第4話 新しい世界、だが試験Ⅱ

「魔法学校の中で属性魔法を持つ生徒は限られます。その中でも、属性科に入学できる者はさらに絞られる……」


 各学年で多い時でも五人程ですね、と補足が加わる。


 だだっ広いグラウンドだった。校舎の隣にあり、騒音や流れ弾の被害からも隔絶された特別な場所。


「いきなり本番は大変だと思います。ウォーミングアップを兼ねて、予行演習でもしてみますか?」


「もちろんです、やらせて下さい」


 エルアの杖から砂時計が出てきた。逆さにすると砂が零れ落ち、制限時間を二人に告げる。


「的はこの気球たちです。軽い攻撃で破壊されますが、稀に魔法で反撃もしてくるので注意して下さい」


 そして、光と共に十体の気球がふわふわと現れた。


「よし、じゃあ私から!」


 まずは制限時間無しでやってみましょう、と彼が砂時計から手を離した。これから初陣を飾る白い杖にキスをして、まずはイリーナが前に出る。


「肩から力を抜いて……想像力を膨らませて下さい」


「むむぅ……」


 難しく考える必要は無い、ミシェルが以前していたように。


「あの子と一緒に、絶対試験に合格するんだ」


 集中して感覚を研ぎ澄ませてみると、ストーリアに向けて魔法を放ったあの光景が蘇ってきた。


「私に力を。アイス・ムルバ!」


 すうっと、まるで背中を押されたように力が出せる。


 杖で一体に照準を合わせ、精度の高くなった氷魔法が相手に突き刺さった。




 氷の結晶は美しく舞い上がり、雪のように降って落ちた。


「いける、これなら!」


 威力、射程、距離……それらを全て頭から取り払った上で、イリーナは気球に向かって走り出した。


 上下左右に動く気球を感覚で捉え、氷像にして破壊する。


「……わっ!?」


 しかし、気球がエネルギー弾で反撃した瞬間に彼女の動きは止まった。


「な、何かよく分からないけど防げるやつ!」


 杖を突き出す。後先考えなかった自分の行動を恨み、すぐに来るであろう痛みに備えた。


 だが、適当な文言に反して彼女の杖は強靭な盾に変化した。


「あれぇ……?」


「武器魔法、アイス・シールドですね。防御だけでなく、接触した相手を凍らせる等使い勝手は抜群です」


 どうもありがとう、と氷の盾を抱えながらエルアに礼を言った。これも自分の性格、能力に対応したものなのか。


「せっかくなら、ミシェルみたいな剣が良かったのに」


 だが、戦っているうちに彼の助言は正しいと気付いた。


 攻撃を受けてもビクともせず、盾から冷気が漏れ出すことで次第に気球の動きが鈍っていく・


「あと八体……どりゃ、どりゃあ!」


 アイス・ムルバで的を叩き落とす。不思議なことに、下がっていく温度に反して心はどんどん熱を帯びていく。


「これで最後。合格だっ!」


 自分の思い描いていた魔法を、そのまま現実に映し出す。


最後の足掻きと言わんばかりに範囲攻撃をしてきた気球を見事に防ぎ、魔法を中心に当てて消滅させた。


「やった、これなら本番もきっと……」


 湧き上がる感情を抑え、振り返って結果を噛みしめる。


「なるほど。基礎はできていますが、どうにも惜しいですね」


「えっ?」


 しかし、エルアから出てきたのは渋い表情と薄い影を滲ませた言葉だった。




 指差したのは砂時計。そう……制限時間を失念していた。


「攻守共に隙は無いように思えます。ただ各所作が丁寧過ぎるが故に、速度と効率が犠牲になっているようですね」


 初めてにしては上出来ですがね、と彼は腕を組む。全力で戦って、もう削る要素なんて何も無いはずなのに。


「そんなぁ……」


「気を落とす必要はありません。誰であれ、最初から完璧に魔法を使える人なんていませんので」


 先程と変わらず口調は明るかった。だが、軽くはない。


