教室で婚約破棄はやめてくれないか

「ロザマリア! お前との婚約を破棄する!」




 突然の大声に、ハッとカズンは我を取り戻した。


(あれ? ここはファミレスの前……じゃない。僕は雪で落ちてきた看板に押し潰されて……もない)


 白昼夢、いや、たまに思い出す前世のおぼろげな光景は、ここが学園の教室だと認識した時点ですぐにカズンの中から消え失せた。




 ここはアケロニア王国の王都の学園、高等部の教室だ。

 ちょうど午後の最後の授業が終わったところで、放課後すぐのこと。


 男子生徒の大声に、いったい何事が起こったのかと、教室内は静まり返った。


 教室にはまだ担任教師も残っており、彼もまた息を飲んでこの事態を見守っていた。


 ここは成績優秀者クラスの3年A組。

 大声の主は、2つ隣のC組の生徒だ。

 名前と顔は皆、知っていた。


 ホーライル侯爵令息ライル。


 ホーライル侯爵家の長男で、次期侯爵の跡継ぎである。


 赤茶の髪を、当世流行りの無造作カットで短髪に整えている。

 中肉中背だが、ビリジアングリーンの制服の下の肉体が鍛えられていることも、やはり皆よく知っていた。

 彼、ホーライル侯爵令息ライルは学生の身でありながら、学内でも知れた剣の使い手なのだ。


 しかし、この剣幕はどうしたことか。

 普段の彼は、どちらかといえばひょうきんな印象の三枚目で、学友たちや周囲を冗談で笑わせては場を和ませるような人物だったはずだ。


 その彼が、同級生たちと談笑していた女生徒、ロザマリア・シルドットに指を突きつけ、婚約破棄を申し渡した。


 対するロザマリアは、シルドット侯爵家の長女だ。

 面倒見の良い金髪の美しい少女で、同級生たちに慕われている淑女だ。

 そんな彼女がライルの婚約者であることは、学園内の貴族なら誰でも知っていた。


「婚約破棄と申されましたか、ライル様」


 困惑を隠しきれない様子と声音で、ロザマリアは己を不躾に指差す男を、まだ座っていた教室の席から見上げた。

 彼女の周囲の学友たちも、困ったように顔を見合わせていた。


「その通りだ、ロザマリア。お前は卑怯にも、このアナ・ペイル嬢に卑劣な嫌がらせを繰り返し、身の危険に晒した。そのような女と縁を持ち続けることはできない、よってこの場で婚約破棄を……」



「待て、そこまでだ」



 激高するホーライル侯爵令息ライルの言葉を、涼やかな声で遮った。


 凛とした声に自分でも驚く。


(僕はカズアキ……いや、カズン、カズンだ。ここはもう前世の世界じゃない。異世界でもう新しい人生を生きている)


 今はこの学園の3年A組で学級委員長のカズンだ。




 まだ騒ぎ立てようとしたホーライル侯爵令息ライルと、詰め寄られているシルドット侯爵令嬢ロザマリアの間にカズンは立った。


 背丈はライルと同じくらい。

 黒縁眼鏡をかけた、黒髪黒目の切れ長の目を持ち、切れ長の全体的にキリリと引き締まった端正な容貌と雰囲気を持っている。

 それがカズンの今世の姿だ。


「……待てだとぉ?」

「ああ、待てと言った。君の行為はこの場に相応しくない」

「何だと? 貴様如きに言われる筋合いはないぞ!」


 気色ばんだライルを御するように、学級委員長のカズンは「まずは落ち着け」と言って、自己紹介から始めた。


「僕はカズン・アルトレイ。この教室では学級委員長を務めさせてもらっている」

「アルトレイだと? 聞いたことないぞ」

「……母が他国出身の貴族令嬢でね。先だってこの国の爵位を賜ったから、僕も間違いなくこの国の貴族籍の持ち主だ」

「ふん、聞き覚えがないぐらいだ、その程度の爵位なんだろ」

「……そうかもな」


 この王都の学園は入学試験にさえ受かれば、貴族でも平民でも区別なく入学できる。

 とはいえ、元が貴族学園だったため、今でも身分によって差別する生徒は多かった。


 そのため、カズンも最初に『自分は貴族である』との自己紹介から入った。

 もっとも、この反応では、ライルはカズンの家が取るに足りない低位貴族だと思ったことだろう。


「……ともかく。ここは神聖な学び舎であって、大立ち回りのための劇場ではないのだ。しかも君の望みは、ロザマリア嬢との婚約破棄なのだろう?」

「その通りだ! こんな女との婚約など、一刻も早く破棄したくてならない!」


 カズンを押し退けてロザマリアに詰め寄ろうとするライルを、どうどう、と宥める。


「……だから待てと言っているだろう。君も貴族なのだから、婚約は家同士の思惑による政略のはずだ」

「……ああ」

「ならば、その婚約を破棄したい君がまず行うべきことは、君の家のご両親に婚約破棄の希望を申し出ることだ」


 ど正論である。

 担任教師を含めた教室内の生徒たちは内心で大いに頷いた。


「……っ、そうかもしれないが! だが! この女は、アナを平民だからと侮辱し、教科書を汚し、あまつさえ制服のスカートを短剣で引き裂いたというではないか! そのような卑劣な行為を犯す女を糾弾して何が悪いというんだ!」


