Phase 1
思惑
平成33年9月21日 午前11時35分(日本標準時)
「ですからね? 探偵さん、私が調査をお願いしたいのは、この国を救うためであって……」
目の前の依頼人は、もう何度目なのかもわからないフレーズを繰り返した。
「なるほど」
適当に頷きつつ、『とっとと帰れ』の意味合いで、もはや「ぬるい白湯」と化した出がらしのお茶を依頼人の湯呑に注ぐ。
しかし、そんな心中など察するわけもなく、白湯――もとい十番茶を一気に呷ると、依頼人は崇高な依頼理由とやらを語り続ける。
「ええと――そうです、半年前の人工衛星落下が、ニューワールドオーダー発動のための最終フェーズだったんです! 表向きは、合衆国と日本が共同運用していた無重力実験衛星が、カプセル投下のときの軌道変更失敗で太平洋のど真ん中に落ちたってことになってますけど! 宇宙から衛星を超高速で落下させて太平洋プレートに大穴を開け、その龍脈のエネルギーを組み上げて爆発させることで人類の選別を行い、ニューワールドオーダーの足掛かりとする計画なんですよ! 海底の捜索だなんて言ってますが、あれは龍脈エネルギーをくみ上げるためのものですよ!」
確かに今年の3月、日本も開発に参加した実験衛星が太平洋のほぼ中心に落下したことは、主要な新聞の三面記事で報じられていた。『ものづくり国家の終焉』だの『宇宙開発後進国』だのと、世間のゴシップの種になっていたが、実験で得られたという新素材自体は無事回収されていたはずだ。そもそも、人工衛星を廃棄する場合、太平洋の真ん中に落とすことは珍しくないと聞く。
相槌のタイミングを計っていると、唐突にスマートフォンが鳴った。
「おっと、失礼」
反射的に手に取って、メールアプリを開くと、なんのことはないメールマガジンだった。
――待てよ、このままだとこの依頼人の話はさらに長引くだろう、メールを口実に話を断ち切ることもできるかもしれない。
スマートフォンに顔を向けたまま目だけをあげると、依頼人の異様な風体がいやでも意識に飛び込んできた。首元の水晶らしきペンダント。手首のどぎつい原色の数珠。神経質な目線の動き。スマートフォンに貼られた怪しげな
記憶を掘り返すと、グッズはどれも最近話題の
「合衆国と日本が組んで、太平洋の両側から太平洋一帯のヘゲモニーを得ようとしているんです。ですが、それが終われば日本も用済みとされて、日本中の龍脈を刺激することで日本全土を壊滅させて、太平洋一帯を我が物とする計画なんです! そうすることで、ニューワールドオーダーがすべてを支配するんです!」
依頼人はここで話を区切り、リュックサックの中からスクラップブックを取り出す。
「幸いなことに、海洋調査基地のなかにも、ニューワールドオーダーに反対する勢力がいるみたいです! 見てください、これ!」
開かれたページには、情報があてにならないことに定評のあるスポーツ新聞や、週刊誌の切り抜き、ネットニュースの印刷物が並べられていた。
『調査施設で重傷者多数 警備兵たちのクーデター勃発 か!?』
『絶海の反乱? ポダラカ研究所の研究員、出航前の“謎の人事異動”』
『七色のゲーミング人面犬とちくわ大明神』
『WASHIジャーナル徹底取材!海洋機動人工島の真の建造目的とは!?』
「探偵さんには、この反対勢力の手助けをしてほしいんです! ポダラカ内部に潜入してニューワールドオーダーの証拠集めをして、この陰謀を白日の下にさらせば、ニューワールドオーダーのシナリオも破綻をきたすはずです!」
明らかに実行不能な依頼だが、前金の額を考えれば「証拠はつかめなかった」と報告すればボロ儲けなのは間違いない。しかし、そんな契約を結ぶと考えると、脳裏に“すっかり顔見知りになった警官と自衛官”の顔がよぎる。
たっぷりと5秒は考えた後、ため息交じりに言葉を吐き出す。
「……わかりました、お受けしましょう」
――背に腹は代えられぬ。飯のタネをみすみす逃がすわけにはいかない。
「探偵さんもこの計画の重要性がわかってくれるんですか! ありがとうございます!」
強引に握手をしてくる依頼人。手に力を入れずに応じる。
「少ないかもしれませんが、こちらを調査費用としてお使いください! 成功報酬は別にお支払いします!」
懐から封筒。本人の弁によれば、前金20万円。
「このスクラップブックは情報源としてお預けします! 大切に扱ってください! それでは、何かわかりしだい、その都度すぐに連絡します! ではよろしく!」