「イリーナさんの実力は分かりました。次はミシェルさん、お願いできますか?」


 ガックリと肩を落とすイリーナと入れ替わりに、静かに準備運動をしていたミシェルが十体の気球の前に出る。


「はいっ!」


 すれ違いざまに情熱を込めた視線を彼女に送った。貴方が


失敗した分は、私が必ず頑張ってみせるから。


 杖を握り締めながら、お決まりの呪文を唱え始めた。




「フレイム・ソード!」


 悔しさと悲しみで閉じかけていた目が、大きく見開かれた。


「凄い、真っ赤な炎……!」


 ちゃんと見るのは初めてだったかもしれない、彼女の炎。


 剣先はミシェルの意思に応じて自由に伸び、気球の回避を無視して燃え盛った。明らかに、私とは芯が違う。


「せいやっ!」


 炎の軌跡は剣を振った後も残像として留まり、こちらに熱気と執念を伝え続けた。


「ミシェルの強さなんだ、これが」


 その言葉が届いたのか否か、手元でクルリと剣が回る。


「大切な人のために……倒れるわけにはいかない!」


 上段の斬撃で小さな爆発を起こし、風で引き寄せられた気球も正面から破壊していく。


「ほう、やりますね」


 エルアの顔色が少しだけ変わった。動きの移り変わりには無駄が削られており、作り込まれた一つの曲のよう。


 イリーナの時よりも一回り早く、残り数体の盤面に達した。


「折れないよ、私は」


 爆風が吹き荒れても全く魔力切れの気配を見せず、ミシェルは余裕を持って火球を残る的にぶつけようとした。


 だが後ろから聞こえた叫び声で、不意に自身の中の世界から引き戻されてしまう。


「避けて、ミシェル!」


「なっ……!」


 攻撃に夢中だった彼女は気付かなかった。後ろにも気球が潜んでおり、今か今かと待ち構えていたことに。


「いやぁぁっ!」


 放たれた弾が直撃してしまい、ミシェルは地面を転がった。




「大丈夫!?」


「うん……ちょっとビックリして、転んじゃっただけだから」


 咄嗟にイリーナが駆け寄る。やはり強い攻撃ではなかったようで、起き上がらせても怪我は無いようだった。


 一旦切り上げますね、とエルアが指を鳴らして気球を消す。


「攻撃の流れは美しかった。しかし防御面にまだ隙があるようで、イリーナさんとは正反対ですね……」


 自分でその意識は無かった。だが魔法を使っていると感覚が振り回され、周りが見えなくなっていくようで……


 ミシェルは自分の手をまじまじと見つめた。小刻みな震えを抑えた後、徐に立ち上がる。


「このままだと、二人共合格はできないってことですか?」


「そうですね。いくら素質はあれど、特定の生徒だけを贔屓するのは学校の規則として良くありませんので」


 淡々とした言い方だった。表情は影に隠れ、冷酷なようにも悲しみを堪えているようにも見える。


「属性科ってそんなに難しいんですか? 普通に属性魔法を使えたら入れるとか、そういう分け方じゃ……」


 イリーナが立ち尽くすエルアに駆け寄る。だが、彼の目はそれはできないと二人に告げていた。


 グラウンドの砂時計を手早く回収し、ちょうど授業が終わった校舎の方へと向かう。


「お二人もご存知かと思いますが、魔法学校では魔獣の討伐や呪術師との戦闘も行います。卒業して一流の魔法使いや騎士になるためには、演習や実践が欠かせませんからね」


 案内にも書いてあった内容だった。イリーナたちが頷くと、エルアは真剣な面持ちで足を進める。


「その中でも、属性科は最前線で戦う必要があるのです。ここに来る依頼は日に日に増しており、リスクも当然大きい」


「リスクって……何の?」


 まさか、と嫌な予感が頭を駆け抜けた。あの時にミシェルから言われ、覚悟はしてきたつもりだったが……


「死ですよ。無論、危険な任務は極力避けますが」


