その死からはじまる
黒葉 傘
その死から数刻
煤羽はその死を目撃した。
彼は漆黒の羽で空気を振るわせながら、上空でそれを見ていた。
崖上でもつれ合う男女。
1人の女性を男たちが囲み、その崖から突き落とそうとしていた。
暗闇の中、松明がその凶行を照らし出す。
痴情の縺れだろうか?
女を睨む男たちの目には憎しみが浮かんでいた。
まぁ死の内情など、どうでもいい。
ともかく煤羽の目の前で死が生み出されようとしている、それが大事だった。
別段女を助けようと思ったわけではない。
それどころか煤羽はその死を望んですらいた。
煤羽は古烏という妖怪だった。
2本の腕に1本足の異形の烏、そんな彼は墓を暴き腐肉を貪る。
彼にとって死とはおやつの増える現象でしかないのだから、彼女の死を望むのは当然のことだった。
「あ、落ちた」
そうして煤羽の前でその女は落下していった。
岸を掴もうと、その儚い命を保とうと、女の手が伸ばされる。
だが悲しいかな、その手は何も掴むことはなかった。
煤羽は聞いていた、女の最後の慟哭を。
煤羽は見ていた、落ちゆく女の涙を。
しかしそれが煤羽の心を動かすことはなかった。
女は大地と情熱的な接吻を交わし、その体液を地面に撒き散らかす。
それを煤羽は見ていた。
地面に赤が広がっていくのも、女を突き落とした人間たちが崖下へ降り、その死を確認するところも。
男たちはその死に満足したのか、頷き合うと足早に去っていった。
結局何が目的の殺しだったのだろうか?
おそらく女は妙な恨みでも買ってしまったのだろうな。
煤羽は羽ばたきを緩め、死体の頭上に降下する。
死体は目に涙を浮かべ、光のない瞳孔で虚空を見つめていた。
「可哀想になぁ……」
本当にそう思ったわけではない。
中身のない哀れみの言葉、それは煤羽の癖のようなものだった。
本当に哀れんでいたのだとすれば、彼は彼女を助けていただろう。
そのまま煤羽は死体の胸元へと着地する。
先程まで生きていたその死体は新鮮で、彼の好む腐肉とは程遠い。
だが、ちょっと味見するぐらいはいいだろう。
目玉などはすぐに腐り落ちてしまうのだから、頂いておかないと損というものだ。
煤羽はその黒い嘴でもって目玉を穿り出さんとした。
だが、それは叶わない。
「おい鳥、そこをどけ」
「はぇ?」
突こうとした目玉が、ギョロリと動き煤羽の方を見つめる。
先程まで虚空を見つめるだけだった瞳孔が、確かな意思を持って煤羽を睨みつけていた。
「どけと言っているだろう木端」
それどころか死体が動き、煤羽の首を掴むと万力のように締め上げてくる。
煤羽にとって全くもって想定外の事態だった。
これはいくらなんでも、おやつにしてはいささか生きがよすぎる。
「ぐへぇぇぇ!すんません、すんません!」
煤羽は生まれついての三下根性丸出しで動き出した死体へと平伏した。
といっても、首を絞められながらの平伏は無理があり、ジタバタともがいたと言った方が正しいだろうか。
そんな煤羽の様子を起き上がった女はつまらなそうに見ていた。
先程崖から突き落とされ、なす術もなく死んだか弱い女性だとはとても思えぬ凄みのある黒い目。
おやつだと思っていた存在に脅かされ、哀れな妖怪は震えるしかなかった。
「……ぁ、あのぅ…………死んで、ません……でした?」
「死んだ?」
女性の死体だったものは肩をすくめると、煤羽を絞めていた手の力を抜いた。
そうして不思議そうに自身の身体を見下ろした。
「死んだ……のか、こいつ」
なぜか本人が死んだことに疑問を抱いている様子に煤羽は困惑する。
煤羽を放り捨てると、女性は何かを探すように自分の身体をベタベタ弄りはじめた。
その手が頭に差し掛かると、地面と衝突しバックリと割れてしまった後頭部の傷を探り当てる。
指が傷跡の輪郭をなぞった。
すると藍の炎が瞬き傷口を覆っていく、暗闇の中それは幻想的に輝いた。
手が炎を払い、かき消すとそこにもう傷はなく、彼女が傷付いた証はその着物についた血の跡のみとなる。
同類か。
それを見て、煤羽は納得した。
肉体は先程死んだ女性のそれだが、中に入っている魂が違う。
