第3話

 洒落たちゃぶ台の前に座り、出されたお茶と羊羹を見る。漂う香りからお茶は玉露に違いない。艶々とした黒い羊羹は断面までも美しく光っていた。


「どうぞ」

「……」


 男が輝くような眼差しでわたしを見ている。ここで断れば途端に悲しい表情を浮かべるのだろう。


(食べるくらいなら何ということもないが……)


 竜神は人のような食事を必要としない。酒は呑むが嗜好品のようなもので、こうしたお茶や茶菓子も似たようなものだ。稀に神魂を穢しかねないものが含まれているときもあるが、この男の曇りなきまなこを見る限りそういったものは入っていないだろう。

「まぁいいか」と思いながら、黒文字で一口大に切った羊羹を口に入れる。


「……うまい」

「ほんと? 口に合ってよかった。練習してきた甲斐があった」

「もしかして、おまえの手作りなのか?」


 問いかけると、男がニコニコしながら「うん」と頷いた。


「いまの時代、料理は嫁担当なんて言ったら大炎上だけど、神様のお嫁さんならまずは料理が上手じゃないといけないかなと思って。和食を中心に練習したんだ」

「ちょっと待て。先ほどから嫁嫁と言っているが、意味がわからない」

「え? もしかして、約束忘れた……?」


 輝くような眼差しが一瞬にして暗くなった。そんな表情をさせたいわけではないが、本当に意味がわからないのだから仕方ない。


「僕が五歳のとき、約束したよね?」

「……なんだと?」

「だから、お嫁さんにしてくれる約束。僕はずっと忘れずにいたよ? 綺麗な黒髪に金色の目をした、すごくかわいい神様だった。白い肌に薄紫の着物がよく似合ってたのも覚えてる。あ、今日の紺色の着物もよく似合ってるよ」


 あの子に会ったとき何を着ていたかは忘れてしまったが、黒髪に金の目というは間違いなくわたしの姿だ。


「あのとき約束した神様で間違いないよね?」


 まさかと思いながら男をじっと見る。


「……いやいや、あの子は小さくてとても愛らしかったぞ。それに女の子だった。菊模様の着物を着ていたし、あれは女物で間違いない」


 わたしの言葉に男が顔をパッと明るくした。


「それ、僕だよ。生まれたとき体が弱くて、じいちゃんが『女の子の着物を着せれば強くなる』とか何とか言ったらしいんだ。じいちゃんの家、元呉服屋だったから着物はたくさんあったし、それで小学校に行くまで女の子の着物を着せられてたんだけど、間違いなく僕だよ」

「いやいやいや、あんなに愛らしいかんばせの男がいるわけがない。それに魂魄は間違いなく少女のもの……で……」


 目をこらして男の魂魄を見たわたしは言葉を失った。なぜなら目の前の男の魂魄があの子と同じだったからだ。


「まさか……いや、あのとき見た魂魄はたしかに少女のものだった。人が竜神の目をごまかすことなどできるはずがない。しかしこの魂魄はあの子と同じ……どういうことだ?」


 もしかして見誤ったのだろうか。いや、生まれたての竜神だったとしてもそんなことはあり得ない。魂魄を見る力は竜神が生まれつき持つ神通力だからだ。


「……そうか、五歳だからか」


“七つまでは神のうち”という言葉を思い出した。その言葉どおり幼子は神に通じる部分がある。だから魂魄での性別を見誤ったのだろう。少女として育てられていたようだし、本人もそのことに疑問を抱いていなかったのなら納得がいく。


「それにしても、稀に見る純粋な色だ」


 二十を過ぎているであろうというのに、男の魂魄には穢れた色が一切ない。そういう意味では、あのとき「この子だ」と思ったわたしの直感は正しかったということになる。


「どうやら本当にあの子のようだな」


 わたしの言葉に、男が「やっと思い出してくれたんだ」と満面の笑みを浮かべた。


「じゃあ、約束どおりお嫁さんにしてくれるんだよね?」

「いや、あれはおまえが少女だと思っていたからで」

「もちろん料理洗濯掃除は任せて。それに住む場所もこうしてちゃんと用意してあるし、いつでもお嫁さんになれるよ」

「だから、男のおまえは嫁にはなれないと」

「大丈夫。あっちのほうもちゃんと勉強したからさ」

「は? あっちとは?」

「まぁお嫁さんっていうよりお婿さん側の勉強だけど、神様すごくかわいかったからそのほうがいいかなと思って。うん、やっぱり間違いじゃなかった」


 にっこり笑った男が、なぜかずいっと顔を近づけてきた。


(なるほど、あの子の面影がなくはないか)


 かわいい顔は男らしい精悍さに変わってしまったが、笑うと目や口元の雰囲気があの子を思い出させる。それに造作としても悪くない。竜神とは違う生命力に溢れた魂魄も心地よい気配が漂っている。

 そんな観察をしていたからか、男の手が後頭部に近づいていることに気づかなかった。まるで包み込むように大きな手に後頭部を覆われ、ようやくハッと気がつく。


「おい、何を」


「している」と続けることはできなかった。突然近づいてきた男の顔にギョッとし言葉が止まる。何事かと目を見開くわたしを見る男の目はやけに真剣で、鼻先が触れたかと思ったときには唇に熱いものが触れていた。

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