 何も返すことができない。自分の喉が干上がる音がした。


 同い年くらいの子供たちが私たちの間を通り抜け、次の演習に向けてグラウンドへと慌てて繰り出していく。


「死……」


「属性科の生徒たちはそれでも戦っています。ある人は傷付いた過去を振り切るために、またある人は自分の思い描いた未来を掴むために」


 過去、そして未来。イリーナは自分の胸に手を当てても、はっきりとした答えはすぐに見つからなかった。


 親友の背負った想いさえも分からない自分に、属性科に入る資格なんて本当にあるのだろうか。


「取り敢えず今日はここまでとしましょう。部屋は隣の生徒棟になりますので、受付の方の指示に従って下さい」


 よろしければ、と学校の設備を記した構内図も渡された。どうやら彼も、次の授業時間が差し迫っているらしい。


「本試験は明後日の昼にグラウンドで行います。練習部屋がありますので、当日までの魔法演習はそちらも使って頂けると。それでは失礼します」


 小さく手を振られても、二人はエルアに告げられた言葉が頭から離れず、置いて行かれたままだった。


 頑張ればできるようで、まだ私たちには難しい大きな壁。


「……とにかく行こう。ここはみんなの邪魔になっちゃうし」


 どこに、とは言われなかった。ミシェルは地図を手に取り、エルアとは反対の方向に歩き始めた。


「できるのかな、私たちに」


 何も考えられずに、独り言だけが口から勝手に飛び出した。




「今日は物体を異空間に取り込む、アザー・ディメンションの演習をしていきたいと思います!」


 どの教室でも先生が熱を込めて喋っており、廊下を歩く足音が自然と小さくなっていた。


 誰もいない食堂、魔術書を読み込む自習室。そして……


「ここだね、エルア先生が言ってた練習室って」


外のグラウンド程は大きくないが、一目見ただけでも講義室よりも余裕を感じる大広間。


 授業が無いが、学んだ魔法を復習する場が欲しい生徒が何人かトレーニングをしていた。


「テレポーテーション・フロート!」


「よし……ちゃんと宙に浮いてるぞ、その調子!」


 そうだ、属性を介さない通常魔法。授業でも取り扱うのだろうが。これを習得すれば試験に役立つかもしれない。


「すみません、私たちもここ使って良いですか?」


 早速、カウンターに座っている係の女性に聞きに行く。


「大丈夫ですよ! この練習室、夜間消灯時以外はいつでも自由に使えますので」


 よく見れば魔法陣の模様が壁や床に張り巡らされていた。騒音低減か、魔法が貫通しないための措置に見える。


 ならばと杖を構えていると、後ろから呼び止められた。


「……もしかして、ここを使うのは初めてですか?」


「そうなんですよ。明後日の試験に備えて、少しでも魔法を練習しておきたいと思ったので」


 係の人は相槌を打った。今は分からないが、入学シーズンは試験に備える人もきっと多いのだろう。


「なら試験に役立つ魔法もいくつかありますよ。新入生の方にも易しいものなので、是非やってみませんか?」


 先生たちには内緒でね、と口に軽く人差し指を当てられた。


「本当ですか、お願いします!」


 数日で魔法の威力を上げるのは限度がある。なら手札を増やし、引き出しがある方が有効だろう。


 二人は大人しく、お姉さんのお言葉に甘えることにした。


「よし分かりました! それじゃあ最初の魔法は……」




 結局、生徒棟に着いた頃には完全に日が落ちていた。


「はぁ……疲れた!」


 どうやらここにも魔石が仕込まれているようで、杖をかざすと自然に明かりが灯る仕組みになっている。


 疲労が一気に押し寄せ、着替えずにベッドにダイブずる。


「私もだよ。流石に魔力を使い過ぎたね」


