第39話 本物を贈った
俺とリューテシアは学生結婚というチート技を使ったことで周囲を黙らせたわけだが、それでも軽蔑の眼差しを向けられることは度々あった。
俺は幸せすぎて外野に何を言われようが何とも感じない体になってしまっていたが、リューテシアはそうもいかないだろう。
そんな時、助け船を出してくれたのは他でもないカーミヤ嬢だったのだ。
全快してクロード先輩と連れだって学園に戻った彼女はカーミヤ・クリムゾン派の生徒たちを宥め、二つの派閥の解体を提言した。
彼女のおかげで三年間続いた派閥争いは終止符を打ち、全員揃って卒業式を迎えることを目指すようになった。
無断欠席と課題未提出という爆弾級の置き土産を残されたカーミヤ嬢は公爵令嬢の肩書きを振りかざすことなく補習を受けて、ギリギリ卒業の許可を得た。
もちろん、俺やリューテシアを含め、クラスメイト全員で協力したし、最後まで誰も諦めなかった。
◇◆◇◆◇◆
そして、遂に迎えた王立学園の卒業式。
卒業生だけは普段の制服ではなく、好みの服装で参加して良い校則に則り、女生徒は煌びやかなドレス姿で出席している。
対して男性陣は何の面白味もない。好みのジャケットを羽織り、胸ポケットに薔薇の花を挿しただけだ。
カーミヤ嬢はトレードマークの赤いドレス。新調したのか、いつもよりも色味が落ち着いている。
うちの婚約者殿……いや、妻! 奥さん! 嫁! は案の定、黒のドレスを着こなして入場した。
その胸には俺が幼い頃に贈ったあの黒薔薇がつけられている。デビュタントの時に身につけいた黒薔薇のブローチではなく、本物の薔薇だ。
やってくれたな、リューテシアめ。
ギョッとして堂々と歩くリューテシアに視線を送って口パクするも、彼女は悪戯っ子のように笑い、一層胸を張って入場行進を再開した。
まぁ、いいか。
最後の時くらい彼女の好きにしても罰は当たらないだろう。
順番に名前を呼ばれて、卒業証書を受け取っていく。
俺は早々に証書を脇に抱えて他のクラスメイトが着席するのを待っていた。
終盤に差し掛かり、リューテシアが壇上で卒業証書を受け取って階段を降りようとしていた。
あぁ、可愛い。卒業式後のラストパーティーも楽しみだな。
そんな風に思っていた時だ。
「貴様! 止まりなさい!」という教員の声が会場に響いた。
不審者はリューテシア目がけて一直線に進み、彼女に手を伸ばした。
「あの野郎っ!」
卒業証書を放り出して駆け出す。
卒業生の親たちの前を走り抜け、乱入者とリューテシアを引き離した。
「俺の後ろに」
背後にリューテシアを隠し、不審者と対峙する。直後、俺は言葉を失った。
目の前に立っているのは不気味に笑うマリキス・ハイドだったのだ。
以前よりもやせ細り、狂気じみた目は俺を見ていない。俺の背中にすっぽり隠れたリューテシアを睨みつけているようだった。
「マリキス。どうして、あんたが……」
「先生をつけろよ、ウィルフリッド・ブルブラック」
もう教職ではないのだから敬う義理はない。俺の大切な婚約者殿にストーカー行為をした輩だぞ。
ふと視線を下にずらせば、奴の手にはリューテシアが胸につけていた黒い薔薇が握られていた。
「お前――っ!」
背後からはリューテシアの小さな吐息のような声が聞こえる。
きっと、彼女も黒薔薇が盗られていることに気づいたのだろう。
「返してください! それは、ウィル様からいただいた大切な物なのです!」
「そんな宝物を持ち出すのが悪いのだ。そんなに自慢したかったのか? 学生の身分で男に体を許した卑し――へぶごをぉっ!?」
拳も腕も痛い。
こんなにも全力で人をぶん殴ったのは初めてだ。
怒りで脳のリミッターが外れたのか、右腕の筋肉が締め上げられるような痛みに襲われた。
でも、俺の物理的な痛みなんて些細なものだ。
リューテシアの心の痛みの方がよっぽどだろう。
これで二回目だぞ。
なぜ彼女だけが大勢の前に辱められなければいけないんだ。
行為は二人でしたのに、矛先は俺ではなくリューテシアに向く。そんなにも弱い者を晒し上げたいのか。
「黙れ。お前といい、神谷といい、喋りすぎなんだよ」
「ほまぇ、あこのほえかほれたそぉ(お前、あごの骨が折れたぞ)」
「黙っていろと言っている。学園長、この人を連れ出してください」
すでにマリキス・ハイドを取り囲んでいるのに、彼らが飛び掛からなかったのは奴が剣を持っているからだ。
でも、俺は迷わずにぶん殴った。剣が怖くて大切な人を守れるものか。
