暗殺のターゲットが元カノだった

 私は今、劣勢に立たされている。


「よくゴミだらけの部屋をこうも素早く動けるわね。そんな芸当が出来るのは、私を含め二人くらいしか居ないものだと思っていたけれど」

「生憎、ちょっと昔まで汚部屋の掃除を何度も手伝わされたからね。っていうか、部屋が汚いのは自覚してるんだ」


 的を絞らせない為か、彼は目にも留まらぬスピードでこの部屋を走り回っている。

 比喩ではない。本当に目にも留まらぬスピードなのだ。

 残像が幾重にも重なり、紅い瞳が一筋の光線を模す程に。

 彼の影を追うように私も銃口を向けようとするが、発砲したところで躱されてしまうと嫌でも悟ってしまう。


「そんなに激しく動き回られると部屋が散らかって困るのだけど」

「いやもうこれ以上散らかったところで変わんないんじゃ? まあでも安心してくれ。キミを殺した後、ちゃんと僕が責任もって掃除しておくから」


 その言葉と共に、彼は私の背後に回り込むや否や、その手に持ったナイフを私の首目掛けて振り下ろしてくる。

 ギリギリで反応し、なんとか銃身で刃を受け止めれたが、このままでは筋力差で押し負けてしまう。

 男にパワーで負けるような鍛え方はしていないのに……。

 ハッキリ言って強い。これが殺し屋『紅月レッドライト』……!


「詰みだよ」

「そうかしら?」


 どうやら忘れてしまっているらしい。

 ここは私の部屋。私の生活圏、私の領域なのだ。

 つまり、この部屋には私の仕掛けた武器があってもおかしくないという事だ。

 自分が掃除の苦手な性格で良かったと初めて思う。足元に転がっていた空き缶を、私は未だ捨てられずにいる彼との思い出が詰まった物の並べられたショーケース狙って思いっ切り蹴り飛ばす。

