第21話 不穏の影
フローリアン王国が将来大飢饉に襲われる可能性は、現時点では一回目と同様に高い。
陛下も他の王子も自国至上主義で、必要以上に貿易をして国を開きたくないようだし、多分フロウ王子が私の候補に挙がったのも、国のための開国思考のフロウ王子を体よく追い払いたいという都合もあったんだろうし、なかなか手強そうよね。
それでも飢饉に陥る心配がなくなれば、フロウ王子との縁談はなくなる可能性もある。
この問題、解決しない手はないわ。
敵を知るにはまず敵の持つもの、守ろうとするものを知れ。
フローリアンについて、ちゃんと勉強しなきゃ。
図書室の大きな扉の前に立ち、扉の取っ手に手をかける──と。
「失礼します、リザ王女殿下」
一人の文官が私を呼び止めた。
「どうしたの?」
「申し訳ありません。セイシス様に取次があるのですが……」
私に断りを入れながら、ちらり、と横目で私の隣で圧たっぷりの男へと視線が送られる。
「俺に? 誰からだ?」
「陛下と、今陛下に謁見中の公爵様です。“あの件で──”と言えばわかる、と」
文官の言葉に、セイシスの眉間にしわが深く刻まれ、圧がさらに強くなった。
「……わかった。すぐに──あー……いや、だが……」
重々しく口を開いてすぐ、困ったような視線が私の方へと移される。
あぁ、この顔。
最近いろいろあるから、また自分が離れるわけには……、とか思ってるのね。
まったく、変なところ真面目なんだから。
「私なら大丈夫よセイシス。図書室で大人しく待ってるから」
「いや、でもなぁ……」
「知ってるでしょう? 私にはちゃんと必殺技があるんだから」
文官の手前、いつものように「私には頭突きがあるんだから、つべこべ言わずに行きなさい」なんて言えないから、にっこり笑って優しく諭す。
「いや正直それがある意味一番不安……」
「んなっ!? ごほんっ。大丈夫よセイシス。図書室はあまり人も来ないし」
抑えるのよリザ。
こんなところで口喧嘩はダメ。
人前では王女らしく振舞わないと、変な噂が余計に尾ひれがついて流れることになるわ。
「いや、それが余計心配……」
「あれ。兄さん?」
「アルテスか」
背後から声をかけてきた大型犬──いやアルテスは、私達が振り返るとすぐに満開の笑顔を咲かせて小走りで近づいてきた。
まるで主人を見つけて喜びかけつけるわんこだ……。
「どうしたの? 何か困りごと?」
「あぁ。実は、王女の調べもので図書室に来たのはいいが、陛下と父上に呼ばれてしまってな……。さすがに王女を一人にはできないし、引き返そうとしていたところだ」
まだ言ってるのかこの男は……!!
それだけ職務を全うしようとしてくれているのはありがたいことだけれど、ただでさえ日ごろから休日なしで私についてくれていて申し訳ないのに、これ以上私のために迷惑ばかりかけたくない。
護衛騎士は入れ替え制で休みを取りながらしてもらうつもりだったのに、昔から今に至るまで彼一人だ。
一度セイシスに、他にも騎士をつけることを提案したのだけれど、「他の奴がいたらお前が気を抜く時間が減るだろうが」って言われて断られたのよね。
普段の態度はともあれ、それほどまでに主人に忠実であろうとしてくれるセイシスだ。
もう少し自分のことを優先させて欲しい。
「なら僕が兄さんの代わりに護衛をするから、兄さんは用事を済ませておいでよ」
何でもないようにいいアイデアでしょ、と笑顔をむけるアルテス。
「は? いや、だがなぁ……」
それでもしぶるセイシスに、呆れるようにアルテスがため息をついた。
「もう……。兄さん、僕は兄さんと同じ騎士だよ? 剣の腕前は騎士団長お墨付きなんだから。それに、陛下と父上両者から呼び出しなんて、何かよっぽど重要な案件なんだろうし。早く言ったほうが良い」
アルテスの正論に、私が「ほらみろ」とドヤ顔でセイシスを見上げると、「うっ」と言葉を詰まらせてからセイシスは深く息をついた。
「わかったよ。じゃぁアルテス、すまないが王女を頼む。すぐ終わらせてくるから。ここでちゃんと大人しく待ってろよ」
「はーい。行ってらっしゃい、兄さん」
こんなに大きいのに兄に手を振るアルテスには、ぶんぶんと左右に動くしっぽと可愛い耳が見えるのは気のせいだろうか。
大事な仕事を主人に任されて張り切るわんこのような……
「さ、入りましょうか、リザ様」
「えぇ、そうね。よろしく、アルテス」
私たちはにっこりとたがいに微笑みあうと、図書室の中へと入っていった。
「!!」
「リザ王女? と……あ、アルテス殿……」
図書室には先客がいた。
先客のフロウ王子がすぐに私に気づいて声を上げると同時に、私の隣にいるアルテスにも気づくと途端に彼の目にわずかな警戒の色が浮かぶ。
何?
この感じ。
違和感を感じて視線を横に逸らすと、今度はフロウ王子の護衛騎士と目が合い、すぐに私に頭を下げた。
たしか、ルビウス・ローゲル、って言ったわね。
一度目の人生でフロウ王子と結婚した際も彼についてきた忠臣。
アルテスと同じくらいの長身に、一つに結んだ黒い髪と黒い瞳。
私はあまり話したことはなかったけれど、フロウ王子が自慢げに話していたのを覚えている。
『彼は私の考えを支持してくれる数少ない味方なんだ』と──。
「先日はフローリアンについていろいろとご教授いただき、ありがとうございました」
「いえ、我が国に興味を持っていただいて、嬉しい限りです。有意義な時間が過ごせました」
ん?
