青世界に白光

赤原吹

路地裏のどざえもん

第1話 八龍のとある日常

【5月2日 晴天 本日のトピック:ラーメンまん丸替え玉無料キャンペーン最終日】


 その五感に騒がしい都市は島にある。上っては下り、下っては上りと、忙しない坂道に時を重ねた色とりどりのビルが並び、合間には香辛料のピリリと刺激的な香りが流れ、その中で少年たちがボールを追い駆け、何かが焼ける香ばしい煙に、にーはお、しぇいしぇーいとわざとらしい挨拶が混ざり、あれ驚いたと声が飛び交い、ガラスが割れる音と出やがったな札持って来いと怒鳴り声と怪しい笑い声不協和音を奏で、赤い提灯が狭い道路の上で列をなし、福の字があちこちの壁に貼られ、わざとらしいチャイナドレスや慣れた様子の着物や玉乗りピエロが消えているネオン看板の横を闊歩し、湿った空気が漂う細い道を縫うようにトラムが走り、ジャララアアーンとどこかで銅鑼が鳴る。ここ以外では非日常と呼ばれるらしいが、路地に立つ二人にとっては、これが日常だ。

「この辺りでも出たって言うけどね、ムチ」

 全身青色の服の青年が隣に立つ人物に話し掛け、道端に手にしていた『何か』を置いた。

「一本向こうの通り」

 ムチと呼ばれた人物は淡々とした声で返事をし、青年が置いた何かを拾い、白いパンプスを鳴らして路地裏へ進む。

「気付いていたらすぐに言ってよー」

「意気揚々と歩いていくアオヒが可愛かったから」

 アオヒと呼ばれた青年は頬を膨らませた。

「可愛いって言えば許されると思っているでしょ! てか、ええ、ここ抜ける?」

 薄暗い路地裏へ歩き出したムチをアオヒは呼び止めるが、ムチは気にせず進む。

「反対側の大通りに美味しい包子パオズの屋台があるって聞いた」

「ムチ、ほんと食い意地張っているー」

 青年が歩きながら上を見た。パイプが四方八方に張り巡り、半ば地下通路の様相である。

「うわー、気分悪」

「アオヒ我慢、包子のために」

「おれと包子、どっちが大切なのよ!」

「今は包子。お腹減った」

「酷いわ、ダーリン!」

「ボクはいつだってハニーの事、大切に思っているよ」

「いつも調子いいんだから! そういうとこも好きだけど! ぎゃっ! 泥付いた! 最悪、この間、靴洗ったばっかりだよ!」

 うんざりした顔のアオヒと無表情のムチは軽口を叩きながら狭い路地を進んでいく。ふと、ムチが足元に落ちていた缶を蹴り飛ばした。道端に小石があったら蹴るタイプの小学生だったムチは、缶を見つけた時から狙っていた。ナイッシューと声援が飛ぶ程度に美しく、かつ、勢いよく、カコンと通りに出る手前の地面に転がった缶の音は妙に余韻をもってカァーン、カァーンと響き続けた。

「むーちー、絶対これはやらかしたよね?」

「……まだ分からない」

 ムチは立ち止まって、蹴飛ばした缶をじっと見る。よく見るトマトの水煮の缶詰、フレッシュトマト、トマトのおいしさそのまま缶詰に、と病的なほどに真っ赤なトマトの写真がプリントされたアルミ缶、残念ながら食べ終わった後にリサイクルには出されなかったようだ。すっかり静止しているが、反響した余韻はカァーン、カァーンと建物の間に響き続けている。

「ここは『誰かの道』ってわけじゃなかったよね」

「確か」

 ふと、静止していた缶が、転がり始める。

「やっぱりやらかしていたね」

「包子一個で許してほしい」

 ムチは学習した、道端の缶を不用意に蹴ってはならぬ、あとアルミ缶は洗ってリサイクルに出さないとやっぱりだめだ。持続可能な社会ってやつ。こういう面倒なものに大切な資源が『取り憑かれて』しまうのはもったいない。

好的ハオダ(いいよ)!」

 横に転がっていた缶がくるくると回り起き上がった。缶が横に裂け、口のようにカタカタと動き始めた。トマトのイラストが真ん中で裂かれたから、トマトの絵が話し出したようだ。

『何故、この道を通る』

 しゃがれた男の声だ。缶に反響しているのか、キンと甲高い音が重なり、耳に響く。

「近道しようと思った」

 悪びれず、ムチが話す。

「もしかして『路地裏同好会』に所属していた?」

『何故、お前らは此処を通った』

「調査のため」

 二人は手帳を取り出し、パッと開いて見せた。

福薬會ふくやくかいの白川」

「同じく盛堂です!」

 二人の手帳には顔写真と共に『白川睦千しらかわむち』『盛堂せいどう青日あおひ』と記名されている。

「この辺りで最近『グーアイ』が出たから調査していた。お邪魔して悪かった」

 睦千が幾分か表情を引き締め缶に手を伸ばそうとする。

「元の場所に戻すから、見逃してはくれない?」

 缶がカランコロンと暴れ始める。

『侵入者を決して許しはせぬ! 此処は我の道なり! 我の美学の場である!』

 脇に積み重なった箱やらゴミ袋やら、果ては頭上のパイプも音を立て震え出す。そして、缶が一際大きく口を開き、睦千の腕へ飛びかかった。

「おっと」

 睦千は腕を引く。先ほどまで手ぶらだった手には白く怪しく光る一本鞭が握られていた。その鞭の柄に缶は噛みついている。人間の口の中のような歯が見えた。歯並びがやけにいいものだったので、睦千は嘆息する、どこの歯医者にお通いで? もっと見せてよと、缶が逃げ出さないようにもう片方の手でぐっと押さえつけた。

「青日」

「いーよー、ハオハオー」

 青日はその場に立ったまま、辺りを見渡した。

「此処は青が少ないね」

 パイプに壁、地面もどんよりと重い灰色だ。青日が望むような青色はない。ないなら作ればいいが最近のトレンド、DIYだね、と青日は脳内で塗り替えた。壁はコバルトブルー、地面はターコイズ、パイプはパステルブルーとピーコックブルーのミックスで。青日の脳内が現実に反映され、青く塗り替えられていく路地の中で、缶は鞭の柄に噛みついたまま、うーうー唸り、グネグネと身体を捩らせていた。睦千は暴れる缶をのらりくらりと避け、青色はその色を濃くしていく。

「いいねえ、青。青こそ美学」

 青日も飛び出してくる箱やら袋やら服を軽やかに避けていた。路地の青色はより濃く、鮮やかになっていく。それに比例して青日は笑い始める、鬼か妖かが笑っているような、この世から一線逸れてしまったような声だ。一方、暴れていた缶の声が弱々しくなる。睦千は缶をもう片方の手で掴み、柄から引き剝がし、地面に転がした。

「青日、こっち」

 一閃、青日の背中をピンッと軽く鞭打つと青日の笑い声が止み、路地の青色が消えていく。

「やっば、意識飛んでいた」

 青日は、額を撫でながらはーと大きく息を吐く。睦千はゴソゴソと上着やパンツのポケットを探っていた。その手にも睦千の身の回りにも鞭はない。

「封じ込めの札、どこに入れたかな……これは通せんぼの札……」

「ちょ! 睦千!」

  青日が叫ぶ。睦千が青日の方を見ると、青日の腕に缶が噛みついていた。ジクジクと赤色が青日の服を塗り替えていき、ぶち、ぼき、と繊維と骨が千切れ砕かれる音と、ひゅ、と青日が息を飲んだ奇妙な呼吸音が聞こえた。

「こいつ、暴れん坊だよ、へこたれない」

 青日は膝を付きながら冷静に呟き、缶をとれかけた腕から無理矢理引き剥がし、道に転がす。一緒に腕もとれた。睦千は右手を振ると、その手には光る鞭が現れている。

『我の道を返せ! この道に色彩なぞ不要!』

 缶は青日の腕を道端に投げ捨て怒鳴る。

「青色こそが至高!」

「青日お口チャック」

 睦千は苛立ったように右手を振り上げ、青日の欠けた腕を目掛け鞭を打ち付けた。痛い! と青日が叫ぶと投げ捨てられた腕が浮かび、傷口に接着した。地面に落ちた血も消え去り、破れた服も時が戻ったように何事もなく青日の腕を覆い隠す。青日も腕をさすっているが、痛みはその表情からは読み取れない。

「ここは封鎖して呪方まじないかたに任せる」

 睦千は大通りの方へ駆け出し、青日は缶を掴み反対方向に放り、睦千を追い駆ける。ついでにあっかんべえと舌を出す事も忘れない、あっかんべえ!

