第2話 始まり②
「ただいま」
その声はリビングには届かない控え目な声。
幸成の家庭は父、母、妹との四人家族だ。家は4LDKのマンション。
何も不満はない。自分の部屋もある。
ただ、血の繋がりのない人との生活にわずかな息苦しさを覚えるだけ。
四月。父が再婚し新たな母と妹ができた。
幸成は父から再婚相手のことを二年ほど前から聞かされていたため、それほど唐突なことではなかった。
「おかえりなさい。晩御飯温めてあるから」
「ありがとうございます」
継母の涼子。落ち着いた雰囲気を持つ女性、というのが幸成の第一印象。父とは仕事で知り合ったのだとか。
「親父は今日も?」
「ええ。大変みたい」
涼子はリビング奥のスライドドアで仕切られた区画を指す。
そこは父のワークスペースであり、仕事で使用するノートパソコンや書籍が置いてある。
幸成はダイニングテーブルに用意された晩御飯を食べる。昔は弁当や外食が多かったため、こうして家族が作った料理というのがとても暖かかった。
「ごちそうさまでした」
食器を下げてリビングの奥に目を向ける。
父は一度も出てこない。一度あそこに入るとなかなか出てこないのは再婚しても変わらないようだ。
幸成の部屋はリビングを出て廊下を挟んだ先にある。その隣は妹の莉乃の部屋。その隣が父と涼子の寝室だ。
自室の扉に手をかけると同時に、右から扉の開く音がした。
「……おかえりなさい」
「あ、うん。ただいま」
幸成は莉乃とのコミュニケーションに困っていた。
一個下の血の繋がらない女の子。
女友達とは違う同年代の異性、というのがどうも慣れなかった。
幸成は莉乃が平日や休日にどこへ出かけているのか知らない。どんな友達がいて、何が好きなのかもわからない。
「はぁ……」
自室で一人ため息をする。
いいや。どこまで知っておくべきでどこから知らないべきなのか、そんな理解のラインがまだ判らない。
「むっずかしいなあ」
■
同時刻。同町。
世良鳴海は自室で目を覚ました。
「いい加減この生活にも飽きてきたな」
鳴海は自分の人生について考える。
俺の人生は水だ。色も香りも味もない。
新卒から務めた会社を退職して一年。当初は労働から解放された日々を楽しんでいたが、それも二か月程度で飽きた。
退屈は人を駄目にする。
労働と休息の天秤がどちらに振り切れても駄目なのだと実感した。
「腹減ったな」
鳴海の住むアパートからコンビニまでは徒歩数分。
コンビニには二人の店員と四、五人の客。コンビニの客の顔ぶれを覚えている自分が可笑しかった。
鳴海は適当にインスタント食品などを購入してコンビニを出る。
月明かりや穏やかな風が心地よい夜。
帰路の途中にある公園でふと足を止めた。
「こんな時間に女の子……?」
公園のベンチにぽつんと一人、中学生に見える少女が腰を掛けている。公園の外灯に照らされた姿はショーウィンドーのマネキン、あるいはステージ上の主役にも思えた。
肩の出たトップス、プリーツスカート、厚底の靴、それとショルダーバッグ。
全身黒コーデだな、なんて考えている自分が気持ち悪く思い、鳴海はそのまま去ろうとした。
「あの、そこのおじさん」
違う。俺はまだおじさんじゃない。
「……」
面倒なことには巻き込まれたくない。
「……? 聞こえてないのかな。 あのー、そこのおじさん!」
「……何か用かい?」
何か困っているなら助けなければいけないという正義感と自分がおじさんと呼ばれた悔しさから思わず返事をする。
そのまま彼女の元へ近づき、穏やかな大人の雰囲気を作る。
「あ、聞こえてた。えっとここってどこですか?」
「……? ここは白波区の浅蘭町だけど」
「……シラナミク……センランチョウ……」
少女は言葉をゆっくりと飲み込む。
「大丈夫かい?」
「ありがとうございます。助かりました」
少女は鳴海に向かい、礼儀正しく礼をした。
「こんなこと言うの、お節介かもしれないけどさ。こんな夜遅くに女の子一人でいると危ないよ」
「ご心配ありがとうございます。ですが大丈夫ですよ」
「そ、そう? ご家族とか心配しない?」
「……大丈夫ですよ。もうすぐ迎えが来ますから」
笑顔を見せる直前、少女がほんの一瞬寂しそうな顔をしたのを鳴海は見逃さなかった。
「そっか。それじゃあ俺はもう行くよ」
「はい。ありがとうございました」
「あ、最後にすみません。やっぱりもう一個聞きたいことが」
「ん? なんだい?」
「おじさんはもし、家族一人と赤の他人百人、どちらか一方を犠牲にしなければもう一方を助けられないってときがあったら、どっちを助けますか?」
「それって……」
トロッコ問題。
ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか、という正解のない問題。対象の人や数やシチュエーションが変わるが基本的には同じこと。
「いきなりだな。でも、俺なら迷わず家族を助けるな」
「どうして、ですか?」
「そりゃあ家族だし。百人も犠牲にするっていうのは罪悪感があるが、家族はたった一つだしな」
「きっと、誰だって俺と同じ答えだと思うぜ。もっとも、家族が嫌いとかだったら違うだろうがな」
「ですね。変なことを聞いてしまってすみません」
少女は変なことを訊いた自分が可笑しいのか、自嘲するような薄笑いをした。
「そっか、俺はじゃあもう行くわ」
「はい。夜道にはお気を付けください」
鳴海は彼女が何か胸の内に秘めていることに気づいた。しかし、鳴海はまだそれが何であるかを知らない。
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