告白

 土曜日は朝から雨模様だった。

 九時五十五分。朔夜が学校に到着すると銀由依は校門から校舎までの短い並木道に立って空を見ていた。

 片手に傘。もう一方の手には休日だというのに通学鞄がある。


「生憎の天気だね」

「ですが、ちょうど良いかもしれません」


 真っ白い傘が銀に近い少女の髪、そして青い瞳と見事に調和している。

 微笑む表情も別世界の住人のようで朔夜は思わず見惚れてしまった。


「雨は人の気持ちを不安定にさせると同時、ある程度の穢れを洗い流す力も備えています」

「ある程度落ち着いた状態なら逆に有効、か」

「土曜ですし、人も少なくなっていますからね」


 少女は朔夜の歩みを待つようにして隣に並んだ。

 自然な仕草に胸が高鳴る。ゆえ以外の少女に恋をする気はないのだが。

 横目に見つめる目が少女のそれと合って、


「男子三日会わざればと申しますが、一晩で見違えましたね」

「わかるんだ?」

「ええ。貴槻くんも訓練を積めば感知できるようになるかと」


 お互いに制服姿。部活動、自習、補習など休日でも学校を訪れる生徒は多いため見咎められたり怪しまれたりする心配はない。

 由依の容姿はもちろん、朔夜の容姿もある意味目立つために注目を集めやすいのはもはやどうしようもないので考えないことにする。


「今日はどうしようか」

「時間もありますので、敷地内を端から巡ってみませんか?」

「賛成」


 傍からはデートに見えたりするんだろうか。

 服装によっては男子として扱われるほうが困難な朔夜の容姿では由依の相手には不足だろう。そう結論付けて思考を探索へと振り向ける。


「探すほうはあんまり力になれそうにないけど……」

「構いません。わたくしの力は破壊に向いておりませんので、仕掛けの排除を担当していただけるだけでとても助かります」

「力といえば、銀さんは大丈夫? 体調とか、魔力の量とか」

「連日探索を続けていますので少々心元ないかもしれません。その点でも頼りにさせていただきますね?」

「もちろん」


 一般に魔力量が多いほど魔力生成量も高くなる。

 ただし、例えばAランクの魔女が二十四時間で魔力を全回復させられるとして、Cランクの魔女も同じ時間で全回復するわけではない。

 同じ時間あたりで見た回復量にはかなり差が出るためアドバンテージではあるが、どのランクであろうと回復量以上を使い続ければ消耗するのは当然。放課後ギリギリまで粘って身体を酷使していれば休息時間自体も減るのだから猶更だ。