 缶は勢いよくショーケースのガラスを割り、異変を感知したセンサーがシステムを作動。

 それにより、天井から二丁のマシンガンが現れ、私を除く人物――不審者である彼に銃口を向けた。

 直前でマシンガンに気付いたのか、彼は私から離れようとする。

 けど、そうはさせない。私は彼の腕を掴み、その場から動けないよう拘束を試みた。


「詰みね」

「どうかな?」


 不思議と全く焦りを見せない紅月レッドライト。そんな彼目掛け、マシンガンは一斉に発砲を繰り出す。

 が、紅月レッドライトはナイフを手放すと同時にジャケットとシャツを脱ぎ捨て、私の拘束から逃れたのだった。

 袖越しに掴んだのが失敗だった。滑るように私の手から抜け出した彼の腕は手首の辺りを僅かに赤くし、インナー姿で私の前に立っている。

 私は手に握られた穴だらけのジャケットとシャツをほうり捨て、代わりに足元のナイフを拾う事で勝ちを確信した。


「これでもうアナタに武器はない。大人しく降参なさい」


 天井のマシンガンと私のピストルが彼の体をロックオンする。

 圧倒的優勢。これでもう私の負けはない。なのに……、


「必要ないね。だって僕は負ける気がこれっぽっちもしないから」


 どうして彼の表情から笑みが消えないのだろう。


「余裕なのね。この状況下でまだ私を殺せる気なのかしら?」

「まあね。ああでも、余裕ではないよ。流石に無傷では済まないだろうなって、僕も思っているから。一発二発は覚悟してるかな」

「一発二発程度で済むとでも?」


 私の問いに彼は「うん」と頷く。

 やっぱり余裕じゃん、なんてツッコミは口に出さなかった。


「何故かしらね。アナタと話していると、あまり思い出したくない人の顔を思い出してしまうわ」

「奇遇だね。僕もキミと話していると、大して懐かしくもない人の顔を思い出しちゃうよ」


 そんな遣り取りを交わした後、私はピストルを撃ち、同時にマシンガンが発砲を繰り出した。

 無数の弾丸が彼に襲い掛かるが、当たり前のようにそれらを悉く躱していく紅月レッドライト

 今度こそ当てようと、私は彼の残像を追うようにピストルを構え続けるが。


「っつ!」


 突然、ピストルを持っていた手に衝撃が走った。

 コトッという軽い音が足元から聞こえる。見てみると、それは私がよく口にしているチョコレート菓子の空き箱だった。

 一瞬見えた何かを投擲した後と思われる彼の姿勢から、私の手を目掛けてこの空き箱を投げたのだと察する。

 前言撤回。私は自分が掃除が苦手な性格である事を初めて呪った。


「お借りするよ」


 私が手放してしまったピストルを彼は拾うと、そのまま一直線に接近する。

 得物を取られてしまった。けれど慌てる事はない。

 私の手にはもう一つ武器が握られているのだから。

 尚もマシンガンの銃弾を躱し続け、右手に私から奪ったピストルを握って走る紅月レッドライト

 遂に間合いに入られたところで、私は彼から奪ったナイフを彼の首を狙って振った。

 それから刹那の時が経ち。彼の銃口が私の眉間に接触し、私のナイフが彼の首筋に触れたところで、私達の動きは止まった。


「どうして撃たないの? その引き金を引けば、私の命を奪えるというのに」

「キミを撃てば、そこのマシンガンが僕をハチの巣にしてくるからね」


 私の問い掛けに彼は尚も笑顔で答えてきた。

 成程、どうやら接近してきたのはマシンガンが私を撃たない事に気付いての行動だったみたいだ。

 私が被弾しないように、二丁のマシンガンには私を中心とした半径15cm圏内を攻撃しないようプログラムされている。

 つまり、私を撃てば同時に盾を失う事になり、彼はマシンガンの餌食になるという事だ。


「キミこそどうして僕の首を切らないんだい? ほんのちょびっとそいつをずらすだけで、僕の人生は呆気なく幕を終えるのだけど」

「私がアナタの首を切れば、アナタも私の脳天を撃ち抜くでしょう」


 今度は私が彼の問い掛けに答えた。

 頸動脈を断ち切ったところですぐに絶命する訳じゃない。私がこのまま振り抜けば、意識が途絶えるまでのほんの数秒の内に彼は引き金を引いてくるだろう。

 ハッキリ言って、相打ちはゴメンだ。私はこんなところで死ぬつもりなんかこれっぽっちもないのだから。

 膠着状態が続き、月が雲から顔を出す。

 閉じ込められた月光は夜闇を晴らし、私達の居る部屋を照らした。

 惨絶な空間が私の視界に拡がる。

 ボロボロな家具、穴だらけの床、散在するお菓子の空箱とガラスの破片。

 そして、月明りによってようやくハッキリと視認出来る、彼の顔。


「…………え?」


※※※


 手こずった。

 まさかマシンガンまで部屋に内蔵されているとは思いもしなかった。

 何度も銃弾が肌を掠り、シャツもスラックスもボロボロだ。滝のような汗をかいたせいで、背中もシャツと一体化している。

 早く帰ってシャワーを浴びたい。いや、そもそも帰れるのだろうか。

 僕は今首筋にナイフをあてがわれ、目の前の彼女の眉間に銃口を押し当てている。

 膠着状態が続き、雲が流れた事でようやく月もその顔を顕にする。

 ふざけるな! 今更なにひょっこり顔出してきてんだ! お前のせいで、僕の決め台詞がスベッちまっただろうが!

 ああ、なんという事だ。最期にまさかこんな情けない後悔をする羽目になるだなんて。

 人知れず肩を落としている僕を嘲笑うかのように、月明りが部屋を照らしてくる。

 暗闇でよく見えなかった彼女の顔がようやくハッキリし、僕は写真越しではない彼女の顔を初めて拝むのであった。


 そのコードネームに相応しい後ろで纏められたマリンブルーの髪。

 深海のようにどこまでも吸い込まれそうな瞳はこちらを冷たく見据えている。

 クールビューティーという言葉を正に具現化したような面立ちは、かつて人生を共に歩もうと決意したの面影を想起させ……。


「…………え?」


 一瞬、時が止まったような気がした。

 僕が目を丸くしていると、同時に彼女も僕の顔を見て目を丸くしていたのだ。

 どうやら、向こうも僕と同じ心境を抱いたところらしい。

 ああ、なんという事だ。これで確信してしまったじゃないか。


「ウソだろ……何でキミが……」

「ウソ……何でアナタが……」


 信じられない、こんな事があり得るのか?

 とある殺し屋を殺して欲しい。その依頼を受け、僕はここに来た筈だ。

 なのに何故こんなところに僕の……、


 僕の元カノが居るんだ⁉︎

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