厄介な依頼人が事務所の視界から消えたのを見届けると、猪瀬探偵事務所の
手持ち無沙汰にテレビをつけてチャンネルをザッピングしてみたが、どの局もランチグルメ特集しか取り上げる気はないらしく、水っ腹の貧乏探偵には酷な映像が流れている。昼のニュースがいちばんマシかと思い、NKH――
私立探偵をやって日は浅くないものの、今日のようなとんでもない依頼人は最近までそうそう居なかった。しかし、同業者の間で――例の事件のあと――『超常現象に遭遇したとかいう奴』という噂が流れてしまっているらしく、他の事務所でさじを投げた案件がこちらに放り投げられてくる始末だ。
そもそも、本物の超常現象などというものは、存在すら世間に気づかれないものであって――。
「ここで南太平洋連続地震に関する情報をお伝えします。NOAA――合衆国大気海洋庁と、気象庁およびポダラカ運用評議会は先ほど会見を行い、南太平洋で続発する地震の調査のため、ポダラカの派遣を決定したと発表しました」
先ほどまでの会話で一生分聞かされたと思っていた単語が、再び耳に飛び込んできた。思わずげんなりとしてしまうが、オカルトでない分まだマシだ。
「ポダラカは国際共同建造された移動型海上多目的研究施設で、気候変動に関する海面の観測や、次世代エネルギーの技術実証試験を主に行っています」
「Progressively Omnipotent Designed Advanced Research Laboratory Carrier(
「昨年3月に太平洋に落下した汎用微小重力実験衛星『ユージーオーエス』は、ポダラカのロケット発射施設から打ち上げられた最初の衛星で、その後もポダラカでは衛星打ち上げ能力および運用能力に関しての実証試験が続けられています」
例の衛星――
「ポダラカ運営評議会のカヌカヌア議長は会見で、『海洋調査に関してはポダラカは十分な能力を持っており、環太平洋一帯で起きている事象の解明に役立つことは間違いないと確信している』と述べました」
大言壮語だな、と感じつつも、宮仕えの知人たちの話を思い出す。予算をとってくるには一にも二にもハッタリだ、と。ありがたいことに探偵業でも使わせてもらっている。
「ポダラカはかねてより予定していた三重県沖での宇宙太陽光発電実験を中止し、来月にもフィリピン海での探査に向かうとのことです。では次のニュース、長野ではズンドコベロンチョが最盛期をむかえ――」
画面が腹が減る映像に変わりそうだったので、腹の虫が鳴き出す前にテレビを消す。確か戸棚にカップ焼きそばくらいはあった筈と思いながら、年季もののヤカンを火にかける。
そのときだった。控えめなドアチャイムの音。インターホンからは女性の声が流れてきた。
「すみません。こちらは、探偵さんの――猪瀬さんの事務所でよろしいでしょうか……?」
ドアスコープ越しに来客を確かめると、黒縁眼鏡をかけたスーツ姿の小柄な女性が、心細げに立っていた。
「さようですが、どのようなご用件で?」
セールスにしては弱気すぎるし、集金係でもなさそうである。
「アポイントもなくて、すみません。ですが、他の事務所からこちらを紹介されて……」
今日は厄日なのか? 1秒ほど天を仰いだ後、2秒で脳ミソをフル回転させ、相手の態度から性格を推理する。先ほどまで居座っていたバカ――もといユニークな依頼人とは違い、話が通じそうな雰囲気はある。3秒言葉を選んだあと、ドアを開け、室内に招き入れる。
「かしこまりました。中へどうぞ。靴はそのままで結構です」
「あ……はい、失礼します」
改めて女性の風貌を観察してみる。眼鏡が野暮ったくはあるが、全体的にはよく整った顔立ちで、知的な雰囲気さえ感じさせる。十分、美人の範疇に入るだろう。
「
「え、あ、はい、失礼します」
顔立ちは成人女性のそれであるが、所作からはどことなく幼げな印象も受ける。おおむね20代半ばといったところだろうか――と、観察とも見とれるともなく見つめていると、ヤカンが鳴った。
「緑茶でかまいませんか」
「え、え、あ、いえ、すみません、おかまいなく!」
流しに向かい、コンロを切ってからさっきの依頼人に出した粗茶の缶を押しのけ、戸棚を探す。
――玉露はどこだ。
湯が少し冷めるまでの間、たわいない口調で探りを入れる。
「ええと、ご依頼ということでよろしいですね?」
「……ええ、はい」
「他の事務所で断られた、ということは、やはりオカルト絡みの案件ですか?」
「私は違うと思うのですが……状況が状況でして……」