 一方、朔夜は魔力量に比して魔力回復量が異常に高い状態。

 全回復するのが早いので気兼ねなく魔力を使える。光刃なら魔力の籠もったアイテムでも破壊できるのは実証済みだ。


 午前中の約二時間をかけて屋外を、雨のために人気のない校庭も含めて探索し終えた。

 破壊したアイテムは三つ。

 身体には疲労を感じるものの魔力的にはまだ余裕がある。少し休めばさらに回復するだろう。

 ほっと息を吐いた由依は「お昼ですし休憩にいたしましょう」と告げた。


「貴槻くん。お昼はどういたしますか?」

「あ。考えてなかった。……学食か購買に行くしかないか」

「でしたら、お弁当を用意しておりますのでご一緒に」

「いいの?」

「はい。むしろ二人分ありますので食べなければ無駄になってしまいます」


 由依のお弁当には正直興味があった。気配りの行き届いた誘い文句もあって一も二もなく頷く。


「どこかいい場所はありますでしょうか」

「教室でいいんじゃないかな。たぶん誰もいないだろうし」

「では、そういたしましょう」


 案の定、普段は賑わうその場所には人の気配がなかった。

 雨音のおかげで不思議な静寂が校内を満たしており、朔夜は不思議と穏やかな気持ちになった。


「だいぶ壊したし、危険は減ったのかな」

「いえ。違和感はまだ消えておりません。気を抜くには早いかと」

「校舎にもまだ残っているってことだね」


 弁当はさすがに由依の手作りではなかったものの、シェフが腕を奮ったというだけあって冷めていても美味しいいい出来だった。金を払って買ったとしても後悔はないだろう。


「これ、すごく美味しいよ」

「ありがとうございます。……ここで手製だと言えればなお良いのですが」

「料理は苦手?」

「嗜みとして覚えてはおります。ですが、とても得意と言えるほどでは」

「僕も覚えたほうがいいかな。一人暮らしをする機会もあるかもしれないし」


 姉のことを思いだしながら言うと由依の青い瞳が向けられて、


「貴槻くんは、学園への転校についてどうお考えですか?」

「受け入れてもらえるようならしてもいい。むしろ、したいかな。もっとしっかり魔法を学んでみたい」


 ただし、国立菊花学園は女子校だ。

 正確に言うと「魔女であること」が条件に含まれているため女子以外の入学は想定されていない、ということ。魔法を操る才能があり一定以上の魔力を備えていれば入学は認められるはずではある。

