第37話 罰した

 オクスレイ公爵家の使用人に扮している俺は自分でも驚くほどに冷めた頭で、もがき続けるカーミヤを見下ろしていた。


「なんで、お前がぁぁあぁぁぁ!!!!」


 カーミヤと接触する手立てがなかった俺は、最終手段として王立学園を卒業したクロード先輩に事情を話して協力を仰いだ。


 先輩には「彼女は悪魔に取り憑かれている。以前のカーミヤ嬢を取り戻すために協力して欲しい。これは治療なんだ」と伝えた。


 すると、クロード先輩はすぐに今日の食事会を開いてくれて、転生女はのこのことやってきたというわけだ。


 俺はオクスレイ公爵家の使用人のふりをして給仕をこなし、カーミヤのグラスにとある薬を溶かした。


「お前が本物のカーミヤ・クリムゾンだったなら、俺のつたない給仕を見破っていただろうな」


「そんな゛わけな゛い!」


「そうですよね、クロード先輩」


「……あぁ。ウィルフリッドは完璧だったが、やはり幼少期から身についた貴族臭さは抜け切らない。疑い深いカーミヤなら食事に手をつけなかっただろう」


「そ、そんな……っ!」


 更に激しい苦しみに襲われたのか、カーミヤは床に転げ落ち、うめき声を上げた。


 この女がリューテシアに飲ませた毒薬は俺でも解毒が可能なものだった。

 しかし、今こいつが飲んだのは比べ物にならないほどの劇薬。


 あの、カーミヤ嬢が「復讐したいなら。取り扱い注意。悪魔だって逃げ出す」と念を押したほどだからな。


「毒の名前はデルタトキシン。一年生のときにカーミヤ嬢から譲り受けた劇薬だ」


「な゛!? な゛んだぞれ゛! あ゛たしの記憶にそんな思い出なんてない゛!!」


「思い出のはずがないだろう。彼女にとっては当たり前のことをしたんだ。これはカーミヤ嬢からすれば、謝罪の品だからな。何の思い入れもないだろう」


「ゆ゛るざな゛い゛! あたしだけが破滅するなんて絶対に認め――あ゛ぁ゛!!」


 より一層、苦しむカーミヤの姿にクロード先輩は目を背けていた。


 中身は違ったとしても、見た目だけならカーミヤ・クリムゾンだ。

 目の前で婚約者が毒を盛られては心中穏やかではないだろう。


 俺がクロード先輩と同じ立場なら発狂している。


「一人で死ぬものか。お前も終わりだぞ、偽物がッ! お前は節操なしの下半身のせいで破滅するんだ! リューテシアもろとも消えてしまえ!」


「言っただろ、黙ってろって。これ以上、カーミヤ嬢の声で汚い言葉を紡ぐな。あんたの居場所はここじゃない。カーミヤ嬢は返してもらうぞ」


「何を言っている!? もうカーミヤはこの世界には居ないんだよ! あたしが死ねば、カーミヤも死ぬ!」

 

 ガンッ!


