最終話『皆中、もう一つの世界』

 執弓とりゆみの姿勢のまま、左手側にある的と平行に、ゆっくりと摺足で進んでいく。


 静かに身をきる風を感じて―――履いてる足袋の裏から伝わる、ヒヤっとした硬い床を感じて。

 

 正面に的がある位置で、身体を的に向け、本座ほんざまで全進。両足を揃えて、的に向かって浅い礼をした。

 頭をあげて、右足から3歩進む。射位の位置で、そのまま最後の歩である左足を半歩ほど戻す。背筋を曲げずに、ゆっくりと座る。かかとを浮かせた、跪坐きざの姿勢。

 右膝を床についたまま、腰を垂直にきる。上半身を起こし、体を90度ずらして、的は私の左側へ。再び跪坐きざの姿勢。

 左手は腰に添えたまま、矢尻を身体のセンターラインに置き揃え、音をたてずに2本だけ置く。

 そこから矢尻を隠すように握り持ち、右手を腰に添え、一度静止―――二呼吸。


 腰の横を滑らせるように、和弓を身体のセンターラインへ、右手で弦を掴み、時計回りに半回転。持っていた矢を一本つがえる。もう一本は向かって左側に羽がついているほうを向け、つがえた矢と平行に置き揃える。

 右手を腰に添え、一呼吸。今度は筈と矢の先端を隠すように右手を添え―――和弓と矢を目線の高さまで持ち上げる。

 跪坐の姿勢から鉛直に立ち上がるため、腰をきる。顔だけ的にむけ、物見ものみ

 左、右の順に足踏み。矢筋に沿うように顔を正面に戻し、重心を整える。

 右手の小指と薬指で、平行に置き据えた矢の先端を握り、腰に添える。弓の下部を左膝の上に乗せ、もう一度物見ものみ

 右手めてを弦に添え、取懸とりかけ。手の内をつくり、ギュッと握り絞る。左手ゆんでを伸ばして、顔を左に向ける―――弓構え。


 穏やかな風が吹いた―――木々が葉を揺らす音が聴こえて―――――。


 弓を持ち上げ、矢と身体を平行にする―――打起し。

 押手おしてを押しつつ、まずは両肩を開くように、弦を引く。矢は水平のまま目線を通過して、次に背筋を開いていく。

 降ろしてくる矢をそのまま口元、右頬に矢を添える。

 胸あてを介して伝わる弦の感覚。そのまま狙いをつけて――――――伸び合う。


 風は吹きすさぶ―――音が、消えた―――。


 手の内を絞り―――押手おしてを的に押し続けて。右肘を支点に、勝手かっては矢筋の延長線に。ジワジワと伸び合い続ける。狙うは的。

 直径三十六センチの、霞的――――離れ。

 カシュン――――と、高らかな弦の音色―――破裂音パァン

 風船が割れるような音が響き、射抜いた。


 暖かいそよ風を感じて、それが肌にふれている。ヒヤリとかいた汗が涼しくて、でも嬉しくて。みんなの驚いた歓声に、心が踊った。

 両拳を腰に添え、執弓とりゆみの姿勢。顔を正面に戻す。右足を半歩下げ、再び跪坐。今度はカチっと音が鳴って、同じように矢をつがえた。無意識に、身体が動きはじめた―――――。


 これが、私の選んだ道なんだ。それがこんなにも楽しくて。離れを出すたびに、まるで的に吸いこまれていくように貫いて。


 カシュン―――――パァン!!


 今までの努力や、辛かった気持ちが、嘘のように吹き飛んでいく。

 これが――――弓道なんだ―――。

 顔には出さないけど、この高揚した気持ちはなんだろう。さっきまで胸を締め付けられていたかのような気持ちが、嘘のように晴れていくよ。


 カシュン――――パァァン!!


 弓が大好きで、みんなと一緒に苦楽を共にしたからかな?

 ううん、違う。それだけじゃないよ。キッカケは恋かもしれない。でも、もう理由なんてなんだっていいや。


 左手ゆんでを通じて伝わる、反り返る弓の反発力。

 右手めての親指を通じて伝わる、弦が飛び出そうとする気持ち。

 まだだ―――まだまだ伸び合ってから―――。

 感じる、離れるんだって気持ちが、勝手かってから伝わる。和弓が教えてくれる。身体の真ん中から―――左右に伝わる心。


 〝ヤゴロ〟――――――キイィン―――。


 かん高い弦の好音が、もっと研ぎ澄まされて聞こえた。

 それは矢風を鳴らして―――風をかき分けて―――――破裂音!!

 張り詰めた空気が弾けて、その4本目は的を射抜いた。

 拍手の音―――みんなが、みんなが拍手してくれてるんだ!!

 パチパチと、それは私を祝福するかのような音色で。的を貫いたその先にあった、もうひとつの〝世界〟なんだって。


 両足を閉じて、執弓の姿勢。私は的に向きなおり、浅い礼をした。

 スキップしたくなるような気持ちだけど、ゆっくりと摺足で射場を進んでいく。

 射場に差し込む太陽の光で、褐色のフローリングがキラキラと輝いているかのように思えて。いたずらのように吹き抜ける風が、私の黒いショートヘアをなびかせた。


 鳴り止まない拍手がちょっと気恥ずかしくて。頬が緩んで、とび跳ねたい気持ちになって。夢なんかじゃない、私―――本当に皆中かいちゅうしたんだ。

 弓道場の射場から退場する直前、頭上にある神棚に向きなおる。心を込めて、感謝して。精一杯の気持ちを込めて、深い礼をした。


「ありがとう、かみさま!」

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