第20話 沙羅と渋谷で

 昼過ぎ。

 昼食時も、もう終わったころ。

 俺は渋谷のハチ公前で、沙羅を待っていた。

 今日は土曜日、沙羅とのデートの日だ。

「……」

 改めて、自分の服装を見る。

 特に意識していない、普通の服だ。黒のTシャツに緑の軽めの上着、下は黒のジーパン。ちなみに、緑の上着は妹の葵が持ってきたものだ。どうやら、葵は自分の名前の通り、同じ種類の青の上着を買ってきたらしく、俺も名前が緑なので、ついでに緑の上着を買ってきたのだ。

 待ち合わせ時間は、まだ来ていない。俺は大体二十分前に着いた。今は五分前といったところだ。

 そんなことを考えながら、高い建物や騒がしい人の群れを見ていると、遠くから一際目立つ、スタイルのいい女性が歩いてきた。

 遠くからでもわかる。沙羅だ。

「どうも~。早いね~」

「こんにちは」

 沙羅はちょこっと手を振って、俺に微笑みかけてきた。

 沙羅の服装は、ダボッとしたズボンに、背伸びしたらお腹が見えてしまいそうな、黒のTシャツ? のようなものを着ていた。沙羅の綺麗なスタイルを際立たせている。

「どうかな服装? 真面目そうだから、露出多めなのとか、好きじゃないかなって思ってさ。ちょっと真面目過ぎたかな?」

 俺がそんな沙羅の服装を褒めようとすると、沙羅は俺より先に、服装のことを尋ねてきた。

「似合ってるよ。綺麗だね」

 俺は素直に感想を述べた。

「えへへ。ありがと」

 というか、自分から感想を求められるなんて、思わなかった。

 沙羅は結構、こういう頑張ったところを褒めてほしい時は、前のめりなのかもしれないな。

「よし。じゃあ、いこっか」

「うん」

 俺が沙羅に返事をすると、沙羅は俺の少し前を歩き出した。

「渋谷どう? 来たことあった?」

「何度かあるよ。家族とだけどね」

「そっか……家族とか」

 沙羅は、ちょっと悲しそうに微笑んだように見えた。

 そんな沙羅の顔をよく見ると、いつもよりメイクが派手に見えた。

「よくわかんないけど、メイクも学校でしてるメイクと違うのか?」

「あ、よく気が付いたね~偉い! うん、結構気合入れてメイクしてきたよ」

 沙羅は、自分の顔を指さしながら、嬉しそうに言った。

「いや~気づいてくれてよかったよ。もし何も言われなかったら、どうしようって思ってたよ」

「ふふ。この前桜花のメイクが変わっててさ。今日もよく見たら、沙羅のメイクも変わってるなって」

「なるほどね。予習済みだったわけだ」

 沙羅はずっと微笑んでいる。そんなに俺との外出が楽しみだったのだろうか。

 俺も、結構楽しみにしていた。今日も明日もだけど。

「よし。ついた」

「え? ゲーセン?」

「うん」

 沙羅と話しながら、案内されてたのはゲームセンターだった。

「まずはプリクラ撮ろっか」

「え! いきなり?」

 いきなりプリクラなんて思わなかった。そういうのは、後半で撮るんじゃないのか?