「開くなゴマ!」

 路地裏から出た睦千が手にしていた小さな紙を地面に叩き付けた。紙は円形で渦巻が書かれている。睦千が呪文を口にすると、渦巻に沿って紙が切断され、蛇が頭をもたげるように宙へ浮いた。白い蛇が宙に静止してから、睦千が手を伸ばしても、その紙より先、路地の中へ手を伸ばす事はできなかった。

「反対側もお願いね、睦千」

「はあ、戻るのめんどい……てか、やばい怪我はしないでよ」

「睦千がやらかしたんじゃん。あーあ、睦千を庇った腕がいたーい」

「……包子の屋台はそこ。並んで待っていて」

「五分で戻ってね」

 盛大に溜息を吐きながら、睦千は手に鞭を出し、ビルに向かって伸ばした。しゅるりとどこかに引っ掛けたらしい睦千が、それじゃと言ってシュルシュルとビルを登って行った。

「……絶対、おれがあっち戻るより早いじゃん……」

 青日は独り言ち、睦千の言う屋台の方へ足を進める。途中で『何か』を花びらが散っている道の上に置く。露天商のラジオが『開けゴマ、開くなゴマ、蛇印の鍵蛇屋』と気前良く歌っている、本日も平和なり、と青日は腕が噛み千切られたことも忘れ、ルンルンと歩き始める。が、ポケットの中からリンリンと音が鳴り出した、ありゃま、着信。

「はいはい青日です、春田さん、ちょうどいいタイミング! 呪方を、え、緊急の依頼? ……うん、巨匠館……5分で笑福門? 観光案内? 御指名? 無理、無理だって!」

「何?」

 早々に戻って来た睦千が青日の後ろで首を傾げる。

「観光案内、五分で来いって! 予知婆からの依頼!」

「どう考えたって無理。いや、待って急げばトラム乗れる。それでも間に合わないけど」

 睦千は腕時計を見て走り出し、青日はその後ろを追い駆けた。

「おれ、いつも思うんだけど睦千ヒールで走る時の方早くない?」

「気のせい」




 森川慎太もりかわしんたは人を待っていた。その間、島の事についての情報を見返す。

 島は『八龍やつりゅう』と言う。1973年頃に太平洋沖に突如として現れた人工的な島であり、奇怪病都市と呼ばれていた。

 奇怪病は戦後に世に現れた摩訶不思議な現象を引き起こす力の事を言う。現れる力は様々であったが、しかし、そのどれもが自然現象、物理法則を捻じ曲げ、常人が成し得ない力を持っていた。後に、これらは極度に恐怖するもの、また、度を越して好むもの、異常に収集するものなどの『恐怖』『依存』『収集』に由来すると判明する。つまり、我を忘れるほど自身に影響を与えるものが、奇怪病として現れるのだ。

 こうした奇怪病者たちは、当初、社会から迫害されたが、奇怪病者たちは自らの権利を主張し、『巨匠』と称される人物を中心に、奇怪病者による奇怪病者のための奇怪病者組織『福薬會』が創設された。巨匠の奇怪病は『迷宮城塞都市構築病』であり、一夜にして太平洋沖合に島を作り上げた。それが八龍である。いびつなビルが立ち並ぶ廃墟群に似た都市には迫害された奇怪病者が身を潜めていた。それから、五年ほどの巨匠と政府の小競り合いを経て八龍は奇怪病者保護地区と認定され、福薬會が都市の治安維持、奇怪病者の統率を担う事になった。この背景には奇怪病による不可解現象『グーアイ』に対抗できる組織が福薬會だけであった事が挙げられる。そして、現在、八龍は奇怪病を生かした観光都市となっている。

 彼は指示された通りにベンチに座って案内人を待っている。ルールが設けられている店、道、その他危険な場所が多く、観光客だけで歩く事は基本的に禁止され、案内人制度が設けられている。その案内人も福薬會のメンバーだ。船から降りた森川が島の入口である笑福門で受付を済ませ、まるでキョンシーの額に貼るような、黄色い紙に赤い線でごちゃごちゃと書かれた紙を見ていた。受付の老婆曰く、『これさえ持っていれば一度は身を守れるし、店で割引される』と言う『一日限定八龍魔除けのチケット』らしい。馬鹿らしいとベンチで待つ事十分、受付へ二人組がバタバタと駆け寄って行った。

「ちょっと婆ちゃん、五分は無理だって!」

「来たじゃないか」

「急いだ」

「そりゃあ予知通り、立派な事だ。お客様はあちらだ」

 老婆が指し示した先に森川がいる。二人は彼にこんにちはと声を掛けた。二人とも若い、十代後半か二十歳になったばかりか、と森川はこんにちは、と返しながら考える。

「お待たせしました! 本日案内人を務めます、福薬會の青日と」

「同じく福薬會の白川睦千」

 二人は手帳を見せながら名乗る。盛堂青日と白川睦千と確かに記名がされている。

「本日はよろしくお願いします、森川慎太と申します」

 森川は名乗りながら二人を観察する。

 青日はパーカーの上に、チャイナボタンが特徴的な丈の長い上着を羽織り、ゆったりとしたパンツにスニーカーと、一応は普通のいでたちだったが、その色が全て清濁明暗異なる青色だった。上着は空色、パーカーは紺色、パンツとスニーカーはロイヤルブルー、黒く長く緩く波打つ前髪に隠された不健康そうな垂れ目と両目の下にある泣き黒子を、更に覆う丸い色眼鏡でさえ青色の異色な青年である。細身で猫背、目の下の隈からも不気味さを感じる青年だが、にこにこと笑う表情からは軽快な印象を受ける。

 一方、睦千の性別は判然としない。白いフライトジャケットを羽織っている身体は細身だが、男性にしても長身であり、靴のせいもあるのか隣の青日よりも10センチ以上も背が高い。白金の髪は短く切り揃えられ、顔立ちはゾッとするほど整い、中でも理想的な流線型を描く緑色の瞳が強く惹き付ける印象を残す。額は丸く、鼻は細く小さく、唇は薄いがふっくらと桃色で、顔を作る要素の一つ一つが女性的で美しい。手足は細いが力強く、男性的。しかし、肌が柔らかで、骨が目立たず七センチほどの白いヒールを悠然と履きこなす姿は女性的。声は柔らかな少年にも、余韻が鋭く響く少女にも聞こえる。その首には薄く出っ張りがあるようにも見えるが、やはりはっきりとしない。睦千を作る一つ一つの要素を細かく見ると、僅かに性差を感じ取れるが、全体で見ると中性的で性別不詳だ。しかし、性別などは些細な問題になるほど、この白川睦千という人間の外観は完璧で、観察しようと見れば見るほど、その魅力に意識が絡め取られていく。

「おれ達の事は気軽に青日と睦千って呼んでください」

「今日はどこにご用事?」

 青日は友好的な雰囲気で、睦千はぶっきらぼうに話しかける。睦千に見惚れていた森川はそれにムッとしながら答える。

「取材だ」

 そう言って森川は名刺を取り出した。二人はそれぞれ受け取る。

「月刊『MASSAKAFUSHIGI』、睦千知っている?」

「日本全国の不思議を取り上げる雑誌。八龍の事、書くの?」

「特集を組む予定だ。今日はそれの準備、だな」

「怪の事は知っている?」

 青日が尋ねる。

「ああ、調べてきた。奇怪病の影響だろう」

「森川さん、お化けとか信じないタイプっぽい。『MASSAKAFUSHIGI』なのに」

 睦千は呆れたように、そして、森川もそうだろうな、と心の中で呟いた。元々、森川は新聞記者であった。正しい社会を新聞で作ろうと、熱く、朝から夜まで駆け回っていたが、取材が強引だと言われ、誰が読んでいるのか分からない奇妙な月刊誌に異動させられた。当然、この雑誌に思い入れもなければ、奇妙な都市に興味もない。睦千はそれを僅かながら感じ取ったのだろう。一方の青日はやけに楽しそうに話す。

