第39話 少女と青年

 白琳が理玄に連れてこられたのは金苑の東屋だった。

 銀苑とはまた趣向が異なる美麗な景観が視界を覆い、白琳は「わあ……」と思わず感嘆の息をつく。


「銀苑とはまた違った風景ですね」

「銀苑?」

「銀桂にもこのような宮廷庭園があるんです。こちらの場合は銀木犀が多く植栽されていることから、銀苑と呼ばれていて」

「なるほど」

「金苑は小川と小滝なんですね。川のせせらぎがとても心地良いです」

「そちらに川や滝は無いのか?」

「はい。その代わり、丸池があって美しい鯉たちが遊泳しています」

「そうか」


 一度、見てみたいものだ。


 言いかけたその言葉を呑み込み、理玄は榻に座るよう勧める。


「先ほどの試合では驚きました。殿下の剣術が予想よりも遥かに素晴らしかったので……」

「銀桂女君からお褒めいただけるとは光栄だな。紅鶴に鍛えてもらった甲斐がある」

「紅鶴様は殿下の師匠さんでいらっしゃるのですか?」

「そうだな。基礎は他の者から教わったが、試合での応用や体術全般はあの人から叩きこまれた」

「凄いですね。女性で将軍――しかも太尉だなんて……。同じ女性として尊敬します」

「良ければ本人に直接言ってやってくれ。きっと喜ぶ」

「はい」


 前置きもここまでにして、理玄は突如首を垂れた。


「改めて謝罪させて欲しい。先の会談では貴女を突き放すような態度を取ってしまい、申し訳なかった」

「えっ? いえ、そんな……! むしろ、謝らなければならないのはわたしの方です。皆さんの前で啖呵たんかを切ってしまったうえに、殿下の許可も得ずに勝手に飛び出してしまい……」


 本当に、申し訳ありませんでした。


 白琳も再び深々と頭を下げ、理玄は苦笑する。


「もう一度言うが、君に非は無い。君を傷つけてしまった俺が悪いんだ。顔をあげてくれ」


 恐る恐る顔を上げた白琳に、「それと……」と理玄は蒼穹を仰ぎながら言う。


「さっきも言った通り、今の俺は金桂君ではなく華理玄という一人の男だ。だから、殿下ではなく名前で呼んでくれないだろうか」

「は、はい」


 理玄……様。


 満足そうに笑んだ理玄はいつもより表情が柔らかに見えた。それこそ等身大の青年のような……。


 ——あ、だから一人称も「私」ではなくて「俺」になっているのね。


 それに、いつの間にかわたしのことも「貴女」から「君」に変わっている……。

 新鮮な感覚に白琳の口角も自然と上がった。


「勿論、君も今だけは桂白琳として接して欲しい。この場で気遣いや遠慮は無用だ」

「分かりました」


 青年として接してくれている今の理玄の方がやはり親しみやすい。

 それに、王の仮面を取った本当の理玄を知れているような気がして、白琳は秘かに喜びを嚙み締めた。


「あの、修練場に移動する前、わたしのことをもっと知りたいと仰っていましたよね。それはどうして……」


 理玄は舞い散る黄金の小花を見つめながら答える。


「金桂との国交、そして桂華国の再興……。最初にそれらを提案された時は驚いたうえに、俺自身の都合や民が抱いている怨嗟から君の願望は到底叶わないと否定していた。だが、君の啖呵も一理あると思ったんだ」


 ——理玄様自身の都合……。


 その都合こそが『できない』と彼が拒絶した要因なのだろう。それも気になるが、ひとまず傾聴に徹しておく。


「今だけでなく未来をも見据えて国を治める。今があってこそ未来がある。一度否定したことを無かったことにする気は無いが、果たして頭ごなしに否定することが正しいのかと考え直すきっかけにもなった」

「理玄様……」

「だからこそ、君という人間をもっと知りたいと思ったんだ。正直に言うと、君と出会う前まではあの先王の血を引いた悪徳女王だと踏んでいて、書簡を読んでも疑心暗鬼なままだった。本当、今では申し訳ないと思っている」

「いえ、そうお思いになるのも仕方のないことです。現に父は官吏たちからも恐れられたり嫌われたりしていましたから……。わたし自身、父と直接話したことはあまりありませんが、その暴虐ぶりから父のことはあまり好いていませんでしたし」


 互いの本音を打ち明け、両者は笑みを零す。


「純真な心を持つ君が、どうしてそこまで桂華国再興にこだわるのか。金桂との国交強化を切に願うのか。その背景には恐らく兄上の存在もあるのだろう。だから、もし良ければ詳しく教えてくれないか」


 紫水晶と瑠璃の瞳がかち合う。

 その刹那、緩やかな追い風が吹いた。

 白絹の長髪がたなびき、金襴の髪もさわさわと揺れる。

 髪の隙間から覗く二つの宝玉に両者の視線は自然と奪われた。


「会議でも申し上げたように、国交や桂華国の再興は勿論わたしの意志ですが、同時に兄の願いでもあります」

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