「こういうのって、もっと後に撮るんじゃないのか?」

「ん~……そうかもだけど、プリクラって荷物にならないし……私が遊んでた時はプリクラで思い出作りながら、テンション上げて、それからいろいろ行ってたよ?」

「……」

 沙羅が、キョトンとした顔で言っていた。

 俺はというと、心の中で爆速反省会を始めていた。

 俺というか、男というか、そういう人間の悪いところなんだが、なんかこう、自分の常識を押し付けて、問い詰めてしまうところが俺にはある。

 今だって「プリクラか。いいね!」で通してあげれば、サッと行けたのに! こういう所があるからモテないんだろうか。

「ごめん。素直に従えばよかったな」

「あ、ううん。大丈夫。ほら、行こうよ。楽しいよ」

「うん」

 俺は、素直に沙羅に従うことにした。

 そうして、俺と沙羅はプリクラ機に吸い込まれていった。

 なんだか、こう誰にも見られない空間で、女の子と二人きりになるのは緊張する。こういう事は、初めてかもしれない。

「プリクラは初めて?」

「うん」

「そか。じゃあ任せてよ」

 沙羅は、楽しそうに手慣れた様子でプリクラ機を触っている。

「ほら、なんかポーズして」

「え? もう?」

「うん」

 沙羅がそう言うと、プリクラ機からカウントダウンをする音声が流れた。

 俺はなんとなくピースをした。多分、ぎこちない笑顔を浮かべながら。

 沙羅も、顎の下でピースをしている。ただ、俺とは違って、綺麗な笑顔を浮かべていた。

「写真も苦手?」

「苦手っていうか……得意じゃないんだ」

「そっか。じゃあくっついてもいい? その方がプリクラっぽいし」

「ん……ああ。じゃあそうしようか」

 俺が許可を出すと、沙羅は、俺に体を寄せてきて、腕に軽く手を触れた。少し沙羅の体が、俺の腕に触れた。

「嫌じゃない?」

 沙羅は、音声が鳴りやまないプリクラ機に遮られてしまいそうな声で言った。

「嫌じゃないよ」

「ふふ。よかった」

 沙羅は微笑んだ。よく笑う人だなあ。

 そして、撮った写真が一気に画面に映し出された。肌が白く加工されていて、なんだか顔の凹凸が薄くなっているように見えた。

「う~ん。やっぱり、加工ない方がかっこいいよね。来栖くん」

「え? そうか?」

「うん」

 沙羅は、俺の目を見てしっかりと言った。

「桜花ちゃんに言われないの? かっこいいって」

「たまに言われるけど……桜花ってなんかその、俺に対してフィルターかかってそうでさ」

「まあ、確かにね。でも、文句なしでかっこいいと思うよ。というか、そもそも私が少しでもかっこいいって思ってなかったら、誘ってないと思うよ」

 確かに、言われてみれば、俺に対して興味がなければ、こういう遊びの誘いに沙羅は誘ってくれてなかっただろうし、もしかすると、俺の見た目は悪く無いのかもしれない。

 ただ、ちょっと照れる。

「そ、そっか」

「え~。何その反応。かわいいね」

 沙羅はプリクラ機を触りながら、俺をチラッと見て楽しそうにそう言った。


     ***


 その後、バスボムだったり、様々なものを見たり、買ったりした。

 俺では、到底手を出せないおしゃれなアイテムを、たくさん買っていた沙羅を見て、俺はどこから、そのおしゃれアイテムの情報を、手に入れているんだろうと思った。

 そして、普段ならそろそろ放課後だという時間帯になり、俺は沙羅に案内されて、良く知らないおしゃれなカフェに案内された。普段通ってる、青の鐘の三倍くらいの大きさのカフェだ。

「どうしてここに?」

 俺は席についてから、目の前に座った沙羅を見て言った。

「光香とよくここに来るんだ。おしゃべりにちょうどいいでしょ?」

「なるほど」

 沙羅はずっと楽しそうだ。買い物をしている時も、ずっと笑顔。

 そして注文を済ませて、それを待ちながら、俺は沙羅に聞きたいことがあったので、話を振った。

「沙羅っておしゃれに見えるけどさ、やっぱり見た目には、人一倍気を使ってるの?」

「うん。結構頑張ってるよ」

 沙羅は穏やかに即答した。

「私ってさ、頭がすごいいいわけじゃないし、なにか得意なこともあるわけじゃないの。でも、顔とスタイルだけはいいって自覚あるんだ。磨くなら、長所だなって思って」

 沙羅は、ウインクをしながら、ちょっぴり舌を出して、得意げにそう言った。

「なるほどね」

 確かに、私見にはなってしまうが、沙羅の見た目は芸能人やモデルレベルのように見える。ここまで見た目がいいのなら、何もしなくともいいように思えるが、そこにさらに磨きがかかって、今の沙羅がいるのだろう。こんなの、男どころか女の子ですら放っておかないだろう。

