ、名乗らないと──

 硬直しているわたしの顔を見つめながら、カイルがつつ、と歩み寄った。


「はじめまして、僕はカイル・リシュケットといいます。えと──」


 ぱたぱたと、次の言葉を探し出すように手を動かしながら、


「どっ、どうぞ、肩の力を抜いて、自分の家だと思って気楽にしてください」


 大人の言葉をまねた、まだ口になじんでいない言い回しだった。


「…………うん」


 その健気けなげさにわたしが思わず小さく頷くと、カイルはハッとする。


「あっ、でも、ここはヨルガのおうちなので、僕の家ではないんだけどっ」

「──ふっ」


 こらえきれず、ヨルガが緩んだ笑いを零した。


「そうだね、でも──堂々とした挨拶だね、カイル」

「そ、そうかな……でもなんで笑ってるの?」


 きょとんとするカイルに、わたしは膝を折って視線を合わせた。


「はじめまして。わたしはラピスだ。……、よろしく」


 カイルよりもはるかに稚拙ちせつな挨拶だが──そう言うと、彼は眼の前で頬を柔らかく緩ませた。


「うんっ、よろしく、ラピス──」


 次に続く言葉を、乾いた破裂音が遮った。


 バリン、と分厚いガラスを鈍器で殴ったような。

 音のする方へ視線を巡らせたカイルが、次には声を震わせた。


「! シャルロッテ……っ!」


 慄然りつぜんつぶやき、あわてて駆け出す。

 口にした名前は、彼の妹のものだ。

 わたしも動いた。カイルを追い抜きそのまま音のした方へと廊下を疾走しっそうする。


 破るように開いた扉の先にあったのは、分厚い絨毯じゅうたんの上で暴れる細長い手足と、それを抑え込もうとしている男の背中だった。


「大人しくしろッ!」


 怒鳴る声に、必死の抵抗でもがいていた小さな手足がビクリと震える。

 男は腰にぶら下げていた枝切ばさみを、床に抑え込んだ者に近付ける。


「物音たてやがって……次に騒ぐようならァ──っ⁉」


 すごんだ男に、わたしは飛び抜きざまの蹴撃しゅうげきらわせた。


 男のからだは軽々と吹き飛び、真横の割れていた窓に背中から突っ込む。

 砕け散るガラスごと男は建物の外へと消えた。

 開放された窓から流れ込む風に、草いきれの匂いが混じる。

 蹴り飛ばした男の残り香は、つい先程庭園を横切った時にいだものと同じだ。

 庭の剪定師せんていしが、襲撃者に化けていた? いや──

 それよりもまず、わたしは絨毯の上に倒れたままの小さな気配に眼をやった。


「平気か────」


 細く小さなからだをそっと抱き起こし──


 わたしは声をこおらせた。


 透けるような白い肌、華奢きゃしゃな躰に細長い手足。金色の細い髪をかすかな身じろぎにさらさらと流しながら、少女が窓からの光を反射してきらめく翡翠の双眸そうぼうでわたしを見る。

 その顔立ちに、わたしは絶句する。


『お姉さま──!』


 血にまみれながら喜々とわたしの名を叫びわらっていた、わたしの仇。

 コルレスと、まったく同じ顔立ちをした少女を前に。

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