第6話 私達の猫探し
表札を勢いよくひっくり返し「CLOSED」の文字を確認すると、私たちは店を後にしました。
まだ朝の九時だというのに日差しは強く、暑さはすっかり夏のそれでした。こんな気温の中長旅に赴くシャロちゃんは大したものです。
「ボス、何かアテがあるんですか?」
店を出てから迷わず西に進むボスに私はそう問いかけました。
「いや、山田さんと反対方向に進んでるだけだ。何か意見があれば進言したまえ」
「えぇ」
私たちは住宅街を練り歩きました。そこは田んぼとアパートが順繰りに姿を見せる、私の自宅周辺です。代わり映えしない景色の中、猫を見逃すまいと顔をぐるぐる動かしながら進みました。
「そういえばボスは猫好きですか?」
「近くで接したことがあまりないから分からんな。見た目はともかく人見知りというのはペットにするには可愛くないだろう」
「そこもいいじゃないですか。私の実家に居る子は人懐っこくてもっと可愛いですが」
猫が好きかどうかと聞いて「好き」か「大好き」以外の回答をされたのは初めてかも知れません。
「そういえば昔黒木の家にもいたぞ。茶色の目つきの鋭い奴が。俺の時代には既に猫ブームだったのかもな」
「やっぱり世間を席巻するのは猫ですよ」
「え。あぁ」
そこで会話が途切れしばらくの沈黙が流れました。私は『Rコール』に看板猫を雇うべきかそれとも猫カフェに改装すべきか悩みながら歩いていると、そこでふとあることに気づき、聞きました。
「そういえばボスはシャロちゃんを見たことあるんですか?」今更ながら、私は目標の子の特徴を何も知らないのでした。「山田さんからどんな子か何にも聞いてないですよね」
「ああ、飲食店だからご遠慮願ったんだが、初めて店に来たときに抱っこされてた猫がいてな、多分それだろうと」
「な、中々珍しいですね」
「まぁ、マダムは自由な人だからな。だが話せば分かるがいい人だよ、無遠慮というか天然の気があるだけで」
「絵に描いたようなお金持ちなんですね」
一目見ただけのイメージと、その傲岸不遜な態度がパズルのピースのようにぴったりとはまってしまいました。
「それで、シャロちゃんはどんな子なんです?」
「お高そーな子だよ」ボスは溜め息をつきました。「毛が白くて、赤の首輪を着けてたな。野良であの気品を出す猫はきっといないだろう」
「あれ、白くてちょっと長い毛の?」
「そうだった、首の下がもふもふしてたな」
「あー」私は立ち止まり方向転換をしました。 幸いにも例の公園はこのすぐ近くです。
「もしかして見たのか?」
「はい、昨日公園で」
「まっすぐ帰れと言ったろう」
「いくつだと思ってるんですか」
さっきよりも急ぎ足で私たちは公園に向かいました。目的地の公園にいるとは限りませんが、二匹で仲良くいたところを見るにその付近にいるような気がしてなりません。「猫の気持ち」という本を読んだことのある私には分かるのです。
五分ほど歩き、角を曲がると薄緑色のネットフェンスと木々が見えました。三本ある車止めの合間を縫うように(ボスは跨いで)公園に入り、それからは足音を立てないように奥の広葉樹に近づきました。もしシャロちゃんが居た場合、一番に憂慮すべきことは更に逃げられることだからです。
「あっ」
視線を見渡すと、白い影が目に留まりました。それは公衆トイレが作る影で日差しを避けながら横になっていました。遠くからなので全身がはっきりとしませんが首元からチラリと覗く赤い線は首輪でしょう。昨日見た子に違いありません。
「あれです」私は指を指しました。「昨日見た子です」
「なんかすっかり自然に適応してる風だな」
「猫は強い生き物ですから」
私たちは更に接近を試み、向こうがスッと顔を上げたところで足を止めました。警戒されてしまったようです。
「ボス、あの子で合ってますかね」
「分からんがどの道飼い猫であることは間違いないだろうから保護はしてやりたい。取り敢えずは山田さんに連絡を入れておくよ」
ボスが電話を掛け、公園に居ることを伝えると向こうがすぐに電話を切りました。この調子ならすぐに駆けつけてくれそうです。しかしその間に猫ちゃんに逃げられる可能性があります。つまり捕獲という私たちの任務に変更はありません。
近づく前に「作戦はあるんですか?」とボスに尋ねてみました。すると、
「いや、素手で何とかなるもんじゃないのか」
「いやいやいや無理ですよ。猫すばしっこいですよ」
「人間二人でも?」
「三人でも四人でも無理です」
仕方ありませんね、と私はショルダーバッグからビニール袋を取り出しました。中には猫が大好きなアレが入っています。
「おお、猫が好き過ぎるあれだな、餌だな。見せるだけで寄ってくるんだろ?」
「昨日コンビニで買ったんです。次この子に会ったら手懐けたいなーって」
「まっすぐ帰れと言ったろう」
「だからいくつだと思ってるんですか」
その後は驚くほど上手く事が進みました。猫用おやつの袋を開けた途端、耳を立て鋭い目つきでこちらを睨んでいた猫ちゃんは、目を丸くし尻尾を揺らしながら近づいてきました。私は液状のおやつを少しずつ絞り出すようにあげながら、隙を見て抱きかかえました。
見た目通りのふわふわな毛並みはまるで新調したタオルのように手触りが良く、意味も無く頭の匂いを嗅ぎたくなりました。抱っこされることに抵抗を見せないのは飼い猫だからでしょうか。
「そういえば店に来たときもまるで人形のように微動だにしなかったな」
私が胸元に抱き寄せた、シャロちゃんであろう猫の頭をポンポンと撫でながらボスが言いました。
「飼い主が来るまで大人しくするんだぞ」
猫はただ、喉をゴロゴロと鳴らしていました。
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