味方
長時間に及んだ息子の手術は幸い成功し、程なくして無事退院できたが、アカリはそれ以来、息子の体調が気懸りでならなくなった。小さい頃、病気がちだった息子を思い出し、いよいよ自分が守らなければ、という気持ちが強まった。
息子は服薬治療を続けながらではあったが数カ月後にはすっかり元気になった。それまでは、88歳で病気が見つかるまでは元気で過ごしていた父や、健康に大きな問題のない自分や兄の事があったので、まだ30代半ばの息子は元気で当たり前と思っていた節があったが、今回の事で健康の脆さと命の儚さを思い知らされた。だから、思い切ってローンで車を買う事を決めた。そして長い休みがある度に旅行に出かけた。多少お金は掛かっても、行きたい所へは行き、見たい物は見る事にしたのだ。
アカリはこの頃からようやく故郷の友人へ明るい知らせができる様になった。それまではアメリカの生活に楽しい事があまりなく「こちらは元気です。」と書くのさえも、何だか自分に嘘をついている様で
そして翌年の夏休み、息子とアメリカ横断の旅に出た。アメリカはそれはそれは広大で、体力的にはちょっと辛かったが、本で読んで知っていた場所もテレビで見て知っていた光景も、直に目にすると知識だけでは得られない感動があった。
「一番の思い出?そうねぇ、やっぱりアリゾナのアメリカンインディアン居住地区かしら。ほら、どこの観光地にもよくある客寄せのショーがあるじゃない。あれで、雨乞いの踊りを見たのよ。そしたらショーの後で踊り手の方がね、今でもお祭りなんかでは踊るけれど我々子孫は自然界との繋がりが薄くなったせいか、残念ながらこれで雨が降る事は殆どありません、って言ってたの。で、その後、峡谷を見渡せる展望台に息子と行ったのね。そしたら、あの子ったら、
そうやって余暇は楽しめていたけれど、オハイオでの日常は相変わらずストレスが多い割に退屈で、二人とも辟易していた。だからアカリは事ある毎に息子に新しい職探しを勧めていた。そして60歳目前にして、息子の転職が決まった。新しい職場は7000キロ離れた常夏の島だという。調べてみるとその島の年間平均気温は25℃前後だと言う。
故郷の街は夏でも最高気温は23℃位だった。壁のカレンダーを見て考えた。
「今頃だと-10℃ってトコかしら。人生、本当に何があるか分かったもんじゃないわね。」
アカリは便箋を取りに喜々として席を立った。
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