 悪いことだらけだ。

 ここは優秀な生徒たちの集まる王立高等学園であって、場末の底辺学校ではないのだ。

 ましてや、糾弾されている側の少女ロザマリアは侯爵令嬢である。

 手癖の悪いチンピラの手口を自ら行うとは、とてもじゃないが考えられない。




「その、諸々突っ込みどころの多い内容を検証する前に確認したいことがあるのだが、いいだろうか?」

「何だ! 手短かにしろ!」


「……君の隣にいる女生徒は誰かね?」


 ライルに庇われるように肩を抱かれている小柄な少女のことだ。

 柔らかな癖毛に揺れるピンクブロンドを肩までのショートボブにした、可憐な美少女である。


「あっ、あたし、アナ・ペイルといいます! 1年F組で、平民だけど今年入学しました!」

「……そうか」

「学級委員長さん、あたし、ロザマリアさんにいじめられたんです! でも相手が貴族だから怖くって、たまたま相談したライル先輩がロザマリアさんの婚約者だからって一緒に来てくれたんです!」

「……経緯がよくわかる説明をありがとう」


 言いながら、さりげなくカズンはシルドット侯爵令嬢ロザマリアと、ホーライル侯爵令息ライル及びアナ・ペイルらの間に立ったまま、ロザマリアに後ろに下がるよう促した。


「話はわかった。君たちには君たちなりの言い分があるようだ。……だが、ここは一度引いてくれないだろうか」

「どういうことだ。俺はそこの卑劣な女に用があるのだと言っただろ!」


「……話を聞いていた限りでは、ペイル嬢がシルドット侯爵令嬢にいじめられていたとのことだな?」

「そうだ! そこの卑劣な女がアナを貶めたのだ!」

「もしそれが本当なら、やはり今は引いてほしい」

「なぜだ!? まさか貴様、その女を庇い立てするつもりか!?」


 いきり立つライルに、カズンは激情に巻き込まれないよう、黒縁眼鏡のブリッジを中指で押し上げ一呼吸ついてから、静かな声で言った。


「シルドット侯爵令嬢ロザマリアが本当にアナ・ペイル嬢をいじめていたならば、彼女と同じ組の僕たちも無関係ではいられない。学園内で彼女と最も多くの時間を過ごしているのは僕たちクラスメイトだからね」

「貴様、回りくどいぞ! 何が言いたいんだ!」


 わざと、相手から情報を引き出すために湾曲な表現で時間を稼いでいるのだ。


「学園内のいじめで彼女を糾弾するなら、優先権はクラスメイトであり学級委員の僕にある。婚約者の君には後日、確認内容を報告するからそれまで待って欲しい。それに……」


 とカズンはわかりやすく、ライルの隣のピンクブロンドの髪の少女を見た。


「君が庇っている彼女、平民なのだろう?」

「平民だから何だというんだ! 学園内では身分差別は禁じられているのだぞ!」

「もちろんだ、ライル君。だが、この学園の生徒たちの半数以上が貴族家の出身。ましてシルドット侯爵令嬢は高位貴族。同じ派閥の家の者も学園内には多い。もちろん、このクラスにも」

「……それはそうだが」

「今のままではペイル嬢の身のほうが危ないと言っているのだ」

「!」

「平民が高位貴族に楯突くなど生意気と思う貴族たちが、個人的な制裁に動く前に、ここは引いて彼女を自宅まで送り届けてやりたまえ」

「だ、だが……」


 ライルは学級委員長カズンの後ろで不安げに佇んでいるロザマリアを睨みつけた。


「できたら数日、安全な場所で彼女を匿ってやるといい。君も侯爵家なのだから、自宅の敷地に別宅や離れぐらいあるだろう?」

「し、しかし……」

「君の家には今日中に事態を説明した手紙を送る。さあ、早く! ペイル嬢を守りたいのだろう!?」

「わ、わかった!」


 カズンに急かされ、ホーライル侯爵令息ライルはアナの小さな手を握り、言われるままに教室を出て行った。


(よし、適当に理屈押しでいけた!)


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