第3話 先生
朝日が窓から差し込む。今日もまた代わり映えしない一日が始まったのだ。
「…ハァ、朝か。」
(今日は何して時間を潰そうかね。座禅でもしようかな。)
服を着替え、朝食を食べに部屋の外に出るが――
「おはようございます、エルグランド様。」
「…セバス。」
「昨日も抜け出されたようで。」
「…」
エルグランドの仏頂面を見て、セバスは少しトーンダウンする。
「なにも責めているわけではありません。エルグランド様は当家の三男であられます。護衛も付けずに街に行かれるのはおやめください。一声おかけいただければ、すぐに準備いたしますので。」
「…必要ない。」
「ですが―」
「必要ないと言っている! 俺に指図するな。」
エルの昏い昏い眼差し。普段は何もしないくせに、こんな時だけ口を出すのは気に触る。
(俺に何かあれば、流石に父もお前を罰するだろうからな。それが嫌なんだろ? 気に食わない。)
「…さようでございますか。では本日の予定ですが、午前は国際政治に歴史、午後は剣の稽古となっております。本日は絶対に受けてもらいますからね。高名な先生方をお招きしているので。」
セバスの言葉にエルの顔が歪む。
「剣はいい。俺には向いていない。」
「向いている、向いていないの話ではないのです。貴族である以上、修めなければならないのです。」
(くそったれ、何が貴族だ。俺が望んで生まれた来たわけじゃない。そもそも誰が生んでくれと願った? 誰が生まれたいと望んだ? 少なくとも俺は頼んでない。…できれば生まれたくなかった。)
心に生まれた闇が蠢く。しかし、エルがそれを声に出すことはない。出してしまえばもう戻れる気がしなかった。父はともかく、今は亡き母のためにも言えなかった。
「…じゃあ、昼食だけ食べたらすぐに帰ってくる。それでいいだろ?」
「…13の鐘が鳴る前に帰ってくると約束していただけるのであれば構いません。」
「善処する。」
貴族のお得意の文句で濁す。しかし、それほどセバスは甘くはなかった。
「なりません。約束してください。」
「善処しよう。これでも譲歩してるんだ。」
「…アイン様に言いつけますよ。」
「ハッ、好きにしろよ。」
(今更父上なんて怖くねぇよ。…家出でもしてやろうか。それ以前にあの男は家族に興味なんてないだろうけどな。駒としてはあるんだろうけど。)
エルはセバスを無視して、通り過ぎる。しかし、エルは知らなかった、セバスの想いを。
セバスが失敗したのは行動で示そうとし、口では伝えなかったことである。ただ一言、言えばよかっただけなのだ。
エルが食堂に入ると、そこには次兄のコークスがいた。思わず舌打ちが出そうになるが何とか堪える。
(くそっ、どうして未来予知が発動しなかったんだ?)