よく目を凝らしてみれば、その体内には藍の魂が揺らめき、頭上にはうっすら狐耳が見えている。
煤羽のような妖怪や、妖気に敏感な人間であればそれが狐付きだと見抜くことができるだろう。
「お狐様でしたか、これは失礼しました」
拘束から脱し、自由になった煤羽は今度こそ地面に平伏し非礼を詫びる。
相手はどう見ても格上の大妖怪だ、機嫌を損ねてはまずい。
しかし、できたばかりの死体だというのに先を越されるとは運がない。
「お狐?あぁ、そうだな私は妖狐夢羅。残念だがこの肉体は私の物だ」
夢羅と名乗った妖狐は立ち上がると偉そうに煤羽を見下ろした。
煤羽の低姿勢で機嫌が治ったようであり、先ほどの不機嫌そうな表情はその顔に浮かんではいない。
そのことに煤羽は胸を撫で下ろした。
少なくとも取って食われることはなさそうだ。
「いえいえ、妖狐様の私物に手をつけるなんて滅相もない。死したばかりの肉体に早速手をつけるとは流石ですな」
「うん?う、うー……ん、なんだか呼ばれた気がして」
おや?煤羽は眉を顰めた。
褒めちぎってさらに機嫌をとろうとしたのだが、なんだか反応が悪い。
その妖狐は自分が女の肉体を乗っ取ったことも、その肉体が死に、魂が肉体から離れたことも実感がないようだった。
「妖狐の魂に適合する器は1000年に1人の逸材。前々から目をつけてはいたのだが……」
「?」
話しぶりからすると、夢羅の方でも煤羽の預かり知らぬ事情があるようだ。
しかし1000年に1人とは、相当な稀人に手をかけようとしていたことに気づき煤羽は今更ながら震え上がる。
いや……逆にそんな稀人なら味見ぐらいはしておけばよかったか?
「ここ数年は傷を癒すため眠りについていた、それ故事情がわからん」
「左様ですか」
どうやら夢羅は寝起きらしかった。
どうりで自分が乗っ取った肉体の死にも頓着がないわけだ。
傷というと、先の妖怪と人間の戦争で負った物だろうか。
数年前のその合戦は妖怪側の負け戦だった。
多くの妖怪が傷つき、死に絶えた。
煤羽も多くの仲間を失った。
そのことで人間を恨む妖怪も少なくない。
あの戦争以来妖怪たちの栄華は終わってしまったのだから。
だが妖狐が人間の肉体を手に入れたというのならばそれは吉兆だ。
「人間どもは我が物顔で大地にのさばっています。肉体を手に入れたということは、もちろん今回も傾国をなさるんですよね!?」
傾国。
それは妖狐につけられた異名だった。
かつてその妖は人間の身体を乗っ取り、その美しさでもって人間の王を籠絡し国を傾けた。
まさに人間の天敵であり、妖怪の誰もが畏怖する大妖怪、それが夢羅という妖狐の正体だった。
「ん?………………まぁ、どうだろうね」
「???」
やはり様子がおかしいかもしれない。
気乗りのしない夢羅の返事に煤羽は首を傾ける。
煤羽の知る妖狐は口を開けば酒池肉林だの血の雨を降らせだの無茶苦茶をいう妖怪だった。
もしや人間界の英雄に傷を負わされ、恐ろしくなったのではあるまいか。
「まぁ、お前がいるならちょうどいい。人間の目では夜目がきかない。人里まで案内しろ」
「は、はぁ……では案内しましょうか」
少し様子がおかしいが命令には逆らえない、なにせ相手はあの大妖怪なのだから。
それに人里に行くというなら好都合だろう。
今回、妖狐が乗っ取った人間はただの村娘でしかない。
村娘では傾国は成し得ない。
まずは村での地位を高め、ここら一帯を手中に収めるのがいいだろう。
そうしてどんどん支配を広げていき、やがて国すらも陥落させるのだ。
傾国へと邁進する妖狐の道筋には屍がうず高く積まれることとなるだろう。
つまり、夢羅についていけば煤羽はおやつ食べ放題だ、これほど美味い話はない。
夢羅の前を飛びながら、煤羽はほくそ笑んだ。
そんな煤羽とは対照的に、彼の後ろを歩く夢羅の顔は晴れなかった。
悲しみとは違う、自分の感情を表現すればいいかも分からない困り顔。
夢羅はまだその死を受け入れきれてはいなかった。
「一千歌……お前、本当に死んだのか……?」
夢羅の小さな呟きは暗闇の中に溶けて消えた。
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