「奇怪病は依存、恐怖、蒐集、つまり自分の欲望や願望が元になって、色んな不思議な事を発生させる、これが『奇怪病の症状』。で、その欲望や願望が勝手に形を作ったものが怪だよ。怪は基本その辺をフラフラしてちょっと可愛い感じのイタズラをするくらいだけど、たまに邪気が強くて人に悪さをするの、例えば誰かに怪我をさせたり、取り憑いたりとかね、だから注意が必要なんだ」

 青日が妖怪みたいなものだよね、と言う。

「つまり、奇怪病や怪の欲望や願望は美学。美学が本人も知らない間に自分の手を離れて、暴走し、人に悪影響を及ぼす、それが怪。奇怪病の症状とは異なるもの。人に害をなす」

「巨匠館の方は怪が多いからね」

 八龍にはいくつか地区がある。その一つが『巨匠』が八龍黎明期に作り上げた巨匠館と呼ばれるビル群が中心となっている『巨匠館地区』である。101棟ある巨匠館は一部が住居、テナントとして住民に賃貸されている。路地や階段が入り組み、いびつな建物が並ぶ。館同士が密接している箇所、館を繋げるための橋や通路で半ば地下道と化している箇所、地下道と化した道の上に更に積み重ねるように通路が作られ交差する。噂によれば、巨匠館1号館から地面に足をつけずに101館まで順に辿れるとある。

「道が暗く、奇怪病者も多い。邪気が住み着きやすい」

「そうそう、さっきも睦千がやらかしたしね」

「青日」

「ごめーん。だから、観光なら新都市地区だよ、巨匠館地区に似ているし。空中庭園地区もすぐ上だし。一日で全部見るのは無理だし、巨匠館に観光するところないし」

 新都市地区は八龍でも特に新しい地区だ。奇怪病者が社会的地位をもつに伴い、八龍を観光目的で訪れる人々が増えた。観光客へ向けた商売を始める奇怪病者も同様に増え、福薬會による観光地区整備が進められた。『巨匠を敬愛する会』により、巨匠館地区を再現した街並みとかねてより土地を求めていた庭園由来の奇怪病者たちによる空中庭園が整備された。空中庭園の影があるが、全体的に明るく整理された印象がある地区だ。

「今回の特集では福薬會を中心に奇怪病者の生活を取り上げるつもりだ、観光特集じゃない。だから、巨匠館を中心に見たい。福薬會からも許可が出ているはずだ。何も聞いていないのか」

 森川が不愉快そうに告げると、二人は顔を見合わせて首を傾げた。

「ボク達、案内専門の福薬會メンバーじゃない。今日も突然呼び出されただけ」

「おれ達は怪調査方だからね! しかも、荒っぽい怪担当だし」

 福薬會は観光客を案内する案内方あんないかた、怪の調査を行う怪調査方グーアイちょうさかた、調査員の支援等を行う怪調査事務方、怪を祓い清める呪方、奇怪病者の調査を行う保安方、保安方の支援を行う保安事務方、経理、人事、総務と部署がある。睦千達が所属する怪調査方は更に腕っ節に自信がある武闘派と科学捜査に長けた奇怪病を使って捜査をする科捜派に分かれ、睦千達は武闘派の所属だ。

「だから多分、今日は怪と会うと思うよ。そこの予知婆が予定を変えてボク達を呼んだんだ」

「良かったねー。それで、どこに行く?」

「君達は今、どんな怪を追い駆けている?」

「猫探し」

 青日が答えると、森川は猫探し、と繰り返した。

「猫を探している。見たい?」

 森川は正直、猫に関してはどうでもよかったが、じゃあ、それで、と睦千に答えた。

「とりあえず、春田さんに連絡する」

 睦千も納得したような表情でスマートフォンを取り出し、二人を担当している事務員の春田奈子はるたなこに電話を掛ける。その間に青日は猫探しについて話す。

「新都市地区に猫様一番っていう猫カフェがあるんだけど、そこの猫が一匹いなくなったんだ。あんまりにも忽然といなくなったから、調べてみると怪の気配があったんだ。んで、その怪は祓ったんだけど、猫が見つからないの。だから、調査方の暇な奴が探しているの。おれ達、暇じゃないのに、担当事件が進まないから駆り出されたんだ」

「担当事件とは。差し支えなければでいいが」

「魔法少女を探しているんだ」

 猫探しだの魔法少女だの頭を抱えたくなるが、ぐっと堪える。ここはそういうところなのだ。

「……その魔法少女とは、なんて言うのか、強敵? なのか?」

「分かんないよ。おれ達、福薬會の無能組だもん」

「無能組?」

「怪調査方は二人以上でチーム作って動いているんだけど、おれと睦千、最初に組んだ事件解決できなかったから、そう自称していたら広がっちゃった。事件は解決しているんだけどね? でも無能組担当ってだけで先行き心配になるんだって」

「いいのか、それで」

「いい」

 電話を終えた睦千が青日の頭に顎を置いて話す。

「唯一無二って感じ。それに、期待されないのってラクチン」

「同感。てか睦千どいてよ、身長伸びなくなる」

「もう伸びないよ。青日は、そのまま可愛いサイズがいい」

「おれがやだ! それで、春田さんなんて?」

「いい感じにって。あと、萩和尚と合流してさっきのカンカン処理してって。今、和尚が別件対応中だから、一時間後に現場で合流」

「おっけー、と、言う事で!」

 青日は森川の方を向いて告げた。

「まずは路面電車トラムに乗ろう!」




 八龍はトラムが主な移動手段だ。八龍メトロが運営しているトラムは毎日飽きもせず、街の中を東奔西走北へ南へぐるぐると回っている。窓の外にはみちみちと並ぶ防波堤のようなビルが見えていた。

「今、猫の目撃情報は新都市地区だよ。ここでも吃驚仰天摩訶不思議なアレコレがあるから、森川さんちゃんとついてきてね」

 青日は吊革で揺れながら嬉々として話す。

「森川さんは八龍の地区っていうのは調べてきたの?」

「ざっとだが」

「まずは巨匠館地区でしょー、その地下がちょっと変態っぽいのが集まる六花りっか地区、今から行く新都市地区、新都市地区の上に空中庭園地区。芸術系の奇怪病者が集まる深文化郷地区はヨーロッパの街並みみたいでおしゃれだし、コンサートとかライブとか劇場とか美術館とか! まさに芸術の町って感じ。それと反対なのが電電でんでん地区かな。あそこはビジネス街だよね、普通の都会と変わらなくて最先端って感じ。あと、美味しいカレー屋がなんでか多い」

 すらすらとかいつまんで説明する青日に森川は尋ねる。

「二人は八龍に住んで長いのか?」

「おれは、3年? くらい? 睦千はどれくらいだっけ?」

「待って……、にぃしぃ……あ、6年だ」

「それなら、奇怪病が発症してからここに越してきたのか」

「そうそう、そんな感じ」

「ちなみに、君達の奇怪病は? 差し支えなければ、教えてほしい」

「流石、ライターさん、好奇心旺盛だね! おれの奇怪病はね、青色日曜症候群、ブルー・サンデー・シンドロームだよ」

 ブルー・サンデー・シンドロームと森川は口の中で呟く。

「そう。日曜日に憂鬱になる感じ。おれ、そういう時、青色に囲まれたい! ってなるの。まあ、単純に青色が好きなんだけどさ。それで、周りを青く錯覚させて、それを見た人は憂鬱になっちゃうっていう奇怪病」

「……だが、君は、いわゆる武闘派なんだろう?」

「武闘派っぽくない? でも、憂鬱になって黙り込むのもいれば、暴れるのもいるんだよ。それに、おれ、口より先に手が出ちゃうタイプだし。ちなみに睦千は口より手より足が出るタイプ」

「ボクは関係ない」

「ごめーん」

「睦千さんの奇怪病は?」

 睦千はきょとんとしてから、口元を微かに上げる。隠れていた八重歯が見えた。完璧と言っても差し支えないほど整った顔の造形の中で、そのいびつだと形容されるようなその尖った八重歯が記憶に強烈に張り付いた。ゆうらり、長めの前髪が揺れて、細められた瞳が見える。グリーンの色合いかと思ったが、今は明るい茶色、琥珀に見える。窓の外の光によって瞳の色が変わるのだろうかと、森川は一瞬、見惚れた。誰でもできるような何の変哲もない微笑みが、絵画の皇太子や男装の麗人、艶やかな女性達が浮かべるような特上の笑みに見えた。

