母親


「他家からの手紙など多くは重要ではなかったから……やれ便宜をはかれだの融通せよだの優遇しろだの……すまない、君には関係ないことで迷惑を掛けた。つい最近まで辺境伯が娘の夫であることを知らなかったものでな。手紙は大臣室のどこかに放置してあるはずだ」


 お待ちください、お父さま。

 そのお話はまだ聞いていなかったのですが。


 そんなことまで知らなかったのですか?

 え?だから顔合わせもなければ、見送りもなく?


 知らなかっただと?私でも知っていたのにか?というお声が、壁際から聴こえてきました。

 お隣の方に黙るようにと叱られておりますね。

 今日は静かなお二方です。


「辺境伯もすまなかった。連絡を無視する意図はなかったんだ」


「返事がなかろうと、私たちにはどうでも良かったがな。うちの両親は激怒して大変だったのだぞ?しかも二度も続いたあとでのあの手紙だ。何の策略かと一時は騒然としてな」


「どうでも……すまない。あえて無視したというものではなかったんだ。本当だ」


 確かにお義父さまとお義母さまは大分怒っていらっしゃいましたね。


 孫が産まれて無反応とはどういうことだ。娘が心配ではないのか。祝いの言葉もないのはなんだ。贈り物ひとつ用意もせぬとは。

 そんな家とはもう縁を切れとの大騒ぎでしたけれど。

 そもそも縁などないようなものでしたから、そのまま放置で良いのでは?と私からご提案して、なんとかお心を鎮めていただきました。


 そういうこともあって、突然の父からの手紙にも、私たちは受領通知だけで放置する選択をしたわけですが。

 特にその後の連絡もなかったので、陛下からの舞踏会への招待状が届いていなければ、きっと私たちは手紙のことを忘れて今も辺境伯領で過ごしていたに違いありません。


「あなた、お伝えした通りでしたでしょう?この子はこんなにも冷たい娘なのですよ。子が生まれても母であるわたくしに見せにも来ない薄情な娘なのです」


 それはあまりに突然でした。

 急に声色を変えた侯爵夫人が、ゆったりと語り出したのです。

 その変貌ぶりには皆が驚き、部屋がしんと静まってしまいました。


 その沈黙を破ったのは父です。


「もうすべて知ったあとだ。私の前でそのように演じることはない」


 妹が変と称した眼鏡を取りながら言ったお父さま。

 これまで演じていたのはどちらかと言えば、父のような……。


「何を……あなたが何を知っていると言うのです!」


 声色はすぐに戻り、私の知っている侯爵夫人がそこにいます。

 これだけ聞かれた後ですから、父の前で今さら取り繕っても意味がないと理解したのかもしれません。


「我が家には書類を作成する補佐官などいなかったな?」


「それがどうしたと言うのです!」


「リーチェにすべての仕事をさせてきたのだろう?」


「だから何です!この子がそうしたいと言ったからさせていただけよ!」


「言ったのか、リーチェ?」


「いいえ、私はそのようなことは言っていません」


 父に問われて、私は素直に事実を伝えました。


「嘘を言わないで!母の役に立ちたいと言っていたじゃないの!あんなにいい子だったのに!」


 役に立ちたい?

 記憶にはありませんが……子どもの頃でしたらそのように言うこともあったかもしれません。


 私は領地に残してきた子どもたちを思いました。

 特に長男はお義父さまとお義母さまからたっぷりと甘やかされていることでしょう。

 娘の方はまだ乳児ですから、主に乳母が世話をしてくれていると思います。


 そうしてまた興奮されている侯爵夫人を眺めました。


 この人と私は違うと思える部分があります。

 私は自分が決していい母親ではないことを知っているのです。





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