第13話 体育祭練習は淡々と、好意と殺意とともに

 生徒議会から数日後。

 いつもより朝早く学校に着いた俺は、いつもより早く教室に向かった。

「お、おはよう来栖」

 俺を見た教室にいた岩本が、挨拶をしてくれた。

 いつもより早く教室に着いたにもかかわらず、教室には多くのクラスメイトが体操着姿で集まっていた。クラスメイトはそれぞれ雑談をしていて、その話の内容は体育祭の話ばかりだ。

「おはよ……」

「おはようさん。ってクッソ眠そうだな」

 岩本と話していた朝から元気な熊澤は、大きな声で、俺に挨拶をしてくれた。

「昨日、遅くまで生徒会の仕事ががが……」

「うわ~大変そうだな~。体調だけは崩すなよ」

「気を付けま~す」

 なぜ、今日朝早くからこうして学校に来ているのか、そして俺以外の生徒も朝早くから集まっているのかというと、朝練があるからである。

 大繩やリレー、そして学年競技の二人三脚などの練習をするために、クラスメイト達はいつもより早く、教室に集まっているのだ。

「というか、朝から元気すぎんだろ熊澤は……」

「そりゃ、こいつは部活の朝練があるから」

「ああ、慣れてんのか。朝」

「そういうことだ」

 俺が朝から元気な熊澤のことを指摘すると、俺は熊澤がバスケ部で、朝練がいつもあることを思い出した。

 まったく、普段から早起きしていると、そんなに朝に慣れるものなのだろうか。


    ***


 その後、数分後には俺たち二年二組は、校庭に繰り出した。

 校庭には、ほかのクラスの生徒たちも多くいる。今日は二年生が校庭を使える日だ。

 そして、学年競技の二人三脚の練習を、今日はすることになった。

 今年の二人三脚は、男女一組で行われる。となると、俺も女子生徒と組むことになるのだ。

「来栖くん」

「ああどうも、よろしくね滝沢さん」

「こちらこそよろしく」

 俺はというと、滝沢さんと二人三脚をすることになったのだ。

 もちろん、ほかの女子生徒とペアを組んでもよかったのだが、体育祭の練習が始まる前に、二人三脚があることを聞いた桜花に、こう言われたのだ。

「先輩、滝沢以外と二人三脚をもしするのなら、その女生徒がどうなるかわかりませんから」

 こう鬼の形相の桜花に言われ、俺は別に渋々でもなんでもなく、滝沢さんと二人三脚をすることになったのだ。

「ごめん、お嬢様がわがままを」

「いいや、全然」

 二人三脚に必要な、足を固定する紐を持ちながら、少しだけ申し訳なさそうに首を傾ける滝沢さん。

 というか、別に桜花に圧力をかけられなくても、俺には滝沢さん以外の女子の友達は、クラスにいない。だから、結局は滝沢さんと一緒に、二人三脚をすることになる可能性は高かっただろう。

「じゃあ、とりあえず足を結ぶけど、私がしていい?」

「うん。頼むよ」

 俺が滝沢さんにお願いをすると、滝沢さんは近寄ってきて、俺の隣までやってきた。

 そして、滝沢さんは慣れた手つきで、紐を結び、俺と滝沢さん自身の内側の足を結んだ。

「どう? きつかったり、ゆるかったりしない?」

「大丈夫」

「そう。よかった」

 滝沢さんの力加減は完璧だった。きつすぎず、ゆるくない。

「とりあえず、歩いてみようか」

「うん」

 俺がそう言うと、滝沢さんは頷いてくれた。

 そして、俺たちは歩き出した。

 歩き出したのだが。

「あれ」

「おっと……」

 滝沢さんと息が合わず、一歩目からうまく進むことができなかった。

「……」

 滝沢さんは、俺の顔を見た後、周りの二人三脚を練習している生徒たちを見回していた。

 俺も、周りの生徒を見回すと、男女のペアが二人三脚を練習している姿が目に入った。

 仲良さそうに練習している組や、真面目に練習している組、嫌々練習している組、余った男同士でとんでもない速度で爆走している組など、様々なペアが練習している姿が目に入った。