 試験まであと二日。休むには十分だが、準備をするには短い時間のように思える。


 もしどちらかが合格して、もう片方が落ちてしまったら。


「ねえ、イリーナは属性科に行きたい?」


 言い終わって、あまり聞くべきじゃなかったかと後悔した。


 死のリスク。甘い考えは捨てるべきだという理由で敢えて言ったのだろうと思うが、彼女が受けたショックは大きかったように感じる。


「もちろん行きたいよ。ミシェルとの約束、破るわけにはいかないでしょ?」


「……!?」


 だが、イリーナは既に乗り越えたという表情をしていた。


「確かに怖かったし、私は属性科のみんなみたいな想いはまだ無い……と思う。でも、諦めたくないから」


 ミシェルだって頑張ってるのに、私が怖がっている暇なんて無いよ。埋めていた顔をガバッと上げ、無邪気に笑う。


「イリーナは強いね。こんな知らない場所で、私だってドキドキが止まらないのに」


 反対側のベッドに座る。一緒に部屋で眠るのは初めてだが、何故か彼女が遠く見えた。


「だってミシェルがいるもん。大切な友達が傍にいれば、どこに行ってもそこが私の……私たちの居場所だから」


 ゆらりと心が揺れ動き、風が吹くような音がした。


 傍に誰かがいるから頑張れる。ただ一人で魔法学校に行き、努力を積み重ねようとした自分は気付けなかったこと。


「もう寝ようよ。明日も練習しなきゃだし」


「……そうだね、おやすみ」


 試しにつけたばかりの明かりを消すと、部屋の中は途端真っ暗になった。目を凝らすと相手のシルエットがようやく浮かぶ、それくらいの。


「頑張ろうね、試験」


 疲労感と熱を帯びた瞼が拮抗する。最後は睡魔に負けて、興奮冷めやらぬままミシェルは目を閉じた。


 イリーナからの返事は無かった……ような、気がする。




 ミシェルが目を開けると、周りに黒い霧が立ち込めていた。


「えっ……ここ、どこ?」


 自分は何をしていたのだろう、何のためにここにいるのだろう、全部忘れてしまったまま、ただ掻き分けて歩く。


「おいミシェル、帰ったぞ!」


 その時、死んだはずの父の声が耳に飛び込んできた。


 以前の面影はどこかに消え、何かに囚われてしまったように狂った父。ミシェルは思わずその場に座り込んでしまう。


「ちょっと貴方、ミシェルはもう寝ているのに……」


「うるさい、こんな所でかまけていたら強くなれないだろ!」


 ああ、また戻ってきてしまった、イリーナとの日常が戻ってきて、もうすっかり忘れていたはずなのに。


「強くならなくちゃいけないんだ。俺も、ミシェルも。このままじゃ力が、力が……!」


「やめて、静かにして、許して……」


 きっとここは現実じゃない。そう分かっていながらも、感情が津波のように押し寄せてもう耐えられない。


 涙を流し、ミシェルは声が聞こえなくなるように叫んだ。


「もうやめてぇぇっ!」


 振り払って、逃げて、暴れ回って、そして……




「大丈夫だよ、ミシェル」


 すると、誰かが自分の手を掴んだような感触がした。


「あっ……ん?」


 黒い霧はいつの間にか消え、自分は学生棟のベッドにいる。


 そして、隣にいたはずのイリーナが何故かこちらに潜り込み、手を握っていたことが分かった。


「うなされてたよ。こっちに手を伸ばして、助けてーって」


「そう、だったんだ。ありがと」


 見ていた夢の内容は聞かれなかったのが幸いだった。しかし心配しなくて良いと言おうとしたのに、彼女は一向に離れようとしない。


「今日はここで寝るから。狭いかもだけど我慢して」


「ええ……?」


 いくら友達とはいえ、誰かと一緒に寝るのは恥ずかしさの方が勝ってしまう。鼓動が早くなり、先程は嫌と言うほど来ていた眠気もさっぱり無くなっている。


 けれどいつもより暖かく感じた。何だか、凄く。


