第2話 レイモンド① ~ベネディクト家 執事~

 

 奥様は、可憐なお人だった。

 そして旦那様は彼女に興味を示さなかった。

 

 実家であるレゼド侯爵家では非常に大切にされていた聡明な長女・ルイーザ様は、侯爵と旧知の先代ベネディクト伯爵の間で現・ベネディクト伯爵と婚約した。

 しかし、政略結婚であり、愛のあるものではなかったと聞いている。

 …ふたを開ければ何のことはない、聡明な妻に、愚かな夫がついていけていなかっただけだ…。

 先代ベネディクト伯爵など、自身の息子の現伯爵の所業を常にルイーザ夫人に謝り続けていた。

 それでも先代がいるうちはよかったが、先代が隠居することになり現・ベネディクト伯爵である旦那様が実権を握ると、ルイーザ夫人をあからさまに避け、唯一できた長女のカトリーヌ様もほぼ放置するような有様で愛人のもとで過ごすことが多かった。

 あなたが伯爵になれたのは奥様のおかげですよ?

 何度も旦那様に言いかけたことがあったが、さすがにそれは言えなかった。

 ただカトリーヌ様はルイーザ様に似て聡明な方で、そういう伯爵の行動を咎めたりせず、領地経営の手伝いをしろと命令されれば従っていたし、私としても執事長の立場から「伯爵の代理として認められる実の娘」ということでこの母娘は大切にせねばと思っていた。

 

 しかし、その母であるところのルイーザ夫人が病に倒れてしまったことで、伯爵の愛妾であるイメルダ現夫人がこの屋敷にやってきた。

 あの女は売女だ、ルイーザ様の父・レゼド侯爵が吐き捨てた。

 そして、現在伯爵の父である先代ベネディクト伯爵もそれに賛同した。

 あの方とは仲良くしたいと思わないわ、カトリーヌ様の婚約者であるルパード様の母、モンテグロ公爵夫人は後にも先にもその時にしか見せたことのない不快な顔をしていた。

 当初、優秀な使用人は聡明なルイーザ前夫人を慕っており、イメルダ夫人には冷たい視線を送っていた。

 しかし、イゾルテ夫人は夫の伯爵を味方につけていることもあり、そういった使用人を次々クビにし、気づけば私とルイーザ様の父上・レゼド侯爵が管理されている遺産を元手にカトリーヌ様専属として雇われている侍女のマチルダ以外の使用人はイゾルテ夫人寄りの者が大半になり、中でも私の下についている執事見習いなどは完全にイメルダ夫人を擁護し、カトリーヌ様を冷遇している。

 そしてマチルダは、カトリーヌ様を大切にするあまり、ほかの使用人と対立し、つらい思いをしている場面もあった。

 したがって、中立を保っている私が唯一の理解者になってしまっている。

「…」

 私は不甲斐ないと思う。

 伯爵家の大黒柱は、伯爵ではなくルイーザ様、そしてルイーザ様亡き後はカトリーヌ様だ。

 旦那様はそれが全く分かっていない…今カトリーヌ様がいなくなれば伯爵家は崩壊する。

「…レイモンド」

「…あぁ、カトリーヌ様。

 どうされました?」

 そんな苦悩を知ってか知らずか、先ほど商会から戻ってきた後、領地経営に関する仕事をお持ちになったカトリーヌ様が立っていた。

 なんだろう、違和感がある…使用人のような仕事をし、領地経営の仕事もこなして疲れがたまっているはずなのに、なぜかすがすがしい顔をしていた。

「これ、しばらく分の仕事ね。

 少し領地を視察に行ってくるわ…一週間くらいかしら」

「…承知いたしました…本日からいかれるのですか?」

 これは実はあまり珍しいことではない。

 領地で何かあれば電報で知らされてカトリーヌ様が出向くことになることが多いからだ。

「ええ、すぐに行くわ。

 今、マチルダに準備をさせているの」

 そういって、いつものように微笑むが、少しその目には憂いが感じられた。

「…お嬢様、ご無理なさっておりませんか?」

 疲れだろうか…いや、疲れという意味では、ここ数年は変わらずお疲れになっている。

 それだけではない色が瞳に見える。

 失望? 絶望? いやむしろ、投げやり?

「…大丈夫よ、レイモンド。

 それと…領地視察の件はお父様に言う必要はない・・・・・・・わ。

 聞かれるとも思えないし」

「…かしこまりました、行ってらっしゃいませ、お嬢様」

 なんだろう、ここ迄いつもと同じようにお嬢様に声をかけているだけなのだが…。

 お嬢様がいつも以上に儚げに見えて…ただでさえお美しい姿がそのまま壊れてしまいそうだった。

 ブリュネットを後ろにまとめた髪、サファイアのような青い瞳、ルイーザ夫人にそっくりなお顔。

 生まれた家がもっと高貴なら、王妃様にも慣れた聡明な彼女は、如何せん家に恵まれなかった。

「…ええ、ではマチルダ、まいりましょう」

 そういって、カトリーヌ様は歩き出し、マチルダも私に一礼して屋敷を後にした。

 

 それから一週間経過したころ、一つの手紙が私に入っていた。

 差出人はレゼド侯爵、カトリーヌ様の母方の祖父にあたる方だ。

 それを読み終えた私は愕然とした…とんでもないことになった。

 そして何より気になったのは最後の一文。

【伯爵一家と婚約者には知らせるな】

 レゼド侯爵は気難しいといわれるが、孫娘のカトリーヌ様にはめっぽう甘く、目に入れても痛くないと申されていた。

 それを考えると適切と言えるが…このことを伝えないというのは…。

 そんなことを思って呆然としているところだった。

「失礼します、執事長、ルパート様がお見えで…」

 最近雇ったメイド…とはいえ、旦那様と奥様の癇癪が原因ですぐ入れ替わるから、名前もまだ覚えられない。

「ルパート様? しかも私にお会いにか?」

「ええ、そのように申しておりました」

 怪訝そうに私をメイドが見る…先ほどの手紙で少し放心していたのを気取られたか。

「いい、通しなさい」

「…かしこまりました」

 人のことをじろじろ見る、メイドとしては失格だな…そんなことを思って先ほどの衝撃を和らげる。

「ルパート様…いかがなさいました?

 しかも旦那様ではなく私にお会いになりたいと?」

 先ほどの手紙の件もあり、少し厳しめの顔で彼を見てしまう。

「突然の訪問失礼する、レイモンド。

 実はカトリーヌのことなのだが…家にはいないのか?」

「…カトリーヌお嬢様ですか、ええ、ご不在ですよ。

 領地の視察・・・・・に行っております」

「…そうか…今日は家でうちの両親と昼食会の予定だったのだが…」

「一週間ほど前に、突然向かうとおっしゃいましたので…カトリーヌお嬢様になにか?」

「…いや、何か嫌な予感がしてな。

 両親も数日前から『少し留守にする』と言って不在だし…もしやカトリーヌに何かあったのか?

 レイモンドの様子も少しおかしいようだが」

 その言葉に、私は失笑してしまった。

 執事としてのポーカーフェイスもまだまだ甘いな、と…。

「…ルパート様。

 それはカトリーヌ様をご心配されている、と解釈しても?」

「それは無論だろう。

 カトリーヌは僕の婚約者、将来を誓った間柄だ。

 心配しないはずがないだろう」

「…そうですか…実は先ほど、レゼド侯爵様からお手紙を私宛にいただきました。

 その中に、カトリーヌ様が事故に遭われたと…」

「なんだって!?

 なぜそれを先に言わない!!」

 ルパート様はそういうと明らかに動揺した。

 

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