6〜え、知り合い?〜


「……何か用?」


 二人から少し距離があるというのに、紫陽花の声がやたらと大きく聞こえた。自分の耳が勝手に彼女の声を拾っているようだった。つれない感じの紫陽花の返事にも、男はまったくめげない様子で距離を詰める。


「おお、冷えな。まあいいけどさ。久しぶりだしちょっと話さね?」


 砕けた口調で話しかける男は、紫陽花とどういう関係なのだろうか。口調からすると親密なようにも見えるが、それにしては紫陽花の方がどこかよそよそしい。


「いや、いいよ」


「それって否定してる?」


「ええ」


「うわ〜ちょっと話すだけでその態度? そんなんじゃモテないだろ」


「余計なお世話です!」


 なんだか失礼なことを言う男に、紫陽花は当たり前だが頭にきたようだ。

 璃仁はざわざわと暴れる胸を必死に押さえながら、男の後ろ姿を凝視していた。時折紫陽花の方に顔を向け、横顔が見える。間違いない。

 あれは絶対に、海藤良文だ。

 紫陽花に言い寄るねちっこい喋り方といい体格といい、璃仁が敵視している男そのものだった。

 男の正体が分かった途端、今度は頭の中で当然の疑問が渦を巻き始める。

 なぜ、海藤が紫陽花先輩と知り合いなのか? 

 なぜ、さも親そうに——紫陽花は迷惑そうだが——紫陽花に話しかけているのか?

 紫陽花に聞きたい気持ちは山々だが、鬱陶しそうに海藤から離れようとする紫陽花を見ていると、たとえこれから話せる機会があったとしても、彼の話題を振ることは躊躇われる。まして海藤に直接聞くなんて考えられない。


「紫陽花、なあ」


「……っ」


 紫陽花はなおも寄ってくる海藤を振り払うようにして早足で歩き出した。もはや小走りに近い。海藤は後ろからでも分かるほど大げさに舌を打ち、ふてくされた様子でゆっくりと歩き出した。

 どうやら海藤は紫陽花に振られたようだ。もっとも、告白をしたわけではなさそうだが。紫陽花がどんどん離れていくのに、璃仁はほっとしていた。掌は汗でじんわりと濡れている。紫陽花が璃仁と初めて話したとき、「告白をしようとしているわけではないのか」と聞いてきたのを思い出す。紫陽花は男からモテてきただろうし、告白されることに何らかのトラウマでもあるのかもしれない。


 紫陽花に話しかけることができなかったのは悔やまれるが、海藤と仲良くしている彼女を見たくはない。普段海藤に好き放題言われている璃仁にとっては、今回のことは胸がすく思いだった。

 璃仁が安堵で胸をなで下ろしていたころ、海藤がふと後ろを振り返る。彼は何を見るでもなく視線を彷徨わせていた。璃仁は海藤と目を合わせないように、下を向いてさっと横を通り過ぎようとした。


「おい」


 しまった、という叫びが喉から漏れてしまわないように、璃仁は恐る恐る顔を上げる。知らないフリをして彼から遠ざかろうとしたのだが無謀だったようだ。案の定、普段の倍はイラついた表情で、海藤が璃仁を睨んでいた。


「お前、何か見たか」


 海藤は先ほどの紫陽花とのやりとりを知り合いに見られたのではないかということを気にしているらしい。実際に璃仁が後ろから二人の様子を窺っていたことまでは気づいていないようだった。


「見たって、何のこと?」


 璃仁はあくまで彼らのことなど一ミリも見ていないということを目で訴えた。海藤は疑わしそうな表情でじっと璃仁を睨む。途中で目を逸らしたくなったが、我慢した。目を逸せば余計に怪しまれると思ったから。


「そうか」


 珍しく海藤は璃仁の言葉を信じたようで、璃仁に興味を失ったのかプイと璃仁から離れた。璃仁は再び安堵に包まれる。心臓が一時うるさいほどに鳴っていたが、海藤から解放されると次第に落ち着いてきた。海藤は先ほどの紫陽花のように早足で学校へと向かう。璃仁はただ、海藤のせいで紫陽花と話せなかったやるせなさに身を沈めていた。

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