「来栖くん」

「ん? なに?」

 滝沢さんは、遠くで練習しているペアを指さした。

 そのペアは肩を組んで、ずんずんと歩みを進めていた。

「お嬢様には悪いけど、早く安定して進みたいなら、体を寄せたほうが絶対いいと思うの」

「ああ、そうだな。じゃあ、肩組もうか」

「うん」

 そうして、俺と滝沢さんは肩を組むことになった。

「すみません。お嬢様。私を信用してください」

 肩を組む直前、ボソッと滝沢さんはそう言った。

「じゃあ、行くよ? 内側の足から前に」

「うん」

「せーの」

 俺が合図をすると、滝沢さんも息を合わせて一緒に内側の足を前に投げ出した。

 肩を組んだ効果は、絶大なようで安定した速度で俺と滝沢さんのペアは、校庭のトラックをどんどん進み始め、ほかに練習している生徒たちを、どんどん追い抜いて行った。特に掛け声もないが、安定している。

 そのまま、校庭を一周しそうになったので、俺は滝沢さんに止まるように声をかけた。

「止まるよ~」

「うん」

 俺が言うと、俺と滝沢さんは徐々に速度を落として、やがて静止した。

「もしかして、意外と息ぴったり?」

「そうかも」

 滝沢さんの言う通り、もしかすると俺たちは息が合うのかもしれない。それに、俺たちはほかの男女のペアにはあまりない特徴がある。

「それに俺たち、珍しく身長差がないペアじゃん。滝沢さんがデカいから」

「確かに、歩幅が合わないってことがないから、どっちかのペアが合わせる必要もないのね」

「そういうこと」

 俺と滝沢さんの身長は、お互いに百七十五センチほど。男女にはどうしても身長差があるから、どちらかが合わせないといけないのだけど、俺達にはそれがない。

「もしかすると、二組の中のエースかもしれな……」

 俺がそう得意げに言いかけると、とんでもない速度で走る、一組の二人三脚が通り過ぎた。

「オラオラ!」

 それは、もはや二人三脚と言っていいのだろうか。

「うおおおおおおお! こっちはチビで飯食ってんだ!」

 そう可愛い声で叫ぶ、とても小さな女子生徒。その女子生徒には見覚えがあった。うちのクラスの生徒だ。

「二人で息を合わせるより、抱えて片足でジャンプしたほうが速いぜ!」

 その女子生徒を抱えて走る、背の高い男は熊澤だった。

「その通りだぜ!」

 その小さな女子生徒……確か名前は宮崎さん……だったような。

 そのまま、熊澤と宮崎さんは、俺たちの速度なんか嘲笑うような速度で、校庭を駆けていった。

「……」

「……」

 内側の足が繋がっている俺と滝沢さんは、そんな彼らを見てあっけに取られていた。

 確かに、身長差がないペアより、もし抱えられるのなら、ああやって熊澤みたいに女の子を脇腹に抱えて、片足でジャンプしたほうが圧倒的に速いだろう。

 ただ、あまりの絵面に、俺たちはもはや呆れていたのだ。

「エースはあいつらだな……」

「そうだね……」

 滝沢さんは、苦笑いしながら熊澤宮崎ペアが疾走している姿を見てそう言った。

「私、体重五十九キロだけど、抱えられる?」

「ええ! 女子にこう言うのあれだけど、さすがに無理だ!」

 滝沢さんには悪いけど、さすが俺と同じ背丈の女の子を抱えることはできない。

 ましてや、お姫様抱っことかじゃなくて、脇腹に抱えるなんて無理に決まっている。

「そう。じゃあ、来栖くんは体重何キロ?」

「え? 俺のこと抱える気?」

「一応聞いてる」

「六十キロ切ったり切らなかったりぐらいだけど」

「じゃあちょっと試してみても……」

「うわあ!」

 俺は、滝沢さんに抱えられそうになった。滝沢さんは意外と力が強いみたいで、圧みたいなものを腹部に回された腕から感じた。

「――っ」

 俺は、なんとか抱えられまいと抵抗していると、滝沢さんの動きが突然止まった。

「……ど、どしたの?」

「……」

 俺はそう滝沢さんに尋ねたが、滝沢さんは遠くにある校舎の一点を見つめていた。

 俺もその目線の先を見たが、そこには誰もいない教室があるのみだった。

 視線を俺に戻した滝沢さんは、深呼吸をしてから俺をゆっくりと放した。

「ごめんなさい。背丈がせっかく一緒なんだから、息を合わせたほうがいいよね」

「あ、ああ。絶対その方がいい」

「うん。それに、今……」

 滝沢さんは、またさっき見ていた方向と同じ方を向いた。

「お嬢様の殺気を感じた」

「え!」

「きっと、来栖くんを抱きしめることと同等のことをしたから、お嬢様はきっと怒ったの。私の大好きな先輩に、それ以上触るなって」

「ええ……」

 滝沢さんが言うに、どうやら桜花が俺と滝沢さんの様子を見ていたらしい。そして、滝沢さんが俺を抱きかかえようとした瞬間に、怒った桜花が滝沢さんに殺意を向けたようだ。まったく気が付かなかったけど。

