6.存在

「今日はぁ重子さん一人なんですかぁ。先生もいると思ってたのにぃ」


 大矢はいかにも顔見知りという具合に重子さんへ話しかけている。あの内気な大矢が他人へこんな風に話しかけているなんて意外過ぎて言葉が出ない。

 

 しかし、大矢と話している重子さんの振る舞いは本当に品があり、思わず見とれてしまう。高校生になっても周囲には子供じみたやつばかりだし、親や近所の人達もどこにでもいるようなごく普通の人達だ。


 それに引き換え重子さんには気品や育ちの良さが感じられる。なにかに似ているような感覚を覚えるが、それはなんだろうか。


「英ちゃん、紹介するよ。こちらは中庭のヌシ、重子おばあちゃんだよぉ」


「あらあらノリちゃん、おばあちゃんとは随分な紹介の仕方ね。こんばんは、小野重子と申します。よろしくお願いしますね、英ちゃん」


 そう言うと重子さんは深々とお辞儀をした。僕は思わず焦りながら同じようにお辞儀をしながら挨拶をする。


「本田英介です。よ、よろしくおねがいします!」


 声が裏返ったような気もするがそんなことはどうでもいい。それよりも気になる一言があったな。


「おばあちゃんって!? 大矢のおばあちゃんか?」


 この世へ来て数時間、ようやく気持ちも落ち着いてきたはずだったが、ここへ来てまた混乱してしまった。一体どういう事なんだろうか。


「重子さんはねぇ、もう九十歳過ぎてるんだよぉ。だからおばあちゃんなのぉ」


 そう言って大矢はケラケラと笑っている。重子さんもつられて笑っているが、両手で口元を隠すしぐさを見るとなるほど最近の人とは違う、と感じるところなのだろう。


 見た目は二十代で実際には九十歳過ぎということは、幽霊になってから七十年前後経っているということなのかもしれない。ということは、僕もこれから何十年もの間このままなのだろうか。


「うふふ、驚いたかしら。もうすぐ死んでからの年数が生きていた年数の三倍になってしまうわ。でもね、生きがいというのはおかしいけれど、俗に言う現世への未練のようなものがあれば幽霊も案外楽しいものよ」


 なるほど、そういうものなのか。未練、確かに未練はある。確かめたいことややりたいこと、恨みつらみもある。でもそれだけで何十年もこんな状態でいられるだろうか。お腹も減らなきゃ眠くもならないのに何を楽しみで生きていけばいいのだろう。


「もしね、現世への想いが何一つ無くなる時が来たら、その時にはこの幽霊の世界から消えることになりますよ。私はそういう人達を何人も見送ってきたの」


 ということは同じような幽霊と何人も接してきたわけか。その中には重子さんが「起こして」幽霊にした人も含まれているのだろう。大矢もその一人なわけだし。


「えっと、し、重子さんは未練とかがまだあるということですか?」


 英介は思い切って聞いてみた。


「私の場合は未練とは違うわね。ここに先生がいる限り、私もここに居続けるの」


 そういえばさっき大矢が言っていたな。先生と一緒に居ると思っていたのにって。


「先生はまた病室に行ってるのぉ?」


「ええそうよ、容体が急変したんですって」


 どうやら先生とはこの病院の医師のようだ。ということはまだ生きてる人みたいだけど、その先生を慕ってずっとここにいるということか。その想いだけで七十年以上ここにいるなんて凄いことなのかもしれない。


 それが大人の恋ってやつかもしれないが、さっぱり理解できない僕はまだまだ子供だ。やっぱり死ぬには早すぎたよなあ。英介はそんなことを考えながら重子さんと大矢が話している姿をぼんやりと見つめていた。

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