第25話 前日譚
例えば、とある夜の話。
東京郊外の大都会とまでは評されないそんな家々の裏路地が連なる場所で、男たちの悲鳴が広く広く木霊していた。
近所の人間が迷惑だ、と言わないのは一重に面倒臭いことに関わりたくはないからというのが大きいのだろう。
そんな声のした頃に、一人の少女がはぁとため息をついた。
(まぁたやってるよ、あのバカ見広)
呆れたようにその少女は心の中でつぶやいて、そうして苦笑した。
コンビニからの帰りらしくその姿は友達に見せるような私服姿ではなかった。
ジャージに似た何かを着ている、といえばわかりやすいだろうか。
そんな彼女は、買い物をしたばかりのレジ袋を手に持ったままその悲鳴が聞こえた方に歩いて行った。
しばらくするとそこに、一人の少年の姿が現れる。
「
その後ろ姿に呼びかけると、少年はゆっくりと振り返った。
そうして少女の顔を見て、その顔を顰めた。
「……なんだ、
「なんだとはなんだね、なんだとは。というか、何をやっているのっていうのは私のセリフなんですけど?! こんな真夜中に、周囲に男が三人倒れている状況に私は戦々恐々としているんですけど?!」
対して、見広と呼ばれた少年が無傷なのだからそれはそれでちょっとしたホラーだった。
とはいえ、その衣服に暴れた際の土埃はついてしまっているのだが。
「今日は一人じゃなかったんだ。ちゃんと
「そんな空な目で語られても……。というかその
ヒューヒューと乾いた口笛が響いた。
こいつ、絶対その進を置いて突っ走ってきやがったな、と彩花は瞬時に理解した。
そのまま、見広の首を絡め取ってグリグリと拳を頭に擦り付ける。
「痛い痛い痛い痛い、あとなんか柔らかいのが当たってる!」
「倍殺し!」
「どっかで聞いたことあるセリフを、パロディすんな! 悪かった悪かった、俺が悪かったから、さ。もう許してくんね?」
「いやぁ、なんかこれ楽しいね」
「ドSいただきました、ありがとうございます! じゃねぇよ!」
そこまで一通りの流れて行って、見広はやっとその腕から解放されたので頭を自分の手で撫でながら、「よく耐えたな俺の頭、偉いぞ」なんて馬鹿なことを呟いている。
「見広〜! っと、彩花もいたのか」
「遅かったな進。お前がいないせいで絡んできた不良を三人もボコしてしまったじゃねぇか」
「いや、本当にお前の身体能力イカれてんな。早く下方修正こねぇかな」
「進、お前は相変わらずのゲーム脳やめれ」
彩花はそれを微笑ましげに見つめながら、あぁこれが日常なんだな、といつもと変わらぬ日々を噛み締めていた。
どうしてそんなことを今思ったのかはわからないが、少なくともそう思ったことは間違いがなかった。
月明かりは、裏路地でさえも照らして、しかし東京の街ではほとんど意味のないことだった。
意味がないながらに一生懸命照らし続けてくれている月に敬礼、なんて馬鹿なことを思えるのも日常の一環なのだろう。
「進、そういえばお前なんか言いたいことがあるっていってなかったか?」
「? あぁ、お前が俺を置いていく前か」
そういえば、と言ったふうに進が頷いた。
それから、何を言おうとしていたのか思い出そうとしたようで黙り込んでしまったが、数秒後にあぁ、と呟いて手を叩いていた。
「明日ゲームのアプデでやつのコラボが始まるんだけど、一緒にイベントストーリークリアしねぇか? って話」
スマホを取り出して、そのアップデート前のゲームを見せながら進が言った。
見広もそれに食いついてやろうぜ、とはしゃいでいたことからそちらの道を辿っている人間だということは容易に予想がつくことだった。
そんな二人が、顔を上げて。
「? あれは」
と見広が呟いて、遅れて進も首を傾げた。
「なんか嫌な感じがする」
と、進。
それに対して、冷や汗を伝わせたのは見広だった。
お前の予感は占いよりも当たるからな、と冗談めかして呟いていた。
「彩花、とりあえずあの物陰に隠れてろ」
「え、えぇ?」
「いいから早く!」
「イエス、見広様!」
彩花にそう命令して、見広は前に向き直って。
元の目線の先にあった影がゆらりと歪んだ。
ゾワリ、と全身の毛が総毛立つ。鳥肌を誘うその雰囲気が、見広たちを襲っていた。
(人の形はしてるのに……、あれは人なのか?!)
