6 拠点への帰還

 突然、室内で空が明るくなったように感じた。目が覚めたといっていい。眠りから覚めたのに体がそのまま動き出せるのは本当に久しぶりだった。なにか奇妙なものでも食べたのかもしれないと思って、ごみ袋(ゴミ箱ではなく)をのぞきこんでにおいをかぐ。何もない。

 久しぶりになにか作ろうと思い立つが何もない。本当はあるけれど、作ったというほどのものがない。手を入れて、調理するべきものは、さっさと腐っていくものばかりなので、手をかけて作るということは本来時間とのたたかいなのだ。心や体がよわったときに一番困るのは、せっかく求められて求めて動いている時間と動けなくなったときとの時間のつり合いが取れないことだ。

 仕方なく冷凍からねぎ、餃子、ブロッコリーを温める。油を絡める。塩。しょうゆがない。

 皿が腐っている。プラスチックにしみついた黒っぽいカビを流水で洗ってみるが、なんとなく嫌な気持ちになって紙皿を引っ張り出した。環境に1ダメージ。ついでにカビも洗剤で二回つけあらいする。俺の水光熱費に中ダメージ。多分。

 そこまでやっておいてから、今日は仕事に行かなくていいんだ、とようやく思い出す。

 だからこんなにゆっくり、のろのろ、気持ちよく生活できるのであった、と気づいた。カビが流れていくのをチェックしながら、皿を見て回ると、まだ一部に黒いかたまりがあるように思われた。目の奥で動いてもいない黒が高速で動いているような気がしたが、動いていない。この異常な運動はたまに見かけたが、やっぱり目の異常なのか、と思っていた。子供のころからずっとなっていたが、黒が動くのは目を開いていても閉じていても、それから寝ていても起きていても急速に動くことがあるだけで、それもリラックスしているときや緊張しているとき、いつでも起きるのが特徴だった。なんか今日は気楽だな、と思っていてもなるし、音が花に見えることもある。ひとつ伸びをすると、黒が消えた。今日は調子が良いらしく、消えてはまた現れることが多かった。

 薬を飲み忘れたな。俺は思った。

 米も食い忘れた。

 せっかく餃子を用意して食べてしまったのにこれはない。ネギとブロッコリー、そしてごま油での味付けはなかなかよくできたと思う。それがなにか足りない、不足しているとずっと思っていたのだ。

 下水へとカビと洗剤を押し流していったシンクへ、今度は油のかかった皿を投げ込んだ。俺はここから洗うのが大変なんだ、と考えた。

 黒の運動が始まっている。本当に目で見えているのか、それとも脳内の問題なのかはわからなかった。手を休める理由にはならないはずだ。見えているものと活動はなんら無関係に進むはずだった。黒の運動がなんであれ、皿の汚れを落とすことの邪魔は絶対にできなかった。

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