トビウオ

 静かな海の上を突然一匹のトビウオが飛んだ

 その瞬間、音もなく他のトビウオたちも飛び始めた

 一匹のときには気が付かなかったが、たくさん飛び跳ねた時、しぶきがはねてきらきらしていた


 本当に何気なく見ていただけだった

 何も考えておらず、砂浜に立ち、ぼーっと海を眺めていた

 いつものように何も浮かんでいない海を

 それがトビウオが一匹跳ねた瞬間から変わった

 さきほど、いつものように何も浮かんでいないと言ったが、いつもは本当に何もいないのだ

 たまに船が一隻浮かぶだけ

 潜ってもそんなに魚がいるわけでもない、いや多分平均的にはいるのだろう

 沖縄とかテレビに出る海が特別なだけで

 でも飛び跳ねる魚は存在したことがないのだ

 人生で一度、一度だけだった

 イルカでもシャチでもクジラでもない、小さな魚

 食用にもされる魚だ

 でもきれいだった

 きれい、という言葉では足りないほどに

 安直だが、宝石のようだった

 少し遠いから音は聞こえなかったが、しぶきは舞い、体は光のようにてらてらと輝いて見えた

 時計を持っていなかったから分からなかったが、多分数分だろう

 すぐにいつもの静かな海に戻った

 誰かが先に跳ねるが、終わりは全員同じだった

 数秒のズレも感じさせず、示し合わせたかのように同時にぴしゃりと終わった


 どんな重要な事も手を止めて集中するほどの光景を、鮮明に思い出せるのに

 実は現実では見ておらず、これは妄想じゃないのか、それともテレビで見た光景じゃないのかと曖昧だ

 夜だった気もするし、夕方だった気もする

 非常に曖昧なものを私は、たくさんある私の心のひとつだ

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