分からない、と二人は思った。
人と言われれば人のような気がしたし、人でないと言われればそれはそれで納得できてしまうような。
そんな非現実的な考えを持って、体を硬直させた見広だったがすぐに正気を取り戻した。
近づいてみて、フードをかぶっているとわかったそいつはすれ違いざまに、ポツリと見広に向かってつぶやいた。
「どうせすぐに死ぬんだ。お前は何も救えない」
気がつけば、そいつを見広は殴りつけていた。
はずだった。何よりも驚いたのはその不意打ちの拳が至近距離で避けられたこと。
こと喧嘩においては、それなりの自信があったのに。
フードを被った舐めたやろうなんかに。
「お前は、確か
それが、同じ学校の人間なのだとしたら尚更。
見広は歯痒くなって蹴りを叩き込もうとした。
その瞬間にさらに間合いを取られて、空を切ったが。
「お前は何も守れない、お前は何かを救うことはできない。どうせ、嫌われるだけだ」
「……」
ダンッ、と今度は相手から攻撃が飛んできた。
その華奢な体からは到底考えることのできない速度で見広の懐に入り込む。
それが横へくの字に曲がったのは進が蹴りを入れたからであった。
「悪りぃ、助かった」
「それはいいんだけど……。なんだこの先輩。様子がおかしいだろ」
足久先輩といえば……と思い出して見広もあぁとようやくおかしいところに気がついたようだった。
もう少し、彼はクール系のキャラでやっていなかったか、と。
誰しも裏の顔があるとはいえど、まさかリアルでここまで急変することはないだろう、と呆れる。
「嫌な予感の正体はこの人。なぁ足久先ぱっ……?!」
「進、どうし……は?」
二人揃って彼らは、唖然とした表情を浮かべた。
まぁそうなるだろう。
なぜならば、目の前に完璧なまでの天智見広が存在したのだから。
いや、それは少し違うか。確かに顔は天智見広なのだが、体型がまったく違った。
その頬は少しやつれ気味で、しかしその身体はきっちりと筋肉がついている。
「天智見広は誰も守れない」
「どうしてそんなことがわかる?」
「それは、俺が他ならぬ
見広は二、三度瞬きを繰り返して。
それからチッと舌打ちを返した。
まさかそこまで堂々と宣言されるとは思っていなかったから。
これが、ドッペルゲンガーというやつだろうかと二人は思った。
「お前は何十何百と失敗してきた。お前はその度に大切なことを失ってきた。お前は、俺と同じ運命を辿ることになる」
認めたくはなかったが、認めざるを得なければいけないのか。
そもそも顔が一致しすぎていて別人というせんはほとんどなさそうだ。
世界には同じ顔の人間が三人いる、なんて噂が流れているがそれでもないのだろう。
「あんたは、本当に見広なのか?」
見広の唯一の親友である、進がそういっているのだから。
彼の勘は怖いくらいに当たる、というのを知っているのも見広だったから。
しかし、その声に怪訝な顔をしたのは言われた方の見広だった。
「……お前は、誰だ?」
純粋な疑問らしいそれに、進は自分のことを言って。
「言野原 進、だと? 誰だお前は。誰なんだ? 天智見広の歴史に一度たりともそんな人物は登場しなかった、してはならないはずだ!」
(……何言ってんだ、こいつ)
やはり、顔が同じなのはたまたまでただ厨二病を拗らせただけのバカなのではないかという説が浮上してきた。
が、それは次に続く言葉で見事に崩れさる。
「公園でブランコを漕いでいた頃は、一人だった。小学校の中学年の時は一人で、数人と喧嘩した。幼馴染の彩花は高学年の時に事故で死んだ。中学になった時はもう孤独だった。なのに____」
見広の記憶と細部は異なるが、同じような記憶を持ち合わせていたのだから。
ちなみに、公園でブランコを漕いでいた時に見広は進と知り合って、一人ではなくなった。
中学年の時は確かに一人で数人と喧嘩をしてはいたが、進がいつもそれを止めていた。
幼馴染の彩花は事故死しかけたことはあったが、それは進がいたことで回避された。
中学の頃は確かに孤独ではあったが、いつも進が隣にいた。
目の前の先輩は、確かに見広と同じような記憶を持ち合わせていた。
その違いは一つだけだった。
その物語に親友が登場するのか否か。
たったそれだけ。それだけなのに____。
天智見広は誰かから呼ばれた気がして、そんな夢の中から現実へ浮上した。
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