「ひみつ」

 青日はけらけらと笑い出した。

「そう! 秘密なんだよね! おれも知らない! 白くて光る鞭が出てきて、こっちの睦千じゃないよ、武器の方の鞭。その鞭で叩くと怪も奇怪病もコントロールされちゃうんだ。ついでにおれの怪我も治してくれるよ! これしか知らない! てかさー睦千」

「何?」

「おれという者がありながら、誰でも彼でも顔面で口説き落とそうとしないでよ?」

 うるりと青日はその大きな垂れ目の目尻を更に下げて、ダメ押しに顎の下に吊革を掴んでいない左手の拳を添えた。端的に述べて、『ぶりっこ』をした。

「ボクが本気で口説くのはハニーだけだよ」

 睦千はからかうような声音と、スンと無駄に澄ました顔で言い述べる。

「騙されないよ、ダーリン」

 そう言って青日は睦千の額を指で弾いた。森川は、二人はいわゆる『彼氏彼女の関係』つまり、『お付き合い』でもしているのかと勘繰る。最近のカップルはどこでもいつでもいちゃつくのだろう。

「一応、このやり取りを見た人達は勘違いするから訂正するけど、おれと睦千は健全な相棒関係、つまり付き合ってないからね。おれ、睦千の性別知らないし!」

 あははと青日が笑いながら言うが、森川はその発言に素直に驚いた顔をした。

「そう、ボクのひみつ」

「マジで誰が知っているの、睦千の秘密」

「神のみぞ、知るのです……」

 睦千はアーメン、南無南無と十字を切って合掌して拝んだ、清々しい東西融合の神仏習合である。

「青日くんは、何も知らないで、睦千さんと相棒になっているのかい?」

 森川の声にはうっすらと青日を非難する色が紛れていた。青日はそれにへらへらと笑いながら反論を始める。

「何も知らないなんて酷いなあ。おれと睦千はちゃんと相棒だよ。相棒が続かない事で定評のある睦千の相棒、最長の二年を記録し続けているんだよ」

 コミカルに威張った青日の隣で、睦千は僅かに柳眉を逆立て、口を開く。

「青日は、ボクの相棒。何も訊かないでって頼んだのはボク。青日は約束を守っているだけ。それに、青日はボクの事、知っているよ」

「靴が好きで同じ靴は二日連続履かないとか、口紅リップ塗らないと調子悪くて、白の次に黄色が好きな事とか、白米が好きで、一番好きなおかずは色々試すけど、結局、麻婆豆腐に帰って来るとかね」

「……ボクの情報、もっといいやつ知っているのに、なんでちょっと間抜けなラインナップ?」

「おれが思う、ハニーの可愛いところ百選から抜粋したの。かっこいい情報はおれだけが知っていればいいでしょ?」

「ダーリンってば、お茶目さん」

「……すまない、部外者が余計な事だった」

 森川が謝罪を口にすると、青日の言葉に表情を和らげた睦千は気にしていないよと言うように首を横に振った。その時、トラムがガタンと大きく揺れた。

 『次はー新都市中央、新都市中央ー降車されるお客様はお忘れ物にご注意ください。次はー新都市中央、新都市中央ー、新都市商店街、物物大街ぶつぶつたいがいはこちらー』

 青日が案内を聞いて次降ります! と声を掛けた。次第に速度を落とし、そして止まったトラムから多くの人々が下りていく。三人もその流れに身を任せて停車場に降り立った。

 まず、鼻先に肉が焼ける匂いが飛び込んできた。匂いの方に視線を向けると、露店で牛肉の串焼きが売られている。その先に朱塗りの東洋風の門、『物物大街』と扁額が掲げられ、その門の下を先程まで乗っていたトラムが走り抜けていき、その左右をカジュアルやらクラシカルやらコスプレやら様々な装いの人々が歩いている。小奇麗でパッと目を引くような、赤、青、黄などの色のビル、その色合いに負けないような派手な色合い、かつ、ひらがなカタカナ漢字に英語、その他諸々、様々な言語とレタリックの看板が彼方此方四方八方と飛び出している。建物と看板の賑わいに負けていないのが、人の活気であった。ビルの入り口は何処も広く開け放たれ、廂が影を作っている。ビルは洒落た印象であるが、廂が並ぶ道は何処か下町の懐かしさを感じる。店は様々で、食堂やらカフェ、洋服屋に靴屋、本屋に花屋、雑貨屋、その他よく分からない怪しげな店達が、それぞれビルの中に入っている。その間を雑踏と客引きの声と笑い声とスパイスや油や醤油や焼き菓子なんかの香りが流れていた。アジアの市場か欧州の洒落た通りか、はたまた田舎の商店街か、異国情緒とノスタルジックが混ざり合う様子を森川はカメラに収めた。

「ここが新都市地区で一番有名な物物大街でーす」

「ビルには、大体何かしらの店が入っている」

「まあ説明はいいや、とりあえず歩こう歩こう、体験するのが一番だよ!」

 青日は意気揚々と歩き出し、その後ろを睦千がゆらりとした歩調でついていく。森川はそんな二人の後姿を一枚撮って、慌ててついて行った。その頭上を人が飛んで行く。人とは飛ぶ生き物であったろうか、と森川の足はたたらを踏んだ。

「おい、今人が飛んで行ったぞ!」

「結構いるよ、飛行タイプの奇怪病者。みんな空に憧れるんだよねぇ、いいよね、空。青いし」

 青日がそう言っている間に、また空を箒で飛んで行く影が見えた。森川は口を開けて立ち尽くす、自分の目が信じられなくなっていた。

「ねぇ、森川さん行くよー、こんくらいで驚いていちゃ、心臓止まるよー。てか、睦千に置いてかれちゃう」

「どこに向かうんだ?」

「森川さんどこがいい?」

「猫はいいのかい?」

「そのうち見つかる」

 睦千はつまらなさそうに答え、それを見た青日がこっそり耳打ちする。

「魔法少女の方が行き詰まって機嫌悪いんだ」

 青日、と睦千が呼ぶとすかさずごめーん、と青日は答えた。もう既にこのやり取りに見慣れてきた。

「ついでだから空中庭園でも見てくる? 街を上から見下ろせるよ」

 森川がじゃあそれで、と答えると青日が決まりだね、と意気揚々と歩き、睦千はゆったりとした足取りで追う。歩く睦千に時折手を振る女性がちらほらといた。

「知り合いかい?」

「いいや、ボクの顔が好きな人達。ボクを見かけると手を振ってくる」

「睦千は顔だけは良いからねー、中身は怪にしか興味がないし」

「まあね」

 睦千が自慢の顔をにんまりと笑いながら目の前の建物を指差す。

「ほらここ、一番見晴らしがいい、八龍でぱあと」

 『八龍でぱあと』。こだわりは誰もが楽しいデパートである事と、デパートではなく『でぱあと』である事、昔懐かしいデパートを模した商業施設である。アールデコ調の外装の建物の中に、こだわりの店と商品が並ぶ。ごちゃごちゃしている八龍の中でも洗礼された場所の一つだ。二人の後に続いて森川も『でぱあと』に入る。

「この屋上から空中庭園の『蓮の庭』に行けるよ。睦千が言う通り、ここが一番見通しいいんだよ。早く屋上行こう」

 青日は相変わらず軽快な足取りで屋上を目指した。エレベーターで辿り着いた屋上は、小さな遊園地のようになっていた。線路の上をおもちゃのような汽車が子供を乗せて走り、こぢんまりとしたメリーゴーランドがこれまた子供を乗せてきゃっきゃっと回っていた。

「この奥の方から空中庭園に抜けられるんだ」

「空中庭園は、また、新都市地区と違った地区になるんだろう?」

 三人は鬱蒼と茂った森の中の小道を進んでいく。その中で睦千は歩きながら説明をする。

「地上部は、巨匠館地区とか、まあ普通に地区が分かれている。でも、用途によって分かれているって言うのは、ちょっと変わっているのかも。それで、新都市地区の屋上より上は空中庭園地区。地区って言うより、でかい公園って言った方がいい気がするけど。そして、地下は六花地区。奇怪病を拗らせて性癖まで拗らせたのが多い」

