2 一番は、純粋なところかな
「ど、どうしようコウ君。さっきすれ違った人、エリアマネージャーだよね。ほら、この前視察に来ていた……」
クリスマスの気配に浮足立つ初冬の街で。道行く幸せそうな恋人達と同様に、私とコウ君も腕を組み寄り添い歩いていた。赤と緑と金銀の装飾で彩られたショーウィンドウに映る私たちは、ごく自然に街並みに馴染んでいて、何ら目を引く要素はない。
けれど知り合い、しかも私とコウ君が恋仲であるなど一度たりとも考えたことのない人物の目を通せば、私たちの姿はスポットライトを浴びたかのように浮かび上がって見えるものなのだろう。
人混みを縫って進む中、ばったりと出くわした壮年のエリアマネージャーは、鷹のように鋭い目を一瞬だけ見開きこちらを見て、すぐにわざとらしく視線を逸らし何食わぬ顔ですれ違った。
私たちは、禁じられた社内恋愛をしているのだ。
万が一知人に見られても問題がないように、マフラーで顎まで覆い、度なしのお洒落眼鏡をかけているし、二人で訪れる場所はいつも決まって会社から離れた街だ。さすがに誰にも見つかることはないだろうと思い、油断していた。 けれどそれは過度な楽観だった。
全身からさあっと血の気が引いて、上ずった声を上げた私にコウ君は、「大丈夫、気づかれてなんかいないよ」と気楽に笑っている。仕事中は厳しく怜悧な印象なのに、プライベートでは意外にものほほんとしていて、そんなギャップに惹かれた部分もあるのだが、この時ばかりはこの呑気さが恨めしい。
「大丈夫じゃないよ。絶対に目が合った」
「俺を見ていたんじゃない? 多分、
私は、なおも言い募ろうとした口を閉ざし、肩越しに背後を振り返る。エリアマネージャーの姿はすっかり人の波の中に消えていて、見つけることができない。
コウ君の言う通りだ。私はただの末端若手社員であり、本社のお偉いさん方の覚えがめでたい訳ではない。次期グループリーダーが半ば確約されている優秀なコウ君とは話が違う。
エリアマネージャーが驚いた顔をしたのはコウ君の推察通り、知り合いの社員が女連れで歩いていたからであり、驚愕の理由は「なぜあの二人が」ではなく「あいつに女がいたなんて」もしくは「こんな場所であいつに会うとは」だったのだろう。
私はいつも、物事を悪い方へ悪い方へと考え過ぎる癖がある。今回だってきっと、私のネガティブ思考が高じて最悪の結果を妄想してしまっただけ。
「うん、きっとそうだよね」
私は言って、頭を掻く。
「本当に、自分でも嫌になっちゃう、いつも暗いことばかり考えちゃって。ごめんね、せっかくのお出かけなのにこんなことで騒いで。私って駄目な人間……」
「香苗」
へらへらと笑う私の言葉を、穏やかな、けれど断固とした響きを帯びる声が遮った。繋いだ手がぎゅっと握り締められて、隣で揺れていた黒いコートの肩が、ぴたりと止まる。
目の前に、真摯な色を宿す黒い瞳が現われて、じっと私を見つめた。
「自分を卑下しないで。香苗は魅力的な女性だよ。俺が保証する」
「でも」
「俺は、そのままの香苗が好きなんだ。どうかそのまま変わらずにいて。ずっと、ずっと」
ビル風が吹き、ざわりと枝が擦れる音がした。思わず顔を上げる。気づけば街路樹の側、街行く人々の進路を遮らない位置に導かれていたようだ。立ち止まり会話をするのならば、誰にも迷惑をかけない場所で、という配慮だろう。
私は黒く煌めく瞳を見つめ返す。コウ君はいつもスマートだ。仕事でもそうだし、こうして見ず知らずの人たちのことを
これほどに素敵な人が、私の恋人になってくれたなんて、まるで奇跡のようだ。
これ以上の恋人は他にいない。私はコウ君を失ったら生きてはいけないと思う。少なくとも彼なしでは、前向きな気持ちで自分を受け入れてあげることなど、できるはずもない。
この手を一生放してはいけない。
そんな心を反映するように、気づけば絡めた指に力が籠っていた。コウ君は「どうしたの」と問うように首を傾けて、長い指で私の手の甲を撫でてくれた。
私は言い知れない安堵に包まれながら、控えめに微笑んだ。
「コウ君、大好き」
コウ君は驚いた様子もなく、じわりと温もりが染み出すような仕草で目尻の笑い皺を深め、甘い言葉を返した。
「俺も大好きだよ」
「どの辺りが好き?」
勇気を出して訊いてみる。コウ君はさして考えた様子もなく、自然に言葉を紡いだ。
「一番は、純粋なところかな」
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