第23話 泥沼

「これで、本当によかったのかな」



 スマホの学園ニュースを読み終えて、文吾は思わず呟いた。喫茶店マドレード。相変わらず雑多な店内。初めはおしゃれな印象を受けたのだけれども、今は混乱した自分の頭の中を映し出しているようで、かるい酩酊感を覚える。そして、目の前にはタブレットをスワイプする汐の姿があった。



「えぇ。作戦はうまくいっています。他のメディアも次々と取り上げてくれていて、順調に浜部生徒会長の支持率は落ちています。このまま支持率が下がり続ければ、恋愛税のような批判を招きかねない校則案は提出できないでしょう」



 汐は少しうれしそうだった。自分の活動によって生徒会にダメージを入れられたからだろう。これまで話した限り、彼女はまじめな性格で真っ正面から政策論争をしかけていたに違いない。それでは何も変わらなかった。しかし、今回は違う。確かに彼女の行動が、生徒会に影響を及ぼしている。


 しかし、と文吾は思う。



「こんなやり方で政治を動かしてしまって本当によかったのかなって」


「それは動かしてから言ってください。まだ何も変わっていません」


「そりゃそうだけど」


「それにしても文吾さんが、勝ち方にこだわるタイプだとは思いませんでした」


「ルールの範囲内でできることはすべてやるよ。サッカーだったら、たとえば点数をリードしている状態で、後ろにガン引きしてパス回しするとか。それを卑怯という奴もいるけれど、僕はそう思わない。勝つための戦略の一環だ」


「では、問題ないのでは?」


「でも、ラフプレーはいけない。相手を怪我させてまで勝っても、それはサッカーで勝ったことにはならない。、だ」


「……そうですね。その通りです」



 これがスポーツならば、と汐は静かに続けた。そして言いよどむ。彼女は、これまで話で詰まることはあまりなかった。言論には自信があるのだろう。それでいて、信念がしっかりしており、返す言葉に迷いがない。ただ、今、その言葉に迷いがある。今までの信念とは違うところでしゃべっており、どう言説を展開していいのか考えているのではないだろうか。


 その時点で、現状のやり方がおかしいことは明らかであった。



「文吾さんが言う通り、これがスポーツだったならば、私達のやっていることはラフプレーです。後ろから殴りかかているようなもの」


「だろ」


「しかし、私達がやっているのはスポーツではありません。政治なんです。最低限のルールはありますが、何でもありの、いわば戦争。私も学生人生のほとんど政治に費やしてきて、わかっていたつもりですが、今やっと理解しました」



 カフェオレをぐいと飲みほして、その勢いのまま、汐は政界の常套句を口にした。



「正義が勝つのではなく、勝った方が正義なのだと」



 聞きなれた言葉だ。政治に携わる人間は皆同じことを言う。幼少期から家で叩きこまれた概念であり、文吾の中にも深く根付いている。


 考え方自体が間違っていると思わない。正しいだけで勝てるのだったら、勝つための努力など必要ない。現実にそんなことはありえないことを文吾は知っている。サッカーをしている文吾からすれば、当たり前で、そもそもサッカーに正義などはない。試行錯誤の末に勝者と敗者がいるだけ。政治の世界も同じように考えれば、勝った方が正義で、負けた方が悪と決まるだけ。


 同じように考えるならば。


 政治という場において、文吾は、その考え方に賛同できなかった。政治とは正義が先に立たなければならない。自らの正義を掲げた上で、それは前提で、正義の名のもとに可能なオプションを模索し、勝ちに行く。縛りプレイだとしても、政治家はその縛りを甘んじて自らに課さなくてはならない。


 そうでなければ、政治家ではない。


 浜部家で、そんなふうに啖呵をきった日を思い出す。文吾はまだ子供だなと、父に鼻で笑われ、兄に呆れられたあの日。文吾は、政治家という生き物に愛想を尽かした。


 そんなことを、文吾は唐突に思い出す。


 汐も政治家なのだな、と。


 急に冷めた。というのはあまりに無責任な話ではあるが、文吾は恋愛税廃案に対する情熱が冷めていくのを感じた。


 ただ自分の利権のために、むちゃくちゃを通そうとする兄を否定しようと決意したというのに、いつの間にか兄と同じような下法を用いていた。


 これでは、何をしているのかわからない。


 もうやめようと文吾は即決する。そして即行動が彼の特性であった。決めたことをすぐにやる。やり遂げる。そうすることでサッカー選手としてトップ選手にまで上り詰めた。良かろうと悪かろう、すぐに判断して決めて動く。それが成功の秘訣だと文吾は直感していた。さっそくこのプロパガンダ戦から降りることを汐に伝えようとしたときだった。



「えっ!?」



 汐が悲鳴のような声をあげた。タブレットに入り込まんばかりに顔を押し付ける彼女は、今までにないほど驚いた顔をしていた。



「どうしたの?」


「やられました。いや、正確にはやり返されました」



 文吾に向けて、汐はタブレットの画面を向ける。そこに書いてあるヘッドラインを見て、文吾は唖然とした。そして思い出す。自分が誰を相手にしていたのかを。


 この手のやり方はあいつの独壇場だ。



「……あのクソメガネが!」




★★★





浜部家・・・祖父の代からの政治家一家。地元に強力な地盤があり、選挙で負けることはない。父親の地盤を引き継ぐことが確定している数緒は、地元に帰ると住民からお坊ちゃんと呼ばれてゴマをすられる。そのため、数緒は彼らのことを完全に見下している。地元にいると成長できないと考え、父が数緒と文吾を多賀根学園に入れた。数緒を政治家に育てることは浜部一家の総意であり、本人もそのつもりである。一方で文吾は期待されていないと反抗期。母親からは、文吾の方が溺愛されており、生意気なわりに甘々に育てられている。結局はお坊ちゃんである。


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