「だが、地図には、地上にも六花地区とあったと思ったが……」

「それは六花の正面入り口、六花りっか天道てんとう。六花天道は地下の案内とか、ちょっとしたバーとかスナックとか、まだ普通な感じ。そこから、巨匠館地区の地下、地面より低いところは全部六花地区、コスプレ喫茶とか、癖のあるキャバクラ、まあ、風俗もあるけど。でも、普通の定食屋とか居酒屋とか服屋とかも多いし、いつだって夜の街みたいな雰囲気の場所。でも、まあ、調査以外で六花に行こうとか思わない」

「睦千が六花歩くと、大体一目惚れされて、追い駆けられるよね、あそこ」

「不可抗力。あそこは恋の街で、ボクはモテるから。でもあそこは本気でボクを捕まえようとするから」

 ぞっとしながらも自信ありげな顔で睦千は歩く。森川は話題を変えようと、辺りに視線を彷徨わせた。

「……それよりも、屋上なのに、まるで森みたいだ」

「自然を愛する奇怪病者たちが作り上げたから。そろそろ、森を抜ける」

 気分を無理矢理入れ替えたように睦千が明るい口調で話す。それから数歩、歩くと出口の光が見えた。森川は眩しさに目を細めながら森を抜け、驚いたように吐息を零した。

 湖だ。透きとおり、静かに揺れる水面に蓮の葉の影が落ちている。その合間から蓮の花が見えていた。湖の周りの芝生には小さな花、木には桃色の花が咲いていた。静謐な湖である。花の他にはベンチが並び、店がいくつかある。そして今しがた出てきた森の反対側、つまり湖の対岸の先はガラスでできた柵と空が見えている。三人はゆっくりと湖の周りを歩き始めた。

「一番高い場所だから、極楽みたいな庭なんだ。ここは年がら年中蓮が咲いているし、あったかいよ。他にも春の庭だったり夏の庭だったり、色々あるんだ」

「へえ。ここも見事なら、他のところも立派だろう」

 森川は時折立ち止まり写真に景色を収めながら静かにさざ波立つ湖を見る。ふと、ベンチに目をやると、素朴な花で編まれた花冠と花束が置かれていた。白や黄色、小さなバラの花の中に紫の蘭がパッと目を引き、これも写真に収めた。

「誰かの忘れ物かな?」

 いつの間にか隣にいた青日はベンチの上の花冠をしげしげと見つめ、匂いを嗅いでいた。その様子も撮っていると、睦千が柵の方へ森川を呼んだ。

「こっち。ここが新都市地区で一番高い場所で、中心。ここから他の空中庭園とか街並みとか見える」

 森川はガラス越しに下へ視線を落とした。糸のような細い道の上、ミニチュアのように動き、時に自転車やらヒーローのコスプレやらで飛び去って行く人々、右へ左へと曲がる街並み、そしてそれを覆い隠す緑色の庭がそこにあった。

「これが、八龍か、煩雑だな」

「八龍でも綺麗な方。割と新しいし」

「暮らし難くないか? 道が狭いし建物も店も人も溢れかえっている。車もないんだろう」

「東京も似たようなものでしょ。それに奇怪病者はここにいなくちゃいけないって言うわけじゃない。東京だろうがハワイだろうが、奇怪病を抑え込めれば問題ない。でも、この島が好きだからここに住んでいる。車がなくてもトラムは本数が多いし、人力車がタクシーみたいな事している。便利さ快適さが必ずしも幸福に繋がるわけじゃない」

 つらつらと述べる睦千の方へ森川は視線を移した。睦千は街を見下ろしていた。軽く噛まれた唇は怒りや諦めや悔しさを表し、静かに伏せられた目はゆっくりと瞬きをした。光が射し込み、瞳が緑色の光を放った。揺れる事がない水面に若葉が映るように、決して折れる事がないと思わせる瞳の色であった。しかし、本能的に察する、触れれば壊れる瞳でもある。触れれば壊れると分かっていながら、森川はどうしてもその瞳に触れたいと、その瞳をと、衝動的に手を伸ばしかけた。

「……もういいでしょ、そろそろ移動しないと」

 睦千はそんな森川の様子に気付いたのか、さっと背を向けて森の方へ歩き出した。その背を見ながら、いつの間にか傍に来ていた青日が、あーあ、と言った。

「睦千、怒ったね。あいつ、結構八龍の事好きなんだ」

「……君はどうなんだ?」

 森川は自分の胸に湧いた感情を隠すように青日に問い掛けた。

「おれ? おれは睦千と一緒ならどこでもいいよ」

「そんなに信用しているんだな」

「信用していないよ」

 青日は森川を真正面に見ながら、無表情ともとれる顔で言った。

「都合がいいから一緒にいるだけだよ。睦千はおれが塗りつぶさない空白なんだ……あと、忠告しておくけど、睦千に夢を見るのはやめておいた方がいいよ。きっと、睦千から望む答えは返ってこない」

 まあいいや、行こうよ、と青日も歩き始めた。森川は明確にこの都市が嫌いだと認識した。




 再び、トラムに乗って移動する。

「次はお待たせ、巨匠館地区でーす」

 青日はゆらゆら揺れながら話す。

「これから、さっき睦千がやらかした」

「青日」

 隣に立つ睦千が睨みながら名前を呼ぶ。表面上は出会った時と変わらない温度感だ。

「だって事実」

「包子でチャラにした」

「する予定だったんでしょ。昼間、閉じ込めた怪をこれから浄化してもらいます!」

「呪方、という専門の部署があるって聞いたが?」

「うん。オカルト系の奇怪病者が所属している」

「おれ達、怪そのものを消す事はできないんだ」

 だから、と睦千は一枚の紙切れを取り出した。白い紙に赤い字で『封』と書かれている。

「怪をこの札の中に閉じ込める」

「睦千、それ午前中に見つけてよ」

「それは本当にごめん……まあ、これは『封じ込めの札』で、弱めた怪に張り付けると、安全に持ち歩ける。それを呪方に届けて、祓ってもらう。でも、たまにこれに封じ込められない怪がある。そういうのは現地で祓ってもらう」

「今から行くのもこのパターンだよ」

 車掌が『次は巨匠館中央、巨匠館中央』と告げ、トラムのスピードが緩やかになっていく。

「降りよう」

 睦千が声を掛け、森川は席を立った。

 停車場に降り立って、まず目に入ったのは埃色のビルだった。外壁にはペンキで落書きされ、錆びた看板が今にも落ちそうな頼りなさで店を示していた。新都市地区とは全く趣が異なる。

「古くてびっくりした?」

 青日がにやにやと笑いながら、話しかけてくる。

「まあ……だが、巨匠館が作られたのは、一九七〇年代だというじゃないか。古くて当然だ。だけど、これは大丈夫なのか……?」

「大丈夫だよ。ここは、所謂神様で守られているから」

 睦千が早く行こうよと声を掛け、三人は町の中へ歩き始める。

「神様?」

 森川が尋ねると睦千はうん、と一度頷いた。

「うん、神様。というか、怪。人間に協力的だったり、悪さをしないで場所とかインフラとか守ってくれたり、そういう怪を便様びんさまって呼んでいる。そういう怪もいる」

「だから、ここは簡単に崩れる事はないってこと! 早く行こう! 和尚来ちゃう!」

 青日が小走りで通りから外れた路地の方へ駆けていく。睦千が怪を閉じ込めた34号館の路地裏の方だ。森川は、宙に浮かぶ白い蛇を不思議そうに眺めた。

「なんだ、これは……」

「通せんぼの札。この札が浮かんでいるところは誰も通れなくなるし、この札が貼られた扉は絶対に開かなくなる。マジで通れないし、扉は鍵でも開かないし、壊せなくなる。だから、怪を閉じ込めるのに使う事が多い」