そういえばよく話していたし、その後もなんだかんだずっとフローリアンについて語り合っていたみたいだし、仲は良いの、かしら?
あれ?
アルテスとフロウ王子……図書室……。
「あぁぁぁぁあああああ!!」
「!?」
「!? リザ様?」
このシチュ、一回目もあった……!!
確か、今みたいに私とアルテス、フロウ王子がそろってて、私はあの時、寝る前に綺麗な話の本を読みたいからとフロウ王子にお勧めを聞いて……。
フロウ王子がお勧めの本を梯子に上って取ってくれた時、梯子がぽっきりと折れて王子は転落。
王子のお見舞いで度々部屋を訪れるようになった末、求婚されて罪悪感と顔の良さに負けて夫にしてしまったという……まさにきっかけの日じゃない!?
まずい。まずいわ!!
フラグが……フラグが立つ前にここから離れないと……!!
「わ、私、やっぱり部屋で大人しくしてるわね、アルテスにも悪いし」
「え? 駄目ですよ。兄さんにここで大人しく待ってろって言われてるんですから」
今は良いのよ忠犬しなくてぇぇぇえええ!!
「それに、僕なら今は休憩時間なので、問題ありませんし」
こっちがあるのよ!!
「仲がよろしいんですね」
琥珀色の綺麗な目を細めてまぶし気に私たちを見て、フロウ王子がつぶやく。
「ま、まぁ、セイシスと私が幼馴染で、アルテスが生まれてからはアルテスともよく遊んでいましたし、弟のようなものです」
思い返せば抱っこも食事もオムツ替えも一通り公爵にねだってやらせてもらったのよね。
多分あの頃の私にとってアルテスはお人形だったんだと思う。今は大型犬だけど。
「そうでしたか……。ふふ。アルテス殿にとってのリザ王女は、まるで私にとってのルビウスのようですね」
「まぁ、ルビウス殿の?」
「えぇ。彼は元々私の兄の幼馴染で、私の面倒を小さなころから見ていてくれました。とても大切な存在です。ですが……これからは私とも親交を深めていただけると嬉しいですね」
「は、はは。それはおいおい……」
あっぶなー!! 梯子無くてもフラグが立つところだった!!
「それはそうと、何かお探しでここに来られたのでは?」
「へ? あぁ、フローリアンについてのことで少々……」
「フローリアンの?」
「えぇ。せっかくフロウ王子が来られているのですし、私も少し学びたいと思いまして」
嘘ではない。
命がかかっているかどうかが違うだけで。
「そうでしたか……。嬉しいことですね。では──あのあたりなのでいかがでしょう?」
そう言って指さしたのは、すぐそばの棚の上の方。
梯子でなければとることのできない──って……これってまさか一回目と同じ……!?
「私が取って差し上げましょう。女性には危ないですしね」
「えぇ!? い、いやいや、いいです!! 王子の手を煩わせるわけにはいきません!! ここは私が──!!」
一回目と同じ展開になんてさせるもんですか!!
「それでも女性にさせるなど……!!」
「あ、じゃぁ僕が取りますよ。お二人とも、下がって下がって」
言いながら梯子に手をかけるアルテス。
このままじゃアルテスが落ちちゃう!!
ヘタしたらフロウ王子の代わりにアルテスルート突入……!!
そ、それもだめーっ!!
「っ、アルテス、待て!!」
「!?」
私がとっさに犬に命令するかのように声を上げると、アルテスは動きをぴたりと止めた。
すごい……。わんこ属性ってすごいわ…・・。
そしてそのすきに私はドレスの裾をたくし上げながら梯子に手をかけると、それを急いで上り始めた。
「なん……で……」
そんな呆然としたつぶやきが背後から聞こえた、その瞬間──。
バキンッ!!
「きゃぁっ!?」
「リザ王女!!」
「リザ様!!」
二人の声が聞こえる中、私の身体は折れた半分の梯子と共に背面に投げ出された……!!
「っ!!」
衝撃に備えて目をキュッと瞑る。
痛いのは嫌だけれどこれでフラグが折れるなら──!!
そう覚悟した刹那。
「リザ!!」
「!?」
とすっ。
覚悟していた衝撃よりもはるかに小さな衝撃。
ゆっくりと目を開けると、そこには息を切らしながら私を抱えるセイシスがいた。
「セイ……シス……?」
「不安になって早く切り上げて急いで帰ってみれば……。はぁ、怪我、ないか?」
「っ……」
どうしてだろう。
妙に安心する声に、思わず目に涙が浮かんだ。
こんなところで泣くわけにはいかないのに、今にも零れそうな涙に戸惑い、私はセイシスの胸元をつかむ手に力を入れる。
「……部屋に連れて帰る。アルテス、ありがとうな。フロウ王子、失礼する」
私の状態を察したのか、セイシスは私を抱きかかえる腕の力を強めると、二人に断りを入れ、背を向け歩き出した。
だけど私は見逃さなかった。
セイシスに連れられる途中、アルテスの口元がわずかに弧を描いていたということを。
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