「っち、無駄飯ぐらいが。」
(それはお互い様だろ。むしろお前の方が服に金をかけてるじゃないか。ま、どうでもいいけど。)
コークスも自分と同じく父に適当に扱われている。本人は気づいているのかは分からないが、長兄や長女の扱いと比べれば一目瞭然だろう。だから少し哀れに思えるのだ。
「…」
「おい、何とか言ったらどうなんだ?」
「…」
「ハッ、言い返す胆力もないか、腰抜けめ。家の評判落とすんじゃねぇぞ。」
コークスはすでに朝食を食べ終えていたのか、食堂を出ていく。
「…朝食の用意をしてくれ。」
「はい、承知しました。」
例に漏れず、やはり朝食で運ばれてくる食事の量が異常である。それでも身体を作る分には問題ないので好都合だった。
(どうせあと少しで兄上も学院に行く。そうなれば俺は自由か? …いや、セバスが俺につきっきりになるかもしれないな。…めんどくせ。)
すると、セバスが本当に食堂にやって来た。
「食べ終わりましたか? エルグランド様?」
「…セバス、まだ食ってる途中だ。ご飯くらいゆっくり食わせろ。」
「もちろんですよ。ただ、授業の件は忘れないでくださいね。」
「わかってる。まだ9の鐘も鳴っていないだろ。」
「はい。念のためです。ではごゆっくりお食べください。」
「ッチ」
思わず舌打ちが出てしまうが、何も問題ない。彼は貴族ではない。なら敬わなくともよい。
(一気に食欲なくなったな。)
「ごちそうさまでした。」
「もうよろしいのですか。」
「ああ。もう腹いっぱいだ。また昼食は外で食べるからな。用意しておいてくれ。」
「御意。」
時刻はまだ8の刻にもなっていない。国際政治の授業までまだ1の刻もあった。
(さて、何をするか。槍を振り回すわけにもいかないし、やはり本か。)
エルは自室に戻り、お気に入りの軍記物語を手に取る。物語とあるが、これは実際にあった歴史であった。数々の英雄がキラキラと輝き、散ってゆく。その栄枯盛衰がとても美しいように思われるのだ。
「コンコン」
「エルグランド様、授業のお時間です。」
「…分かった。」
渋々本を読む手を止め、部屋を出る。。
エルが素直に授業を受けるのは自分に必要だと思ったから。必要でないならしない。実にシンプルな考え方だった。
「…こちらです。」
セバスは素直なエルに若干戸惑うが、すぐに講師の元へ誘導する。
「エルグランド様は国際政治に興味はおありですか?」
「普通。この国が滅んだら困るかな。」
「…さようでございますね。」
何とも言えない空気が広がり、黙って歩く。
「こちらですでにお待ちです。相手は講師です、敬意を払うのを忘れないでください。」
「分かってる。案内ご苦労。」
役目は終えたというのにセバスに戻る気配はない。己がちゃんと入るのを見届けるつもりなのだろう。
(そこまで信用ならないか、俺は。…そらそうか。)
「コンコン」
「はい。どうぞお入りください。」
「失礼します。」
エルが入室すると、中には年配の男性が待っていた。
「お初にお目にかかります、エルグランド様。ビパールと申します。」
「エルグランドです。」
「では早速ですが、始めましょうか?」
「はい。」
ビパールから教科書が手渡される。
「これは教科書なんですけどね、読めばわかると思うのでパスします。寝る前にでも読んでください。…で、これを見てください。」
「これは…」
「はい、大まかなこの大陸の地図ですね。これを見ながら本日は授業をしたいと思います。まず、基本的なおさらいです。この大陸には七大国とその衛星国、そして中立都市スペスで構成されています。では我が国と関係が悪いのはどの国でしょうか?」
「プルウィウスアルクス王国。」
「正解です。仲が良いのは?」
「サングイス王国。」
「なるほど、基礎的な知識はお持ちのようですね。では、応用に入っていきます。」
そこから始まる新たな知識の流入、見方、歴史観。とうてい一人では到達することのできない厚みがあった。
(この人の授業は面白いな。でも内容がちょっとスペスに寄ってる気がする。こんなものか?)
その後も知識を吸収し、多角的な物事の見方を叩きこまれる。
「ではこのぐらいにしておきましょうかね。」
「…ありがとうございました。」
「私の授業はどうでしたかな?」
「とても面白かったです。」
「なるほど。では学院に行かれるまでの間、私が専属の家庭教師になりましょうか?」
「…」
(…信用してはいけない。俺以外の奴は敵。)
「そう身構えなくてもいいですよ。単なるギブアンドテイクの関係です。私としても給料がいいところで教えたいので。」
「…そういうことならよろしく頼む。セバスにでも言っておく。」
(利害で結ばれた関係か。父上が言っていたな、利を同じくする者が最も信用できると。)
「お願いいたします。」
「では失礼します。」
ようやく待ちに待った昼食の時間だ。あの男にまた綺麗な世界を見せてもらおう。エルは昼食を持っていつもよりもウキウキした気分でいつもの場所へと向かうのだった。
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