第5話 学院へ
エルが仙人になったあの日から約一年が経過した。やることは変わらず、ただ日々を無為にしていた。
「エルグランド様、アイン様からお話があるので部屋に来るようにとのことです。」
「…そうか。」
「…」
深々と頭を下げて去っていくセバス。あの日からセバスとの関係も変わってしまった。もっともエルにとってはノーダメージだったが。
(父上からの話ねぇ。どうせ学院絡みだろ。)
あと少しで学院に入学する年齢だ。ただ、それだけのために呼び出されるのは納得し難がったが。
「コンコン」
「入りなさい。」
部屋の奥から低い声が返ってくる。
「失礼します。」
「よく来た、エルグランド。」
深く青い瞳。どこまでも見透かされているような気分になる。この父相手にはどれだけ警戒してもしたりない。この男はすでにいくつも貴族の家を潰しているのだから。
「いえ。それで話とは何でしょうか?」
「おおかた予想はついていると思うが、学院の話だ。」
(やっぱりか。…めんどくさいなぁ。)
「ただし行くのはこの国ではない。中立都市スペスだ。」
「…そうなのですか?」
少し驚いた顔をしてしまう。あそこは確か各国のエリート中のエリートが集まるところのはず。家格は問題ないとしても、評判の悪い自分が行けるとは思えない。なんせ、パーティでも最低限の対応しかしてないのだから。貴族界隈で後ろ指をさされているのは、噂話に疎くても耳に入ってくる。
「ああ。すでに特別枠での入学が決まっている。今のところラーマス王国から入学が決まっているのは15名といったところか。」
(なるほど。だから授業の内容がスペスに偏ってたんだな。でもまさか俺が行くなんてな。)
「自分で言うのもなんですけど、よくねじ込めましたね。」
エルの返しに、少しアインの眉が動く。まさかそんな返事を返してくるとは思ってみなかった。セバスの見立てはあっているのかもしれない。
「そう思うならもう少し素行を正しなさい。」
「申し訳ございません。今更、路線変更は無理です。」
「…クク、そうか。なら何も言うまい。あそこは傑物たちしかいない、退屈はしないはずだ。」
今度はエルが動じる番だった。
(…やはり見抜かれているか。だが甘い、その程度で世界は色づかない。どこまで行ってもこの世は灰色なんだよ。)
「そうですか。」
「ビパールから聞いていると思うが、あそこは実力主義だ。今ならまだ辞退できる、どうする?」
(おかしい。この男が相手に選択肢を与えるだと? 何を考えてる?)
表情を一切変えず、脳をフル回転させる。いくつか考えを思いつくが、どれもしっくりこない。
「…いえ、辞退はしません。」
この国の学院に行くよりも、まだ中立都市へ行く方がいい。ハーブルルクス家は大貴族で味方は多いが、敵の方が多い。
「そうか。ならそのように手配しておく。」
「はい、お願いします。」
「…あとこれは父としての助言だが、試験では手を抜かない方がいい。あそこは序列が全てだからな。それこそ平民でも力があれば上に立てる、そういう世界だ。」
「手を抜くつもりなんてさらさらありせんよ。特待生になるつもりなので。」
(父としての助言? ハッ、ハーブルルクス家の当主としてだろ? せいぜい評判を落とさないように立ち回るさ。仕送りを減らされても困るんでね。)
「これは大きく出たな。では、お前の活躍が聞こえてくるのを待っていよう。さて、あと聞いておきたいことがある。すでにいろいろと準備をさせてはいるが、武器は剣でよいのか?」
「…はい、剣で構いません。」
(本当は槍がいいけど、いざとなれば魔力で作ればいいだけか。剣でも十分だろ。)
「あい、分かった。」
「あと弓と矢も用意してもらえませんか?」
「よかろう。他には無いか?」
「はい。そうですね、特にはないです。」
「…話は以上だ、もう下がっていいぞ。」
「分かりました。失礼します。」
「ガチャ」
父の部屋から出たエルは何となく花畑へ行きたくなった。雨が降り出しそうな天気だが、すぐに帰ってくれば問題ないだろうと歩き出す。
(それにしてもスペスか。ランデス兄上とアイリス姉上も通ってるから、俺が通うのも不思議ではないと言えば不思議ではない、か。でも
自分をいびってきた次兄はすでに国内の学院に行っている。そのお陰で暮らしやすくなっているのは間違いなかった。しかし、自分も国内の学院に行くものだと思っていたばかりに、この展開は予想していなかった。
しばらく思索にふけりながら歩いていると、とうとう雨が降り出した。
「ヤベッ」
エルは急いで大きな木の下に向かう。
「…これは当分戻れなさそうだな。よって授業も受けられない。残念、残念。」
ちっとも残念そうには聞こえない声色で宣う。
「パラパラパラ…」
雨が降るのをぼんやりと眺めていると、あの紙片が舞う様子が自然と思い出される。
「…やっぱり灰色か。」
今では自由に己の世界へ没入することができる。だが精神に負荷がかかりすぎるため、最近はなるべく入らないようにしていた。その甲斐あってか、生きてる間は生きようと思えるぐらいにはなった。
(…おっさんももう居ないしなぁ。)
初めて世界の綺麗さを教えてくれた男は半年ほど前に旅立っていった。彼自身は離れるのを渋っていたが、無理やり送り出した。まだ彼は旅の途中だったし、己が足を引っ張るのは許しがたかったから。
「はぁ……。」
雨が止むのを待つこと数刻、ようやく雨が上がった。
(ちょいと槍の練習でもしてから帰るか。)
一通り空の型は修めたので、最近は大地の型という基礎的な型を学んでいる。明らかに学ぶ順番を間違えていたが、独学なので仕方がないと割り切る。それに槍を振り回している間は何も考えなくて済むから、一時的な救済でもある。
「グン」
下から上への唸るような突き。毎回、槍を振るごとに思うが、やはり己の適性は槍だと思う。剣では受け流し方は分かっても、攻め方が分からなかった。
「ハッ」
最後にお決まりの突きを放ってから練習を終える。
「帰るか…。」
帰り道、ふと空を見上げると虹がかかっていた。
金、赤、青、緑、藍、紫、橙。
だが、エルには大して響いていなかった。
(プルウィウスアルクス、ね。俺の気質とは合いそうにはなさそうだ。)
エルは最後に一瞥して、去っていく。
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