「……それは、相当困らないか?」

「この札を作って売っているのは、蛇鍵屋。そこの店員は開錠する事ができるから、使った時は、開錠を依頼する」

「さっきの封じ込めの札とか、怪に遭遇しても家に帰れる『蛙鈴』も作って売っているよ。蛙鈴は八龍住民必須アイテムだね。ほらこれ」

 青日は家の鍵らしき鍵を森川に見せる。鍵を咥えた蛙の鈴がカラカラと鳴っていた。

「これを怪に向かって鳴らすと、怪を足止めできるの」

 なるほど、と森川はカメラを構え、宙に浮く白蛇を撮る。その次に、路地の入口全体を撮ろうとして、ふと左側の壁に何やら置物が置かれている事に気付く。

「なんだ、これは?」

 近づいてみてみると、青い豹と白い虎の置物だ。手作りのようで身体は歪で表情は間抜けだ。

「気にしなくてもいいよ、八龍だし」

「そう。八龍は、大体、こんな通りばかり。こっちじゃなくて反対側で待ち合わせだから、早く行こう」

 二人は何でもないように言って歩き出す。反対側の通りにも同じように通せんぼの札が浮いていた。その前で呪方を待っていると、不意に青日が睦千の腕を引いた。睦千は何も言わずに左腕をさっと青日の前に差し出し、青日はその袖を捲って睦千の腕時計を見た。黄色いベルトの腕時計だ、なるほど、睦千が白色の次に黄色が好きと言うのは間違いないらしいと、森川はぼんやりと目の前の光景から、僅かに意識を逸らした。

「ハゲ和尚、遅いなー」

「そろそろ来ると思う」

「いつも遅いよね、だからハゲって言われるんだ」

「だーれーがーハゲだあー?」

 睦千と青日の肩が誰かにがっしりと掴まれた。二人はゲっと顔を見合わせた。

「萩和尚、居たの?」

 青日が振り返りながら話し掛ける。二人の背後には袈裟姿の坊主頭の男が立っていた。片手には竹箒を持ち、門前を掃いている僧侶の様相だ。だが、顔や体つきは厳つく、箒も清掃道具というよりは槍のように思える。端的に述べて、物騒だ。彼の名前は萩尾はぎお昇市しょういちと言う。周囲からは萩和尚と呼ばれる事が多い。

「たまたま近くを『掃いていた』んだよ。だから、わざわざここで待っていてやったんだ、有り難く思えよ」

「お坊さんの癖に偉そう」

 睦千が振り返りながら文句を言うと、昇市は箒の柄で睦千の頭を叩いた。

「偽物坊主だからいいんだよ」

 昇市は堂々と胸を張って言い述べる。

「お客さんの前なんだから、立派なお坊さんの振りくらいしてよー萩和尚」

「念仏も唱えられない坊主だぞ。正しく修行しているお坊様に失礼だろうが」

「コスプレ和尚」

「呪方はコスプレ集団だからな」

 昇市は森川の方へ向き直り、姿勢を整えて名乗った。

「福薬會呪方、萩尾昇市と申します。本日はご見学をご希望という事で、怪に近づく事になりますが、ご準備はよろしいですか?」

「は……決して邪魔になるような事はしませんので、お願いします」

「まあ、こいつらの後ろに隠れていれば大丈夫かと思いますので」

 普通に話す分には、昇市は普通の男にしか見えないが、さて、と二人に向き合い、

「それで、蛇鍵屋は?」

 と箒の柄を肩に乗せて話す姿は、少々ヤンチャが過ぎる。

「連絡したから、そろそろ来るよ」

 睦千が辺りを見渡すと、男が一人こちらに向かってくる。ヒョロリと細長い男である。黒い髪は肩口で切り揃えられ、目は開いているのか閉じているのか分からない程度に細い。口はにこやかに笑っているが、全体的な雰囲気が怪しげである。男は蛇の刺繍が施された萌黄色の長袍チャンパオ、俗にいうチャイナ服を靡かせながら、お待たせしましたと声を掛けた。

「毎度どうも、蛇鍵屋です」

「へえー店長自らお出ましだ!」

 青日が驚いたように声を上げると、男はくすくすと笑いながらありがたい事にと話し出す。

「皆様のおかげで繁盛しておりますから、わたしも駆け回らないといけないのですよ。ええ、ええ、これからも何卒ご贔屓に」

「ご贔屓も何も、蛇鍵屋は特別、そうでしょ、長宝」

 睦千が笑いかけると、長宝と呼ばれた男は一際笑みを深くし、森川にどうもと挨拶をした。

「どうも、八龍へようこそいらっしゃいまし。わたくし、蛇鍵屋の店長をしております、蛇目じゃのめ長宝ちょうほうと申します。この度、こちらの開錠依頼を受けて、馳せ参じました」

「見学の、森川です」

 にこにこと細められる目は友好の証のはずであるが、なぜか背筋が凍るような不気味さを感じだ。長宝は森川の様子を気にせずに、手にしていた扇子を広げハタハタと煽ぎながら笑う。

「長宝さんは金の亡者だから、胡散臭いんだよ」

 青日がこっそり森川に耳打ちをする。

「青日くん、何か? 蛇鍵屋は住民の皆様のために働きますよ。ですので、何卒何卒」

 長宝は口元を扇子で隠したまま、笑ったような声で話す。青日はうんざりと言うような表情で、うへえと呟いた。

「それでは開錠しても?」

「どうぞ。萩和尚、気性の荒いトマト缶が怪です」

 睦千は右手をさっと振る。その手には太陽の光を集めたように白く光る鞭があった。睦千が特に理由もなく『ウィッピン』と呼んでいる奇怪病の症状だ。

「それでは、こちら側、開錠いたします……開け、ゴマ」

 長宝は手にした扇子を前に突き出し、横に薙ぎ払った。地面から風が浮き上がり、宙に浮かんだ白蛇がふるりと震え、青い炎を吐き出し、燃えて灰となって地面に落ちた。

「開錠いたしました。それでは、和尚よろしくお願いいたします」

 長宝が路地の方を恭しく指し示した。昇市はよっしゃと箒の柄で掌を叩きながらビルの谷間へと足を運んだ。睦千たちも後ろから追い駆ける。森川もウィッピンや札がひとりでに燃えた様子に驚きながらも路地へ踏み出した。

「あー水溜りあったんだよー。どこだっけな、あれ? 乾いたかな?」

 青日は地面を見ながら歩く。睦千も念のため足下に注意しながら歩くと、どこからか飛んできたのか花びらが地面に散らばっている。春だなあ、と睦千は心の中で呟く。午前中は気がつかなかった、風流を忘れちゃいけない、雅な心、日本人だもの。

「あ、この辺り。元気な缶。あそこ」

 睦千は道の端に転がっている缶を指し示す。

「それでは和尚、お願いします!」

 青日は大袈裟に拝んでみせると、昇市は箒を地面に突き立て構えた。

「それじゃあ、念仏でも唱えていろ南無阿弥陀仏!」

 昇市は右脚と箒を背後に引き、箒で地面を掃いた。ザラザラと藁と地面の砂が音を立て風が巻き起こる。

『また侵入者なるか! 何度も何度も!』

 缶が目覚めたように声を発する。森川は、ひ、と声にならない悲鳴を上げた。聞いてはいたが、実際に缶が動き、言葉を発している状況を頭が理解するのを拒んでいる。

「大丈夫だよ、森川さん、心配しないで見ていてよ」

 青日が静かに話しかけると、森川はゆっくりと息を吸って、吐いて、と呼吸をし、目の前の光景を見ようとする。その間にも睦千と昇市は淡々と目の前の業務を片付けていく。

「白川ぁ、大人しくさせろぉ」

 昇市は再び地面を掃く。睦千は背後からウィッピンを伸ばし、缶を絡め取った。

「おうおう、聞こえてんのか知らねえけど、これに懲りたら路地裏同好会に所属する事だな!」

 ザッザッと箒の音が響くたび風が起こり、缶の口が閉じられ、普通の缶へと戻っていく。

「はあー萩和尚、マジでなんちゃって和尚」

 青日は暇そうに、おれの出番なしだね、と路地にしゃがんだ。

「仏の道の者なら態度に気をつけろー、仏様は見ておられるぞー」

 睦千も暴れる缶を縛り上げる力を強めながらやる気なさげに声を掛ける。

「うるっせえぞ! ガヤ!」

 昇市は巻き舌を交えながら二人を怒鳴る。その一声と同時に缶は道端のなんの変哲の無い缶に戻った。

「よし終了、御陀仏御陀仏」

 睦千はシュルシュルと手元に缶を引き寄せ、はい和尚と昇市に手渡した。

「おい」

「掃除好きだから贈り物」

「ふざけんな」

 怒りながらも昇市は缶を手に持った。捨ててくれるらしい。ゴミ捨てができるいい人である。

「新しいお札、販売中ですよ」

 いつの間にか背後に現れた長宝がこそりと呟いた。青日は一言、この間買ったばかりーと返事をした。

「路地裏同好会とはなんだ? さっき和尚さんが言っていたが」

 森川が尋ねると青日がスマートフォンを見ながら答える。

「路地が好きな人達の集まりだよ。八龍は御覧の通り路地が多いじゃん。そこに美学を感じちゃった路地裏関連の奇怪病者が、自分お気に入りの路地の保護のために組織されたんだ。例えば、あそことか」