「くぉれがとうなぅてもひひほかぁ!?(これがどうなってもいいのか)」
「はぁ?」
まともに話せなくなったマリキスは俺やリューテシアへの暴言をやめて、見せつけるように黒薔薇をじりじりと握り潰していく。
「や、いや……やめてっ」
今にも飛び出しそうなリューテシアの腕を掴み、抱き寄せる。それでも彼女の力は強く、俺を振り解こうと必死だった。
その間にも黒薔薇の花弁はガラス細工のように崩れ落ち、マリキスの足元に散った。
「あ、ぁぁ……。ウィル様の黒薔薇が。わたしが持ってきてしまったから――」
愕然とするリューテシアを見据えたマリキスはこれでもかと憎たらしく泣き叫ぶように笑い、教員たちに取り押さえられた。
「リュシー」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。ウィル様、お許しください」
俺の服を掴みながら、崩れ落ちるリューテシアと目線を合わせるように膝を折る。
そして、胸ポケットにある真っ赤な薔薇をそっと差し出した。
「黒薔薇は役目の終えたから散ったんだ。決して、あの男に潰されたわけじゃない」
どこから自信が湧いてくるのか分からないが、今なら出来ると直感した。
お母様、約束は守ります。
俺にとって今が必要な時なんです。
もう何年も唱えていないのにすらすらと口から呪文が出てくる。
幼い頃よりも発音が上達しているからか、自分でも驚くほどに聞き取りやすかった。
次の瞬間、俺の手が光を放ち、持っていた赤い薔薇の花弁の一部が白くなった。
まるで漂白のようだ。
一度真っ白になった薔薇は青色の染料が染みこむように色づいた。
「これをきみに贈るよ」
「奇跡の、青い薔薇」
「秘密だよ。って言っても、もう遅いか」
壇上から見下ろせば、あちこちで立ち上がっている人がいる。
生徒だったり、保護者だったり、教員だったり。
そんな中、壇上に昇ってきそうな勢いで食い入るように目を見張るルミナリオが叫んだ。
その声はこれまでに聞いたことのない男らしいもので、普段の穏やかな彼からは想像もつかなかった。
「今すぐ扉を閉めよ! 余の名の下に
卒業式に参加していた学園の関係者は全員が閉じ込められる形となったわけだが、誰も慌てふためく人はいなかった。
それほどまでにルミナリオの一声が重かったのだ。
「ウィルフリッド、その魔術をどこで……。私の息子が、奇跡の魔術師だと?」
父はどこか遠い場所を見ながら、たどたどしく保護者席を立った。
「黙っていてすみません。俺は魔術を使えるんです。お母様から秘密にするようにと言われて」
父はルミナリオの前で跪き、決して顔を上げることなく申し出た。
「ルミナリオ王太子殿下! 愚息はリューテシア・ファンドミーユ子爵令嬢と成婚済みです! なにとぞ、ご容赦ください!」
あの父が頭を下げている。
信じられない光景が目の前に広がっていて声を出せなかった。
やがて、ファンドミーユ子爵と夫人までもが立ち上がり、ルミナリオに敬意を表して同じように懇願した。
隣を見れば、リューテシアは不安な色を濃くした瞳で俺を見つめ、痛いほどに固く腕を握りしめている。
「それは国王陛下が決める。ウィルフリッド・ブルブラック、およびブルブラック伯爵を王宮へ連行する。これは強制である」
ひどく冷めたルミナリオの言葉に父たちは肩を落とし、リューテシアは涙を流した。
俺だけが取り残されて呆然としている中、ルミナリオは学園長の方へ歩き出す。
「忘却魔術で当事者以外の記憶を消す。よいな?」
「仰せのままに」
最後にルミナリオは二人の教員に身柄を拘束されたマリキスの前で立ち止まり、不敵に笑った。
「貴様のおかげで希代の魔術師を見つけることができた。その点においてだけは称賛しよう。ただ、余の友とその妻を貶す行為は許さん。覚悟しておけ、地獄が貴様を待っている」
俺の知るルミナリオとは別人のようだった。
この時、改めてルミナリオが王族なのだと悟った。
「待たせたな、ウィルフリッド。何も怖がることはないぞ。さぁ、余の手を取れ。事情を聞くだけだ」
こうして俺と父以外の人たちは、この一連の記憶を抹消された状態で卒業式を再開し、無事に式を終えたと後から聞いた。
その頃、俺たちは王宮へと向かう馬車の中で重苦しい空気に押し潰されそうになっていた。
後に国王陛下と謁見したことで、俺の存在がいかに規格外なのか知ることになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます