第2話 二人きりで過ごしたかった

 ルミナリオ王太子殿下の護衛任務を終え、一週間ぶりに王都の屋敷に帰宅したのは深夜になってからだった。


 抜き足差し足で廊下を進み、夫婦だけの愛の住処へ踏み入る。

 暗闇に慣れた目でベッドを見れば、きっちりとした姿勢のリューテシアがすやすやと眠っていた。


「ただいま」


 吐息のついでのような挨拶を伝えて顔を近づけると、まつげの長さに驚かされる。

 ナイトウェアからすらりと伸びるしなやかな腕に触れたくなる気持ちをぐっと堪えた。


 学園を卒業して早くも二年。

 最近は俺の仕事も忙しくなり、家を空けることが多くなってしまった。それもこれも全部ルミナリオのせいだ。

 あいつがどこに行くにしても俺を連れ回すのがいけない。


 おかげで夫婦の時間が減っている。これは由々しき問題だぞ。


 それにリューテシアは趣味だった観劇がその枠を超えて、投資というか劇団を丸ごと買い取った。いわゆる買収である。

 なんでも、破滅寸前で黙って見ていられなかったとか。今や彼女は出資者、いや経営者である。


 そんなわけで夫婦の会話は食事の席が主になってしまっている。


 まぁ、何が言いたいのかと言うとだな……。


 学生時代あんなにも破滅に怯えていたのだから、今ぐらいはしっぽりと朝まで時間を過ごさせてくれよ!


 でも、そんなことは言えない。


 安心しきった寝顔を見せつけられては、起こすのは気が引けるし、軽蔑されても困る。多分、泣いちゃう。


 だから俺は今日も静かにベッドに潜り込むのだ。


◇◆◇◆◇◆


「んっ……。ウィル様……?」


「はっ! どうした!?」


 寝ぼけ眼を擦るリューテシアのか細い声。

 窓から差し込む朝陽に照られた彼女は天女のようだ。


 どんなに深い眠りに就いていたとしても、元婚約者殿、現妻の声にだけは反応できる体になっている俺は飛び起きた。


「ごめんなさいっ。わたし、先に寝てしまって」


 もぞもぞと動き出すリューテシアのを押しとどめ、「もう少しこうしていたいな」と素直に告げれば、彼女は頬を桜色に染めて頷いてくれた。


「こうして間近で顔を合わせるのは久しぶりだね」


「はい。おかえりなさい、ウィル様。今回もご無事で安心しました」


 あぁ、この瞬間のために生きているといっても過言ではない。


 こんな風に帰りを喜んでくれる人が居てくれることがどれだけ幸せなことなのか改めて噛み締める。


 薄く微笑むリューテシアに思わず見とれてしまった。


「今日も可愛い」


 はっとして口元を隠すような真似はしない。そんな時期はもうとっくの昔に過ぎたのだ。


 しかし、リューテシアはまだ慣れないようで目を逸らしたかと思うと、枕に顔をうずくめた。


「……こんな寝起き顔。恥ずかしいです」


「何を言うんだ。リュシーはいつだって可愛い。起きていても、寝ていても」


 両手で耳を覆う姿も可愛い。

 きっと真っ赤に熱を持っているのだろう。


「リュシー」


 わずかに枕から浮かせた顔に手を滑らせて、そっと頬を撫でた俺はそのまま軽くキスをした。


「……ウィル様」


 とろんとした彼女の瞳の中に俺が写っている。


「リュシー」


 あぁ、なんて幸福感溢れる朝なのだろう。

 毎朝こうであってほしい。


 身支度にたっぷりの時間をかけてダイニングルームに向かうと、使用人たちが勢揃いして雑談に花を咲かせていた。


「おはようございます、ウィルフリッド坊ちゃん。奥様」


 チラリと見るまでもなくテーブルには食器すら並べられていない。


 ブルブラック伯爵領の屋敷から引き抜いた執事とメイドたちはいつものように、にやにやしながらせっせと働き始めた。


 朝食の準備はしていたのだろう。

 俺とリューテシアが席に着くと次々に食器と料理が運ばれてきた。


「なんだよ?」


「いいえ。ウィルフリッド坊ちゃんも大人になられたのだ、と我々は感動しているのですよ」


 おほほほ、とお上品とは言えない笑い方をして去っていくメイドたち。

 この人たちは昔から何も変わらない。


 俺の前だけだからよしとしよう。


 お客様相手には真面目に仕事をするし、決してサボったりしない連中だ。田舎から王都に越してきた俺たちの評判が悪くないのは彼女たちのおかげと言っても過言ではないだろう。


「リュシー、休みを貰えたからどこかへ出かけないか?」


「よろしいのですか!?」


 ぱぁっと輝く笑顔が眩しくて暖かい。

 リューテシアの喜ぶ顔が見れるなら、どんなに大量の仕事でも速攻で終わらせて帰ってこれる。


 案の定、にやにや顔のメイドたちに見送られた俺たちは王都の町に繰り出した。


 リューテシアは派手過ぎず、かといって王都の貴族連中に見劣りしないドレスに着替えている。

 そして、彼女の胸ではガラスで出来た筒状のロケットペンダントネックレスが揺れている。


「身につけてくれて嬉しいよ」


「ウィル様からの贈り物ですから」


 ロケットの中にはキラキラと光る魔法の粉のようなものが入っている。


 その正体は俺がリューテシアに贈った青薔薇だ。


 俺たちの卒業式のときに作成した奇跡の青い薔薇は今でも王宮内に厳重に保管されている。


 それとは別にリューテシアの目の前で、赤い薔薇を青色に変えたわけだが、それが砕け散ったものだ。


 俺が推察するに、青い薔薇はこの世に一本しか存在できないのだろう。


 だから、リューテシアに贈った黒薔薇が散り、本物の青薔薇を作り出せた。

 そしてそれがあるから二本目は作成できない。


 今は亡き、母の言葉通り、悪用されないための措置のようなものなのかもしれない。


 そんなわけで、俺は魔術を使えるけど公表はしていないし、今は何も発動できないのと同じ状況というわけだ。


 リューテシアが笑顔ならそれでいい。

 奇跡の魔術師なんて、大層なものは似合わない。俺は彼女だけの夫であり続けられれば、多くは望まない。


「久しぶりに観劇でも?」


「それなのですが……」


 申し訳なさそうに眉をひそめるリューテシア。


「どうしても純粋に楽しめそうになくて。仕事が頭をよぎるのです」


 彼女にとって演劇は観るものから、創るものへと変わってしまった。

 好きなことが仕事になったわけだから喜ばしいことだ。でも、リューテシアの顔は浮かない。


 俺も聞かれない限りはプライベートに仕事の話は持ち込まない主義だから奥様の気持ちを尊重しよう。


「じゃあ、どうしようかな」


「こうしてただ歩いているだけでも幸せですよ」


 あぁ、まただ。

 また甘い言葉で俺をダメにしようとする。


 あれから頭の中にピロン! という忌々しい電子音は鳴らない。

 つまり、破滅の危機は去ったということだ。


 もうあれから二年も経っている。

 何の音沙汰もないということは確定でいいだろう。


 よし!


「……あっ」


「たまには、ね」


 俺たちは公の場で手を繋ぎ、堂々と王都の町中を闊歩かっぽした。

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