第23話 提供された人物情報

第23話 提供された人物情報


 林は眉間のシワを二三度揉むようにしてから、目を上げてゆっくりと答える。難しい表情をしている……


「当社と競合するIBD社に所属する、ある男の名前と経歴です。彼は社外で、パーソナルトミーの中枢プログラムの中身を知る数名の内の一人であり、トミーと云うサルを育てた、ソフィア高田女史の親友で、彼女に対して同情的な男です」


「トミーと云うと、十年以上前に死んだ、あの人語を解する天才ボノボのことでしょうか?」

 坂井がメモを取りながら質問した。


「そうです。そしてその育ての親のソフィア高田女史も、数年前に病床に就いたと聞いております」

 そう答えた林は、一層難しい顔になる。


「何故、その男の資料を提供されるのでしょう?」

 再び梨本が鋭い視線を浴びせ、あくまで丁寧に質問した。


「くれぐれも、その資料の出所については伏せて下さい」と、林は頭を下げてから言い難そうに説明した。

「ソフィア女史は、トミーを我が子のように可愛がっておられた。トミーのコピーのような、パーソナルトミーを開発することに対して、彼女は強く反対していたそうです。

 その男は、パーソナルトミーの開発に大きな力を果たしたのですが、ソフィアが病床に就くと、その責任を感じたのでしょう。突然当社を辞め、今はIBDで、サル脳に頼らない、新型デジタルスーパーコンピュータの開発チームで働いております」


 強い視線に耐えるようにしてそう答えた林を、尚も暫く見守ってから、梨本は漸く口を開いた。

「失礼を承知で訊くのですが、競合相手を邪魔する為に、警察を利用しようとするつもりは無いでしょうね?」


 林は手を大げさに振った。

「とんでもない。邪魔するつもりなら、何もお上を利用しなくてもいくらでも方法はあります。まあそんなことをするつもりは、毛頭有りませんが」


「それを聞いて安心しました。この資料はお預かりしましょう」


 梨本は坂井の肩をぽんと叩いてから、林開発部長に右手を差し出してそう言った。当社としても、事件の早期解決を祈っておりますと、林は握手に応じた……


 マイクロサニー社で入手した資料が役立つかどうかは、調査を進めながら判断するしかない。

 梨本はその男に会う前に、病院にソフィア女史を訪ねることにした。




 七月六日午後。

 長身の男二人が、南赤坂病院三階の白い廊下を、奥に向かって歩いて行くと、一番奥の病室から、中学上級から高校生に見える背の高い少年が出て来て、彼らの視線を避けるようにしてすれ違った。


 少年はエレベータのボタンを押してから、後ろの廊下を振り返った。

 ひょろっとした梨本と、がっちりした坂井は、途中の大部屋病室の名札を探す振りをして、何食わぬ様子で少年の動きを探る。

 エレベータが開くと同時に、少年は閉じボタンを押したのだろう、ドアはすぐに閉じた。梨本と坂井は、素早く視線を交わす。

 坂井はその少年を尾行する為に階段を降りた。



 梨本は、病室の小さなガラス窓を覗き込みながら、担当ナースがやって来るのを待った。ナースセンターで訪問理由を告げると、すぐ行くから病室の前で待っていてくれと言われたのだ。

 担当ナースはすぐにやって来た。ナースは扉を引き、梨本を病室の中へ案内する。こざっぱりとした明るい室内、三階では一番広い個室だそうだ。


「あの、お連れの方は?」

「ああ。彼は急用ができて帰りました」


 担当ナースは、ナースセンターで警察官が二人、ソフィア高田を訪ねて来ていると聞いていたのだが、梨本の答えに、ああそうですかと言った。ナースにとってそれは、ただ訊いてみただけでどうでも良いことだった。


 梨本は「警視庁の梨本です。高田さんの知人の件でちょっと調べ物がありまして」と挨拶した。

 化粧さえきちんとすれば、それなりに美人だろうと思われるベテランナースは、単に「松下と申します」と答えた。


 梨本は端正な顔を松下に向けて、念の為、確認の質問をした。それは警察官の性かも知れない。

「で、こちらがソフィア高田女史ですね。お休みのようですが」


「寝ている時間の方が普段から多いのですよ、相当ボケてますし」

 松下は答えながら、ソフィアの毛布を直したり、点滴を交換する作業を進める。


「ああ。じゃあこのまま、ここで話しても構わないのですね」

「大丈夫ですよ」


 松下の様子からは、この患者を気遣うような気持ちはあまり感じられなかった。


「患者とお話しすることはできますか?」

 何とかソフィアから、石倉のことを少しでも訊ければいいがと、梨本は祈るような気持ちで訊ねた。


「話はほとんど通じないと思いますが、それでもよろしければ」

「そんなにひどいボケなんですか?」梨本はがっかりした。


「呼び掛けるこちら側の声の調子で、多少の反応はあります。でもそれは、飼い犬が優しい声を掛ければ尻尾を振り、怒鳴りつければシュンとするのとなんら変わりはありません。重度のボケ症状ですね」


「なるほど。それはいつ頃からですか?」


 ソフィアからの事情聴取が期待できないと知って、梨本は病院関係者から何かネタを掴もうと考えた。


「二〇三一年の暮れ近くでしょうか? 入院直後には今と同じ状態になってしまったようです」

 松下はちょっと考えてそう答えた。


「原因はわかっているのでしょうか?」

「さあ。その辺は担当医師に訊ねて見て下さい」

 患者に関する医療関係者の守秘義務を、辛うじて思い出したのか、松下は逃げた。

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