 青日が指差した方には、白地に緑色で『路』と書かれた札が路地の入口に貼られていた。

「これは路地裏同好会の会員の誰かのお気に入りの路地裏だから、通る時は気を付けてねっていう目印だよ。これが赤い文字だと立ち入り禁止だから、気を付けてね。てか、睦千ー、猫、トラムでこっち来たみたい、情報来てたー」

「人間でも食べたか、その猫」

「来る時、見ましたね」

 長宝がさらりと告げる。

「どこで見たの!」

「本部の方ですよ。お礼にお札、買いません」

「買わない、今度ね。じゃ、ありがとう」

 睦千が走り出し、青日も森川に行くよ、と声を掛けて走り出した。森川も強張っていた足を必死に動かしながら追い駆けた。

 それから一時間ほど、巨匠館地区を走り回った。どこもかしこも古い低層ビルが並んでいたが、不思議と人の活気が満ちている。福薬會本部の前には商店街らしきものがあり、住民が行ったり来たり忙しなく、そこから一本細い道に入っても住民が慣れた様子で歩いている。道が入り組み突然地下道の様相になったかと思えば、街の外れには畑が広がる日本の原風景が現れる。日が入り込まない路地にも静謐さとどこか自信に満ちた空気が流れ、歩く人々も皆、楽しげであった。森川が知っている街はいつだって、せかせかと足早に、下を見たまますれ違っていくばかりだった。自由に、自信に溢れた街とは、こんな場所だったのかと、羨ましく思った。

「一つ気になるんだが」

 休憩と称して露店で買ったコーヒーを飲みながら森川が尋ねる。

「八龍が異国的なのはなぜだ? 外国人が多いわけでもないだろう?」

 睦千はふうと満足げに息を吐き出してから、それはと口を開く。その手にはいつの間にか買ったのかホットドッグがあった。

「多分、先人の趣味」

「趣味?」

 うん、とホットドッグを齧り咀嚼し、飲み込むと話し出す。

「そもそも巨匠はこういうごちゃごちゃした廃墟みたいな場所が好きだったらしいし。先人達が異国情緒に憧れたのか、籠城するにあたって、どこにも行けない寂しさを紛らわそうとしたのか、それは分からないよ。でも、ここにはルールはない」

「『一 奇怪病を社会の幸福のため行使する』」

 青日が朗々とした声を発した。睦千は自分の役目は終わったとばかりに食べる事に集中する。

「福薬會の基本四則だよ。『一 奇怪病を個人の一部と尊重する』『一 自他共にあらゆる奇怪病を受け入れる』『一 社会、他者に損失を与えない限り、奇怪病は制限される事はあってはならない』。これが今の基本四則だけれども、巨匠が述べた原文はちょっと違っているんだ」

「巨匠は何と言ったんだ?」

 森川は青日とその隣に並び立つ睦千を、真剣な眼差しで見た。二人は顔を見合わせ、ほぼ同時に口を開いた。

「『一 奇怪病を他者の迷惑にならない程度に楽しめ、なったもんはしょうがねえ』」

 森川はたっぷり、五秒その言葉を解釈して、は? と正直な感想を述べた。それを見た青日は笑い転げた。

「これが巨匠が言った基本四則の四項目なんだけれども、あんまりにもすっ飛んでいるから、今の基本四則が提言されたんだよ。でも、巨匠は楽しめって言ったんだ。だから、愉快になるようにこぞって自分の理想郷を打ち出して、それがみんなに受け入れられて街になったんだ」

 青日は楽しそうに腕を広げて述べる。睦千は青日に同感とでも言うように微笑みながら青日を見ていた。森川は、とっさにシャッターを切った。いい光景だったから、この街の光景を拳一つ分に纏めるならきっとこんな風景だろうと馬鹿な事を思った。森川はこの都市に興味があったわけでも、奇怪病者に対して何か理想を持っていたわけでもなかった。仕事だから来た。この二人に対しても、興味が沸くどころか、軽薄な様子に僅かに嫌悪感を抱いていた。だが、青日が今言った言葉に、街を見つめる睦千の視線に、少し考えが変わった。今までの街にない確かな存在感、自由に生きてやるんだという意志、自分が思っていた都市とは違っていた。だからもう少しだけ八龍の事を知りたくなった。いや、はっきり言おう、この町が好きになりそうだった。

「あー! 森川さん写真撮った! おれ、今変な顔していたよ!」

「ハニーはいつでも可愛いよ」

「ダーリンいつも調子いいんだから!」

 定番になったやり取りに自然と笑みが零れる。

「ならちゃんと写真を撮ろう。そこに並んで」

「撮ってもらおう! おれ達のツーショットってなくない?」

「……いいよ」

 二人は21号館の入口に立って、森川の方を見た。そして、あ、と気付いたような顔をして、

「え?」

 カメラを構えた森川の横を白い光と青い空気が通り抜けていった。

「動かないで」

 小さくも確かな睦千の声に、足をその場に留める。光と青色が向かった先を確認しようと振り返る。景色はすっかり青色に染められ、そこに四つん這いの、腐った桃のような色をした、身体から黒い煙を出す、『何か』がいた。森川の足は、もう動かなかった。

「怪だ」

 青日が呟き、随分とゆったりした足取りで森川を追い越し、怪に向き合った。怪の手足は、ウィッピンで縛られている。

「あまり、青日を見ないで。影響を受ける」

 森川を背に隠すように睦千が立ちふさがる。それから残っていたコーヒーを飲み干すと、空の紙コップを下に置いた。

「憂鬱になるっていうのか」

「うん。憂鬱、鬱状態になるっていう事は、どういう事か分かる?」

 ポケットから左手でリップを取り出した睦千は、八重歯でキャップを咥え外した。そして、そのまま左手にキャップを落とし、怪をウィッピンで拘束したまま、リップを塗り直した。濃いピンク色を塗り終えると、満足そうに上唇と下唇を重ね、パッと離した。その間に、指の間でリップを器用に動かし、片手でキャップを付けた。その一連の官能的な流れに、森川の思考は恐怖を忘れていた。睦千は、どう思う? と再び問い掛けると、森川は慌てて答えた。

「気が滅入るんじゃないのか?」

「気が滅入って、滅入って、死にたくなって、実行する。予防線は貼るけど注意して」

 そう言うと睦千は、青日、と呼んで怪の拘束を解いた。それから、自身の足元を一度ウィッピンでピシャリと打ち付ける。森川の足元の周りだけ、元の灰色の石畳の色へと戻った。怪は青日に向かうが、青日はそれを叩き落としていた。