久々に普通の依頼人だぞ、と、私は胸をなで下ろした。
70度のお湯でゆっくり入れた玉露を依頼人に薦め、話を切り出す。
「まず……依頼人さまのことをお聞かせ願えますか」
「
知的な雰囲気は、その職業からくるものだったか。
「お願いしたいことは、人捜しなんです」
「ほう、人捜し」
まるでまともな探偵への依頼のようだ。
「三重県の、アカムシマという島、ご存じですか?」
語感からすると、アカム島だろうか。
「いえ、残念ながら……」
「
依頼人はテーブルのメモ用紙に『赤牟島』と書いてみせた。
「浅学で申し訳ありません」
「いえ、それほど有名な島ではありませんので……失礼します」
依頼人はここで話をいったん区切り、お茶を口に含む。
「ええと、友人――いえ――同僚が、この島に上陸すると連絡してきたのですが、それ以降の連絡が途絶えているんです」
「離島で、ですか」
「はい」
ふむ、と考え込む仕草をしつつ、依頼人の身なりや口ぶりをもう一度よく考えてみる。
ワイシャツはしっかりとアイロンがけされているが、ジャケットに若干のヨレや掠れがある。また、しきりに合わせを気にしていることから、『ワイシャツは着るが、ジャケットは着慣れていない』ことが読み取れた。
口ぶりは――『大学』と『職員』の間、『友人』と『同僚』の間に若干の言いよどみ。大学関係者であることは間違いなさそうだが、肩書きや関係性は正確ではなさそうだ。
「同僚は、ポダラカという施設に出向して、研究をしていました。太陽光発電衛星をポダラカから打ち上げて、そこからマイクロ波で送られたエネルギーを赤牟島沖で受信、電力に変換して利用する、という実証実験が近々行われる予定だったんです」
――ポダラカ。その響きに思わず目を見開いてしまう。
「……どうかなさいましたか?」
「失礼、どうぞ続けて」
「……はい。それが、突如人事異動があり、同僚は主席研究員のポストから外されたんです。その直後、ポダラカが南太平洋へ海洋調査のために送られることとなり、発電実験要員は赤牟島で下船することになった、と知らされました。」
「昼のニュースでやっていた、例の連続地震の調査ですね?」
こくり、と頷く。
「その直前から、同僚からのメッセージは、かなり精神的に不安定になっているように見えました」
「海上での閉鎖環境であるとか、過密スケジュールといった点を差し引いても?」
「ええ。仕事上のストレスのことだけではないような、そんな感じも受けたんです」
依頼人は湯呑みを両手で持ちあげた。心なしか震えが見える。
「だから、赤牟島は離島だけど自然も綺麗なところだよ、ゆっくり休んでみたらどう、って送ったんです。でも、それから連絡が途絶えて……」
「ふむ、アドバイスとしては特に問題があるようには思えませんね。赤牟島は携帯電話が通じないような場所ですか?」
「いえ、私も何度か訪れていますが、特段そういったことはありませんでした」
――離島に何度か足を運んでいる、か。
「なるほど。離島で人捜しというご依頼でしたら、経費が少々かかりますが、承れないことはございません、ただし」
ここで茶を飲み込む。
「逢田さん、うちは秘密厳守です。真相にたどり着くために、どうか真実を包み隠さずお話しいただけませんか?」
依頼人が息を呑んだのがわかった。
「……やはり、お気づきでしたか」
「お仕事は……事務職というよりも、おそらく白衣で研究をなさっておられますね? また、お相手の方もご友人や同僚というよりも、その――深い仲でいらっしゃる」
「……」
依頼人はしばらくうつむいて言葉を探しているようだったが、意を決したようにこちらの目を見据えた。
「わかりました。包み隠さずお話しします。私は城南大学理学部の物理学科で、遠隔送電技術の理論研究を行っている者です。今回捜していただきたい相手、トオノ・ノボルは、私と同じ研究室の同僚で――婚約者です」
彼女は、ジャケットの内ポケットから、名刺と2枚の写真を取り出した。
名刺には『城南大学 理学部物理学科 UH-STAR実証研究室 逢田 智佳』の文字。
1枚目の写真はIDカードを写したもので、30代前半ほどとみられる男性の写真と、『城南大学 理学部物理学科 准教授 遠野 登』の文字。
2枚目の写真は、彼女――逢田さんと遠野准教授のツーショット写真だった。
「――どうか、彼を探していただけませんでしょうか?」
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