「だから、まともにやりましょう。肩を組むぐらいなら、どうやらお嬢様は許してくれるみたいだから」

「あ、ああ……」

 改めて、桜花から俺に向けられている好意を、滝沢さんに向けられた殺意から感じ取ることができてしまった、嬉しいような、怖いような、そんな朝の体育祭練習だった。


     ***


 数日後の朝。

 生徒会の仕事を少しでも進めようと、朝早くに星山高校に着いた俺が、廊下を歩いていると、元気に朝練をしている応援団の姿が見えた。

 うちの応援団は、毎年ペアダンスのようなものを踊る。そのせいか、かなりのいわゆる陽キャの男女が参加していることが多い。俺は、応援団とは、今後とも一切無縁だろう。俺がきっと応援団に参加することはない。だからこそ、一生懸命練習できる人たちを、俺は尊敬している。

 そんなことを思いながら歩いていると、二階の廊下の窓から何かを見ている、藤田沙羅の姿が見えた。

「沙羅?」

「ん? わ~来栖くんだ。おはよ」

「おはよう」

 沙羅は、朝だからか、なんだか口調がふわふわしていた。

 いつもよりトロッとした目は、なんだかかわいらしさを感じられた。

「だいぶ早いけど、いつもこの時間なのか?」

「ううん。今日は偶然早く起きただけ。そっちはなにか仕事でもあるの?」

「生徒会の、体育祭関連の仕事が残っててさ」

「わ~大変」

 沙羅はそういうと、また廊下の窓から少しだけ身を投げ出して、外を見始めた。

 俺もつられて外を見て見ると、再び俺の目には体育祭の応援団が練習している姿が見えた。

「沙羅、応援団、見てるの?」

「うん」

 沙羅は一瞬だけ俺を見てから、また窓の外の応援団へと視線を戻す。

「来栖くんはさ、応援団やらなかったんだ」

「いや~、やるわけないよ。生徒会も忙しいし、性格的にも向いてない」

「そっか」

 沙羅は緩やかな笑みを浮かべていた。

 そもそも、体育祭の応援団は、基本的に男女一組で踊ることになるため、申請もそのペアで申請しないといけない。つまり、異性で一緒に踊ってくれる人を探す必要がある。こんな俺と一緒に、全校生徒の前で踊ってくれる奴なんて、多分俺のことを盲目的に好いてくれている桜花ぐらいだろう。

「沙羅はやらなかったのか? 応援団」

「……去年はやってたんだけどね」

 沙羅は何か思う所があるのか、俺が尋ねてから少し間を置いてから言った。

「留年してるって言ったよね」

「ああ、聞いてる」

「やっぱりクラスに馴染めなくてさ。ペアの子も見つからないし、私自身もまあいいかな、やんなくてって思ってさ。でも、なんだかんだちょっとうらやましくて、ここから見てる」

 沙羅は、俺を見てそう言った。

「早起きしちゃったの、そのせいかも」

「……そっか」

 沙羅の哀しそうな笑顔を見て、俺も少し苦笑いをする。やはり、留年するとクラスに馴染めないものらしい。俺がもし、高校で留年したら、それでも退学せずに、留年の道に行くと思う。しかし、世の中の高校生は、留年したらそのまま退学……という選択を取る学生が多いらしい。沙羅のこの感じを見ていると、退学を選ぶ生徒の気持ちも、今ならわかる気がする。

 そうだよな。周りは全員同い年なのに、一人だけ一つ上だもんな。しかも、留年した理由も理由だ。学力が足りないとかじゃなくて、生徒会の不祥事のせいなわけだし、白い目で見られてもおかしくないはずだ。

「よくさ、私と話してくれるよね」

「……? どういうこと?」

「あんな生徒会の事件を引き起こした主犯格なのに、よく話してくれるねってこと」

 沙羅は俺の目をまっすぐ見ていた。

「クラスの子たちはね、私と話そうとあんまりしてくれないんだ。私が年上ってのもあるんだろうけど、そういう事件を起こしたってせいで、あんまり関わろうとしてくれなくてさ」