「ボクの奇怪病で、青日の奇怪病は入り込んでこない。安心して」

「ああ、ありがとう」

「今、あの怪は森川さんを襲おうとした。だから、封印対象。札に閉じ込めて、呪方で浄化してもらう。よくいるやんちゃな怪だよ、心配しなくていい」

 睦千は頼りにしていて、とビビットなピンク色の唇を釣り上げて笑う。相変わらず、洒落た台詞が様になる顔立ちだ、森川は現状を忘れて、また見惚れた。

「青日、いいよ。落ち着かせよう」

 青日は自身に向かって来る怪をかわし、時に手や足でその攻撃を受け流していた。

「人型なら、青日の奇怪病でいけるよね」

「期待しておいてーブルー・サンデー・シンドロームのイイトコ見せちゃう」

 景色を包む青色がざわめき立った。森川は、漸くカメラを構え、レンズを通して目の前を切り取り始めた。

「きれいなものって、それだけで死にたくなるよねえ」

 青日は笑いながら、怪に近づく。怪は怯えたように青日へ向かい突進した。青日はひょいと軽く避け、ついでに右脚を軸に、くるりと怪を地面へ蹴り飛ばした。

「君は憂鬱だと暴れるんだ、いいよお、おれ、そういうのだあいすき」

 怪は四つ足で青日へ突進する。青日はそれを跳び上がりかわす。

「青日、遊びすぎない」

 睦千が怪をウィッピンで縛り上げるが、陸揚げされた魚のように怪は抵抗する。睦千は縛り上げる力を強めながら、思い出したように、呟いた。

「……今晩、魚食べたいな」

 青日は呆れながら、景色を青く染め続けた。空色から、原色のブルー、そして群青色とより濃く、深く、変化させていく。

「睦千も集中しようよー。煮付け? 刺身?」

「竜田揚げ、あんかけかかっているとボクはすごく喜ぶ」

「いいねえ、それ。採用」

 二人が今晩のメニューのやり取りをしている間に、怪は怯えた声を出し震えるだけになった。

「あ、大人しくなった」

 青日は上着のポケットから一枚の札を取り出し、ぴょいと怪の額に貼り付けた。封じ込めの札である。札を貼られた怪は白い煙状になり札の中へ吸い込まれていった。札が地面に落ちると文字が『満員御礼』へと変化している。青日は封じ込めの札を再度上着のポケットへ戻し、睦千を呼んだ。

「終わったよー」

「お疲れ」

「森川さんは平気?」

「ああ、ありがとう。貴重な経験だった」

 森川が笑うと、二人は顔を見合わせ、へへと笑った。

「貴重な体験か、今日はいい日だね」

「まあ、これに懲りなかったら、また来たらいい」

 二人は照れくさそうに言う。森川は睦千を呼び止めて、すまない、と謝罪の言葉を口にした。

「……この場所の事も、君達の事も知ろうとしないで勝手な事を言った。申し訳ない」

 睦千は金色の目を細めて微笑んだ。無邪気さを感じるその顔に、森川は、やはり見惚れた。

「ボクもムキになった。ボク、ここでしか生きていけないタイプだからさ」

 睦千は腕時計を見た。もうじき、出航の時間である。さて、港へと向かおうとトラムの停車場へ歩き始めた時、睦千のスマートフォンがフルリと通知音を響かせた。睦千はさっと確認して、げえ、と顔を顰めた。

「青日、呼び出し」

「誰?」

「おえらーい御大」

 睦千がそう告げると、青日も同じように顔を顰めた。




 巨匠館1号館、八龍内でも最も高い建物であり、福薬會本部である。巨匠館地区の中央に立地し、八龍内の問題の大半をここで解決している。福薬會、メンバー募集中、いつだって猫の手を借りたい。

「睦千、一つ提案」

 その高層階の執務室前に立った青日は隣の睦千に話し掛ける。森川を笑福門まで送り届けた二人は、呼び出しに応じて福薬會本部へと来ていた。

「今晩さー、ラーメン屋行こうよ。竜田揚げは明日やるからさー」

「……おーけえ、そういう事」

「おれ、シオシオに煮卵」

「じゃあ、イキイキにチャーシュー2倍」

「よし、開けるのは睦千ね」

 睦千はドアノブに手をかけ、左手でドアをノックし、返事が聞こえる前にドアを開けた。ドアの向こうでは草臥れた男にセーラー服姿の女生徒が深く口付けていた。二人はそれには目もくれず、部屋中に置かれている鉢を見た。目の前のキスよりも今晩のラーメンの方が大事だ、他人のキスで腹が膨れるわけでもないし。

「あーイキイキしているー負けたー」

「よっしゃ!」

 葉が茂っている鉢を見て二人はそれぞれ悲しみと喜びを表した。

「お疲れ様です」

 室内には二人の担当怪調査事務員の春田奈子もいた。事務員の制服に身を包んだ奈子は、どこにでもいる黒縁眼鏡をかけた女性である。どこにでもいる女性だが、小動物みたいな雰囲気が強いのが彼女の強みだ。

「うっるっせえ!」

 そして、男は女生徒を突き放し、勝敗に一喜一憂する二人に怒鳴った。

「こん……のクソガキ!」

「呼ばれて参りました、無能組、睦千と青日です」

 かしこまって睦千が言い述べる。その様子を見ていた女生徒は唇を机の上のティッシュで拭い、キャラキャラと笑い出すと、時間が巻き戻るように植物が更に葉を青々と茂らせた。

「このやろっ! こいつを喜ばせるな! 俺の植物が生き返っちまうだろうが!」

「あら、白川、いい色のリップね、ちょっと頂戴」

 女生徒は怒鳴る男を無視して睦千の方へ歩み寄り、その口元に自身の唇を寄せた。

「これ。新作」

 睦千は唇が触れる前に黒いリップを女生徒の鼻先に差し出した。

「残念、有難う。今日も可愛げがなくて安心だわ」

 女生徒はリップを受け取り、楽しげに塗り始める。また、植物の時間が戻り始める。葉が小さく、若葉へと変わっていくのを、男はやめろ! と叫びながら見ていた。

「いやあ、いつ来ても賑やかだねえ、ここ」

「誰のせいだ誰の!」

 男は机をバンっと叩いた。それに睦千が呆れたように、仰々しく言う。

「立派で偉大な御大の面が剥がれているぞ、成維」

 男はへっと笑い立ち上がった。男は加羅枝成維からえだなるい、福薬會の長である『御大』である。顔は浅黒く、目の下には隈がある。どことなく胡散臭い印象がある男だ。成維は部屋中の植物の葉に口付けを落としていくと、葉や枝が水分を失い、細く茶色く変化していく。彼の奇怪病は『枯花蒐集癖』と言い、枯れた花を好んで蒐集し、生物の老化を早める事ができた。老化を早めすぎると、最後は老衰で命さえ奪えるそうだ。ちなみに、キスが必須条件、文字通り、危険な唇である、が、唇は常に乾燥して血が滲んでいる。

「そうよ、成維。御大の尊大さがないわ」

 女生徒は満足げに机の上に腰掛け、机に投げ出されていた銀色の眼鏡を掛けた。目鼻立ちははっきりとしているが、頬に丸みがあり少々幼く、古風な雰囲気に見える。伸ばされた黒髪は真っ直ぐ背中に落ち、黒い制服のスカートから伸びる脚は黒いタイツに覆われ、磨かれたローファーをゆらゆらと揺らす。彼女の名前は華江茎乃はなえくきの、セーラー服を着ているが成人女性、成維の秘書である。また、彼女の奇怪病は『女生徒依症』と言い、若さに固執し、生物を若返らせる事ができる。こちらは若返らせるためにキスをする必要はない、若返らせたいな、と茎乃が思えば若返る。キスはただの趣味だ。

「お前らに言われると腹が立つな、全く」

 成維は部屋の中の植物を全て枯らすと、満足そうに椅子に座り直し、表情を消した。

「それで、わざわざお前ら二人を呼んだ理由は分かっているか」

 睦千と青日は顔を見合わせて、二人同時に肩をすくめてみせた。

「無能の名前は健在だな」

 成維は『八龍奇怪新聞』を机の上に放り出す。

「白い虎と青い豹を見ると不運になる? 俺はこれに見覚えがあるぞ?」

「奇遇、ボク達もある」

「御大、気を付けなきゃねー」

「そうねえ」

 茎乃が怪しげに微笑みながら、足を組み替え話す。

「あなた達、お揃いのシャツ着ていた事あったわよね。わたし、仲良しさんねって声を掛けたもの。白川は白い虎で、盛堂は青い豹柄だったわよね?」

「仕込み中」

 睦千はやれやれと言葉を発した。

「例の魔法少女を誘い出すため。ちゃんと後始末する」

「おれ、詳しい事分かんないけど、睦千がこれだって言ったから、問題ないよ」

「それで、説明は? 八龍の治安維持が目的の福薬會メンバーが、ふざけた噂を流したしっかりとした理由があるんだろうな?」

 睨むような成維の視線をものともせず、睦千がゆっくりと説明を始めた。

「御大、魔法って何だと思う?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る