第42話 秘められた過去

 哀切の色を消して、白琳は輝々とした碧瞳を理玄に向けて言った。

 



『同じ地を踏み、同じ空気に触れているわたしたちが、ずっと背中合わせでいる……。それはとても悲しいことだと思います』

『殿下も、金花と銀花が交わって共に舞い散るところを見てみたくはありませんか?』

『民を導く責務があるわたしたちは、決して『今』だけに固執して最善を求めてはならない。『未来』をも見据えて、民の幸福を追求するべきではないでしょうか!』




 いつ己の死が訪れてもおかしくない状況のなか、彼女は必死に自国や民のために奔走している。死をいとい、憂える暇など最早無いほどに。

 慈愛という言葉をそのまま具現化したような優艶な女性に、理玄は強く胸を締め付けられざるを得なかった。


「その呪いを解く方法は無いのか……?」


 白琳は小さく顔を横に振って、諦観の念を滲ませながら薄弱とした笑みを湛える。


「ありません。鸞に直接聞けば呪いを解くことができるかもしれませんが……。といっても、鸞が今どこにいるのかさえ分かりませんし、懇願したところで呪いを解いてくれるとは到底思えません」

「そんな……」


 その横顔は儚げかつ繊麗だった。

 胸が苦しくなるほど優しくて、思いやりのある少女は他にいないだろうに、なぜ彼女だけがこれほどの艱難辛苦かんなんしんくに直面せねばならないのか。

 神鳥の呪いという、理不尽で抗うことのできない天命。だが、それに彼女を容易に奪わせるわけにはいかない。


 ――本当にもう打つ手が無いのか? いや、鸞と同等の力を持つ鳳凰なら何とかできるのでは……。


 理玄が諦めきれずに思案していると、


「理玄様」


 白琳に呼ばれ、やや遅れて「何だ?」と意識を彼女に戻す。


「先ほど仰っていた、理玄様自身の都合について……差し支えなければ教えていただけませんか」


 その都合こそが、国交と再興を拒んでおられる理由なのですよね?


 理玄の紫光が揺らぎ、やがて暗澹とした翳が落ちる。


「ああ……。だが、君にとっては酷な話になるかもしれない」

「構いません」


 即答され、理玄は微かに瞠目した。


「理玄様はわたしの昔語りにじっくりと耳を傾けてくださいました。今度はわたしが理玄様の言葉を胸に留める番です」

「……分かった」

「ありがとうございます」


 嬉しそうな白琳の顔。

 その清純な笑顔を見ると、やはりこれから話す理玄自身の過去が彼女を苦しめることになるかもしれないと懸念してしまい、どうしても抵抗の念を抱かざるを得なかった。

 だがそれでも、彼女が構わないと言ったのだから。何より自分自身が、会議後彼女に話そうと決めたのだから。

 己の過去を告白しないという選択肢は無かった。


「俺が践祚したのは八歳の時だった。それまでは母の凛乎りんこが女王として国を治めていたんだ」

「理玄様の御母上が……」

「ああ。銀桂では男尊の風潮があるから珍しく思われるかもしれないが、金桂こちらでは女王の即位自体それほど珍しいことではない。科挙に合格しさえすれば貴族や平民などの地位に関係なく官吏として登用されるし、勿論それは女性も例外ではない。現に文官のみならず武官としても女性は多く活躍している」

「紅鶴様が太尉を務めていらっしゃるほどですものね」


 理玄は頷くと共に、「ちなみにあの人は平民からの叩き上げだ」と付け加えた。

 紅鶴の知られざる経緯に驚きつつも、男女差別が無い金桂の平等主義に白琳は改めて感心させられる。

 同時に恥ずかしくも思った。偏見や差別に固執して、人の生き方を制限させる己が国の風潮を。


「話を戻すが、先王だった母は停戦状態になる前まで六師として直接戦場に赴き、指揮を執っていた。前線に出向くとなるとやはり命の危険に晒されるため、最初は三公やその他の官吏たちから猛反対されていたんだが……」




『軍の頂点に君臨する者が、自分だけ安全な場所から指示を下すだけだなんて卑劣極まりない。それでは、命がけで戦ってくれている兵たちに面目が立たないではないか』




 私は、女王という地位を前線に出てはいけない理由にする気はない。




「途轍もなく長い押し問答の末、官吏たちはとうとう根負けして母は前線に立ったんだ」


 前代未聞のことをやってのけた凛乎に、白琳は称嘆する一方でその行動力の高さに圧倒された。


「ゆ、勇猛果敢な方だったのですね」

「そうだな。少し無茶をし過ぎていたようにも思えるが」


 聞けば、自ら武器を手にして敵陣に乗り込もうともしていたらしい。

 流石にそれは命知らずで危険すぎると、彼女に侍っていた六将軍たちが必死に止め、彼女は渋々本陣に留まったという。

 白琳が小話に笑むのを見ると、理玄の口角も自然と上がった。


「確かに母は勇猛果敢だったが、君のように両国の平和を願う心優しい人でもあった」




『私は好きで前線に赴き、軍を率いているのではない。本心を言えば、こんな不毛で理不尽な戦が早く終結し、両国が平穏になって欲しいと思っている』




「『出来れば、私の代でこの戦を終わらせたい』と、そう言っていた。今思えば、君と母の気丈さは全く同じだ」


 実子である理玄がそう言うのだから、本当に自分と彼の母は似ていたのだろう。


 ——一体、どんな御方だったのかしら。


 会ってみたかったと残念がると同時に、疑問が浮かぶ。


「でも、それほど勇壮な御母上がどうして……」


 早々に亡くなられたのか。

 その言葉を口に出すのが憚られて、語気をしぼませる。

 理玄はそれを察し、静かな怒気を露にして答えた。


「母が前線に出ていたことを良いことに、当時の銀桂君――銀桀がこちらの六将軍の一人を手玉に取って母を暗殺させたんだ」

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