「……別に、確かにそういう事件を起こしたのかもしれないけど……」

 俺自身、これはあくまでも感覚だということはわかっている。

「でも、俺から見て、沙羅はそういうことをするようには見えない」

 俺もまっすぐ沙羅の目を見て言った。本当にそう思っているからだ。

「……証拠も証言も残ってるのに、まだ私が、そういうことをしないって思ってるんだ」

「うん……じゃあなんだ。明智さんと未だに仲良くしてるのは、どうしてだ?」

「……どういうこと?」

「生徒会の解散の理由が、沙羅のせいなら、明智さんも沙羅と、仲違いしていてもおかしくないだろ。じゃあどうして、今でも二人は仲がいいんだ?」

「……」

 沙羅のせいで、生徒会をやめることになった明智さんは、一応経歴に傷がついたはずだ。関係が悪くなってもおかしくない……どころか、関係が悪くなる方が自然だろう。しかも会計である沙羅が、生徒会のお金を勝手に使ったという理由もあるし、完全に沙羅のせいで、経歴に傷がついているからな。

 沙羅はポカンとした顔をしながら、窓の外の空を見た。空はもう夜の気配はなく、澄み渡った青が広がる、朝の空になっていた。

「……ふふ。たしかにな~」

 沙羅は楽しそうに笑った。

「なんでだろうね」

「……まったく……こっちが聞いているんだけどな……」

 なんだかはぐらかされた気がするが……朝からこれ以上聞いてもよくないか。気分的にも。

「……来栖くんがペアなら、応援団やってもよかったな」

「なんだ突然……」

「どう? 私がペアなの。いや?」

「いやじゃないけどさ……俺踊れないし」

「私も踊れないよ。ちょうどよくない?」

「というか、俺じゃ役不足だ。沙羅の隣に並べない。自覚してないのか? 沙羅は自分の見た目がいいことを」

「……自覚してるよ。それだけは、自覚ある」

「……あるのか」

「うん」

 沙羅は、自信満々の笑顔で自分の容姿がいいことを自覚していると言った。

「嫌でも自覚させられたからさ。これだけは自覚あるし、むしろこれしかないからさ、私の取り柄。でも、来栖くんも結構ビジュアルいいけどね」

「そ、そうかな……」

「うん。もっと自信持ちなって」

 そう言う沙羅に軽く、肩をポンポンと叩かれた。

「う~ん」

 俺は頬をかきながら、視線を泳がせる。こんなに美人な沙羅から、こう容姿を褒められると結構嬉しい。

 また沙羅は、外の応援団を見た。それから、沙羅は少し黙った。

「それにさ……その……あれだ……」

「ん? あれって?」

 俺は、この学校に在学している限り、応援団だとか、そういう男女が接近することを、安易にできない理由を一つ思い出した。

「桜花がたぶん……俺とほかの女子がペアダンスするのを許してくれないと思う……」

「……ふふ。そっか。仲良さそうにしてるもんね」

「ああ。困ったぐらいに好かれてるからな。なぜか」

 桜花が信頼している滝沢さんに、俺が抱えられただけで、どうやら滝沢さんは桜花からの殺気を感じたらしいし、こんな美人な沙羅と踊ったら……桜花はそれはもうブチギレだろう。「この泥棒猫!」とか言うだろうか。少女漫画みたいに。

「来年は出来るかな……ああいう事……」

 沙羅はずっとぼーっと応援団を眺めている。よほどうらやましいのだろうか。

 そう言う俺も、まあ憧れがないわけじゃない。憧れてはいるけど、あんまりやりたくはない。そんな感じだ。

「……! どうしたんだ?」

「ん? なに?」

 俺はふと、沙羅の顔に目をやった。

「泣いてるけど」

「え! うそ! ……ってホントじゃん……やだ……」

 沙羅は泣いていた。

 音もなく、目じりから一粒涙を垂らしていた。

「……」

 こういう時、どうすればいいんだろう。

 笑えば……いや、あれは泣いてる側が言ったセリフなわけで……。

「ごめん。気にしないで。ちょっと朝だから、テンション低くてさ」

 どうすればいいか考えていると、沙羅はあたふたしている俺を見てか、謝ってくれた。

「そっか。まあ夜とか朝とか、なんか気持ちが不安定になるときとかあるよな……」

 俺はというと、とりあえず共感してみることにして、誤魔化すことにした。

「でしょ? だからちょっとね。平気だから。よくあることだし」

「よかった。俺が何かしたのかって……」

「へへ。ごめんって」

 沙羅は、俺の困り切った顔を見たせいか、また表情が綺麗な笑顔に戻っていた。

「じゃあ、私、そろそろ教室行くから」

「あ、うん。じゃあまたね」

「うん。また話したいな」

 沙羅はそう言うと、俺に軽く手を振ってから背を向けて、少し早足で去っていった。

「……」

 俺はそんな沙羅の背中を見ながら、一言呟いた。

……ね」




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