「昔もこんなことあったよね。二人で森を探検して、小さな魔獣に襲われたりして、帰ったらママにたくさん怒られて、へとへとになって一緒にご飯食べて……さ」


 寝返りを打つと、不意に彼女と目が合ってしまう。自分の暗い影のあるものとは違う、天真爛漫な輝く瞳。


「あったね。あの時のイリーナは寝相が酷くて布団もぐちゃぐちゃ……」


「そうだったかなあ? でも、今はマシになったと思うよ」


 そうだ、今のイリーナは昔と比べて随分と大人になった。


 私よりもほんの少し身長が高くなって、私が守らなくても良いくらい強くなって、じっと見ると雪の精みたいで……


「どう、これで少しは落ち着いた?」


 無言で頷いた。まるでイリーナにあやされているような気分だったが、不思議と悪い気はしない。


「ごめんねイリーナ、信じてあげられなくて」


 誰も私の気持ちを分かってくれない。そうやってみんなを遠ざけていたのは、私自身だったのかもしれない。


 彼女は細い指ですうっと、零れ落ちた涙を拭いた。


「良いよ全然。でも、次からはちゃんと私のことも頼ってね」


 だって親友でしょ、と小さな笑い声が聞こえる。お互いの手を握った状態で、二人はぐっすりと眠りについた。




 属性科の入学試験当日、グラウンド付近は噂を聞き付けた生徒たちで賑わっていた。


「この時期に試験か、一体どんな奴が受けるんだろうな?」


 人混みの輪を潜り抜け、片手に飲み物のカップを持ったクリスも遅れて会場に辿り着く。


 席にどしりと腰掛け、一際高い場所から行く末を観察する。


「ボクの計算に狂いは無いさ、マルク……」


「お集りの皆さん、観覧はご自由ですが試験中の私語はお控え下さい!」


 さながら祭りのような盛況ぶり。物珍しさというよりは、暇を持て余しているのだろうとクリスは目を細めた。


「おっ、来たぞ」


 だが、それらの騒がしい話し声も二人の足音が聞こえるとポツリと静まり返った。


 担当のエルス先生の前に、イリーナとミシェルが合流する。


「……いよいよ試験です、準備はできましたか?」


「まあ、それなりに勉強はしてきました」


 周りの視線だけで押し潰されそうになる。一挙一動に全力を込めないと、もしミスをしたらと思うと恐ろしい。


 緊張で震えるミシェルの手を、大丈夫だと言わんばかりにイリーナが掴む。


「すみません、一つだけお願いがあるのですが」


 認めてくれるかどうかは分からない。だが入学試験の話を聞いた時から、どうしても頼みたかったことがある。


「何でしょう?」


 イリーナは息を吸い込み、大衆に囲まれた中で叫ぶ。


「私たち、二人で試験をしたいです!」




 予想していた通り、沈黙の後にどよめきが伝染し始めた。


「何っ!?」


「ふ、二人……しかし」


 エルアもすぐには返答できず狼狽える。確かに一人一人の能力を鍛えるこの魔法学校で、コンビでの試験は自立と最も程遠い言葉なのかもしれない。


 でも私たちは、それでも二人で戦い抜きたかった。


「どんなに厳しい条件でも大丈夫です……私たちなら、どんなことがあっても負けませんから!」


 懇願するイリーナが、そして遅れてミシェルも頭を下げる。


「そうは言っても、規則で禁じられていますし……」


 もごもごと呟きながら考え込む。クリスたちは驚きを隠せないながらも、固唾を呑んでエルアの決断を待つ。


 すると、聴衆の中から一人の女性の声が響いてきた。


「許可してあげましょう、エルア先生」


「メルアチア校長、どうして……」


 暖かさと強かさの混じった雰囲気が滲み出る。日傘を開いて、厚底のブーツを鳴らしながらこちらに歩み寄ってきた。


「校長先生……この人が」


二人に一瞥した後、女性はエルアの方に向き直った。


