第13話 新天地を求めて


「やめとけって! さすがに胡散臭すぎるだろ」

「そうそう、給料は確かにいいけど、地球にいつ帰ってこられるかわからないんだろ? 母さんが言ってたよ、政府は何か良からぬことを企んでるんだって」

「陰謀論かよ、それはないわ」

「ないってなんだよ?」


 話題の中心を置いて勝手に盛り上がるクラスメイトを横目に、ダイチは一人だけ椅子に座ったままのショウタを見た。


「それ、どこで貰ったんだ」


 彼の手元には、ダイチが持っているのと同じ、プロジェクトのパンフレットが置いてあった。


「塾の前で配ってたんだよ」


 自分が同じものを持っていることは、敢えて言わないでおいた。伝えない方がいいような気がしたからだ。


「いつもは貰わないんだぜ、こういうの。ティッシュとか、チラシとか、エナジードリンクとか配ってても、ちょっと会釈して通り過ぎるよ。でも、これは何故か貰っちゃったんだよ。配ってたお兄さんが優しそうだったからかな」

「表紙が綺麗だったからじゃないか」


 きっと、表紙で輝いている星は合成か何かで、本物ではない。けれど、夏の陽に透かした新緑のような鮮やかさは、それが嘘か本当かは関係なく、心を奪うには十分すぎるほど美しい。少なくとも、ダイチはそう感じた。


「表紙? ああ……そうかもな。よく見たら、すごく綺麗だもんな」

「さっきの話、本気なのか?」


 クラスメイトたちは雑談していて、二人のやりとりを聞いていない。まるで、自分の周りに透明な壁ができたかのようだった。


「うん。本気」


 ショウタはダイチの目を見て言った。


「自分の価値観が大きく変わるような、そんな場所に行きたいんだ」


 ダイチだけに向けられたその言葉はとても爽やかで、僅かな濁りも感じさせなかった。ダイチはショウタの意志を前にして、胸が苦しくなった。


「どうして急に」

「急じゃないよ。ずっと考えてたんだぜ? 〈オリーブ〉が発見されたとき、ダイチもワクワクしただろ。人が住める環境の整った星、なのに生物の気配のない場所、それを人類が新しい住処にするために動いてる。映画みたいな話だ。こんなの聞かされたら、そりゃ憧れるって」

「『好き』ってことか?」

「え?」

「ショウタにとって、そのプロジェクトは特に強い興味の対象なんだろ。つまり、それがとても好きってことだ。なら、俺に止める権利はない」

「あのなあ……俺が言ったのは人に対しての感情な。それとこれとは全く別もん。ていうか、ダイチは俺のこと止めたいのか?」

「……そうかもしれない」


 ダイチは、本当は自分の気持ちに気づいていた。しかし、言葉にしていいかわからずに、曖昧な返事をした。


「憧れるだけでもいいんじゃないか。わざわざ地球を出なくても」

「俺がプロジェクトに志願しようって決めたのは、ダイチと仲良くなってからなんだぜ」


 そのときのショウタは、どこかさみしそうな目をしていた。ダイチもまた、経験したことのない胸の痛みに動揺していた。二人の視線は、諦観と困惑を孕んで交差した。


「俺と?」

「そう。自覚してるかわからんけど、ダイチって仲良くなればなるほど変なやつなんだよ。最初はどこにでもいる普通の高校生なのに、話していくとどこか人間っぽくない」

「人間っぽくない……」

「貶してるわけじゃないからな。でも、初めてみるタイプだったから、驚いたのは確かだ。世の中にはいろんな人がいるんだって感心した」

「それが、どうしてプロジェクトに参加したい理由になるんだ」

「変わりたいんだよ」


 同じ輪の中にいたはずのクラスメイトはいつのまにか離れた場所に移動していた。ダイチはふと、昼休みがこんなに長いはずはないと、時間が正確に流れているのかを疑った。この話はそれほど重要なもので、二十年以上経った後も、度々ショウタの、声変わりしたにしてはあどけなさの残る声を思い出す。


「何もかもが違う場所に行きたいんだ」


 パンフレットの表紙を飾る眩い緑色は、まだほとんどが謎に包まれている。それはショウタの言う通り何もかもが違う場所で、常識の通じない新しい世界が広がっている。

 ダイチにとっても、それは憧れだった。


「……そうか」


 憧れというよりも、逃げる場所として相応しいと言った方が正しいだろうか。


「ダイチは、地球に未練があるだろからさ。あんまり理解してもらえないかもしれないけど」


 社会が示す正しい道筋を追うことが、ダイチの目指すべきものだと信じて疑わなかった。周りの人はそうすればダイチを褒めてくれる。両親は嬉しそうにする。メグミは幸せを噛み締めるように頬を染める。


「ま、まずは試験に合格するところからだな!」


 ショウタは違った。道を進む過程など見ていなかった。ダイチそのものを見ていた。人間らしくないという一言でそれを確信した。

 ならば、彼についていけば自分は、自分の心からの興味に従い、本当の意味で人間らしく生きられるのではないだろうか?

 浮かんだ考えを、ダイチはすぐに否定した。それは間違いではないが、危険だった。


「頑張れよ。応援してる」


 示された道筋を進むことに必死になるあまり、ダイチは自分の行きたい場所がわからなくなっていた。舗装された道を歩くことしか知らなかったし、そうしていれば安心を得ることができた。

 だから、今更踏み外すのは恐ろしい。

 諦めるしかなかった。プロジェクトのことも、ショウタのことも、手付かずの荒れた地で自ら道を切り開こうとする勇気も、今のダイチには恐ろしいばかりだった。

 一歩後ろへ無意識に下がろうとして、上履きが机の足にぶつかった。とても小さな出来事で、誰にも気づかれることはなかった。




 結局、ショウタが地球を出ることはなかった。

 彼は猛勉強の末、筆記試験に合格し、面接試験を突破した。けれど、適性検査で弾かれてしまった。

 〈olive〉は、地球とよく似た環境で、生物が存在するのに必要な条件を満たしているものの、ただ一つだけ、決定的に違う部分があるのだという。

 詳しくは公開されていないが、適合しなければ体に支障をきたすため、合格者の体が耐えられるかどうか調べることになっている。

 しかし、噂によると滅多に通ることがない上に、検査を受けた本人にすら、何が足りなかったのかわからないのだという。

 検査で不適合と判断されたあとのショウタは、気丈に振る舞ってはいたものの、時折ぼんやりと空を見上げていることがあった。まるで、行くことの叶わなかった星を探しているようだった。夜でさえ見つけることの難しいそれが、昼間の教室の窓から見えることなどありえないのに。


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