第15話 サプライズ


 ミナトは二回目のテストで無事に満点を取った。それなのにしばらくは教室を出ようとせず、ダイチと他愛ない話をしたがった。三分に一回は「そろそろ帰ったらどうだ。鳳が待っているだろう」と声を掛けたが、おしゃべりな少年は指摘をのらりくらりとかわし、結局一時間はそこに居座った。

 ミナトが一発で満点を取れなかったので、セナとの約束は無論無しになった。翌日、ダイチはそれをセナに直接伝えた。彼はミナトのことをよほど信頼しているようだし、職員室まできてわざわざ直談判するような本気ぶりだったので、早く伝えてやったほうがいいと思ったのだ。

 しかし、廊下で呼び止められたセナは微妙な表情をした。


「……昨日、ミナトから聞きました」


 どうやらとっくに本人から話を聞いていたらしい。セナとの友情を反故にするような行いをしたくせに、やけに律儀なやつだとダイチは気味悪くなった。


「すまない、こればかりは俺もどうしようもできない」

「いえ、先生のせいじゃないです。俺も、ミナトに期待しすぎていたのかもしれません」


 話しているうち、セナは悔しそうな表情になる。いつも子供みたいに滑らかでつるっとした顔をしているのに、今は若干眉間に皺を寄せている。

 ダイチは、今は話題を変えるべきだと思った。


「橄原はおしゃべりが好きなんだな」


 登校してきた生徒が、廊下の端で話す二人の横を通り過ぎる。時折、おはようございます、と声を掛けられるので、ダイチも笑顔で、おはよう、と返す。


「え?」

「昨日、テストを終えた後俺に色々な話をしてくれたよ。ミステリアスな性格だと思っていたが、案外子供っぽいところもあるんだな」


 落ち込むセナを元気づけるため、ダイチは彼の親友を褒めることにした。突然のことに当惑していたセナだが、状況を飲み込むと、次第に笑顔になる。


「そう、そうなんです。みんなミナトと話したことないから知らないだけなんですよ。悪い噂が流れているのもきっとそのせいだ」

「理解してくれる友達がいて、ミナトも嬉しいだろうな」


 ダイチは、自分が上っ面だけの楽観的な考えを並べている自覚があった。そして、それはミナトがセナに見せている一面そのものだということにも気付いていた。有り体に言えば、ダイチはセナに嘘をついている。

 一方で、教師として生徒を元気づけるのは当たり前だとも思っていた。その当たり前を実行するためなら、多少の誤魔化しも仕方ないだろう。教師というのはそういう職業だ。

 ダイチはセナのことがやはりまだ苦手だった。彼は結局ミナトのことを信じているし、疑いもしない。テストの点数を自分で操作するような奴だと知っているのに、昨日の一件が裏切りなのではないかと考えることもない。その純粋さに、どうしても目を背けたくなる。


「俺も、ミナトのことをもっと支えてやれたらいいんですけど」


 高校の同級生という刹那的な関係は、三年が終われば発展することなく消えてしまうのがほとんどだ。短い青春を、大事な友と過ごさせてやりたいというのは本心だった。

 けれど、ダイチにできることは何もない。そもそも、ミナトにその気がないのだから。




 職員室へ戻るとき、学年主任に声を掛けられた。授業の準備に追われている教師が難しい顔でデスクに向かっている光景を横目に、どこか朗らかな顔をしている学年主任は言った。


「今日の特別補習のことなんですが」


 彼はダイチより更に一回り年上で、年齢相応に頭が寂しく、頼りない体格も相まって年齢よりも老けて見える。しかし人と話すときは常に微笑んでおり、優しい雰囲気が生徒にも人気のベテラン教師だ。優しいのは雰囲気だけでなく、性格もかなりお人好しで、その性格が教師に無駄な業務を強制することもしばしばある。そんな学年主任がこれほどわかりやすく上機嫌なのを見て、ダイチは無意識に身構えた。


「はい」

「いつも三年一組を使っているみたいなんですが、今日だけは別の場所を使っていただきたいんです」

「それはまた、どうして」

「松宮先生、もうすぐ誕生日でしょう。それでね、生徒たちがサプライズをしたいそうなんです」


 ダイチは咄嗟に辺りを見回した。幸い、松宮の姿は見当たらない。朗らかな性格に釣られているのか、学年主任は少々抜けているところがある。松宮に聞かれてはいけないであろう案件をこんなところで堂々と話す辺り、既にかなり危うい。


「松宮先生へのサプライズと、橄原の特別補習に何の関係が」


 ダイチは若干声を顰めて言った。


「サプライズの準備を、他の教室でやりたいみたいなんです。だから、三年一組を使わせて欲しいんですよ。他の教室は補習やら部活やらで埋まっているのでね」


 特別補習は、他の生徒への見せしめという側面も持っているので、基本は本人の教室で行うと決まっている。これはそれなりに重要なルールであるとダイチは捉えていたが、学年主任にとってはそうではないらしい。反論する必要もないので、ダイチは教室を移動するという件にすんなり納得した。


「わかりました。それで、どの教室に行けばいいんでしょうか」

「それが、今空いてる教室がねえ……」


 学年主任は世間話をするように場所を告げたが、ダイチは内心戸惑っていた。代替としてそこを使うなんて聞いたことがない。けれど、言われたからには従うしかない。




 特別補習の教室を移動する件は、伝えられた時点で既に決定事項だったらしい。ダイチがやるべことは、ミナトにこの事を伝えるぐらいしか残されていなかった。

 しかし、三年一組の時間割にダイチの担当する日本史が入っていなかったこと、昼休みに生徒から授業に関する質問が相次いだことが重なり、結局伝えられたのは補習が始まる直前だった。


「生徒会室?」


 スクールバッグを肩にかけたミナトは、そう聞き返した。


「ああ。そこしか空きがなかったらしい」


 今までのこともあり、ダイチは若干警戒しながら返事をする。ミナトはそんなことを知ってか知らずか、まるで普通の男子生徒のような声色で会話を続けた。


「生徒会室は生徒会が使っているんじゃないんですか」

「うちの生徒会はほとんど動いていないからな。月に一度の集会か、大きな行事の前にしか活動しないんだ」

「言われてみれば、生徒会が積極的に活動しているのは見たことないですね。生徒会長も誰だか覚えてないし」


 ミナトの言う通り、青柳高校の生徒会長は他の学校と比べるとかなり影が薄い。全校生徒の前で話をするのは会長選挙と文化祭の僅か二回、その他はほとんど事務的な作業しかしないのだ。憧れる生徒はほとんどおらず、会長候補に立候補するのは決まって前年の副会長で、生徒会組織そのものは完全に形骸化している。


「じゃあ、さっさと移動したほうがいいですね」


 教室の外では、既に松宮の受け持つクラスの生徒が待機していた。

 ダイチは、ミナトが彼らに何かしらの嫌味を言うのではないかと思った。よくよく考えればそんなわざとらしいことをする性格ではない。しかし、そうでもなければダイチは納得できなかった。なぜなら、今日のミナトは普通すぎる。まだ人が周りにいるからだろうか。

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