「個人の能力を磨くのも大切です。しかし、いざという時に他人に頼れない者は、きっと一人前の魔女にはなれない」


 後の責任は全て私が取りますから、と最後の一押しに彼の肩を軽く叩いた。


 女性とイリーナの表情を見比べ、エルアは小さく息を吐く。


「分かりました。では的を倍にして、時間内に二人で撃墜できたら合格とみなします」


 ブーイング……ではなく、歓声が辺りを包んだ。今まで見たことの無い形で、新しい試験が始まるのだから。


 イリーナたちは女性にお辞儀をした後。ニ十体に増えた気球に向けて杖を構える。


「一回勝負ですよ。本当の本当に特例の措置なので」


「分かりました! 準備は良い、ミシェル?」


 広がる的たち、積み上がる緊張。未だかつて無い極限状態の中でも、二人は繋いだ手を離さない。


「うん。二人で一緒に行くよ、イリーナ」


 タイミングは自分たちが足を踏み出した時。三二一と心の中で数え、今。


「これより、属性科の入学試験を始める!」




「フレイム・ムルバ!」


「同じく、アイス・ムルバっ!」


 氷と炎。本来なら交わるはずの無い二つの力が交差し、複数の的を彼方に吹き飛ばした。


「ミシェルがあっちなら……私は!」


 出し惜しみはしない。二人はそれぞれ二手に分かれて攻撃を避け、今までよりも素早く魔法を撃ち込んだ。


 同じ呼吸、同じスピードでグラウンドに円を描いていく。


「アイス・シールド!」


 腕を捻り、イリーナは氷の盾を思い切り投げた。ミシェルに降り注ぐ攻撃の雨に立ち塞がり、見事にダメージを抑える。


「攻撃は私が防ぐから、ミシェルは迷わず先に進んで!」


「イリーナ……ありがとう、助かった!」


 制限時間も刻一刻と迫る。考えている暇は無かった。


「ただでさえ難度の高い試験に的も二倍。少しでもコンビネーションが崩れれば即座に不合格……だが」


 観覧席のクリスも、そして試験監督のエルアも先が読めなかった。気球の動きが速くなり、二人もそれに食らいつく。


「もう一度……フレイム・ムルバ!」


 ミシェルの杖が今までよりも強く大きな火を噴き上げる。弱い反撃を次々と食い尽くし、的に届く。


 ……だが気球は間一髪で避けてしまい、魔法は宙の彼方へと飛び去ってしまう。


「避けられた!?」


「私がカバーする! ミラー・リフレクト!」


 それを止めたのはイリーナだった。現れた大きな鏡が炎を防ぎ、的が密集している所まで屈折させる。


 二日程度で覚えた魔法だが、本番でどうにか使いこなせた。


「まだだよ……テレポーテーション・フロート!」


 続けて氷柱を発生させ、念動力で次々と落としていく。鈍い音と共に、半分の数になった的が次々と潰れた。


「そろそろ決めようかな。ミシェル、まだ魔力はある?」


「当たり前でしょ、私の方が魔法歴長いんだから!」


 分散した気球、迫る制限時間。一撃で倒せる保証は無かったが、不思議と自分ならできる気がしていた。


 いいや、自分たち二人の力で必ずやってみせる。


「よぉし、それならとびっきりをお見舞いしてあげる!」


 イリーナはアイス・シールドを地面に突き立てた。以前よりも広い範囲に氷が広がっていき、空に浮いていた敵がまとめて凍り付く。


 アイコンタクト。そして、ミシェルは盾を踏み台にした。


「やっちゃって、ミシェルっ!」


「……言われなくてもね!」


 目に浮かぶのは地面でも的でもない。大切な友達と一緒に過ごす、魔法学校での未来の日常。


 負けたくない。大切な故郷で、あの子を守ると決めたから。


「とどめの、フレイム・ソード!」


 無我夢中で剣を振りかぶり、地表に開く氷の華をまとめて燃やし尽くした。




 砂時計が全て落ち切る。やりきったという感覚と後悔に包まれながら、イリーナは恐る恐る目を開けた。