「というか、この前も聞いたけど、やっぱり自分の見た目がいいって自覚、あるんだな」

「……うん」

 今度は、即答じゃなかった。少し間があった。

「いつ気づいたの?」

「ん~……周りの目線……とか……態度とかかな?」

「やっぱり、わかるんだ」

「うん。よく見られるし、渋谷とか一人で来るとナンパされるしね。ま、渋谷なんて、女の子なら、だれでもナンパされるだろうけど」

「え、そんな場所なの? 渋谷って」

「そんな場所だよ」

「……よくナンパとかできるな」

「ね。すごいよね。メンタル強い」

 渋谷ってそんな場所だったのか。ナンパなんてできる気がしない。まあ、する理由もないけどね。

「やっぱり、お父さんもお母さんも美形なのか?」

「……」

 俺は、なんとなく思ったことを尋ねた。

 なんともない質問だったつもりだったのに、沙羅は急に少し目を大きく開いて、黙ってしまった。

「……いけない質問だったかな」

「あ、ううん。平気。その通り。お父さんもお母さんも美形だよ」

「やっぱりか」

 沙羅は、苦笑いしながら言った。

「……」

 沙羅は黙ったまま、少し俺を見たり見なかったりしている。

「なにか話したいことでもあるのか?」

 俺は、沙羅が俺の様子を窺っているように見えたので、そう尋ねることにした。

「うん。雰囲気重くなるかもだけどいい?」

「ああいいよ。むしろ、学校で話される方が困るかもだしね」

「そうだね。せっかくお互い時間空けて会ってるわけだし、もっと知り合いたいよね」

 沙羅は、笑顔で言った。

 確かに、予定を開けて、わざわざ会うって結構すごいことだ。生きているうちの一日を、たった一人のために使うんだからな。

「来栖くんはさ、家族と仲いい?」

「うん。この前の体育祭も、ひっそり見に来てたみたいだし。仲いいと思うよ」

「そっか……」

 沙羅は、少し俯いてからまた口を開いた。

「私ね、親と仲悪くてさ。お父さんとお母さんと私と……三人とも別々で暮らしてるの」

「ええ! じゃあ一人暮らしってこと?」

「うん」

 衝撃のカミングアウトだ。

 俺からしたら、一人で暮らすなんてこと、考えられない。家の家事なんて、全然できないからな。

「お、お金とかは……」

「それは大丈夫。お父さんとお母さんから、かなりお金貰ってるから」

「そ、そっか」

 よかった。よくないけど。

「きっと、お金を渡して子育てをした気になってるんだろうな……」

 沙羅は明るく言った。でも、きっと空元気だろう。

「でも、仕方ない気がするんだ」

「それはどうして」

「だってお父さんもお母さんも、自分のことでいっぱいいっぱいなの。見ててそう思う。それに、私だって、自分のことでいっぱいいっぱいだから。そういうところ、似ちゃったのかなってさ。だから仕方ない気もする」

 沙羅は、自分のことでいっぱいになってる両親と、自分が似ていると言った。

 この感じだと、本当に親を憎み散らかしているというわけではなさそうだ。

 でも、心配だ。

 学校でも友達がほとんどいないのに、家族まで離れ離れで。

「失礼します。ご注文の商品です」

 そこまで話すと、注文していたサンドイッチとコーヒーのセットを持ってきた店員さんが、俺たちのテーブルにそれを置いてくれた。

「さて……というわけで、私は一人暮らしです。この話終わり! じゃ、食べよっか」

 沙羅は、明るくそう言って、手を合わせた。

「うん」

 俺は、軽くコーヒーに手をつけてから、沙羅に声をかけた。

「沙羅」

「ん? なにかな?」

「俺でよければ、なにか困りごとがあったら言ってほしい。出来る限り、力になるよ」

「……うん」

 俺がそう言うと、沙羅は嬉しそうに微笑んでから、頷いた。

 これも善いことだ。きっとそうだ。


     ***


 軽くご飯を済まして、俺と沙羅はさまざまな話で盛り上がっていた。

「桜花ちゃん、本当に来栖くんのことが好きみたいだね」

「ちょっとグイグイ来すぎてて、俺が追いつけてないけどな」

 沙羅の方から、桜花の話を振ってきた。

 最近は、俺が隙を見せればボディタッチ上等。たまーに足を踏んできたり、耳引っ張ってみたり、俺を困らせてくることをしてくる。

「桜花ちゃん、来栖くんにすごい前のめりだもん」

 でもまあ、それも桜花の個性だし、そんな桜花でいいと思っているから、やめてくれなんて言わないし、やめてなんて思ったこともない。

「桜花ちゃん、かわいいよね」

「うん、そうだね」

「でしょでしょ。スタイルもいいし髪も長くて綺麗だし」

 髪の話をしたせいか、俺は沙羅の髪型が気になった。沙羅は女性にしては、ほんの少し髪の短い髪型をしている。妹が言ってたけど、こういう髪型を、ショートボブというらしい。ちょこんと外側に跳ねた後ろ髪が、なんだか気になる。