 由依はにっこりと微笑んで、


「でしたら、問題ありません。わたくしの役割の一つはあなたを勧誘することですから」

「歓迎してもらえる、ってこと?」

「ええ。貴槻くんにとっては複雑かもしれませんが、あなたはおそらく近い将来、魔女に相応しい身体に変化しますから」


 魔力量がF以上に達し、身体が女性になった(あるいはなる予定がある)のならば受け入れない理由のほうが見つけづらい。

 なら、朔夜としても願ってもない。

 頃合いを見て母とも相談してみよう。


「お母さまも卒業生ですし、お姉さまも学園へ在学中ですから勝手はある程度ご存じでしょう?」

「知ってたんだ?」

「もちろんです。銀家がそうであるように貴月家もまた有名ですから」


 貴月家は国内における魔女の名家の一つだ。母はそこの直系だったが家族との折り合いがつかなくなり家を追い出された。

 『貴槻』は代わりに与えられた姓だ。貴月家の分家筋が名乗る名前であり、縁者であることを示す意味もある。

 完全に縁が切れたわけではないことがここからもわかる。

 実際、数えるほどとはいえ朔夜も貴月の大屋敷に足を踏み入れたことがあった。


「あの家にはあんまりいい思い出がないな」

「歓迎されなかったのですか?」

「優しくしてはもらったよ。……ただ、なんていうか人間扱いされなかった気がする」


 可愛い孫ではある。一方で貴月家に相応しい存在ではない。

 母と誰かが言い争う中でそんな言葉を聞いたような気がする。


「魔女の旧家において、魔女にあらずば人にあらず。男子は次代の魔女を作るための道具程度にしか考えられていないことも少なくありません」

「特に女系に偏っている貴月家なら猶更、か」

「はい。ですから、今のあなたでしたらきっと別の対応をされることでしょう」


 十分な魔力を持った魔女の卵。

 孫として、一族として、今度こそ手放しで歓迎してもらえるのか。

 ふと朔夜は首を傾げて、


「ということは、銀さんは貴月の家から遣わされたわけじゃないのかな?」

「直接の指示や依頼は受けておりません。あくまでも銀家と学園の意向です」

「そっか。でも、そう考えると姉さんが来ても良かった気がするけど」


 姉は現在高校三年生。

 進路選択で忙しい時期──と言っても魔女の場合はだいぶ特殊である。受験勉強は日々の鍛錬とイコールになりやすいため特別な対策は必要ないことも多い。

 一般大学の医学部に進んだ静華などは「本気で死ぬ思いをした」と語っていたが。


「お姉さまではいけない理由があったのです。……それが、わたくしに与えられたもう一つの役割」

「もうひとつ、って?」


 少女は軽く目を伏せると「本当は落ち着いてからお話するつもりだったのですが」と呟いた。

 朔夜としてもここまで来たら聞いておきたい。

 心の準備を固めつつ先を促せば、美しい形をした唇がゆっくりと開いて、


「あなたの心を射止め、恋仲になること。それがわたくしの役割です」

「駄目」


 静寂。

 由依が目を見開き、朔夜もまた硬直する。

 がらりと開かれた教室の入り口に一人の少女が立っている。

 朔夜よりも少し背が高いショートヘアの少女。校庭は使えなかったはずだが校内でトレーニングをしていたのだろうか。昨日も見たウェア姿だ。


「葉月さん?」


 聞かれたことに動揺するも、朔夜の身の上は別に隠していることではない。由依に転校してきた事情があるのも特に不思議はないだろう。

 にもかかわらず胸がざわつくのは。


「銀さんは駄目。だって、わたしじゃ敵わないから。わたしより後に知り合ったのにそんなのずるい」

「葉月さん、何を言って」

「気づいてるくせに」


 咎めるような調子の声が胸に刺さった。


「もう我慢できない。好き。貴槻くんが好き。なにどうして見てくれないの? どうして銀さんなの?」

「待って、葉月さん。銀さんとはそういう関係じゃないんだ」

「なら、どうして昨日も今日も一緒にいたの!?」


 響いた声が朔夜の動きを制止する。


「わたし、見てたんだよ? 貴槻くんと銀さんが一緒にいるの。まだ知り合ったばかりなのに、毎日こんなに長い時間──ぜったい普通じゃない!」

「それは、魔法が使える同士で相談があったからで」

「待ってください、貴槻くん」


 声を上げた由依が結界を展開する。温かな光が教室内に広がると葉月は小さく呻いた。

 お腹に手を当てる彼女。まるで中に何かがいる、あるいはあるかのような。


「迂闊でした。まさか二つも与えられていたなんて」

「でも、別のアイテムを持っていたなら銀さんが気づくんじゃ」

「所持していただけなら気付けたでしょう。ですが、体内に埋め込まれていたのなら本人の魔力に紛れて発見がより困難になります」

「身体の中……?」


 思い出す。あの魔女の言っていたこと。魔力との相性がいいもう一つの場所。

 母が腹部に手を当てる光景もフラッシュバックして、


「まさか、そんな場所に……!?」

「記憶を隠されていれば埋め込まれたことにも気付けません。身に着けるよりも強い影響が常時身体と心を蝕んで、悪い方向へと誘導していたのでしょう」

「どうして、そんなことを」

「女の情は強いもの。きっとそれを利用したかったのでしょう」


 話している間にも葉月は苦しみ、そしてついに叫んだ。


「わかったようなことばっかり言わないでよ!」

「───っ」


 由依が唇を噛んだかと思うと、その右手が突き出される。

 手のひらから生み出されたのは光でできた鎖。まっすぐ葉月に向かったそれは少女の身体を何重にも拘束、


「あ、あああああぁぁぁっっ──!?」


 悲鳴と共に葉月の身体からどろどろとした黒い魔力が噴き出した。


「大きい」


 教室の中央辺りに集合したそれは、昨日見た魔力と同じように実体を成していく。しかしその大きさと姿はかなり異なっていた。

 受けた印象は女神、あるいは魔獣。

 足はなく無数の蔦が身体を支え、下半身はふっくらとした花でできている。花弁に囲まれるようにして上に伸びた上半身は全裸の少女、あるいは女。それは葉月によく似ているものの、胸部は豊かで髪が長く、女性的な特徴に富んでいた。

 悪魔は朔夜のほうを見ると、笑った。


「貴槻くん!」


 由依の声に、呆けていた意識が引き戻される。

 葉月を解放した少女は新たな鎖を形成すると悪魔に向けて飛ばし──輝く鎖は悪魔の生み出した漆黒の鎖に迎撃された。

 強度は互角。

 絡み合い崩れていく鎖。もう片方の手を伸ばした悪魔はさらにもう一本の鎖を生み出し──それは朔夜の生み出した光刃によって斬り落とされる。

 初撃をしのいだ安堵も束の間、朔夜は何かが落ちる音。

 見れば由依が膝をついて呼吸を荒くしていた。頬も紅潮しており、明らかに状態が悪い。


「銀さん」

「大丈夫です。……それよりも、時間を稼いでいただけませんか?」

「うん。どのくらい?」

「一分間。それだけあれば奥の手を使えます。あの悪魔相手でも一撃で倒せるでしょう」

「わかった。なら、一分はなんとかする」


 剣を構え直した朔夜を見て、悪魔はもう一度艶やかに、そして邪悪に笑った。

 背中からさらに二本の腕が生えて四本の鎖が伸びる。

 束縛の象徴。

 捕えられれば四本の腕に捕まって二度と離してもらえないだろう。あるいはさらに、下半身の植物が食虫ならぬ食人植物である可能性も捨てきれない。

 倒れて気絶した葉月をちらりと見る。ここで死ぬわけにはいかないし、あんな化物に身を委ねるのもごめんだ。


「お前は、葉月さんじゃない」


 光の刃が教室内に閃き、四本の鎖を次々と斬り飛ばした。

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