「気球は全て破壊されました、おめでとうございます」


 だが、そこにはミシェルがかつて見た絶望などどこか遠い所へと消え去っていた。


 沈黙の後、燃え上げるような歓声とより一層の拍手。


「えっ、じゃあ……」


「合格ですよ。イリーナさんに、ミシェルさんもね」


 何も考えられなかった。ただ茫然と立っていると、イリーナがこちらに駆け寄って抱きついてきた。


「やったよ、やったよミシェル! 私たち合格したんだよ、魔法学校の属性科に!」


 何も言うことができず、掠れ声と共に地面へと倒れた。


 空は雲一つ無く、太陽がグラウンドを熱く照らしていた。ああ、良かった。イリーナとまた一緒にいられる。


「本当……本当に、倒せたの?」


 力が強くてぎゅっと潰れそう。こんな時に限って出てくる言葉が無い自分を恨みながら、彼女と視線を合わせる。


「嬉しいなぁ。きっと私一人じゃできなかったもん」


 視界が徐々に狭まってきた。感極まって、涙が溢れだす。


「ねえ、これからもイリーナに頼っても良いかな……」


「もちろんだよ。これからもずっと一緒!」


 ずっと一緒。その優しくも輝いている言葉の響きに、ミシェルの心がほんのりと暖かくなった。


 しばらくこのままでいても、みんなは許してくれるだろう。




「まさかまさか……とんでもない奴らだなぁ、驚いた」


 ジュースの吸い切った音がゴボゴボと辺りに充満する。クリスは湧き立つ聴衆を再び押しのけ、一人自分の部屋へと足を進めた。


「失礼、後ろを通るよ」


 壁一枚を隔てると、耳を傷めるような騒ぎは幾分治まった。こうしてはいられない。その想いが彼女を動かす。


「あの二人がボクの予測を超えたのは才能か、それとも別のイレギュラーなのか……」


 マルクもきっとこれを見ているのだろう。そして、予想を外した自分をそれ見たことかと嘲笑うに違いない。


 だが、それを遥かに超える喜びと興奮を今日は味わえた。


「良い研究材料になりそうだ、ハハハッ……!」


 誰ともすれ違うことは無く、クリスは一人空になったコップを片手にスキップを始めた。




 イリーナ含め全ての生徒がグラウンドから引き上げ、しばらくした後のことだった。


「どういうつもりですか、校長?」


 エルアは先程の決定を疑問に思い、学校長メルアチア・ラルドのいる部屋を訪れていた。


 ややあって、静かに座る彼女はにやりと笑った。


「先程も申し上げた通りです。絆も立派な魔法の原動力であり、二人は揃って大きな試練を乗り越えスタートラインに立った……」


 非常に喜ばしいことではありませんか、とメルアチアは小さく手を広げた。だが、エルアはそれでも首を傾げる。


「珍しいこともあるのですね。誰よりも規則を重んじて、生徒たちにも平等な機会を掲げておられる校長が……」


「その通りですよ。だからこそ、力を完全に活かしきれなかったあの二人にチャンスを与えたではありませんか」


 メルアチアが立ち上がり、向かい合う。こちらの方が高いはずなのに、何故か彼女を前にすると嫌な汗が額を通る。


「チャンス……ですか」


 瞳に自分の姿がうっすらと映る。何とも弱々しく、無機質で不愛想な自分が。


「最近は呪術師の動向も分からなくなってきました。私たちが強い魔女を育て、やがて来る災禍に備えなければ……」


 すうっと向こうが一呼吸を加える。言われなくとも、彼には分かり切っていたことだった。


 生徒たちだけに、恐怖や悲しみは背負わせられない。


「私たちに待っているのは、死ですよ」


 だが気迫に負けてしまい、その時のエルアは一言も返すことができなかった。




 続く

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