 その発言を聞いたクロード先輩が俺に掴みかかり、息ができないほど壁に押し付けられた。フーフーと怒りに身を任せて呼吸する先輩が血走った目で俺を睨みつける。


「どういうことだ、ウィルフリッド! カーミヤが死ぬだと!? 嘘だと言え!」


「カーミヤ嬢は帰ってくる。彼女はまだ生きている」


 力任せにクロード先輩の手を振り解き、死相の出たカーミヤの前にしゃがみ込む。


「カーミヤ嬢を舐めるなよ。あの人はお前の意識が薄れる時間帯を狙って助けを求めた」


「はぁ!? そんなわけっ!」


 思い当たる節があったのか、カーミヤは唇を噛み、力の限り床を殴りつけた。


「だから、リューテシアは助かったんだ。彼女の研究資料にはお前が何の毒草を使ったのか記されていたよ。おかげで解毒できた」


「クソッ! このクソ女! 余計な真似を!」


 自分の頭を殴ろうとするカーミヤの腕を掴み、彼女にとってはナイフよりも鋭い言葉を突きつけた。


「お前、実は死んでないだろ」


「――っ!?」


「本体は病院で昏睡状態ってところか。お前の転生は不完全だ。それもカーミヤ嬢本人が教えてくれたよ」


「い、いや! 違う! あたしは死んだんだ! 死んで『青薔薇』の世界に来たの! やっと、あそこから逃げられたのに!」


「お前を現実の世界に送り返してやる。それが一番の苦痛だろ?」


 カーミヤの絶叫はダイニングルームのみならず、屋敷全体に響いた。

 しかし、誰も助けには来ない。


 すでに人払いは済んでいる。

 この屋敷の中には俺たち三人しかいないのだから、カーミヤの声は誰にも届かない。


「一生黙ってろ、神谷かみや ともえ。お前はカーミヤ・クリムゾンにはなれない」


「いやだ。いやだぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!」


 やがて、彼女は打ち上げられた魚のように口を動かし、力なく天を仰いでいた手が落ちた。


「カーミヤ!」


 駆け寄るクロード先輩の狼狽える姿は、どれだけカーミヤ嬢を想っているのか物語っている。


 もしも、カーミヤ嬢が息を吹き返さなければ俺は本当に破滅だ。


 公爵令嬢を婚約者の目の前で殺したのだからな。擁護のしようがない。


 リューテシアには悪いが、俺は自らの意志で破滅する可能性が高い道を選んだ。


「クロード先輩、すみません。カーミヤ嬢は――」


「カーミヤ!! あぁ! カーミヤ!」


 涙を流しながらカーミヤ嬢を抱きしめるクロード先輩をひと目見てまぶたを閉じる。


 俺はこのまま捕らえられて、極刑に処させるだろう。


「――ッド! ウィルフリッド! 見ろ、カーミヤだ! カーミヤだぞ!」


「……え?」


「わたくしがあなたの好きなところがないですって? 酷い言い草ですわ」


 同じ声だとしても、その話し方は間違いなく本物のカーミヤ・クリムゾン公爵令嬢だ。

 俺は閉じていたまぶたを開き、亡者のように重い足取りで二人に近づいた。


「わたくしは、わたくしのことを信じてくれるあなたの事を慕っているというのに」


「カーミヤ!」


 クロード先輩に抱き締められたカーミヤ嬢は、これまで見たこともない安堵した顔で涙を流した。


 その表情はクロード先輩にだけ向けられるものだから、俺は見てはいけない。

 そう思って顔を背けた。


「ウィルフリッド・ブルブラック。世話をかけたわね」


「いや、全てはカーミヤ嬢のおかげだ。あの劇薬もこの時のために渡されたのかと勘繰ったくらいだよ」


「それは買い被りすぎですわ」


「カーミヤ嬢、早く胃の洗浄をした方がいい。別室に必要な物を準備してある。優秀な薬師も屋敷の外で待機している。俺にその身を預けてくれないか?」


「いいでしょう。全て任せます」


 カーミヤ嬢は待機していたサーナ先生の処置を受け、数日間は絶対安静となった。


 サーナ先生によると、デルタトキシンは死を偽装する時に使う劇薬らしい。


 もがき苦しみ、最後は心臓が停止する。しかし、それは一時的なもので、しばらくすると蘇生するのだ。

 蘇生までの時間は服薬量で自在に操作することができる。


 ただ、脳へのダメージはゼロではなく、後遺症のリスクを伴うものだと教えてくれた。


 例えば、死刑執行の前に服薬して脱走を図ったり、愛する人の死を偽装して駆け落ちしたりする時に用いる。


 この薬の効用でカーミヤ嬢の心臓が一度停止したことで、転生者である神谷かみやは死亡した。


 その後、息を吹き返した時に目覚めるのがカーミヤ・クリムゾンなのか、神谷かみや ともえなのかは賭けだったが、俺たちは賭けに勝ったのだ。

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