悲しみにくれる日々の中、アカリは自分の中で何かが崩れていく様な不安に襲われた。そしてある日、若い頃から敬愛して止まなかった詩人の名前が思い出せなくて、愕然とした。全てを忘れてもずっと心の支えだったあの詩人の名前を忘れるはずはなかった。かかりつけの医者に相談したが60代後半にもなると誰にでも物忘れはあると取り合ってもらえなかった。念のためにとした簡易検査でも異常は見られなかったが、アカリは無視できない小さな綻びが少しずつ広がっていくのを感じていた。

思い込みだと自分に言い聞かせ、気を紛らわすために友人と集い、新しい本を読み、映画を観て、散歩に出かけて、動き回った。


けれど決定的な瞬間は否応なしにやってきた。

孫娘が生まれた時、わけあってアカリは息子と二人ドイツに住んでいた。その冬のドイツは極寒で零下20度を下回る日が続いていてアカリは家に籠って本ばかり読んでいた。ドイツ語は読めなかったから手に入り易かったロシア語の本ばかりを読んだ。会話相手も息子に限られていたからロシア語ばかりだった。そうして半年ほど過ぎたあと、嫁が生まれたばかりの孫娘と小さい孫息子二人を連れてドイツで合流した時、嬉しくて話したい事が沢山あるにも関わらず、英語が分厚い氷の下に沈んでしまった様で浮かび上がってこなかった。あんなに自由に話せていた英語がほんの数カ月で自分でも驚くほどたどたどしくなっていた。目を背けていた綻びは、修復不可能な穴となり、不気味に大きく口を開けている様な感覚を覚えた。


それから数カ月して、島に帰ったが、懐かしい甘い香りのする空気を吸い込んでも、住み慣れたマンションの自室で好きな音楽を掛けながら粘土細工をしていても、どこか自分が自分じゃない様な不安さが拭えなかった。英語圏での暮らしに戻れば英語も元通りになるだろうと期待していたが、頭の中の氷は溶けるどころか厚みを増しているようだった。


息子に連れられて病院へ行った。

診断結果はアルツハイマーだった。

「終わった。」そう思った。

どうしたら息子家族に迷惑をかけずに逝けるか、とそればかり考える様になった。


診断を受けた時アカリは71歳だった。アルツハイマーは不治の病だ。そして自分を作り上げている記憶が全て奪われてしまう。大好きな文学も、アートも、音楽も、息子や孫の事さえも忘れ、もぬけの殻の様になるのだ。家族や友人で認知症にかかった人はいなかったから、まさか自分がそうなるとは思ってもおらず、ショックだった。とは言え、ずっと感じていた違和感に、「やはりか。」という思いもあった。


診断直後は日常生活に支障はなかったから、医者の勧めに従い、適度な運動と健康的な食事と睡眠、そして交友関係を保つように努力した。でも、年を追うごとに、少しずつ思い出せない事が増えてきた。

長年の友達の名前が出てこず話すのが怖くなった。

本を読み始めても前のページで起こった事が思い出せず話が追えなくなって、読むのが億劫になった。

作品の制作も集中力が続かず出来上がりにも満足できなくなって、止めてしまった。コンピュータの前に座って、簡単なゲームをして過ごす時間が増えてきた。

タバコの数が増えた。

そしてアカリは徐々に痩せてきた。


傍から見ると、まるで自らの意思で食べなくなったかの様だった。アカリの目に力が無くなり、いつもどこか遠くを見るような眼差しでいる事が多くなった。その頃息子が引っ越しすると言い出した。


「もう、随分遠くに来たというのに、これからまた何所へ行くと言うのだろう。」


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