「沙羅は、ずっとその髪型なのか?」

「私? 私はね、去年までは髪長かったんだよね」

「あ、そうなんだ」

 沙羅は、ちょっと髪を触りながら言った。

「なんで切ったか、気になる?」

「うん」

「えっとね、失恋したから切ったんだ」

「え」

 沙羅は、なんともないような雰囲気で言った。

「なんか、ごめん」

「なんで謝るの? 私から振った話じゃん」

 俺は、なんだか悪いことを聞いたような気がして、謝ってしまった。

「気にしないで。失恋してよかったと思ってるからさ。その人、実はとんでもない人だったから」

「あ、そうなのか。でも……」

「でも?」

 それを尋ねるか考える前に「でも」と言ってしまった。もうこうなったら、尋ねるしかない。

「失恋して髪を切るぐらいだから、失恋して辛かったんだろ?」

「……」

 沙羅は、初めて笑顔を崩した。

 まるで、今初めてそのことについて考えているかのように、少し間を置いてから、沙羅はまた口を開いた。

「辛かったね。裏切られたし、自分にも失望したよ。男を見る目がないんだ〜ってね」

「そっか……」

「それで、留年もするしさ、まずは見た目から変えて、なんとかしようって思ってさ」

 やっぱり、尋ねない方が良かったかもしれない。雰囲気が悪くなってしまった。やっぱり、好奇心よりそれを聞いてどうなるかを考えないといけない。

「でもね、今は楽しいよ」

 そう考え事をしている俺の思考を、沙羅の元気な声が遮った。

「同級生と、こうやって二人で遊びに来られて。ありがとうね。来栖くんだけだよ、同学年で一緒に遊んでくれるの」

「いや、いいって。元生徒会と現生徒会だしさ、友達ってことで」

「……」

 俺が言うと、沙羅は黙った。ただ、さっきとは違って微笑んでいる。

「ねえ来栖くん」

「なに?」

「来栖くんはさ、このお出かけ、デートだと思ってる?」

「……!」

 沙羅は、ニヤニヤしながら尋ねてきた。

 もちろん、桜花に対してなら「はいはいデートデート」と言えるのだが、沙羅に対しては、どう言えばいいんだろうか。

「ま、半分くらいデートのつもりかな」

「あ、逃げた」

 沙羅は、半目で俺のことを白々しく見た。

「じゃあ沙羅はどう思ってるの」

「え〜。半分くらいデート」

「はい、逃げたな」

「ふふ、お互い様だよ」

 沙羅は、本当に楽しそうに、弾んだ声で話している。

 こう見ると、沙羅は本当に魅力的だと思う。本当にこんな感じで、彼氏の一人もいないのだろうかと、俺も疑ってしまう。沙羅の悪い噂が流れるのも、納得できてしまう。

「でもさ、こうやって付き合ってるか、付き合ってないかの時期ってさ、一番楽しいよね」

「……そうだな」

 確かに、こういう微妙な距離感で探り合いをしている時期が、一番楽しいのかもしれない。

 少しの間、沈黙。

 沙羅と俺は、見つめ合った。なぜ見つめ合っていたのかは、わからない。

「さて、そろそろ行こっか、最後にケーキ買いに行きたいんだ」

 沙羅は、バッグなどを軽く開いて、整理をし始めた。

「ケーキか。家で食べるのか」

「うん……」

 沙羅は頷いたかと思うと、俺をじっと見た。

「もしよければさ」

「うん」

「明日予定がないなら、ケーキ買った後、ウチ来て一緒に食べる? もうちょっと一緒に話そうよ」

 沙羅は、少し前のめりになりながら、そう言った。

「え、でも家族……は、いないのか」

「うん。家には私だけ。どう?」

 沙羅の家に、行くか行かないか、迷ってる時間は一瞬だった。

「ごめんだけど、明日予定あるんだ」

 俺は、すぐにそう言って断った。

「そっか、なら仕方ないね。じゃあ、ケーキはひとつかな……」

 沙羅は、少し眉を下げた。

 沙羅は一人暮らしだし、なんだか悪いことをしたような気がする。

 でも、明日の桜花との約束を、ないがしろにするわけにはいかないからね。

「さ、行こっか」

「うん」

 別に、沙羅は傷ついている様子はなかった。

 その後、俺たちは会計を済ませて、ケーキ屋に向かうことになった。


      ***


 ケーキ屋で沙羅はケーキを買ったあと、そのまま二人で渋谷の駅前まで来た。

 もう外は暗く、駅やお店の光、車のライトが光り輝いている。

「さて」

 沙羅は駅に入る途中で止まった。

「じゃあ、今日はありがとう。楽しかったよ」

 沙羅は、笑顔で言った。

「うん。俺も、一人じゃやらなそうなことができてよかったよ」

 俺も口角を上げながら言う。実際、沙羅が居なかったらこんないわゆる陽キャっぽいことを、することはなかっただろう。休日はだいたい、勉強したりゲームしたりアニメを見たり……家にいることが多いからな。

「えへへ。どうも……」

 沙羅はそう言うと、俯いて少し沈黙した。また何か聞きたいことでもあるのだろうか。

「ねえ」

「なに?」

「最後に聞いてもいいかな」

「うん」

 沙羅は大きく息を吸い込み、真剣な顔つきをした。

「……どんなことがあってもさ、私の言うことを信じてくれる?」

「……どうしてそんなことを聞くんだ」

「いいから。どうなの?」

 こうやって、ちょっと強引に尋ねてくる沙羅は、初めてだった。

「……信じるよ」

 こう言うしかない。むしろ、この尋ねられ方をして、信じられないなんて言うことはできない。

「よくわかんないけど、沙羅が俺を騙すとか、そういう気はないだろうし」

 今日の感じだったり、いつも学校で話すような感じを見るに、沙羅は俺を陥れようっていう気はなさそうだし。

「よかった。じゃあもうひとつだけ」

「うん。聞くよ」

 沙羅は、いつの間にかとても不安そうな顔をしていた。なんだか、まるで転校初日の高校生って感じの顔をしていた。

「私がどんなことをされていたとしても、昔はどんな人でも、穢れた人だったとしても、嫌わないでくれる?」

「……」

「嫌わないだけでいいんだ。好きになってもらわなくていいの」

 なんだその言い方は。まるで、沙羅が何か悪いことをしていたり、悪いことをされていたりしていたみたいな言い方じゃないか。

 やっぱり、沙羅は生徒会基金の不正利用をしていたのだろうか。いや、それは考えにくいだろう。だって、両親からお金をかなりもらっているって言ってたし。

 ……やっぱり、前期生徒会で、なにかあったのだろうか。

 生徒会基金の不正利用の陰に隠れているなにかが、やっぱりあるのだろうか。

「大丈夫。きっと嫌いにはならないから」

 俺はそう言った。

 沙羅は、何か保険をかけているような気がするのだ。

 この先、沙羅がまだ俺に話してくれていないことを話した時に、俺が沙羅を嫌わないように、今のうちに親密度を高めておこうとしているような、そんな気がするのだ。

 情というものは、ある程度の信頼関係がないと、成り立たないから。

「誰かを嫌いになることは、悪いことだから。俺は決めてるんだよね。善いことするってさ」

 そう。善いこと。

 俺はこの救われた命を、善いことに使うって決めているんだ。

 生徒会になったのも、このことが理由の一つだし。

「ありがと」

 沙羅は、不安そうなまま微笑んだ。

「じゃあ。また。今度は映画とか見に行こうか」

「うん。沙羅が良ければ」

「えへへ。もちろんいいに決まってるじゃん」

 沙羅は、そのまま駅の方向へ体を向ける。顔だけ、こちらにぎりぎりまで向けながら。

「じゃあね。来栖くん」

 沙羅はそのまま、渋谷駅に消えて行った。

 不思議なことに、沙羅の背中はほかの人たちの背中に紛れて、すぐに見えなくなってしまった。

 一人取り残された俺は、明日のことを考えながら、沙羅と同じく渋谷駅に入っていくのだった。



 

 






 

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